「承認欲求のため」と言う本当の意味

界隈の外側の人間からすると、「なぜ、ぽこぽこ界隈みたいなVlogを投稿するの?」という疑問があります。つながるためでないとしたら、何がインセンティブになっているんでしょう。

山内

理由は様々ありますよね。インプレッションに対して報酬が得られますし、もちろん承認欲求も。ただ承認欲求に関しては、ちょっと注意が必要だと思っています。承認欲求という言葉は今、ネガティブワードとして使われることが多いですよね。「承認欲求おばけ」とか「承認欲求モンスター」とか。

 

「承認欲求乙」とか言われますね。

山内

「自己顕示欲が高くて恥ずかしい」みたいなニュアンスですね。でも、承認欲求って本当に悪いものなのかなという疑問があります。私は博士論文で「裏垢女子」について研究しました。そこでネットに裸の自撮り画像を投稿する女の子たちにインタビューを行ったところ、そこでも「承認欲求があるから」という言葉が出てきたんです。ぽこぽこ界隈のInstagramerやTikTokerも同じだと思います。

ただ、「承認欲求のためにやっている」と言ったとしても、言葉通りの意味とは限りません。自分の身体にコンプレックスを持っているから、裸の自撮りを投稿するという女の子も多いです。 コンプレックスとの折り合いをつける行為という意味合いもあるんですね。

 

「承認欲求おばけ」と揶揄されたりする状況があるなかでその言葉を使うのは、そう批判されることを前提とした自虐が含まれているということですか?

山内

そうですね。「自己顕示欲が強くて恥ずかしい」という自虐的な意味で使われているんですが、投稿は自己顕示欲からではなく、自分を表現するという人間の普遍的な欲望であり行為かもしれません。現代では個人で発信できるツールが整っているので、それがSNSや写真、動画を使って発信することになるんですね。

 

結界の内側で、「自分の世界」を表現する意味もあるのでしょうか。

山内

そうだと思います。自撮りにしてもぽこぽこにしても、ある種の理想や「ありたい自分」を表現する方法の一種。だから必ずしも報酬や承認欲求を満たすことだけが目的ではないんですよね。

 

社会と折り合いをつけるための「ぽこぽこ界隈」

山内

それは昔からあるもの。たとえば、宗教社会学者の橋迫瑞穂さんは1979年創刊の『マイバースデイ』という雑誌の研究をされています。『マイバースデイ』では、占いだけでなく日々学校での過ごし方や暮らし方、おしゃれ情報を提供しています。そのなかで理想の女性像は「白魔女」、読者は「魔女っ子」なんですよ。

メディアが「あるべき女性像」みたいなものを提示して、そこを目指す人たちもいるというのはぽこぽこ界隈にも通じます。「自分がこうありたい」「かわいくいたい」姿を表現するということですね。

 

誰でも発信できるようになったことで、今は白魔女と魔女っ子の違いが曖昧になっています。私はZipperという雑誌をつくっていて一般の女の子たちが人気になっていく過程を見てきたので、それがテクノロジーの進化とともに現代の界隈に続いていると思うと感慨深いです。

山内

そうなんですね。でも、Vlogはまだ少しハードルが高いんですよね。やろうと思ってから投稿まで、BGMを付けるなどやや面倒臭い工程があります。投稿する人は「やりたい」という強い意思のもとにやっていて、まだまだ見るだけの人が大多数ではある。

 

界隈を通じて自分の世界を表現することは、現代社会とどのようにリンクしているんでしょう。社会をポジティブにとらえているのか、それとも社会をネガティブに見ているから自分の世界をつくりたいということなのか。

山内

多分、なんとか社会とやっていくためにあるんだと思います。ぽこぽこ界隈には、「社会人OLの休日ルーティン」のように、OLとか会社員という記号がつくんです。会社に行って社会に適応して生きなければならないけれど、そこから解放されたいとか、本来の私に立ち返りたいであるとか。ちょっとガス抜きしたいよねっていう側面を出してるのがぽこぽこ界隈のVlogだと思います。

