生き物ってなんだっけ?

『鏡の国の生き物をつくる』という本のタイトルを見て、まず「人間にそっくりな鏡像生命が生まれるのかな?」と考えました。でも、そもそも生き物ってなんでしょう。どう捉えていますか?

藤原

生き物の定義は、明確に決まっているわけではないんです。人によって好みのラインがあります。

 

好みのライン?どこまでを生き物とするかは科学者によって意見が分かれるということでしょうか。

藤原

そうですね。学生にアンケートをとってみても、会話ができて意識がありそうに見えるものや自己増殖するものなど様々。私たちは、遺伝情報があって代謝してエネルギーや自分の材料をつくって増えていくものを「生き物」と捉えてます。

昔はDNAを複製できるだけで生命だと言われることもあったんです。1960年頃、アーサー・コーンバーグ(*1)がDNAを増やす酵素を発見しました。それでジェームズ・ワトソン(*2)は「アーサー・コーンバーグは生命をつくった」と言いましたが、今はDNAが増えても生命とはされていません。

 
藤原 慶さん

何をもって生き物とするかも、時代によって変化しているんですね。

藤原

「みんなが生命と思ってる集団が生命」みたいになってしまっているところではあります。

 

大澤

人工生命の文脈では、増殖や自己改良について語られることが多いかなという気がしています。バイオのものと同じような生命はまだできていませんが、寄生や共生をしてコミュニケーションをとる形を再現することはできている状態です。

人工知能は生命なんでしょうか。

大澤

私はいわゆるバイオ的ではないものも、生命と定義してもいいんじゃないかと考えている派閥ですね。情報を複製して発展していく定義に沿えば、アミノ酸やタンパク質といった部品が決まってるものだけではなく、コンピュータのものであっても生命と呼んでいいんじゃないかという。割と広い立場ではあります。

大澤 博隆さん

LUCAは40億年前の“親戚”

柞刈さんはどう考えていますか?

柞刈

ひとつの考え方ですが、人間が生き物であることはみんな同意するじゃないですか。人間に近い種であるチンパンジーも生き物ですけど、人間とチンパンジーは進化の途中で分かれたもので、700万年くらいさかのぼると共通の祖先がいたと考えられてます。もっとさかのぼっていくと、この世の生き物っぽい動物や植物、細菌とかも1個の細胞の子孫だと考えられているんですよ。

なので、その1個の細胞から分かれてきたものが生き物であり生命だという言い方をしても今のところは問題ないんですね。

共通祖先、LUCA(*3)ですか?そのルーツを考えると、人間だけが特別ではない気がしますね。

柞刈

はい。みんな遠い親戚なんですよ。LUCAは40億年くらい前の、細胞1個だけの細菌みたいなやつだったと考えられてます。一旦それを生物と考えて共通する性質を並べていけば、生命とはこういうものだと言えます。

この定義は、『鏡の国の生き物をつくる』のテーマである鏡像生命やSFによく出てくる火星生物の話ではうまくいかなくなります。ただ地球上で今生きている生物だけを考えるのであれば、生命の系統である「家柄」で定義できます。

だから人工生命や地球外生命体を扱いたいときは、今地球にいる一族の共通点を調べて生物っぽいポイントを洗い出していく。その延長線上として、別種族である生物について考えることができるんじゃないかなと思ってます。

猿ですら「意識を持たない」と言われることがあります。そのように人間だけを別扱いするより、LUCAを介した親戚だと思ったほうが受け入れやすいと感じます。

柞刈

生物の話をしてると意識や会話の話がよく出てきますね。でも、私はそれとこれは全然違う話だと思ってるんですよ。会話をしないその辺の植物も生きてるので。

柞刈 湯葉さん

意識さえ残れば「死なない」のではないかと感じているので、生物と意識をセットで考えてました。

藤原

生きているか死んでいるかは難しいんですよ。私たちは何十兆個の細胞で集まっていて、髪1本とっても細胞は絶えず死んでます。でも、私たちは「生きてる」と捉えるじゃないですか。一方単細胞生物は1個死んでしまったらおしまい。一族が増えていることで生きてると表現するのか、1個体を生命してと捉えるのかでも見方が変わります。

