【前編】藤原 慶×大澤 博隆×柞刈 湯葉
そっくりだけど違う。「鏡像生命」と飲み会はできるのか
生き物って何?
2025.12.18
「生き物って、どこからが“生き物”なんだろう?」
ロボットが生活に入り込み、人間よりも対話型AIと「よく話す」という人も。人工生命が現実味を帯びてきた今、「生きている」という当たり前の感覚が揺れ始めています。
人類を含む地球上の生き物のDNAは、右巻きの二重らせん。でも、鏡写しのDNA(左巻きのDNA)を増やしたり読み込んだりできる鏡像分子はすでに合成されているそう。細胞と鏡像分子をつくる技術が組み合わされば、人類にそっくりで反転した「鏡像生命」が誕生する?
機械ではない生身の体を持った人工生命が登場したら、私たちは何を思うのでしょうか。書籍『鏡の国の生き物をつくる』の監修者の藤原慶さんと大澤博隆さん、SF作家の柞刈(いすかり)湯葉さんにお話いただきました。
鏡像生命と飲み会はできる?そんな、ちょっと未来のお話です。
( POINT! )
- 生き物の定義は時代と学問領域で変わる
- コンピュータ生命も生きている?
- 地球上の生き物は共通祖先LUCAの子孫
- 生きていることと意識があることは別問題
- 多細胞生物は集合として生きる
- 地球上の生き物のDNAは右巻き、鏡像生命は左巻き
- 鏡像生命もお酒で酔う可能性

藤原 慶
慶應義塾大学理工学部生命情報学科 准教授。合成生物学/人工細胞工学の研究者。『人工細胞の創製とその応用』(シーエムシー出版)共著、ジェイミー・A・デイヴィス『合成生物学 人が多様な生物を生み出す未来』(ニュートン新書)監訳など。『鏡の国の生き物をつくる SFで踏み出す鏡像生命学の世界』(日刊工業新聞社)監修・著。

大澤 博隆
慶應義塾大学 サイエンスフィクション研究開発・実装センター所長。ヒューマンエージェントインタラクション(HAI)、人工知能、SFプロトタイピングの研究に幅広く従事。2022年から2年間、第二十一代日本SF作家クラブ会長を務める。『AIを生んだ100のSF』(ハヤカワ新書)など著書・編著多数。『鏡の国の生き物をつくる SFで踏み出す鏡像生命学の世界』(日刊工業新聞社)監修。

柞刈(いすかり) 湯葉
小説家・漫画原作者。大学の研究職(生物学系)を経て、2016年に『横浜駅SF』でカクヨムWeb小説コンテストSF部門大賞を受賞しデビュー。『まず牛を球とします。』(河出書房新社)、漫画『ぬのさんぽ』(ジャンプTOON)原作など。株式会社LIXIL「未来共創計画」などSFプロトタイピングにも複数参加。『鏡の国の生き物をつくる SFで踏み出す鏡像生命学の世界』(日刊工業新聞社)著。
生き物ってなんだっけ?
『鏡の国の生き物をつくる』という本のタイトルを見て、まず「人間にそっくりな鏡像生命が生まれるのかな?」と考えました。でも、そもそも生き物ってなんでしょう。どう捉えていますか?

藤原
生き物の定義は、明確に決まっているわけではないんです。人によって好みのラインがあります。
好みのライン?どこまでを生き物とするかは科学者によって意見が分かれるということでしょうか。

藤原
そうですね。学生にアンケートをとってみても、会話ができて意識がありそうに見えるものや自己増殖するものなど様々。私たちは、遺伝情報があって代謝してエネルギーや自分の材料をつくって増えていくものを「生き物」と捉えてます。
昔はDNAを複製できるだけで生命だと言われることもあったんです。1960年頃、アーサー・コーンバーグ(*1)がDNAを増やす酵素を発見しました。それでジェームズ・ワトソン(*2)は「アーサー・コーンバーグは生命をつくった」と言いましたが、今はDNAが増えても生命とはされていません。
何をもって生き物とするかも、時代によって変化しているんですね。

藤原
「みんなが生命と思ってる集団が生命」みたいになってしまっているところではあります。

大澤
人工生命の文脈では、増殖や自己改良について語られることが多いかなという気がしています。バイオのものと同じような生命はまだできていませんが、寄生や共生をしてコミュニケーションをとる形を再現することはできている状態です。
人工知能は生命なんでしょうか。

大澤
私はいわゆるバイオ的ではないものも、生命と定義してもいいんじゃないかと考えている派閥ですね。情報を複製して発展していく定義に沿えば、アミノ酸やタンパク質といった部品が決まってるものだけではなく、コンピュータのものであっても生命と呼んでいいんじゃないかという。割と広い立場ではあります。
LUCAは40億年前の“親戚”
柞刈さんはどう考えていますか?