界隈が「結界」だとしても、そこに完全に引きこもるということじゃない。風呂キャンセルしちゃう私もいるけど、界隈を一歩出たら社会と折り合いを付けられる。その折り合いを付けるために必要な、息抜きや一時避難する場所という位置付けなんじゃないかなと。

 

「自分だけが悪いんじゃない」を紐解いてくれる社会学

次の展開として「芸能人になる」ようなゴールはなくて、分人主義のように様々な「私」があるということですよね。

山内

切り分けができる人たちなんで、それはあると思います。もちろん戦略を持ってやっている人もいるし、たまたまだとしても収益化がうまくいってそれだけで生きていけるようになると、「好きなことで生きていく」というルートが開けます。

 

たまたま収益化できたとか元々発信したいことがあってというのはわかるんですが、「会社で働きたくないからVlogをガチる」と聞くこともあって、不思議だなと感じます。

山内

会社に通勤して9時5時で働く生き方から解放されたいという欲求を持つ人は今多いですよね。最近の若者が軟弱だからというよりは、コロナ禍でリモートワークが普及したことで「出社しなくても働ける」とか、むしろ「コミュニケーションをとりながら働きたい」とか、様々な働き方があることに気づいたからだと思います。高度経済成長期からずっとやってきた日本型企業の働き方みたいなものが立ち行かなくなっている現状もあるのか、SNSを見ていると女性には在宅ワークの求人や「クリエイターになる」みたいな広告がたくさん表示されています。

 

選択肢が見えてきたんですね。元々あった自分の世界を表現したいという欲求と社会の閉塞感、気軽に発信を共有できるテクノロジーが融合したのが現状であって、人間が大きく変化したわけではないという。

山内

そうだと思います。

 

今、「Z世代がわからない」と言う人が多くて、そういう人たちにヒントが多いお話だと思うんです。でも、山内さんはよく「若い人たちに伝えたい」と発言していますよね。それにはどんな意味があるんですか?

山内

世代の対立を煽るつもりはないです(笑)。ただ私自身が自撮り界隈をやっていたとき、年下の病み垢とつながることが多かったんですね。だから今生きづらいと感じている子たちに「いつか何とかなる。大丈夫だよ」と伝えたい気持ちをずっと持っています。

 

ぽこぽこ界隈に限らず、ネット上の現象が生まれた背景を当事者が知ることの意味は、単純に面白いということですか?それとも、メタ認知によって今の自分のあり方が自分のせいではないとわかることですか?

山内

後者ですね。「私個人だけの問題じゃないんだ」というのは、社会学を学ぶ人の多くがまず思うことです。何かの事象に対して、社会学は「その個人だからそうなった」という説明の仕方を回避して別の要因から説明しようとする学問なんです。

 

自己責任論の逆ですね。

山内

そうです。だから社会学的な考え方を突き詰めると他責思考的になるんですよね。社会構造やマジョリティーの考え方など、環境の要因が大きいことを紐解いていく学問なので。たとえば付き合ってる人とうまくいかないとき「男の人からいろいろ言われる私が悪いのかな」と女性は考えがちですが、フェミニズムを知ると「そうじゃないんだ」とわかります。

もちろん、すべて環境のせいにしていると前に進めないので、どこかで自分と向き合わなくてはいけない局面もあります。でも、ポジティブに動けないようなことがあってもあなただけのせいではないし、「かわいいものが好き」なことをバカにする風潮にも傷つく必要はないと気づいてほしい。ぽこぽこ界隈でコスメや服にお金を使っている人たちもただの「消費モンスター」「承認欲求モンスター」ではないんです。ちゃんと見ていくとそこに至る理屈があります。それを説明することで、女性の自尊心が無駄に損なわれなくていいと伝えたい側面もありますね。

 

[取材・文]樋口 かおる [撮影]小原 聡太