【後編】犬塚 美輪
AIがまとめてくれる時代に「読む」ことの意味は
新しい道具を使うための新しい教育
2024.11.21
私たちが読んだり書いたりする環境は、近年大きく変わりつつあります。生成AIが身近になり、外国語の論文を日本語で要約してくれたり調査報告書をまとめてくれたりするようになりました。それは子どもたちの学習環境にも変化を与えています。
ディープフェイクなども登場するなか、私たちは与えられたものをそのままただ受け取るのか、批判的読解をもって正しい答えに近づこうとするのか岐路に立たされています。
前編に続き、東京学芸大学准教授で、『14歳からの読解力教室』の著者の犬塚美輪さんに伺います。説明文や物語を読むとき、私たちの頭の中ではどんなことが起きているのでしょう。そして読めることは、私たちにどんな力を与えてくれますか?
( POINT! )
- 知識は獲得する際の経路で変わらない
- 思考力のためにも読める力を
- 批判的読解は読むための方略
- 読むときにはメタ認知を使っている
- 物語で経験を補える
- 読むことは速いし自由
- 新しい道具があれば、学習方法も変わる
犬塚 美輪
東京学芸大学准教授。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。読解を中心に、学校や日常的な場面で「新たなことを学ぶ」心理プロセスと教育方法について研究している。主な著書に『認知心理学の視点-頭の働きの科学』(サイエンス社)、『論理的読み書きの理論と実践-知識基盤社会を生きる力の育成に向けて』(北大路書房)、『14歳からの読解力教室: 生きる力を身につける』(笠間書院)。
AIが要約してくれても、読める力は必要?
現代人は「長文が読めなくなった」ともいわれていますよね。同じ情報を得るのでも、長文を読むほうがより深く理解できるといったことはないのでしょうか。
犬塚
どうでしょう。知識を獲得する際の経路は何であってもかまわないのではないでしょうか。たとえば物理の運動量について理解するときに教科書を読むのか誰かの解説を聞くかで、身に付く知識は変わらないということはあると思います。
一方で、誰かが解説してくれない領域にたどり着いてしまったら困ることはあります。そのときのために「読める」力はあったほうがいいですね。また、「読める」とは文字で表された情報を使って頭の中でイメージや概念の操作ができることです。それを思考力とするのであれば、やはり必要になるだろうと思います。
最近は生成AIが長文や論文を要約してくれて便利になりましたが、本当に正しいのかは少し不安です。
犬塚
生成AIはそういった言葉を用いる操作は得意ですが、「本当にこれでいいかな?」という視点は使う人の力量が問われる部分です。元になる文章や資料を読めないと生成AIを信じるしかなくて、それはちょっと怖いところ。全員が「生成AIがあるから難しい文章が読めなくてもいい」になってしまうと困ります。
「本当に正しいのか」を考えながら読むことは「批判的読解」とよばれます。、批判的読解のための方略も必要ですねたとえば他の情報と比べたり、文章外の知識との矛盾に注意したりするのは有効な方略です。
方略とは、意図的にやることや考えることですよね。国語や読解は苦手な人にはわかりにくいし得意な人も説明しにくいので、明示されているのはありがたいです。
犬塚
『14歳からの読解力教室』に読むのが苦手な人たちもスラスラ読むための方略をいくつか紹介しました。教科書にも「読み方のヒント」として方略が紹介されていることもあります。方略は読む時だけでなく、聞いて理解するときにも必要ですし、大人でも身に付けられます。その辺りももっと伝えていきたいと考えています。
説明文と物語を読むときの頭の中
読んでいて「よくわかる」と思ったり「難しいな」と思ったりしますよね。それはメタ認知でしょうか?
犬塚
そうですね。読むときにはメタ認知を働かせています。例えば、読んでいて「ちょっとわからないな」と思うのは既にメタ認知の働きなんですよ。自分がどのぐらい、どういうふうに理解してるかをモニターしてるといえます。
何か問題があればちょっと前に戻ってみるというのは、解決するための方略をメタ認知を使って考えてることになります。特に知識を習得するために読むときのメタ認知の働きは重要で、頭の中はとても忙しくなるし、疲れますね。
論説文や説明文と、物語を読むときではどのような違いがありますか?
