高校を中退して「何者でもない存在」に

小さなころはどんなお子さんだったのでしょうか。

青砥

いつの間にか小学校受験をして、東京都内の小中高一貫校に通っていました。当時は意識していませんでしたが、医師を親に持つ同級生がたくさんいるような環境で、小さいころから勉強を頑張っている子が多かったように思います。

僕もそんな環境に合わせて勉強をしていれば、偏差値の高い大学に進めたと思うのですが、小さいころから「みんなと同じようなことをしていてもしょうがないんじゃないか」といった感覚を持っていましたね。

 

なぜそういった感覚を?

青砥

親の影響が大きいと思います。僕の親族はアーティストをやっていたり、劇団に所属していたり、ミュージシャンだったりと、芸術を生業にしている人が多いんです。父もそんな仕事をしていたからか、「みんなと同じじゃおもしろくない」といった感覚を受け取っていたように思います。

 

小さなころから、無意識のうちに周囲とは違う道を行くことを考えていた。

青砥

そういった気持ちがどこかにあったからこそ、高校を中退するという選択を下したのだと思います。直接的なきっかけは、野球部を退部したこと。僕は小さなころから野球一筋だったのですが、大きな怪我をしてしまって、野球部を辞めざるを得なくなってしまったんです。

今振り返ればただの被害妄想なのですが、退部したことに対して、一緒に頑張ってきた仲間から「こいつ、裏切りやがって」と思われているような気がして、学校に行くのが辛くなってしまった。そうして、中退することを選びました。でも、親にはそんな理由で学校を辞めるとは言いだせなくて、「自分でちゃんと勉強するために高校を辞める」と。そう言ってしまった手前、大検(現在の高校卒業認定試験)には合格しておかなきゃなと思って、勉強を始めたのですが、明確な目標はありませんでしたね。

 

高校中退後はどんな生活をしていたのですか?

青砥

「何すればいいんだろう?」って感じでしたよ(笑)。学校に行かなくなった時間をどう過ごすか考えなきゃいけなかったですし、バイトはしていましたが、やることと言えば本当にそれくらいで。ありがたいことに、実家には置いてもらえていたので、寝ることと食べることには困りませんでしたが、本当に何者でもない存在としての時間を過ごしていましたね。

 

野球の記憶が導いた、脳神経科学への道

何かを目指して勉強するわけでもなく、就職活動をするわけでもなかった?

青砥

そうですね。でも、同級生たちが高校を卒業して「あいつが医学部に入った」といったような話を耳にすると、どんどん焦ってくるんですよ。

ずっとバイトをしながら暮らしていくわけにもいかないなという感覚はあったのですが、就職も難しそうだという感覚もありました。高校を中退したことによって、周囲からの見られ方が大きく変わったことを感じていたからです。陰で「あいつ、中退したらしいよ」と言われていることも気付いていましたし、中退しただけで社会的な評価が大きく変わってしまうことを実感していたので、なんとなくそのまま就職するのは難しいのではないかと。

そこまでいくと、自分と向き合わざるを得なくなるんです。「この先、どうやって生きていきたいのか」「どんな仕事をしたいのか」、自問自答を繰り返していました。

 

どんな答えが出たのでしょうか?

青砥

考えれば考えるほど、野球にまつわることに関わりたいという気持ちが強くなっていきました。それまでの人生の中で最も時間を使っていたのが野球でしたし、野球に関するたくさんの情報がインプットされているので、どうしてもそうなってしまうんですよね。野球に関するさまざまな思い出や情報を振り返る中で、小学校時代のコーチに習った丹田呼吸のことを思い出しました。

おへその数センチ下には丹田と呼ばれる、気が集まるとされている部位があって、そこに意識を集中させながらゆっくりと呼吸をすることで、意識が整い、パフォーマンスも向上すると。僕自身、この呼吸法を取り入れることで、集中力が高まった経験があって、ずっと「どんな仕組みなんだろう」と気になっていたんですよね。

