【後編】青砥 瑞人
すべての脳が、絶対的な個性を持っている
記憶と脳のネットワークから紐解く、「自分らしさ」の正体
2022.01.13
私たちの意識や行動を司る、脳。科学の進歩によって、だんだんとその構造や仕組みが解き明かされているとはいえ、その全貌は解明されていないそうです。
本記事でお話をうかがったのは、脳神経科学を教育やITなどさまざまな領域の知見とかけ合わせ、人の成長やウェルビーイングに貢献するための事業を展開する、DAncing EinsteinのCEOである青砥 瑞人さん。脳神経科学の分野で世界的に有名なアメリカのUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)を飛び級で卒業した経歴を持つ、脳のエキスパートです。そのキャリアや脳に興味を持ったきっかけを聞いた前編につづき、後編では脳神経科学の見地から「自分らしく生きる」ためのヒントを教えてもらいました。
「すべての脳が個性的な存在である」と断言する青砥さん。そう言える理由は「記憶」にあるそうです。記憶は物理的に私たちの脳を、引いて言えば私たちを唯一無二なものにしているといいます。「私以外私じゃない」ことの確からしさを、脳から考えます。
( POINT! )
- 経営方針は「おもしろそうだから、やってみよう」
- 脳が生み出す「トップダウン型のモチベーション」と「ボトムアップ型のモチベーション」
- 「とりあえず設定した」目標は、大きなモチベーションにならない
- 目標は「体験にもとづいたもの」であることが重要
- 二つとして同じ脳は存在しない
- 記憶は、脳を物理的に変化させる
- 思考と行動は、脳の「3つのネットワーク」が司っている
- 自らの内側と向き合い、「気付きのためのネットワーク」を鍛える
青砥 瑞人
1985年4月4日生まれ。DAncing Einstein Founder & CEO。
日本の高校を中退後、米UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の神経科学学部を飛び級卒業。人の成長とウェルビーイングに新たなヒントを与えたいという想いから、2014年に株式会社DAncing Einsteinを創設。対象は未就学児から大手企業役員まで多様。空間、アート、健康、スポーツ、文化づくりと、さまざまな分野に神経科学の知見を応用し、垣根を超えた活動を展開している。著書として『4Focus 脳が冴えわたる4つの集中』(KADOKAWA)、『HAPPY STRESS 最先端脳科学が教えるストレスを力に変える技術』(SBクリエイティブ)、『BRAIN DRIVEN パフォーマンスが高まる脳の状態とは』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、共著書として『最新の脳研究でわかった! 自律する子の育て方』(SBクリエイティブ)がある。
事業計画なんてない。指針は「おもしろいかどうか」
現在、DAncing Einsteinはどのような事業を展開しているのでしょう。
青砥
脳科学の知見を教育分野に持ち込むアイデアから始まったDAncing Einsteinですが、現在では企業の研修プログラムを提供していたり、お坊さんと禅と脳に関するプロジェクトに取り組んでいたり。最近はスポーツ分野に脳科学の知見を活かすための取り組みも始めましたし、事業の内容はいろいろ、としか言いようがないですね。
もとからさまざまな領域に展開していく計画だったのですか?
青砥
いえ、中長期的な事業計画を立てたことはないんです。人々のウェルビーイングに貢献できるかどうか、そして僕たちが「おもしろい」と感じられるかどうかを軸に事業を展開してきました。脳神経科学の知見をさまざまな分野に持ち込み、その分野の既存の枠組みを変えるような新たな反応を生み出すことに、一番わくわくするんです。
会社のモットーの一つは「カオス」。そう言うと、先輩の経営者たちから「ちゃんと事業計画を立てたほうがいい」とか「出資者を募ったほうが」とか言われるのですが、僕個人としてはそういった会社経営のあり方にまったくおもしろみを感じません。
モチベーションには、「トップダウン型」と「ボトムアップ型」がある
キャリア形成の考え方として、「最終的な目標を定め、その目標に向かって道を選択すべき」とする考え方と、「目標は定めず、偶然生じるさまざまな機会に対して、適切なアクションを取ることがキャリアアップにつながる」という考え方がありますよね。脳科学は個人のキャリア形成に対して、どのような示唆をもたらすのでしょうか。
青砥
脳科学の見地から言えることがあるとすれば、モチベーションの高め方について、でしょうか。脳の仕組みを紐解くと、人には「2つのモチベーションの形」があると言われています。トップダウン型のモチベーションとボトムアップ型のモチベーションです。
トップダウン型のモチベーションとは、脳の上の部分、前頭前野と呼ばれるエリアを使って生み出されます。このエリアは目標を立てたり、自らの役割を認識するときに使われ、その目標や役割設定によって自らをドライブさせる。脳の上の部分の作用によって生み出されるため、目標などを起点とするモチベーションは「トップダウン型のモチベーション」と言います。
対して、ボトムアップ型のモチベーションは、脳の下の部分、具体的には中脳が放つドーパミンの作用によって生み出されます。ドーパミンとは神経伝達物質の一つで、脳がわくわくしたり、好奇心を刺激されたりしたときに放出されるもの。このドーパミンは噴水のようなイメージで、脳の下部から上部に向かって放たれる。つまり、脳のさまざまなエリアに働きかけるんです。
ドーパミンは脳を活性化させる?