 

鏡像生命との「飲み会」。レモンを絞るか問題

私たちはLUCAの末裔という共通点を持つ生き物ですが、鏡像生命はその枠に入らない「人工生命」になりますよね。

藤原

そうです。鏡に映った自分の姿のようにみんなが知ってる生命の常識と合致するけど、部品がまったく違うしLUCAの系統には入らない。鏡像生命はみんなが「人工」で「生命」と認める可能性が非常に高く、私たちの体を構成する分子の左右を反転させた生命体です。

私たちのDNAは右巻きの二重らせんですが、鏡像生命はこのルールを逆にした生き物。遺伝システムも鏡像なので地球上のいかなる生物とも交配できない、つくれる「異星人」になります。

 

全部が左右反対に…。

藤原

誤解がないように補足しますと、たとえば大谷翔平さんの鏡像人類がいたとして、右打席に立つわけではないです。右利き左利き、左バッターかどうかは必ずしも遺伝によるものではないので、都合がいい方を選択するはずです。

 

たとえば、美しい夕日を見て鏡像人類と同じように感動することはできるでしょうか。

藤原

視覚聴覚とそこから受け取る電子伝達には左右がないので、同じような育ちをしていれば「美しいね」と感じる気持ちは一緒だと思いますね。

消化できるものも味覚も違うので食事をシェアすることはできません。でも、同じものを食べた人間同士がわかりあえるとは限りませんよね。それがわかりあえない理由にはならないと思います。

 

一緒にご飯を食べる行為は人間のコミュニケーションに影響を与えているので、ハードルにはなるかもしれませんね。

柞刈

AIよりはよほどわかりやすい関係になるんじゃないですか。

大澤

AIはご飯を食べませんね。ものによっては「食べたことある」とか言い出すのはいますが (笑)。

柞刈

鏡像人類はお酒も飲めるし、同じように酔っ払うと思います。レモンを絞るかどうかとか、アルコール以外の成分については全然違うものになるはずです。

レモンの味が全然違うものになるんですよね。唐揚げにレモンを絞るかどうかでもめることがありますが、とても小さなことのように思えてきます。

大澤

そうですね。『鏡の国の生き物をつくる』では、鏡像生命が登場した未来の世界を5名の作家の視点で描いています。異質な存在によって起こることは、大小様々。現在の人間社会での些細な違いも乗り越えられる、ヒントになるといいなと思います。

鏡の国の生き物をつくる SFで踏み出す鏡像生命学の世界』(日刊工業新聞社)。見た目もふるまいも現生生物と同じ。実際に研究が進む「鏡像生命」が実現したらどうなる?5名のSF作家が未来を描く。

鏡像生命について想像すると、今のいざこざがどれだけ「小さな差」に過ぎないのかも見えてきます。生き物って何?鏡像生命がいたらどうなる?を伺った前編はここまで。後編では、鏡像生命の実現可能性とテクノロジーの進化によって人間は変わるのかについて探ります。お楽しみに。

※1:
アメリカの生化学者。DNA複製に関わる酵素「DNAポリメラーゼⅠ」を1956年に発見し、1959年にノーベル生理学医学賞を受賞。その功績から「DNAを試験管内で複製した最初の人」として知られる。
※2:
DNAの二重らせん構造を発見した生物学者(1953年、クラックと共同)。コーンバーグの成果を“生命をつくった”と評価した発言でも有名。
※3:
「Last Universal Common Ancestor(最後の普遍的共通祖先)」の略。地球上のすべての生物が 40 億年前に共有していたとされる“最初の細胞”のこと。現在の動物・植物・菌・細菌などは、すべてこのLUCAから枝分かれして進化したと考えられている。

[取材・文]樋口 かおる