犬塚
論説文や説明文の場合は自分が書いてある文章を手に取って眺めているような客観的なイメージですが、、物語を読んでるときは、読んで頭の中に作った世界の中に自分を投影させていくイメージですね。主人公の視点だったり横で見ている視点だったりしますが、自分が物語の中で生きている、存在しているようにシミュレーションしているといえます。
私たちは生まれた体でしか生きられませんが、本の中では奴隷になるかもしれないし、王様になるかもしれません。自分自身が経験し得ない立場や見ることが叶わない世界を生きられるのは物語の特徴で、そこで身に付けられる態度や信念があります。私たちはそうやって経験を補っているところがあります。
その効果はすぐに出ず、マイルドにしか効きません。作家の中村文則さんが作品の中で「自分の枠を広げる」という表現をしていましたが、そういう経験は物語を通してこそできるものだと思います。
それは映像を観る場合でも同じでしょうか。
犬塚
入り込むというプロセスは同じですが、読むほうが世界を作って自分を投影することを自由にできるだろうと思います。
そういう研究もたくさんあります。読んで理解することには文字から概念の操作をする思考トレーニングの意味もあるし、シミュレーション体験で人間としての幅を広げる意味もあります。もちろん読めない場合は聞けばいいのですが、読めるのであれば読むほうが速いし、自由ですよね。
新しい道具があれば、新しい学習が必要に
とはいえ、なかなか読む時間が取れない人が多いです。
犬塚
読みたいのに読めない本、積まれてますよね。頭の中で世界を作るエネルギーも必要だし、昔とはタイムスパンが違います。すぐに見られる面白いものに比べると、読書は面白くなるまでの時間が長い。そこに時間を割けるかというと、おそらく大人も子どももちょっとしんどくなっていると思います。
学生の課題環境も変化していますよね。「ChatGPTがまとめてくれたから正解はこれ」と一元的な受け取り方をしてしまう人もいるんじゃないかなと思いますが。
犬塚
新しいタイプの教育が必要になっているとかなと、私自身は受けとめてますね。生成AIのような便利なものが出てきて使うなというほうが無理だし、むしろどんな特徴があるのかを知らないとまずいと思います。
若い人は新しい道具をよく知ってるかというと、そうとも限りません。英語の論文を読むのに苦労していたある学生にAI翻訳をすすめたら、「使っちゃいけないと思っていた」と驚いていました。目的が英文の速読練習ではないなら、日本語でまず理解しておかしいなと思った箇所の原文を調べるというやり方も有効だと思います。
英語の授業で3種類のAI翻訳を比較して、子どもたちにどれが一番いいか考えさせていた中学校の先生もいます。生成AIがあることで自分たちが考えることがなくなるわけではないですが、違うタイプの思考が必要になったり鍛えられにくい部分が出てきたりすると思うので、そういった学習はこれからもっと必要になると思います。
生成AIの利用を禁止する課題もあると思いますが、うまく活用していく方法もあるんですね。
犬塚
使っても大丈夫な課題にするというか、むしろ使うこと前提の課題を考える方向が建設的ではないでしょうか。たとえば「ChatGPTにこういう質問をしたら、こう答えてきました。これが本当かどうかをあなたたちで調べてください」というような。ChatGPTが正しいかどうかを調べなくてはいけないので、ChatGPTに聞く以外の手段を考えることになります。
昔から、新しい道具が出てくるたびに私たちはそういうことをくり返していたと思います。それでできることはやればいいし、別のことについてはこっちの道具のほうがいいなみたいな。生成AIのようなテクノロジーも新しい1つの道具なので、新しい学習が必要だろうと思っています。
[取材・文]樋口 かおる [撮影]武藤 奈緒美