テレビドラマ研究は、“生モノ”だからこそ面白い

後編では、岡室さんが実際にテレビドラマ研究を通じて明らかにしていることに迫っていきます。前編では、2000年代後半、もともと演劇研究者だった岡室さんが「これまでにない新しい研究をしよう」とテレビドラマ研究をはじめられたとうかがいました。ということは、それまでテレビドラマ研究はほとんど行われていなかった?

岡室

社会学の分野で、テレビドラマを「現象」としてとらえる研究はされていました。たとえば、『東京ラブストーリー』が大ヒットしたという現象を取り上げていくわけです。ただ、コンテンツそのものにはあまり関心が向けられてきませんでした。現場で制作にかかわっていた方が、内容について語ったり書いたりすることはありましたが、研究や批評というかたちで、外部から言及されることは少なかったんです。

だけど、私はもともと演劇研究者として作品分析をしてきたので、やっぱり内容に関心がありまして。テレビドラマに関しても、内容に深く入って分析する研究をしたいと思って、自分ではじめることにしました。

 

なぜそれまでは、内容についての研究がされてこなかったのでしょう?

岡室

いくつか要因があると考えています。まず、録画技術が十分に発達する1980年代より前のテレビドラマは、そもそも映像が残っていない。当時はVTR(ビデオテープレコーダー)がとても高価だったので、どんどん次の作品を上書きし、使いまわしていたんです。脚本も一生懸命集めてはいますが、そこまで簡単にアクセスできるものではありません。

それから、業界に根づく「映画は作品だけど、テレビは番組であり、消費されていくもの」という考え方も影響しているでしょう。昔はいまよりもさらに「走りながら作る」イメージが強く、特に録画技術が発達する前の生放送なんて、作っている人も出ている人も、自分で完成品を見ることはできなかった。

 

そうだったのですね。たしかに、そうした“生モノ“だと、映画と比べて、学術的に研究をするのは難しそうです……。

岡室

でも、だからこそテレビドラマは面白い。走りながら作る中でハプニングがいろいろと起こるけれど、そうしたライブ性が映画との大きな違いで、むしろ演劇に近い要素があったと思います。

私たちの生活に与えてきた影響も、実はものすごく大きい。視聴率が低いドラマだって、並の映画よりもずっとずっと多くの人が見ているじゃないですか。そして中には、名作や傑作と呼ばれるドラマがある。そうした作品をきちんと評価しておかないと、忘れ去られてしまうと思うんです。おこがましい言い方ですが、わかりやすい視聴率などとは違う価値観で、研究や批評によってよいものを「よい」と言って残していかないと、テレビ文化は正当に評価されていかないのではないでしょうか。

 

よいドラマは「二元論」を超えてゆく

内容の分析は、どのように行っているのでしょう?

岡室

テレビドラマは「一回見て終わり」という見方をする人が多いと思うのですが、実はどんな作品でも、細部をよく見るとたくさんの情報がつまっていることがわかる。それらをいかに豊かに受け取るか、ということを授業などでは大切にしているんです。作品を上から目線で批評するのではなく、できるだけたくさんのことを一つの作品から受け取る。そうすることで、最初に受けた印象とまったく違う風に見えてきたりする楽しさを味わえる。

ですから、深読み上等なんです。ゼミの合宿では、一つの作品の解釈を、3日間かけてひたすら議論したりしています。2021年の夏は、この春に放映された『大豆田とわ子と三人の元夫』を扱いました。

 

『大豆田とわ子と三人の元夫』公式サイト

私も大好きで、毎週楽しみに見ていました! 1月期の『俺の家の話』もびっくりするくらい面白かったですし、2021年は、豊作の年という印象を受けます。

岡室

『大豆田とわ子と三人の元夫』にせよ『俺の家の話』にせよ、従来のドラマのパターンをどんどん壊していると思うんですね。「普通だったらこうなるよね」という思い込みを、どんどん裏切っていくじゃないですか。

たとえば『俺の家の話』では、戸田 恵梨香さん演じるさくらみたいな人が出てきたら、騙して後妻に収まって財産を持っていっちゃうという話になりがちなのに、そうはならない。いろんな人がいて、さまざまな危険性も日常の中にあるのだけれど、最終的にはいろんな人の生き方を肯定しているドラマになっていますよね。『大豆田とわ子と三人の元夫』もそうだと思います。