僕は小さなころから本を読む習慣はなかったのですが、丹田呼吸のことが気になって、本屋に行ってスポーツのパフォーマンス向上に関するものなど、それっぽい本を買い漁ったんです。それらを読んでみると、集中力やパフォーマンスの向上には脳が関わっているということは分かったのですが、丹田呼吸が脳にどんな影響をもたらすか、までは書かれていなかった。「メンタルが重要です」という言葉でお茶を濁されているような気がして、気持ち悪くて。どうしてもスポーツのパフォーマンスと脳の関係を解き明かしたいと思うようになり、「脳について学ばなきゃいけないな」と、急に勉強のスイッチが入った。

 

脳に興味を持ったのは、高校時代まで取り組んでいた野球がきっかけだったわけですね。

野球に熱中していたころの青砥さん(画像提供:青砥さん)

青砥

「学者になりたい」とか「医師になりたい」といった目標があったわけではなく、本当に単純な好奇心ですよね。ただただ「気になる」「知りたい」といった気持ちがあったからこそ、主体的に勉強ができたのだと思います。気付いたら「あれ?俺、本読んでるじゃん」って(笑)。

 

大学受験の“失敗”で得た、大きな財産

それからどんな道を選んだのですか?

青砥

「医学部に行き、脳を学ぼう」と決心しました。それまでほとんど勉強したことがなかったので、まさにイチからの受験勉強。かなり成績も伸びて、手応えはあったのですが、結果的には合格できませんでした。医学部の入試は1次試験と2次試験があって、1次は筆記、2次が面接。すべての大学の1次試験はパスしたものの、2次試験で全滅してしまって。

1年浪人して、再チャレンジしたものの、結果は1年目と同じく2次試験を突破できなかった。困ってしまって、いろいろな人に相談しました。話を聞いてくれたある人が「高校を中退したことが影響しているのではないか」と。もちろん、その人の憶測でしかありませんし、他に原因があったのかもしれませんが。そして「過去の経歴ではなく、今の実力で勝負したいならアメリカに行ったらどうか」とアドバイスをくれたんです。なるほど、と思って、そこからアメリカの大学を目指すことに。

入試事情を調べたところ、すぐにアメリカの大学を受験することはできなくて、まずはコミュニティカレッジという学校を卒業しなければならないことが分かって。その学校は望めば誰でも入学できるということで、この学校に入学するために渡米することを決めました。

 

大胆な選択ですね。留学を意識して英語を勉強していたのですか?

青砥

いえ、まったく(笑)。受験勉強として英語は学んでいましたが、会話はまったくできませんでしたよ。

 

そのような状態で渡米することに不安はなかったのでしょうか。

青砥

なんとかなるだろうと思っていましたね。というのも、日本の大学に入るための受験勉強の中で、自分が変わっていくのを実感していたから。成績がぐんぐん伸びて、その成長には自分でも驚くほどで。

英語の成績もかなりのスピードで伸びていましたし、会話はできませんが、学び続ければなんとかなる感覚がありました。そういった意味で、日本の大学を目指して勉強した時間は僕にとっての大きな財産になった。受験はうまくいきませんでしたが、「学び続ければ成長できること」を知れたので、“失敗”だとは思っていないですね。

 

かわいい脳には、旅させよ

大学受験の経験がモチベーションになっていたのですね。

青砥

それに、どうしても入りたい大学を見つけてしまったんですよ。アメリカに行くことを決め、志望校を検討する中でUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の存在を知って。スポーツの名門かつ、脳神経科学の分野でも世界的に有名な大学だと。「ここだ!」と思いましたね。

UCLAを知ったときはまだ日本にいて、コミュニティカレッジに入学するための準備をしていた時期だったのですが、居ても立っても居られず、アメリカに行ってしまった。小学校からの友達がアメリカの大学院に進んでいたので、「ちょっとUCLAに連れてってくれない?」とアポを取って。

そうして訪れたUCLAで見た光景が決め手になりました。授業に潜らせてもらったのですが、とにかく熱量がすごかった。授業のあとで聞き返すために、みんな教卓の上にICレコーダーを置くんですよ。その光景も新鮮でしたし、とにかくみんな前のめりでディスカッションしている。

何を言っているのかは理解しきれませんでしたが、世界中から集った学生たちが、本当にきらきらした表情で脳神経科学を必死に学んでいて。心からわくわくしましたし、「ここで学びたい!」と強く思いましたね。このわくわく感が、その後の大きなモチベーションになりました。

 
UCLA在学時、キャンパスでの一コマ(画像提供:青砥さん)

好奇心やわくわく感が、青砥さんを突き動かしてきたように思います。わくわくし続けるコツのようなものがあるのでしょうか?

