曖昧な「読解力」が目的に

「読解力」が落ちていると聞きますが。

犬塚

よくいわれていますね。でも、何ができて何ができなくなったということなのか、はっきりしていないことが多いです。ホワンとした概念として読解力という言葉が使われています。

 

「読解力が大事」という気はするものの、具体的にどんな問題があるかはよくわかりません。ボキャブラリーの問題なのか、誤読されて伝わらないということなのか。

犬塚

ある人は「最近の子は小説を読んで感動するような豊かな心情を失っているのではないか」という意味で、ある人は「論理的な文章をきちんと読めない人が多い」という意味で「読解力がない」と言いますね。「行間を読んでくれない」という意味で使われていることもあります。読む文章の種類も様々だし、みんなが思う読解力はバラバラ。私は「読解力という言葉を使わない運動」をしているくらいです。

学校の先生から「最近の子はこういう問題ができないんですよ、やっぱり読解力が低下しているからでしょうか」と聞くこともあります。でも尋ねてみると、その問題をどういうふうに読むかは教えてないんです。何ができるようになるのかを言語化して、それができなかったときにどうするかを考えたほうが生産的ですよね。それをせず「読解力がない」とするのはちょっと相手のせいにし過ぎかなと思うことがあります。

 

読解力というものが曖昧なまま、目的になってしまっているのでしょうか。

犬塚

そうですね。「よくわからないけれど、読解力というものを身に付けさせれば何とかなる」で問題が解決するとは思えません。

 

読解力は言語を理解する力

「読解力が低い」とは「読んでも文章の意図が理解できない」状態かと思います。読解力とはどんな能力なのでしょうか。

犬塚

読解力は言語を理解する力の1つです。「読解」なので文字が書かれてるものを読むことが前提ですが、そこの段階が違うだけで、主に言語を使って考えたり知識を獲得したりしてると考えたらいいのかなと思います。

人間が考えるときに使えるものはいろいろありますが、言語はそのうちの非常に大きなもの。視覚的なイメージもありますが、抽象的なアイデアというのは視覚化できないじゃないですか。

 

抽象的なアイデア?

犬塚

概念とか。正義とか公平みたいなものの視覚イメージは特にないですよね。象徴するできごとなどのイメージはあるかもしれないけど、視覚化するのは難しい。いろんなことを考えるとき、多くの人が言語の助けを借りてるわけですね。

 

だからでしょうか。SNSでは「言語化されてうれしい」という表現をよく見かけます。

犬塚

ちゃんと考えたいけどどうしたらいいのかわからない対象を言語にしてもらうと、自分の頭で思考できるような形になるということですね。モヤモヤして気持ち悪いって思ってるものが「こういうことをされて悲しかったのね」という言葉になると、「自分はこのできごとに対してこういう感情を付与してたんだ」ととらえられるようになるわけです。「言語化が大事」といわれる理由はそういうところだと思います。

それができない小さいお子さんだと暴れてしまうけれども、だんだん言語化の能力がついてくると、気持ちを言えるようになって暴れずに済むみたいなこともありますよね。

 

言語は私たちの思考や意思の疎通に役立っているということですね。それを文字で読む場合と耳で聞く場合で違いはあるのでしょうか。

犬塚

全く同じ内容であれば、読んでも聞いても情報の量や質は同じですよね。ざっくりいうと、文字を読むときも私たちは線の組み合わせを音に変えて単語として認識をしています。「リンゴ」という文字を見るのと「リンゴ」という音を聞くのとで、頭の中で再現されるものは一緒だというふうに考えるとよいと思います。

 

たとえば、歴史の解説を「文字で読むのは嫌だけど、音声や動画ならわかる」という人もいますよね。どういうことでしょうか。

犬塚

すごく基本的なレベルでいうと、文字の列から言葉の塊を見つけて頭の中に表象する作業が苦手な人はいて、そういう人たちにとっては聞くほうがいいということになります。でも、読むことに慣れている人の場合、文字のほうが好きなスピードで進められて速いし楽です。

また、Audibleを読み上げてくれる人の声が好きとか、YouTubeに楽しげな図解や人の存在があることなどの魅力を感じていることも多いです。文字を読むことと音声・動画の違いとして単純に比べられない部分もたくさんあるだろうと思います。

 

若者の読解力は本当に落ちている?

でも、PISA(OECD生徒の学習到達度調査*)で日本の読解力の順位は下がったのではないですか?

犬塚

下がったり上がったりしていますね。PISAは2000年に始まって、読解力・数学的リテラシー・科学的リテラシーの3領域があります。日本の順位はそのうちの読解力での変動が大きいんですが、OECDの分析では日本の学力は安定しているとされています。

PISA2018年で読解力の順位がその前の6位から11位に下落したので「若者の読解力が低下した!」と話題になったんですが、実はPISA2022年では2位に浮上しています。だからその結果からは「最近の若者は読解力がある」ということになるんですよ。

でも引き続き「若い子は読解力がない」といわれるだろうなと思っています。人間のバイアスの1つで、自分が何となくこうじゃないかなと思っていることに合致する情報には目が向きやすいんです。

 

元々「若い世代はTikTokやYouTubeショート動画ばかり見ているから読解力が落ちているのでは?」という思い込みがあるから…。

犬塚

「ほらやっぱり!」ってなるんですよね。だから成績がいいときがあっても、下がったときのほうがよく覚えられています。

 

犬塚さんの著書『14歳からの読解力教室』にも「先入観が理解を邪魔する」とありますが、「Z世代はこうだ」みたいなバイアスも多そうです。

犬塚

管理職の人から「最近の若い奴は読解力がない」と聞くことも多いですね。「察して動いてくれて当然なのに、そんなこともできないのは仕事ができない」と考えているようで、読解力と察する力を混同しています。年齢が高くて経験も積んでいれば「この手順にはあれも含まれている」といったことを察してくれることもあるでしょうが、新しく入ってきた若い人にはきちんと明示する必要があります。労働人口も減っているので、勝手に察してくれる人だけに働いてもらうというわけにもいきませんよね。

漠然と「読解力が足りない」せいにするのではなく、仕事であればどんなことをしてほしいのか明らかにすることが大事です。そして学力でいうと、読解力が昔より下がってるというようなデータは特にありません。この国の教育のなかでうまく達成できていない部分はもちろんあってそれは課題ですが、「今の若い奴」「最近の子ども」というような乱暴な議論に押し込めることはあまりハッピーではないと思います。

 
犬塚さんの著書『14歳からの読解力教室: 生きる力を身につける』(笠間書院)。認知心理学の観点から「読んでわかる」とはどういうことか探る本。

読解力の曖昧さやバイアスについて伺った前編はここまで。後編では、文章を読む際の頭の中や生成AIを使った新しい学習についても探っていきます。お楽しみに。

※1:
義務教育修了段階(15歳)において、これまでに身に付けてきた知識や技能を、実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるかを測る国際学力調査

[取材・文]樋口 かおる [撮影]武藤 奈緒美