 

『俺の家の話』公式サイト

たしかに。

岡室

2つとも、「二元論」を超えていくドラマだったなと思います。「どちらかを選ぶ」のではなく、「どちらも選ぶ」あるいは「どちらも選ばない」ことを許容する物語でした。『俺の家の話』では、能とプロレスというまったく対極にありそうなものが結びつけられていくし、『大豆田とわ子と三人の元夫』では、好きな人と親友のどちらかを取るのではなく、生と死という二元論も超えて、3人で生きていくという選択をする。そうした描き方が、新しい価値観を提示している気がします。

私たちって、二元論にとらわれてしまいがちじゃないですか。善悪とか、正義かそうじゃないかとか。それがキャンセルカルチャーをはじめとした、不寛容な社会につながっていると思うんですね。でもこの2つのドラマは、何が善で何が悪か決めたり、何が正義で何がそうじゃないかを決めたりはしない。もっといろんな、多様なものを肯定していく価値観が伝わってきて、見ていてとても豊かな気持ちになれます。

 

昔のドラマだって……いや、そのほうが面白い?

最近のものだけでなく、昔のドラマであっても、やはりよい作品はそうした気持ちになれるものなのでしょうか?

岡室

そうですね。やはりよいドラマは、それまで自分たちが信じ込んできた、あるいは信じ込まされてきた価値観を刷新してきました。むしろ、昔のほうがコンプライアンスにゆるかったぶん、自由にドラマが作られていたかもしれません。学生さんに古いドラマを見せるとよく、「こんなに面白いんだ!」と驚かれます。

たとえば、90年代にフジテレビが放映してきたテレビドラマは、当時としては新しい「女性の連帯」を描いていました。トレンディドラマの代名詞とも言われる『抱きしめたい!』は、男女グループの恋模様が描かれながらも、最終的には女性どうしの友情が選ばれます。マライア・キャリーの主題歌が大ヒットした『29歳のクリスマス』でも、恋愛も描かれるけれど、その中でできた子どもを女の人どうしで育てていく選択をする。他にも井上 由美子さんが脚本を書いた『きらきらひかる』、大石 静さん脚本の『アフリカの夜』など、女性のゆるやかな連帯を描いたよいドラマが、90年代は多かったんです。これは作家の柚木 麻子さんとのドラマ対談で気づかされたことです。

 

フジテレビ開局50周年記念DVD 『抱きしめたい!』DVD BOX

なるほど! リアルタイム放映時はまだ生まれてなかったのですが、たしかに後から見た『東京ラブストーリー』も、「結婚して家庭に入る=幸せ」という価値観を乗り越える結末だなという印象を受けました。

岡室

『東京ラブストーリー』は、ちょうど昭和から平成になったときのドラマですよね。優柔不断で"男らしく"ない、新しい男性像として描かれていたはずの織田 裕二演じるカンチが、最後はいかにも昭和的な控えめな女性と結婚する。一見、鈴木 保奈美演じるリカが身を引いたように見えますが、そうではなくて、自分の足で颯爽と歩いていく選択をする、新しい価値観を持ったリカに置いていかれてしまう。まさに時代が移り変わる中での、新しい女性像を描いた作品だと見ています。

脚本を書いていた坂元 裕二さんは、その後2000年代後半以降、『Mother』や『Woman』、『問題のあるレストラン』、そして『大豆田とわ子の三人の元夫』など、女性の生き方を描いた作品をたくさん送り出していきます。その兆しのようなものは、『東京ラブストーリー』のころからあったと思いますね。さらにそのテーマは、『逃げるが恥だが役に立つ』や『獣になれない私たち』を書いた脚本家の野木 亜紀子さんにも引き継がれている。テレビドラマで描かれるものは、そうやって時代に寄り添いながら、どんどんアップデートされていると思うんです。

 

ドラマから見る、「理想の男性」像の移り変わり

時系列ごとにドラマを振り返っていくと、その時々の時代で「当たり前」「新しい」とされていた価値観がわかって、面白いですね。

岡室

そうなんですよ! 先ほどの「女性の連帯」の話とも関係しますが、ドラマの中で描かれる男性像もけっこう変わっていまして。いわゆる昭和の「男らしい男性」から、平成前期になると「優しい男性」が登場するようになりました。

その後、平成後期になると、ドラマの中で、恋愛も結婚もしないで母になる女性がけっこう出てきます。『Mother』や『非婚同盟』が代表例ですが、恋愛して結婚することを人生のゴールとするのではなく、自らの価値観で生き方を選択する女性を描く作品が増えました。

 

それに伴って、また男性像も変わった?