青砥
たとえば、記憶を司る海馬を刺激しますし、先ほど申し上げた前頭前野は集中力や行動、感情をコントロールする機能を持っていて、ドーパミンはここにも作用します。ドーパミンは脳のさまざまな分野に働きかけ、集中力や記憶の定着効率を向上させるんです。
興味を持てないことがなかなか覚えられないのは、脳の仕組みから考えても当然のこと。脳が「なんでエネルギーを使って、求めていない知識を定着させなければならないのよ」と言っているわけです。一方、わくわくする、好奇心が刺激されることなら、効率よく学べるメカニズムになっている。
みんな「目標設定」を重視しすぎている?
では、ボトムアップ型のモチベーションが喚起される方向に進んだ方が、キャリア形成上はメリットが大きい?
青砥
どっちが大事とか、どちらがいいというわけではありません。トップダウン型、ボトムアップ型ともに大事にすべきだと思いますし、状況に応じて使い分けられるようになることが理想です。
ただ、さまざまな人と話をする中で、もっとボトムアップ型のモチベーションを、言い換えれば好奇心を大事にしてもらいたいな思うことは少なくありません。いまの世の中は「目標を設定すること」の重要性を強調しすぎているのではないかと感じるんです。
学校や会社でも「まずは志望校を定めよう」「3年後にはどんなビジネスパーソンになっていたいかを明確にしよう」などと言われますよね。その要請に応じて目標を設定するわけですが、とりあえず設定した目標は大きなモチベーションになりにくい。
トップダウン型とボトムアップ型のモチベーションを、同時に喚起するような目標を設定することが大事?
青砥
そう。では、なぜとりあえず設定した目標にわくわくできないかと言うと、体験が伴っていないから。何かを体験すると、脳にエピソード記憶や感情記憶が蓄積されます。その記憶が、ボトムアップ型のモチベーションの源泉になるんです。
前編で僕がUCLAを志望するに至った経緯をお話しました。その話がわかりやすい例だと思います。UCLAに興味を持ったあと、実際にアメリカに行き、キャンパスの様子や実際の授業を体験して「なんて素晴らしい環境なんだ」と感じた。キャンパスで見た光景やその光景によって喚起された感情の記憶が、受験勉強の原動力になったわけです。
ただなんとなく目標を設定するのではなく、体験を通じてわくわくしたことを起点に目標を定めることが重要だと。
青砥
トップダウン型、ボトムアップ型どちらも重要だと言いましたが、後者を起点にしたモチベーションの方が強力であることは事実でしょう。好奇心の赴くまま行動し、その行動を通じて何かを体験し、「好奇心が刺激された」という記憶を得る。その記憶をもとに設定した目標こそが、大きな力を生むんです。
すべての脳は、唯一無二
そういった脳のメカニズムは、すべての人に共通するものなのでしょうか。
青砥
ドーパミンの放出量だったり、ドーパミンを受け取るレセプターの数は人それぞれですが、基本的なメカニズムは一緒ですね。みなさん、脳の絵をどこかで見たことがあると思うのですが、何本もシワが書かれているじゃないですか。あのシワが入っている場所も、ほぼ同じ。だから、見かけ上では脳はみんな一緒だし、基本的には同じ仕組みになっている。
だとすれば、脳に個性はない?
青砥
いえ、そうではありません。むしろ、すべての脳が絶対的な個性を持っていると言い切れます。仮に、クローン技術を用いてDNAレベルで同じ脳をつくれたとしても、つくった次の瞬間から「違うもの」になっていく。
まったく同じDNAを持っていたとしても、ですか?
青砥
ヒントは「記憶」にあります。人は生まれた瞬間からさまざまな器官を通して、外部の情報に触れることになる。その情報は神経を伝い、脊髄を通って脳の中の神経細胞に独特のシグナルを送ります。それが、記憶として脳に蓄積されていくわけですが、そのシグナルは細胞分子を物理的に変化させているんです。
具体的には、特定のシグナルが頻繁に送られると、脳の中のある細胞分子が太くなったり、シグナルを受け取るレセプターの場所が変わったりする。こういった、脳の細胞分子のミクロな構造変化こそが、「記憶」の正体です。
そして、たとえ一卵性双生児として生まれた2人だとしても、まったく同じ情報に触れ続けることなんてあり得ませんよね? すべての人にとって、その人が見聞きし、触れ、感じたことの「記憶」は完全に固有なものであるはず。だからこそ、ミクロレベルでは「同じ」脳なんて存在せず、すべての脳が個性的だ、と言えるわけです。
行動と思考を司る、脳が備える「3つのネットワーク」
人の思考や行動が変わっていくのは、さまざまな体験によって得た情報が、脳の内部を物理的に変化させているから、ということでしょうか?
