苦しんでいるのはお金?それとも

田内さんの著書『きみのお金は誰のため』が25万部を突破し、大人も子どもも読むべき本だと話題ですね。お金に苦しんでいる人が多いので、お話を聞きたいです。

田内

苦しんでいるのは、本当にお金でしょうか?

 

違いますか?家にお金がなくて大学に進学できないという話も聞きますし、SNSでは「生活に困っているので融資してください」という投稿もよく見ます。

田内

多いですよね。苦しんでいるのはお金ではなくて、生活ですよね。揚げ足をとるわけじゃないんですが、大事なことなので意地悪な聞き方をしてしまいました。お金は道具であって、目的は生活。その足元を確認しておかないと、目的がお金自体に変わってしまうことがあるので。いろんな人の相談を受けることもあるのですが、よく聞いてみると優先順位の問題であることが多いようです。そもそも大学進学を重視していなかったりします。

お金がなければ、進学費用は借りることもできますよね。そのために奨学金という制度があります。僕自身の育った家庭もお金には困っていたのですが、大学に行くことを優先してくれたので奨学金を利用しました。もし、大学進学させることより借金しないことを優先している家庭だったら、「お金借りてまで大学に行かなくてもいいや」となっていたかもしれません。

最終的な目的はお金を増やすことではなく、お金を使って生活を豊かにすることです。そのために、お金を貸し借りできる「金融」というシステムがあるんです。最近話題の「金融教育」も、本来はお金を増やすための教育ではありません。

 
田内さんの著書『きみのお金は誰のため』(東洋経済新報社)。身近な問いから「お金の本質」と「社会のなりたち」が見えてくる青春「お金」小説。

金融教育は誤解されている

「金融教育」は、お金を増やすためのものではないんですか?

田内

資産形成のために「金融商品」について勉強することだと思っている人が多い。お金を融通していくことで世の中や経済が回るのが金融なんですよ。金融教育を個人のお金のやりくりの話として語る人が多いんだけど、金融というのは社会システムだから、社会抜きでは語れないのです。

2022年から小・中・高校で金融教育が義務化されました。金融について学ぶところは2つあって、1つは家庭科。個人の生きる力という意味で金融を扱っています。もう1つは新しく高校公民科の新科目になった「公共」です。政治や経済を含めて、自分たちがどうやって公共空間をデザインして作っていくのかという科目。

公共空間は与えられるものと思いがちだけど、そうではなくて自分たちで作るもの。そのために法律や経済があるし、国際関係で国の問題を解決することもあります。そういうことを学ぶなかに金融教育があるので、個人の生きる力のためだけでなく「自分と社会」の話なんですよ。学ぶことで、自分も社会もどう豊かになっていくかを考えましょうという。

 

なるほど。大人向けの金融教育では特に「個人の資産を守る・増やす」方法ばかり聞くことが多い気がしますね。

田内

金融教育が始まったときに、メディアが「資産形成の勉強が必修科目になった」という広め方をしてしまったんです。

僕はそれはよくないと思っています。お金は道具であって目的ではないし、そもそも金融とはお金を融通するシステムだからです。お金があれば選択肢が増えるといっても、お金が貯まってから何かをやるとなるととても時間がかかってしまいます。

 

「とにかく投資」では時間を犠牲にしてしまう

でも、「お金を貯めてから行動する」は常識とされていますよね?

田内

「やりたいことがあったら融通してもらえばいい」というのが金融システムなんですよ。その部分を無視して「選択肢を増やすために金融商品を買いましょう」だと、時間を無駄にしてしまいます。「時間を味方につけて長期的に投資をすればお金が増える」とよくいわれているけど、それは時間を犠牲にすることでもあります。

 

時間という機会を失っているということでしょうか。

田内

そうですね。禅の思想に「今ここを生きる」がありますが、お金を目的にすると今という時間を犠牲にしてしまいます。

そうですね。禅の思想に「今ここを生きる」がありますが、お金を目的にすると今という時間を犠牲にしてしまいます。

たとえば、進学のための奨学金を受け取っていて「奨学金を早く返して投資をしなきゃ」と学生から聞いたことがあります。そのために昼も夜もバイトをして心身の調子を悪くしても、とにかく投資をしてお金を増やしたいと。資産がお金だけだと思い込んでしまっているんですよね。

お金は数値化できるから客観視しやすくて貯めたくなるのもわかるんだけれど、生きていくうえで必要な資産はお金以外にもいろいろありますよね。特に若い人にはたくさんあります。自分の能力や知識・経験を増やすことも大事だし、人間関係を作っていくこともとても大事。だけど「お金があれば選択肢が増える」ことばかり考えてお金を増やそうとすると、逆に選択肢を削ってしまいます。

 

お金は交換しやすいので、「お金さえあれば」と思ってしまいます。

田内

そうですね。禅の思想に「今ここを生きる」がありますが、お金を目的にすると今という時間を犠牲にしてしまいます。

お金への万能感があると、「増やせば幸せになれる」気がしますよね。もちろん生きていくためにはお金が必要なんだけれど、お金を借りるのは悪いことじゃないし、投資してもらう人間になったっていいんです。

「誰もが投資するべき」という情報に踊らされてしまう人も多いと思いますが、投資がちゃんと企業に流れて新しい商品やサービスが生まれて世の中がよくなっていくことが大事です。「とにかく投資する」ではその循環が生まれにくいんですね。

 

みんなが作る社会で「お金」が使われる

「投資して資産形成しないといけない」「子どもが損しないようお金の知識を持たせなくてはいけない」など、様々なプレッシャーに囲まれています。

田内

電車に乗れば「脱毛しないとモテない」という広告があったり、多いですよね。そういった不安を煽るもののなかでも「教育」はビジネスになりやすくて、さらに「お金」は注目されやすい。「お金の勉強をしよう」といっても、うたっているのが証券会社なら金融資産を売りたいのかもしれません。

 

背景情報も大事ですね。

田内

誰しも乗せられやすいところがあるので、ちゃんとそのゲームが何のゲームかわかったうえでやることが大事だと思います。それにはゲームの外側を知らなきゃいけない。お金の話にしても自分がどんなゲームをしているのか知ったほうがいいだろうと思って、「社会のなかでお金という道具を使う意味はこういうことだよ」と伝えるために本を書いています。

もちろん人生のステージによってもお金の意味は変わるし、社会はともかくお金がないと生活できないという時もあると思います。でも、お金は使うことによってようやく効果を発揮するもので、増やすことを目的にするとお金の奴隷になってしまいます。

 

不安なので、自分のためにお金を貯めたいんです。でも『きみのお金は誰のため』に、お金は「誰かに働いてもらうためのチケット」とあります。世界にたった1人ではお金を使うことはできないし、意味がないですね。

田内

お金という便利なフィルターを通すと、それさえあれば1人で生きていけるような気がしてしまうんですよね。でも、社会は1人ひとりの集合体であって、他人任せにしていいものでもない。働いてくれる人がいなかったら、お金というチケットはただの紙切れになってしまいます。このチケットによって、人と人とが支え合っているということが重要で、そういう視点をもって社会を捉えた方が、生きやすくなると思います。

 

お金の本質について、田内さんに伺った前編はここまで。後編ではなぜ私たちは資産形成を急がされるのか、またお金の向こう側には何があるのかについて伺います。お楽しみに。

[取材・文]樋口 かおる [撮影]小原 聡太