岡室

はい。そうなったときに、どんな男性が理想とされるのかといえば、聞く力を持つ男性なんじゃないかと。あるトークでそういう話になって盛り上がりました。

たとえば、『逃げるは恥だが役に立つ』で星野 源が演じる平匡さんは、ガッキー演じるみくりの論理的で理屈っぽい話を、ひたすらに聞きますよね。先ほどから何度か登場している坂元 裕二さん脚本の『カルテット』でも、最終的に松 たか子演じる真紀と満島 ひかり演じるすずめちゃんとが秘密を共有するのに対して、男性たちは聞き役に徹する。2021年春の朝のNHK連続テレビ小説の『おかえりモネ』でも、坂口 健太郎演じる菅波先生の、奥手だけれどよく聞いてくれる姿勢が人気を集めて、SNS上でも「#俺たちの菅波」と話題になっています。

……と思っていたら、今度は『俺の話は長い』や『大豆田とわ子と三人の元夫』のように、よく喋る男性たちが登場するドラマも出てきていて。「なんだ、やっぱり男性も喋りたいんじゃん」と思ったり(笑)。

 

『逃げるは恥だが役に立つ』公式サイト

マイノリティを「ふつう」に描くことは可能か?

時代のうねりのようなものが感じられて、とても面白いですね! ただ、昨今では「男性/女性」だけにとどまらず、いわゆるLGBTQのキャラクターが登場するドラマもかなり増えたと思います。最近のテレビドラマは、そうした「多様性」をどのように描いているのでしょうか?

岡室

セクシュアルマイノリティの人たちを、受け入れやすいかたちでうまく描いていたのは、40〜50代の男性カップルを描いた『きのう何食べた?』ですかね。もちろん、よしなが ふみさんの原作の漫画も素晴らしかったけれど、それを安達 奈緒子さんが細やかな脚本にしてくれました。気持ちの移り変わりが本当に細やかに描かれていたので、何か特別な人たちの物語ではなく、ヘテロセクシャルの人も、自分たちの日常の延長として見られたんじゃないかと思います。

 

『きのう何食べた?』公式サイト

いわゆるセクシュアルマイノリティの描写は、時代を追うごとにかなり変わってきていますよね。昔は『3年B組金八先生』で上戸 彩が性同一性障害の生徒を演じたときをはじめ、かなり重々しく描かれていました印象がありますが、最近は『逃げるは恥だが役に立つ』や『きのう何食べた?』などに代表されるように、かなりライトに描かれているようになりました。

岡室

『逃げるは恥だが役に立つ』は本当に、多様性のドラマでしたものね。宮藤 官九郎さん脚本の『ごめんね青春!』でも、トランスジェンダーの生徒が出てきたり、そもそも男子校と女子校が融合していく話だったりと、「男と女」という二元論を超えた描写があります。

ただ、ジェンダーやLGBTQについて語ることは、やっぱりとても難しいですよね。私は専門家ではありませんし、さまざまな考え方があるので。ドラマの中で取り上げられるときにも、消費するために安易に描いてしまったときはもちろん、真面目に描こうとしても、批判の対象になっちゃったりするじゃないですか。もちろん悪意がなくても人を傷つけてはいけないし、正当な批判も必要ですが、作る側も見る側も学んでいくことが大事だと思うんです。その意味で、断罪するのではなく軌道修正を促すような寛容さが、見る側にも、もう少しあってもいいんじゃないかと感じますし、私ももっともっと学んでいかなければと思っています。

 

[取材・文]小池 真幸 [撮影]高橋 団 [編集]鷲尾 諒太郎