青砥
脳が思考や行動に与える影響を説明するためには、脳が備える3つのネットワークについて説明しなければなりません。脳はさまざまなネットワークを持っているのですが、とりわけ「セントラルエグゼクティブネットワーク」「デフォルトネットワーク」「サリエンスネットワーク」の3つが、思考や行動に影響を与えていると言われています。
まず、セントラルエグゼクティブネットワークとは、端的に言えば意識的な行動や思考をする際に働く回路です。たとえば、「ここを見てください」と言われて、指定されたところに視線を向けたときや、あるいは「何かについて考えたい」と思ったとき、この回路が活性化します。
2つ目のデフォルトモードネットワークとは、記憶にもとづいた思考や行動をするときに働くネットワーク。わざわざ注意を向けなくてもできてしまう行動ってありますよね。たとえば、通勤通学。「まずはあの角を曲がって、その次は3つ目の角を左だな」なんて考えないじゃないですか。そういった行動ができるのは、脳に記憶が蓄積されているからであり、その記憶を元に情報を処理し、行動につなげるこのネットワークが働いているから。
意識的な行動を司る回路と、無意識の行動を司る回路があるというイメージですね。では、3つ目のサリエンスネットワークとはどのような回路なのでしょう?
青砥
セントラルエグゼクティブネットワークとデフォルトモードネットワークの切り替え役を担っています。たとえば、通勤路の途中にある、普段は気にしてもいなかったお店が急に気になる瞬間ってあるじゃないですか。その瞬間、脳内では何が起こっているかというと、使っている回路がデフォルトモードネットワークからセントラルエグゼクティブネットワークへと切り替わっているわけですね。サリエンスネットワークは、そのスイッチ役を果たしています。
自らと対話し、「内側の変化」に敏感な脳をつくろう
私たちが何かに「気付く」とき、サリエンスネットワークが働いている?
青砥
はい。そして、サリエンスネットワークは脳内の変化をモニタリングする役割も担っている。セントラルエグゼクティブネットワークにせよ、デフォルトモードネットワークにせよ、その回路が使われるときは脳内に変化が起こっています。すべてのネットワークは神経細胞の集合体ですからね。ネットワークが働いているということは、脳内に物理的な変化が生じているということであり、サリエンスネットワークはその変化に「気付く」ためのネットワークでもある。
先程、ある体験を通して、何かしらの感情を抱いたとき神経細胞が変化することで、その感情が記憶されるというお話がありました。ということは、サリエンスネットワークの働きが悪くなる、つまり脳内の変化に気付きにくくなるということは、自らの感情の変化にも鈍感になってしまう?
青砥
その通りです。現代を生きる多くの人は、自分の中の変化に向き合う時間を取りにくい環境にあると思っています。外部にたくさんの情報や刺激が溢れているので、それらにばかり注意が向いてしまっている。その反動として、自らの内部や「いま、ここ」に向き合うことを大事にする、禅の思想やマインドフルネスがビジネスの世界でもブームになったのだと思っています。
好奇心やわくわくを大事しよう、というお話をしてきましたが、そのためにはまず自らが「わくわくしていること」に気付かなければなりません。自らと積極的にコミュニケーションを取り、内部の変化に敏感になること、言い換えればサリエンスネットワークを意識的に働かせることが、好奇心に向き合うことにつながるんです。
内面に向き合い、自分が何に「わくわくするのか」を知ることは、先程教えていただいたボトムアップ型のモチベーションにつながり、「自分らしい生き方」に示唆をもたらしてくれるような気がしました。
青砥
何に興味を持ち、わくわくするのかは人それぞれ。なぜなら、その好奇心は「誰とも同じであるはずがない」記憶にもとづいて生じるものだから。別の言い方をするなら、これまでの軌跡が、その人の好奇心の源泉なんです。
「自分を信じることが大事」とよく言われますが、僕はこの言葉を「自分の歩いてきた道のりと、いま持っている好奇心を信じることが大事」と解釈していて。自分だけの記憶と、自分だけの好奇心にしっかりと向き合えれば、「自分らしい生き方」がきっと見えてくる。
もう一つ、自分らしく生きるために大事だと思うのは、応援してくれる人の存在に気付くこと。自分のやりたいことをやっていると、とやかく言ってくる人もいると思うのですが、そんな人ばかりではないはず。「大丈夫!」と励ましてくれる人がきっといるので、そんな存在を見つけてほしいと思います。
[取材・文]鷲尾 諒太郎 [編集]小池 真幸