日本人は初対面の相手を信頼しにくい?

部下とのコミュニケーションの負荷が高いと前編で伺いました。『罰ゲーム化する管理職』で、小林さんは日本人が他人を信頼しにくく、特に初対面の相手との信頼関係づくりが苦手(*1)だと指摘しています。なぜそうなってしまったのでしょう。

小林

理由は様々ありますが、江戸時代もそうだったかというと、違うと思います。みんなで子どもを育ててお米の貸し借りをする。そういう社会だったんです。

それが、高度経済成長期やベビーブームを経て住居のあり方が大きく変わったことが影響しています。「知らない人と関わらなくても生きていける社会」になったんですね。

 

ワンルームマンションが増えて、近所の銭湯に行かなくなったり。

小林

そうそう。都市生活がどんどん機能的になり、個人化されていった。初対面の人と付き合わなくても快適で機能的な住居・都市生活を全国的に作り上げたんですよね。そして、日本は社会関係資本のリソースがとても少ないんです。

 

どういうことでしょう。

小林

出稼ぎ的に都市に出てくるので、「本当のホームは他にある」という感覚があります。近所の人と仲良くするインセンティブがないので、隣の人が何やってるか知らないまま一生を終えることも珍しくありません。何世代も同じ家に住むようなヨーロッパに比べると地縁と血縁が弱い。日曜に教会に集まるような習慣もないので、宗教縁も弱いです。

日本において、最も強かったのは社縁です。だから会社を通じた結婚も非常に多かったんですが、それもかなり減ってきました。そういう複合的要因があって、初対面の人と知り合いとの信頼ギャップが非常に高い社会になったんだと思います。 それに対し、政府などから有効な対策はほとんど取られませんでした。

 

社会関係資本の弱さは、職場にどう影響するでしょうか。

小林

顔を合わせたコミュニケーションで既存の知り合い感を培うことでようやく信頼感が生まれるので、中途採用とテレワークが弱くなります。「この人の言ってることが面白いから信頼します」ではなく、「慣れ親しんだ人だから信頼する」という属人的な信頼のあり方が多いんです。だから新しく入った人が馴染むまでに時間がかかるし、テレワークで周りに馴染む場が与えられないと、いつまで経っても関係が深まらないということが起こります。

 

お互いに「違いがある」と感じる世代間ギャップ

「面白い人」と思われなくても何回か顔を合わせることで「知り合い」と認識してもらえるなら、関係構築のやりようはありますよね?

小林

たしかに、何度か会えば関係ができていくという土壌はあります。でも「飲みに誘う」といったアクションを取る人は減っていて、自発的に関係が深まることは期待できません。さらに、日本の働き方の多くは分業型ではないのでチームワークが重要。関係性が希薄なままでは仕事が回りにくいんです。既に固まったチームに途中から入る人は、特に関係性が築きにくくなってしまいます。

 

「Z世代は扱いにくい」と聞くことも多いです。世代間ギャップは現代特有の問題なんでしょうか?

小林

世代間ギャップ自体は、何千年も前からあって現代特有の話ではありません。ただ、内容はもちろん変わってきています。ここ15年でキャリア観が大きく変わりました。人材サービス業が伸びて、特に若手は転職というチケットを傍に置いて働く状態に。それはもちろん上司にもわかるし、ハラスメントの厳罰化もあって非常に気を遣うようになりました。

世代間ギャップとは世代で意識が違うことではなく、「世代間で違いがあると感じている」こと自体がギャップです。この数十年でテクノロジーが非常に変化しているので、世代間ギャップ意識を感じやすい時代。ただ、気を遣い過ぎの部分もあります。実際には転職もそれほど増えてませんし。

 

そうなんですか?

