【前編】西村 佳哲
「好き」ではなく、「どうしても気になってしまうこと」に向き合ってみる
働き方研究家に聞く、「自分をいかす」仕事の見つけ方
2022.10.27
「自分らしい」仕事ってなんだろう?──仕事探しをする中で、あるいは働く中でそんなことを考えたことはないでしょうか。今の仕事は自分に向いていないのではないか。もっと自分をいかせる仕事があるのではないか……。もちろん、仕事が人生のすべてではありません。でも、多くの時間を捧げなければならないのであれば、少しでも自分に合った仕事を選びたいもの。
「自分らしい仕事の見つけ方」をテーマにお話を聞いたのは、「働き方研究家」の西村佳哲さんです。さまざまな「仕事」の現場を訪ね歩き、「いい仕事とは何か」を問い続けてきた西村さんに、仕事選びに関するヒントをうかがいました。
「『好き』ではなく『くやしい』を見つめる」「お客さんではいられないことを探してみる」「頭ではなく『声』に聞いてみる」……さまざまな仕事と、働く人に触れ続けてきた西村さんが語る仕事の選び方とは?
( POINT! )
- 「誰かがしていたらくやしいと思うこと」を考えてみる
- ヒントは「お客さんではいられないこと」にある
- 頼まれたことに全力を注ぐ
- 思考と実感は、必ずしも一致しない
- 頭で考えすぎず、「声」を頼りにする
- 誰かと話してみて、初めてわかることがある
西村 佳哲
1964年東京生まれ。プランニング・ディレクター。リビングワールド代表。働き方研究家。つくる・書く・教える、大きく3つの領域で働く。開発的な仕事の相談を受けることが多い。
2014〜2022年4月は、主に徳島県神山町に居住。同町の「まちを将来世代につなぐプロジェクト」第1期(2016〜21)にかかわり、一般社団法人神山つなぐ公社の理事をつとめた。現在は東京在住。著書に『自分の仕事をつくる』(ちくま文庫)など。京都工芸繊維大学、桑沢デザイン研究所、東京都美術館・とびらプロジェクト等で講義を担当。
「お客さんではいられない」ことを、仕事にする
今回は「働き方研究家」である西村さんに、自分らしい仕事を選ぶための方法をうかがいたいと思っています。西村さんご自身は美術大学を卒業したあと、大きな建設会社に入社し、30代のときに独立したそうですね。
西村
ええ。やや抽象的な言い方になってしまうのですが、30代のころは、とにかく「くやしい」と思うことを仕事にしようと思っていましたね。
と、言いますと?
西村
誰かが何かを形にしたときのことを想像してみたんです。そして、そのとき「くやしい!」と思えることをしようと。言い方を少し変えると、「自分ではない誰かに達成されてしまったことを想像したら、いてもたってもいられなくなること」がしたいと思っていたんです。世の中には「くやしい仕事」と「どうでもいい仕事」があると思っていて、30代のころは迷ったら前者を選ぶことを強く意識していましたね。
「くやしい」という感情とは少し違いますが、今でも「お客さんではいられないこと」を仕事にするのが大事だと思っています。たとえば、カフェに行ったとき、みんなが「ケーキ美味しいね」と言っている中で、「この食器はちょっと」「BGMのボリュームはもう少し絞った方がいいな」みたいなことを思うとしますよね。それが「お客さんではいられない」ということです。「何かに接したとき、作り手の側に意識がいく」と言い換えてもいいかもしれません。
カフェで「お客さんでいられない」感覚を覚えたなら、カフェの経営をすべきだ……と安直に言い切ることはもちろんできませんが、少なくともそこにヒントはあると思っています。「食器変えた方がいいよね」「BGMちょっとうるさいね」と口に出したら、周りからは「いちいちめんどくさいやつだな」と思われるかもしれませんけど(笑)。
「誰かから任されたこと」に全力を注いだ理由
最近は「『好き』を仕事に」みたいな言葉もよく聞きますが、そうではなく「『くやしい』を仕事」に、あるいは「『お客さんではいられないこと』を仕事に」が大事だと。当時の西村さんは、何に対して「お客さんではいられない」と思っていたのですか?