青砥

いろいろな人とコミュニケーションを取る中で、「わくわくできない」という声を聞くことが多いのですが、脳の原理から言えば、わくわくできない人ってほとんどいないはず。それなのに、なぜ多くの人がわくわく感を覚えられないと言うのか。

ヒントになるのは、脳が持つ「Use it or Lose itの原則」です。日本語に訳せば「使うか、失われるか」ですね。つまり、脳の神経回路は使われれば強化されていくのですが、使わなければそのまま維持されるわけではなくて、失われてしまう。

 

つまり、継続的にわくわくするような体験をしていないと、次第にわくわくしにくい脳になってしまう?

青砥

その通り。だから、常にわくわくしたり、好奇心を刺激したりした方がいいのですが、仕事や学校といった日常生活の中でわくわくすることは、簡単なことではありません。だから、意識的に「日常の外」に出ていくことが大事なんです。

たとえば、旅をすること。いろんなことに好奇心を持てたり、わくわくしたりする人って旅好きが多い。しかも、目的を決めず、ただふらふらする旅を好む傾向がある。僕もそんな旅が好きで、昔から何も決めずふらふらすることが多くて。そんな旅をしているときって、誰に指示されるわけでもなく、ただ自分の興味関心にしたがって行動を決めますよね。それが、自分の好奇心に向き合うことにつながっているのではないかと思うんです。旅はあくまでも一例ですが、「Use it or Lose itの原則」に則って、定期的に脳を新しい景色や知らないものに触れさせることが、さまざまなことにわくわくし続けるコツだと思います。

 

「未来を思い描く暇なんてない」ほど、勉強に熱中したUCLA時代

そんなわくわくによって導かれたアメリカでは、どのような生活をしていたのでしょうか?

青砥

とにかく必死に勉強していましたね。そのかいもあって、コミュニティカレッジを規定の年数よりも早く卒業し、UCLAにも合格できました。UCLA入学後も、試験勉強やら課外活動やら、とにかくいろいろ詰め込んでいたので、2時間睡眠が2週間続くようなこともありました(笑)。

 

かなりハードな生活だったのですね……。何らかの目標に向けて努力していたのですか?

青砥

いえ、そのころも特に目標なんてなかったです。目の前に広がっている世界が楽しくて仕方なかったので、未来を思い描いている暇なんてありませんでした。脳神経科学の世界って本当に広くて、奥が深い。同じ学部の同級生でも、運動にまつわることを勉強している人もいれば、記憶、あるいはストレスに関することを研究している人もいて。もう本当にいろんな分野があって、そのどれもが僕にとっては宝石箱のようでした。

とにかく、脳のことを知りたくてしょうがなかったんです。脳神経科学の授業以外にも取らなければならない教科はたくさんあったので、それらは履修しつつ、脳に関する授業も取れるだけ取っていました。そうして、夢中で勉強していたら、いつの間にか卒業に必要な単位をすべて取得してしまっていて、飛び級で卒業することになりました。

 

ここでも脳の世界に対する好奇心が、大きなモチベーションになっていた。

青砥

あとは、共に学ぶ仲間の存在も大きかったですね。図書館が24時間オープンしていて、みんなそこに集まって勉強していました。机の上には大量のレッドブルが並んでいて(笑)。世界中から集まった優秀な人たちが、必死になって勉強している中で、英語もままならない僕がサボるわけにはいかないじゃないですか。