柞刈
ひとつの考え方ですが、人間が生き物であることはみんな同意するじゃないですか。人間に近い種であるチンパンジーも生き物ですけど、人間とチンパンジーは進化の途中で分かれたもので、700万年くらいさかのぼると共通の祖先がいたと考えられてます。もっとさかのぼっていくと、この世の生き物っぽい動物や植物、細菌とかも1個の細胞の子孫だと考えられているんですよ。
なので、その1個の細胞から分かれてきたものが生き物であり生命だという言い方をしても今のところは問題ないんですね。
共通祖先、LUCA(*3)ですか?そのルーツを考えると、人間だけが特別ではない気がしますね。

柞刈
はい。みんな遠い親戚なんですよ。LUCAは40億年くらい前の、細胞1個だけの細菌みたいなやつだったと考えられてます。一旦それを生物と考えて共通する性質を並べていけば、生命とはこういうものだと言えます。
この定義は、『鏡の国の生き物をつくる』のテーマである鏡像生命やSFによく出てくる火星生物の話ではうまくいかなくなります。ただ地球上で今生きている生物だけを考えるのであれば、生命の系統である「家柄」で定義できます。
だから人工生命や地球外生命体を扱いたいときは、今地球にいる一族の共通点を調べて生物っぽいポイントを洗い出していく。その延長線上として、別種族である生物について考えることができるんじゃないかなと思ってます。
猿ですら「意識を持たない」と言われることがあります。そのように人間だけを別扱いするより、LUCAを介した親戚だと思ったほうが受け入れやすいと感じます。

柞刈
生物の話をしてると意識や会話の話がよく出てきますね。でも、私はそれとこれは全然違う話だと思ってるんですよ。会話をしないその辺の植物も生きてるので。
意識さえ残れば「死なない」のではないかと感じているので、生物と意識をセットで考えてました。

藤原
生きているか死んでいるかは難しいんですよ。私たちは何十兆個の細胞で集まっていて、髪1本とっても細胞は絶えず死んでます。でも、私たちは「生きてる」と捉えるじゃないですか。一方単細胞生物は1個死んでしまったらおしまい。一族が増えていることで生きてると表現するのか、1個体を生命してと捉えるのかでも見方が変わります。
鏡像生命との「飲み会」。レモンを絞るか問題
私たちはLUCAの末裔という共通点を持つ生き物ですが、鏡像生命はその枠に入らない「人工生命」になりますよね。

藤原
そうです。鏡に映った自分の姿のようにみんなが知ってる生命の常識と合致するけど、部品がまったく違うしLUCAの系統には入らない。鏡像生命はみんなが「人工」で「生命」と認める可能性が非常に高く、私たちの体を構成する分子の左右を反転させた生命体です。
私たちのDNAは右巻きの二重らせんですが、鏡像生命はこのルールを逆にした生き物。遺伝システムも鏡像なので地球上のいかなる生物とも交配できない、つくれる「異星人」になります。
全部が左右反対に…。

藤原
誤解がないように補足しますと、たとえば大谷翔平さんの鏡像人類がいたとして、右打席に立つわけではないです。右利き左利き、左バッターかどうかは必ずしも遺伝によるものではないので、都合がいい方を選択するはずです。
たとえば、美しい夕日を見て鏡像人類と同じように感動することはできるでしょうか。

藤原
視覚聴覚とそこから受け取る電子伝達には左右がないので、同じような育ちをしていれば「美しいね」と感じる気持ちは一緒だと思いますね。
消化できるものも味覚も違うので食事をシェアすることはできません。でも、同じものを食べた人間同士がわかりあえるとは限りませんよね。それがわかりあえない理由にはならないと思います。
一緒にご飯を食べる行為は人間のコミュニケーションに影響を与えているので、ハードルにはなるかもしれませんね。

柞刈
AIよりはよほどわかりやすい関係になるんじゃないですか。

大澤
AIはご飯を食べませんね。ものによっては「食べたことある」とか言い出すのはいますが (笑)。

柞刈
鏡像人類はお酒も飲めるし、同じように酔っ払うと思います。レモンを絞るかどうかとか、アルコール以外の成分については全然違うものになるはずです。
レモンの味が全然違うものになるんですよね。唐揚げにレモンを絞るかどうかでもめることがありますが、とても小さなことのように思えてきます。

大澤
そうですね。『鏡の国の生き物をつくる』では、鏡像生命が登場した未来の世界を5名の作家の視点で描いています。異質な存在によって起こることは、大小様々。現在の人間社会での些細な違いも乗り越えられる、ヒントになるといいなと思います。
鏡像生命について想像すると、今のいざこざがどれだけ「小さな差」に過ぎないのかも見えてきます。生き物って何?鏡像生命がいたらどうなる?を伺った前編はここまで。後編では、鏡像生命の実現可能性とテクノロジーの進化によって人間は変わるのかについて探ります。お楽しみに。
- ※1:
- アメリカの生化学者。DNA複製に関わる酵素「DNAポリメラーゼⅠ」を1956年に発見し、1959年にノーベル生理学医学賞を受賞。その功績から「DNAを試験管内で複製した最初の人」として知られる。
- ※2:
- DNAの二重らせん構造を発見した生物学者(1953年、クラックと共同)。コーンバーグの成果を“生命をつくった”と評価した発言でも有名。
- ※3:
- 「Last Universal Common Ancestor(最後の普遍的共通祖先)」の略。地球上のすべての生物が 40 億年前に共有していたとされる“最初の細胞”のこと。現在の動物・植物・菌・細菌などは、すべてこのLUCAから枝分かれして進化したと考えられている。
[取材・文]樋口 かおる

