【前編】岡室 美奈子
テレビの思い出には、一人ひとりの個性が宿る?
テレビっ子が高じて、テレビドラマ研究者になった軌跡
2021.10.21
思い出のテレビ番組はありますか? 毎週末楽しみで仕方なくて、前の晩はなかなか寝付けなかったアニメ。気になるあの人との共通の話題がほしくて、欠かさず見ていたお笑い番組。仕事がつらい時期に、毎回希望を与えてくれていたドラマ……番組の内容だけじゃなく、当時の気持ちや情景も、ありありと思い浮かぶのではないでしょうか。
「テレビは生活の一部であり、とても日常的なメディアなんです」──日本でも珍しい”テレビドラマ研究者”である、早稲田大学教授の岡室 美奈子さんはこう語ります。岡室さん自身、幼いころから筋金入りのテレビっ子だったそう。いわば個性を仕事にしてしまった岡室さんに、見る人の生活や個性と切っても切り離せない、テレビドラマの魅力を語ってもらいました。
( POINT! )
- 「コミュ障」が仕事につながった
- テレビの思い出は、生活の記憶とセットになる
- 昔のドラマはいまより静かだった?
- テレビの「箱」の思い出も人それぞれ
- それまでの専門を捨てたことで、テレビドラマ研究者になれた
- 「個性」と仕事を結ぶためには、孤独が必要?
岡室 美奈子
早稲田大学演劇博物館館長、文化構想学部教授。文学博士。現代演劇研究、テレビドラマ研究と批評を専門とし、特にサミュエル・ベケット研究で知られる。共編著に『日本戯曲大事典』、『六〇年代演劇再考』など、訳書に『新訳ベケット戯曲全集 ゴドーを待ちながら/エンドゲーム』など。
幼稚園にも行かず、一日中テレビを見ていた
岡室さんは、テレビドラマの研究をされているんですよね。ということは、やっぱり昔から、テレビが好きだったんですか?
岡室
はい、それはもう(笑)。子どものころは本当にコミュ障で、全然人と喋れなかったんですよ。幼稚園に行きたくないあまり、先生が自宅まで迎えに来てくれても、ピアノやミシンの脚にしがみついて動かないこともしばしば。母親が根負けして「じゃあ行かなくていいよ」と言わせちゃうくらい。その代わり、テレビが一番のお友達でした。幼稚園に行かない日なんかは、テレビの前にぺたんと座って、本当に一日中見ていましたね。
言葉もテレビを通じてたくさん覚えました。物語と一緒だから、すっと入ってくるんですよね。そのせいで、大人が喋っているボキャブラリーを、だいたい幼稚園のころには習得していた気がします。
それはとても早熟ですね(笑)。
岡室
母親もテレビが好きだったからか、「テレビを見ちゃダメ」とは絶対に言われなくて。小学生のときから、22時台にやっている『大奥』にのめり込んだりしていましたね。当時は最近の『大奥』よりもさらにドロドロした内容だったんですが(笑)、ものすごくハマっていた記憶があります。
もちろん、同年代の友達で、見ている人は誰もいませんでした。学校で『大奥』の話がしたいのに、できる友達がいなくて寂しかったなぁ。あのころコミュ障で、テレビを自由に見させてもらえていなければ、テレビドラマの研究者にはなっていなかったと思います。
テレビの思い出は、生活の記憶とセット
幼いころからの「テレビが大好き」という個性が、現在の仕事につながっていると。岡室さんは、テレビのどんなところに惹かれているのでしょう?
岡室
テレビって、とても日常的なメディアだと思うんです。たとえば映画や演劇は、非日常的な体験を楽しむものですよね。最近は配信で観られるようになってはいるものの、やっぱり多くの人にとっては、劇場に観に行くものです。一方でテレビは、ふつうに部屋の中にあり、生活の一部として視聴されている。ですから番組の内容と、「どういう時期に見た」「何歳のときに見た」「どの家で見た」といった生活の記憶が、映画や演劇以上に密接に結びつくわけです。
たしかに。幼いころにハマっていた番組を思い出そうとすると、それを見ていた部屋や、それについて友達と話している光景が、セットで思い起こされます。
岡室
そもそも1980年代より前のテレビ番組は、生放送時代はもちろんですが、VTRが導入されてからもテープが非常に高額で上書きされたせいで、映像があまり残っていないんです。ですから、「母親とこんなことを喋りながら見たな」とか、記憶を頼りに語っていくしかない(笑)。
テレビは一つの完結した作品として独立してあるというより、日々いろいろな番組が流れていく中で見るものです。「連続ドラマ」というスタイルも、映画にはないテレビの個性。番組の放映期間中も、生活の中ではいろいろな変化が起こりますよね。そうしたあるスパンの中での生活の記憶を呼び覚まさせてくれるのは、テレビ番組を思い出すことの喜びの一つだと思います。
岡室さんご自身の印象的な記憶と結びついている作品も、教えていただけますか? ありすぎて難しいとは思うんですが(笑)。
岡室
はい、ありすぎますね(笑)。うーん……たとえば、学生時代にヒットした、『俺たちの旅』という青春もののドラマがありまして。大学生が社会人になっていく過程での挫折が描かれていたのですが、多感で自分の存在を持て余してしまう、学生時代の感覚とフィットしていて、ものすごくハマっていたんですよね。友だちや先輩たちと、このドラマの話をしていたことをよく覚えています……とか話しているうちに、主題歌の『俺たちの旅』という曲が、ずっと頭の中で鳴り響いています(笑)。
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昔のドラマは、とても静かだった?