仲間たちには、常に「負けてられない」と思わされましたし、教授陣もとにかく教えることに対する熱量が高くて。一つひとつの授業を通して、そのパッションがすごく伝わってきましたし、こっちも全部吸収してやろうという気持ちでしたね。

毎日毎日、新しい世界に触れられるような環境だったからこそ、あそこまで必死に勉強し続けられたのだと思います。

 

大学生との対話で気づいた、脳神経科学の知識を社会に実装する方法

UCLAを卒業したあとは、どんな道を歩んだのでしょうか。

青砥

日本の会社に就職することにしました。アメリカの大学院に進もうと思ったのですが資金が必要だったので、一度日本に帰って就職し、お金が貯まったらまたアメリカに渡ろうと。そうして日本で働き始めたのですが、僕のキャリアをどこかで知った大学生たちからメッセージが届くようになったんです。「青砥さんはとても自由に見える。どうやったらそんなに自由になれるのですか?」って。

中には、いわゆる大企業への就職が決まっているものの「この進路でいいのか」と悩んでいる学生もいて。メッセージをくれた学生の多くは20〜21歳。その年齢の自分を思い返すと本当に何者でもなかったので、「何も悩む必要なんてないじゃん。やりたいことがあるなら、今から始めても遅くないよ」と答えていたのですが、「やりたいことがない」と。

「何に興味があるの?」と聞いても、大した答えが返ってこないというか、実感がこもった言葉を返してくれる子がほとんどいなかった。なんだかもったいない気がして、「じゃあ、とりあえず会って話をしてみようか」と、学生たちを集めて、おしゃべりする会を開くことにして。

 

会社員をしながら、ですよね?

青砥

そうですね。平日は働いているので、土曜日か日曜日の朝7時とかに集合して、そのへんの公園などで5〜6時間ほど話し合う会を定期的に開催していました。誰かに自分のやってみたいこと、考えていることを言ってもらって、みんなが「それってどういうこと?」「なんでそれに興味があるの?」とどんどん突っ込んでいく。とにかく全員が興味関心の幅を広げたり、深めたりすることを重視していましたね。

そんな感じで、1年ほど会を続けていると、大企業の内定を辞退して「前から興味があった、この分野の研究をすることにしました」と言ってくる学生が現れて。海外の政治経済系の大学院に進学することが決定していたのに、「これからは脳だ」と言って、決まっていた院には進まず、僕と同じようにアメリカのコミュニティカレッジに入った子もいましたね。

 

参加していた学生たちが、次々に「やりたいこと」を見つけ、それに向かって進み始めたと。

青砥

急にアフリカに行った東大生もいましたね(笑)。「どうなるかわからないけど、とりあえずやりたいことをやっちゃおう!」と旅立っていく学生たちの目が本当にきらきらしていて、その目を見たときに、ふと現状の教育に対する疑問が湧いてきたんですよね。

彼らは確かに優秀ですが、出会ったころは「やりたいことなんてない」とどんよりした目をしていて。でも、やりたいことに出会った瞬間、目が輝き、とても主体的に行動し出した。僕自身の経験を振り返ってみても、高校を中退してから自分のやりたいことをやり始めてから、人生が大きく変わった。今の教育は、「やりたい」を見つけるサポートができていないのではないかと。

そして、僕が学んできた脳神経科学の知識を、教育に活かせるのではないかと思った。より脳科学的なアプローチを持ち込むことで、教育は変えられるのではないかと。そう思ってしまったので、すぐに会社は辞めました(笑)。そうして、DAncing Einsteinの創業につながる事業を始めたんです。

 

高校中退から、脳の世界に熱中したUCLA時代を経て、DAncing Einstein創業に至った経緯を聞いた前編に引き続き、後編では脳神経科学から考える「自分らしいキャリアの築き方」や、脳と個性の関係をうかがいます。「脳神経科学的には、『自分らしさ』を持っていない人なんて一人もいない」と言う青砥さん。ヒントは「記憶」にあるそうです。ぜひ、後編もお楽しみに!

[取材・文]鷲尾 諒太郎 [編集]小池 真幸