西村
たとえば、ワークショップなどの「進め方」です。現在、仕事の一環としてワークショップを開催し、そのファシリテーターを務めることが多いのですが、振り返ってみると、かつて誰かのワークショップに参加した際に、帰り道で不満げに語っていることが多くて。一緒に参加した友人に「あれってどうなの?」と。
そして内容ではなく、進め方に「どうなの?」と感じることが多かった。つまり、ワークショップの進め方について「どうでもいい」とは思えていなかったわけです。そういう感覚があるからこそ、ファシリテーションという仕事を掘り下げて、「自分の仕事」になっているのだろうと思います。
「好き」という言葉は雑というか、抽象的な言葉なのでなるべく使わない方がいいと思っています。「もうとにかく心が動いてしょうがない」という気持ちも「好き」でしょうし、「得意」という意味での「好き」もありますよね。この言葉の周りには、いろいろなものがごちゃごちゃ存在しているので、別の言葉で言い換えられるはずだし、その方がいいと思うんです。こと仕事選びの局面では、安直に「好きだから」と選ばない方がいいでしょうね。「映画が好きなら、映画関係の仕事につく方がいい」というほど単純なものではないですから。
「好き」を仕事を選ぶ根拠にしない方がいいし、その言葉を使うならば、せめて解像度を上げてから使うべきだということですね。
西村
ただ自分が30代の頃は、いろいろと考えてはいたものの、基本的には「誰かからいただいた仕事をとにかく全力でやる」というスタンスでもありました。僕はけっこう頭でっかちというか、考えすぎてしまう方で、それで失敗してしまったことも少なくなかった。その視点で過去を振り返ってみると、誰かから任されたことを「無理だよ……」と思いながらも一生懸命やった結果、うまくいったことが多かったので、まずは「とにかくやってみよう」と。
「人から任されたことを全力でやると、なんだかんだうまくいく」理由は、結局他人の方が僕のことをよくわかっているからだと思うんですよね。自分の頭でどれだけ考えてもわからない「自分」が、他者からはよく見えていると思う。人が「自分」を理解しようとするとき、「自分は〇〇という人間だ」とか「自分はこんなことをやりたいと思っている」とか、言葉を使って理解しようとしますよね。
そうですね。頭の中で「自分ってああでもない、こうでもない」と考える気がします。
西村
でもきっと、言葉にできない部分にこそ、「自分」は表れるのではないかと。つまり、誰かと特定の何かについて話しているときの雰囲気、目線、身体の動き、言葉のスピード……そういった非言語的な部分にこそ、自分がその特定の「何か」に対してどんなことを思っているのかが表れる。それって、自分自身にはわからないけれど、話している相手からはよく見えるじゃないですか。
だから、誰かが「西村に任せてみよう」と思った仕事は、「任せる」と言われて頭に「無理」と浮かんだとしても、全力でやればできてしまうし、心のどこかでは自分が「やりたい」と思っていたことなのかもしれない。30代にそんな経験をして、以来ずっとその調子ですね。
言葉や思考は、知らずしらずのうちに「実感」とずれてしまう
任せられた仕事を中心に全力を注ぐ時期を過ごした後、どのようなお仕事を手がけられるようになったのでしょう?