(笑)。でもたしかに、テレビドラマの思い出は、主題歌ともセットですよね。
岡室
音楽は大きいですよね。たとえば、トレンディドラマの代名詞と言われている『東京ラブストーリー』は、小田和正さんの『ラブストーリーは突然に』という曲が主題歌でした。イントロの特徴的なギターの「チャカチャーン」という音がないと、『東京ラブストーリー』じゃない感じがします。
ちなみに『東京ラブストーリー』は、切ないときにオルゴールの音楽を流すなど、劇中での音楽の使い方を変えた作品でもありました。逆に言えば、昔のドラマは、すごい静かだったんですよ。
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テレビの歴史の中で、演出の仕方も変わっていったと。
岡室
タイトルの出し方だったり、次回の予告を入れる方法だったり、一つひとつの手法がテレビ史の中で発見されていったんです。
テレビの映像の「当たり前」もどんどん変わっていったのですね。考えてみれば、テレビ番組を見るための機器も、移り変わっています。気づけば、ブラウン管のテレビはあまり見かけなくなりました。薄型のデジタルテレビが主流になり、さらにはスマートフォンでも見るようにもなっている。
岡室
おっしゃるとおりです。でも、私は「テレビは箱だ」という考え方で育ってきたので、やっぱりブラウン管に愛着があって、いまだに家では使っています。画像は粗いですし、綺麗な映像で見たくてデジタルテレビを使うときもあります。ただなんとなく、やっぱり箱型であることがいろんな想像力をかき立てるような気がして、離れられないんです。いつまでも壊れないから、というのも大きいんですが。
テレビの「箱」も、それぞれの思い出とセット
すごいこだわり……! でも言われてみれば、ブラウン管テレビには独特の味がありますよね。
岡室
2017年に、私が館長を務める早稲田大学の演劇博物館で「大テレビドラマ博覧会」という展覧会を開催しました。そのとき、ブラウン管のテレビを70台くらい集めて、古いドラマはブラウン管で見ていただくかたちにしたんです。そうしたら、とても好評をいただけまして。
綺麗なDVDの映像でも、ブラウン管テレビで流すと、昔の映像の雰囲気に近づきます。やっぱりテレビの記憶は、フレームとセットになっている。テレビは、日常の中にあいた窓のような役割を果たしていた、とも言えると思うんです。
テレビの見る夢 − 大テレビドラマ博覧会
…
なるほど。先ほどの話にもあったように「日常的なメディア」だからこそ、中身だけでなく、そのとき使っていたフレームも込みの記憶になっている。
岡室
テレビが普及した当初は、2枚の扉を開いて見る、観音開きのテレビまであったように、家具としてとらえられていましたしね。テレビドラマ博覧会のときも、想像以上ににいろいろなテレビが集まってきておもしろかったです。テレビのフレームも、やっぱりそれぞれの個人的な体験と結びついている。
まだ白黒テレビだったころ、私の父が何を思ったのか、赤・黄色・緑の3色に分かれている、テレビの画面にはめ込むフィルターみたいなのを買ってきたことがあって。それをテレビにずっと装着していて、父は「これでカラーテレビだ」と言っていました(笑)。どう考えても見づらいんですが、その画面の記憶が蘇っちゃうんですよね。
退路を断って、テレビドラマ研究の道へ
いろいろとお話をうかがっていると、岡室さんのテレビ愛がひしひしと伝わってきます。ただ仕事としては、最初からテレビドラマの研究者になったわけではなく、はじめは演劇の研究をされていたんですよね?