小林

はい。若手の離職もそんなに増えてないですね。安定雇用を望む人は多いので、今の若者も「ガンガン転職したいです」じゃないんです。「何かあったら転職はするよ」なんです。

 

選択肢ができたんですね。

小林

人材サービス業が頑張っていて、アクセスできるリソースは広がりましたね。それは良いことだと思います。 また我々の調査では、今の2〜30代は失敗や人との意見の対立を避ける傾向が強いことがわかっています。これの裏側には、怒られなくなったことがありますね。

少子化で少なくなった子どもを大事に育てようとすると、失敗させないようにしたくなります。そうすると子どもの側の失敗への許容度も下がって、怒られたくないしフィードバックも怖い。これは近年の傾向ですね。時代のせいでもあるんですが、上の世代からしたら受動的に見えるし、「物足りない」ってことになりますね。

 

「対話の副菜化」で、自分で選んでいない縁を作る

お互いに違いがあると感じていて、注意もしにくい組織では関係性が育ちにくいですね。

小林

そうですね。日本人がどんなふうに友達を作ってきたかを考えてみると、きっかけは学校と会社なんです。ポイントは、自分では選んでいないこと。どの人間関係に入るかを組織が決めてくれていたんですね。それも「この学校のみんなに話しかけて一番気が合う奴探そ」じゃなくて、たまたま後ろの席だったとか、腐れ縁や偶然的な出会いだけがフックになる。

 

恋愛でも転職市場でもマッチングアプリが広まりました。スペックから「自分で選ぶ」と、探し続けてしまうことがあります。

小林

そもそも社会関係資本において、自分で選んでいない感覚が大事なんです。能動的に選び合う関係性では、どちらかが選んでいない状態になったときに破綻しやすくなります。

 

でも、偶然的な「場」は生み出せるのでしょうか。

小林

自発性と個人への啓蒙では無理なんで、出会える場を設計する人間が必要ですね。「イカゲーム」(*2)でいうマスターのような。日本は階層で人生が決まる社会ではないので、誰かが社会をコントロールしているみたいなことは馴染みにくい。だから自然に見えるような設計が必要です。

 

なるほど。コミュニケーションを目的としたものではないものを設計するんですね。

小林

そうです。 私は「対話の副菜化」と呼んでいますが、コミュニケーションとは別の目的を決めたほうがいい。コミュニケーションとかつながりって、必要としない、苦手な人がいることを前提に組み立てないと空振りになりやすいんですよ。

今だったら学びやリスキリングがいいですね。個人が自由に参加できて、腐れ縁も生まれます。会社という安全性も担保されるので、初対面に弱い人たちも参加しやすい。そして勉強会からの学縁、社縁を期待するなら「この後ピザでもとって1〜2時間やりませんか」くらいまでやったほうがいいです。結果、満足度も上がりますね。

 

「つながる構造」を作ることが大切なんですね。組織のなかで気持ちを共有することも難しくなっていますが、小林さん自身は「働くこと」をどのように捉えていますか?

小林

今、社会全体で働くことに関して「私は本気出さないです」モードが広がっています。近代社会にはこれまで自己の輝きを増すものという労働観がありましたが、それは寒いことになりかけています。非正規雇用やスキマバイトが増えて、ワークライフバランスやジョブ型雇用が注目されている。これらは職場に全人格を置かなくていい、つまり分業的かつ最適的な働き方の発露なんですね。これが逆回転することはまずありません。

みんながそうだと、経済や組織を引っ張る観点では全体が沈んでいくことになるだろうなとは思います。そこは経営者が考えるべきこと。私の立場では、日本人の社会関係性資本の唯一のリソースともいえる社縁がゼロになるのは危険だと考えています。そして今、そうなりつつあります。

働くことには本気出さないでいいけれども、仕事を通じた人とのつながりはみんなもう少し大事にした方がいいと思います。そこそこの方がかっこいいかもしれないけど、そこそこで人は信頼し合わないので。たまには本気出して、人と向き合ってくださいね。

 
小林さんの著書『罰ゲーム化する管理職』(集英社/インターナショナル新書)。『日本の人事部』HRアワード2024書籍部門優秀賞受賞。