西村
30代半ばに差し掛かったころ、個人として大きな仕事を成し遂げられ、さまざまな依頼が舞い込むようになりました。38歳のころには最初の本が出版され、40代になってからは書き仕事が多くなったり、大学で講義を担当するようになったりして、以降は「つくる」「書く」「教える」の領域で仕事をしています。50歳になったころ、具体的には2014年には徳島県の神山町に移住して、その予定はなかったけど地域創生のプロジェクトを手がけ、2022年の4月に東京に戻ってきて、今に至るという感じですね。
「書く」仕事の一環が、2003年に発表された『自分の仕事をつくる』ですよね。「いい仕事とは何か」をテーマに、さまざまな「仕事」の現場を訪ねた記録がつづられている本作に続き、2009年には『自分をいかして生きる』も著されています。私自身、「自分をいかして」生きられたらいいなと感じてはいるのですが、果たして「自分をいかせている状態」ってどんな状態なのだろうと思ったんですよね……。
西村
「自分をいかして生きる」というのは、自分の実感や気持ちと行動を一致させることだと思います。逆説的に言えば、自分を“殺している”とはどんな状態かと言うと、自分の実感や気持ちと、実際の行動が一致していない状態です。そういった状態にあるとき、私たちは悩んだり苦しんだりする。
働いていると、自分を“殺さなければならない”ときもあると思うんです。「やりたくはないけれど、責任は果たさなければならない」ような局面はあるじゃないですか。「そういったことから逃げ出そう」あるいは「そんな仕事はやめてしまえ」と言いたいわけではありませんが、自分を“殺している”のが常態化してしまう仕事はつづけられないと思いますし、そんな人があふれている社会って、おもしろくないと思うんですよ。自分の気持ちと行動が一致した状態で力を発揮している人がたくさんいる方が、結果的に多様でおもしろい社会になるのではないでしょうか。
なるほど……。でも、「自分の気持ちと行動が一致している状態」を知ることはなかなか難しいのではないかと思うんですよね。
西村
まずは、「いつの間にかしていること」に目を向けてみるといいと思います。誰かに言われたわけでもなく、「やらなきゃ」と考えたわけでもなく、「気が付いたらしている」ことを掘ってみる。あるいは、いろんなことが書いてある雑誌をパラパラめくっているとき、思わず手が止まってしまうページってあると思うんですよ。その自分を観察するとヒントがある気がしますね。
私は31歳のころ、さまざまな人に仕事に関するインタビューをするようになったのですが、聴かせてくれる話がどんなに面白くても、本人はそれほどでもないというか、少し飽きているように見えることがあって。逆に「自信ない」と言いながら目は輝いていたり。本人の実感は口にしている言葉、つまり思考とズレていることがままあるのを、しばしば見かけたんですよね。
「自分の気持ち」は、他者というフィルターを通して見えてくる
話し手が嘘を言っているわけではなく、その人自身も気がつかないうちに、頭と心が離れてしまっている?
西村
そういうことです。思考って常に少しだけ古いんですよね。それに、どこかで誰かが言っていたこと、どこかで読んだ情報とか、自分の外から入ってきたものが混ざっている。そして私たちはその思考に振り回されやすい。
「こんな人間になろうと決めたはずだ」「あのとき読んだ本には、こう書かれていたはずだ」……少し前の自分の考えに縛られてしまうことが多い。だから、頭で考えるより、その時々に「思わず手が出てしまうこと」あるいは「足が止まってしまうもの」を手がかりにしてゆく方がいいと思うんです。
「自分の頭で考えすぎない」という意味で、西村さんが30代のころに取っていたスタンスに通ずるものがありますね。
西村
そうですね。そういう意味でも、人と話すことって大事なんですよ。人に話してみて初めて「なるほど、実は自分はこう感じていたのか」って気づくことってあるじゃないですか。人と話すことによって、自分の声の調子や緊張感のようなものを経験して、そこから気づきを得ているということだと思うんですよね。頭の中で考えているだけでは気がつかなかったことが、声、あるいは身体というフィルターを通すことによってわかる。
「声」って、自分のありようが、そのまま表出しやすいチャンネルだと思うんです。嫌われたくない人の前で、自分の声がちょっと高くなっているのに気づいて恥ずかしくなるようなことって、誰しもあるじゃないですか。自分の「声」を聞くことで初めてわかる自分の感覚のようなものがある。だから、人と話すことって、自分の今を知るためにも、とても大事なことなんです。
自分らしい仕事との出会い方を中心にうかがってきた前編はここまで。後編では引き続き、仕事との付き合い方と、「自分らしさ」を知るための方法を深掘りしていきます。自分の個性を知るためには「『既製品』を減らすといいかも」と語る西村さん。個性と既製品の関係って……? 後編もお楽しみに!
[取材・文]鷲尾 諒太郎 [撮影]須古 恵 [編集]小池 真幸