岡室
はい。主にサミュエル・ベケットというアイルランド出身でフランスで活躍した劇作家の研究をしていました。ただ、ベケットもテレビドラマを書いていますし、所属していたのが演劇と映像を両方扱う学科だったので、たまにテレビドラマを扱って卒業論文を書きたいという学生さんもいらっしゃって、その指導などはしていましたね。それと、2000年代以降、脚本家の宮藤 官九郎さんについて大学のサイトに文章を書いてから、テレビドラマに関する取材などはしていただけるようになりました。
しかし、専門的な研究対象にしていたわけではなかったと。明確にドラマ研究に取り組むようになったのには、なにかきっかけがあったのでしょうか?
岡室
2007年に早稲田大学で行われた、学部再編がきっかけでした。第一文学部と第二文学部を統廃合して、伝統的な人文学研究を受け継ぐ文学部と、新しい学問領域を切りひらく文化構想学部を新たに作ることになったんです。私はその再編に関わっていて、文化構想学部の中に、「メディアや身体をめぐる新しい教育・研究をやる場所」を作ることの検討を進めました。
で、晴れて表象・メディア論系が実現したのですが、表象・メディア論系所属になった教員には、「それまでやってきた授業と同じことはやらない」という暗黙の了解があったんです。新しい研究領域を開拓するために、ある意味で退路を断ってきたんですね。
それまで蓄積してきた授業のノウハウを、バッサリと捨てたということですね。すごい……。
岡室
正直、よくできたなと思います(笑)。でも、演劇映像や社会学、ドイツ文学、美術史……いろいろなところから先生たちがきて、みんな新しいことをやろうとしているので、とても活気があって本当に楽しかったです。さまざまなフィールドで活躍する、とても優秀な先生たちばかりだったので、この中で学問的にも人間的にも未熟な自分が埋もれないためにはどうすればいいかと日夜考えていましたね。
それで私自身は、いったん演劇についての授業をやめて、テレビドラマに関する授業を本格的に始めることにしたんです。私自身も猛勉強する毎日でしたし、正直、「テレビってもう大学生は興味ないんじゃないか」という不安もあったのですが、蓋を開けてみたら、多くの学生さんが熱心に授業を受けてくれて。みなさん忙しいから必ずしも多くのドラマを見ているわけではありませんが、とても関心は高いのだとわかりました。
孤独を味わい、打たれ強い「出る杭」になりたい
ご自身で道を切りひらきながら、ドラマ好きという「個性」を仕事と結びつけていったのですね。ただ日本ではむしろ、仕事のために個性を抑え込む、という状況に置かれている人のほうが多い気がします。メディアは「個性的に生きること」を褒めたたえる一方、「出る杭は打たれる」という言葉があるように、周囲と足並みを揃えることを求められる場面もある。そういった矛盾に悩む人も多いと思うんです。
岡室
そうですね。本当にいろんな意味で、生きづらい時代だと思います。そんな中でも私は、マルボロというタバコの広告で使われていた「出る杭は打たれ強い」という言葉が大好きで。個人的には、その精神で生きたいなと思っています。
私も含めて、みんな打たれることをすごく恐れるじゃないですか。現代はみんな打たないように、打たれないようにと、遠慮し合っている気がします。それがキャンセルカルチャーとか同調圧力にもつながってしまう。私も打たれればへこみます。でも、打たれることで強くなる場面もあると思うんです。だから私は失敗を繰り返しながらも、できるだけ打たれることを恐れずに生きていきたいとは思っています。
岡室さんご自身も、テレビドラマ研究の開拓という、いわば「出る杭」として活動されてきた面もありますものね。
岡室
出る杭というほどではないですが、多少なりとも何かを変えていくのは孤独なことなので、孤独に耐える力が必要なのだと思います。いまはLINEやSNSですぐに人とつながれるから、孤独を感じることは多くないかもしれません。でも、昔はもっと孤独だったからみんな恋愛していたし、恋愛ドラマも流行った。孤独な自分を受け入れたり味わったりすることって、出る杭としての打たれ強さを育てるために、大事なことなんじゃないかと思います。
[取材・文]小池 真幸 [撮影]高橋 団 [編集]鷲尾 諒太郎
見る人の生活や個性と切っても切り離せないテレビドラマの魅力、そして筋金入りのテレビっ子からテレビドラマ研究者になった岡室さんの歩みを、存分に語っていただきました。続く後編では、テレビドラマ研究の面白さを、実際の作品の分析もたくさん踏まえてお話しいただきます。岡室さんは、いいドラマの条件の一つとして「これまでの『当たり前』に揺さぶりをかけてくるもの」を挙げます。テレビドラマの豊作年でもある2021年現在、ドラマはいかにして「当たり前」を超えてゆくのでしょうか? 後編もお楽しみに。