【後編】岩尾 俊兵
価値創造で「仕事の楽しさ」を取り戻せる?
みんな人生を経営している
2024.07.11
「やりがいがあって楽しい」「言われたことだけをこなしているが、つまらない」
仕事に対するイメージや課題感は人それぞれ。会社ではキャラを演じ、言いたいことがあっても我慢している人も多いでしょう。
「仕事が楽しい」と感じるために、役立つものがいくつかあります。社会に貢献している感覚や報酬、安心して発言できる環境、意思決定の裁量など…。これらの要素は雇用先に左右されるし、自分の希望するポストにつけるとも限りません。でも、どうせ時間を使うなら辛いより楽しいほうがいいし、成果も上げられるのでは。知らぬ間に時代の重なり合いからも奪われているという私たちの「仕事の楽しさ」。取り戻すことはできるのでしょうか。
前編に続き、『世界は経営でできている』の著者であり、慶應義塾大学商学部准教授の岩尾俊兵さんに伺います。
( POINT! )
- 価値創造できる仕事は楽しい
- 組織から変わる必要がある
- お金を持っているだけで儲かる時代があった
- お金持ちと庶民の格差が広まった
- バブル崩壊後、お金持ちも価値有限思考に
- 人間も社会も価値有限と無限の間を揺れ動いている
- 思考の癖から脱却することが大事
岩尾 俊兵
慶應義塾大学商学部准教授。平成元年佐賀県有田町生まれ。東京大学博士(経営学)。第73回義塾賞、第36回組織学会高宮賞(論文部門)、第37回組織学会高宮賞(著書部門)、第22回日本生産管理学会学会賞(理論書部門)、第4回表現者賞等受賞。組織学会評議員、日本生産管理学会理事を歴任。著書に『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』(光文社新書)、『13歳からの経営の教科書』(KADOKAWA)、『日本“式”経営の逆襲』(日本経済新聞出版)、『イノベーションを生む“改善”』(有斐閣)、『世界は経営でできている』(講談社)ほか。
問題解決を他人に委ねた仕事は楽しくない
前編で、私たちが様々な変化とイノベーションとともに生き残ってきたことを伺いました。住み心地のいい洞窟がなければ掘る、雨風を防ぐために竪穴式住居を作るといった工夫は楽しそうです。それは仕事の楽しさでしょうか?
岩尾
そうだと思います。価値創造に近づくと人間は楽しくなるし、仕事も楽しくなります。お客さんが幸せになった結果利益も出て、自分のボーナスも上がるような仕事なら自分も楽しくなりますよね。
そうではない場合「この仕事って何のためにやってるんだっけ?」ってなりますよね。他人も自分も幸せにならないのに、やらなければならない仕事はいわゆる「ブルシットジョブ」。価値を持ってるのはお客さんなどの他者で、社内での地位を持っているのは自分ではない同僚や上司。手に入れるには奪うしかないとなると、自分の人生の問題の解決は他人次第ということになってしまいます。
他人次第だと、仕事の楽しさも奪われてしまうということですね。でも、自分で考えて工夫し、価値を創造するには自由が必要です。自由がない仕事も世の中には多いと思いますが。
岩尾
そうですね。まず、会社の経営者が変わらなきゃいけないんです。「言われたことをやるだけで自由がない」状況が生まれるのは、経営者が世の中にある価値は有限だと勘違いしているから。「金は有限だ」と思っているのが典型的です。
お金は有限ではないんですか?
岩尾
お金はただの紙、あるいは銀行の数字です。お金を貸し借りするだけで、世の中のお金の総量は増えるんですよ。「信用創造」といって経済学上の常識なんですが、現実にお金を動かすとつい有限だと思ってしまうんですね。
経営者がその思考にとらわれると、お客さんに粗悪品をつかませたり従業員の給料を限界まで下げたりして利益を上げようとします。そうなると「従業員はサボるからギリギリまで働かせよう」という組織になるので、働く人が自由に工夫できる余地も少なくなってしまいます。
庶民とお金持ちでお金の手に入りやすさが全然違う社会
それでは仕事が楽しくなりようがないですね。
岩尾
ただ、それが経営の正解だった時代もあったんです。1971年の第2次ニクソン・ショック(*1)で、日本円は「変動相場制」に移行しました。それまで「1ドル=360円」と固定されていたお金の価値が上下に大きくぶれる社会になったんです。そして1985年にプラザ合意(*2)がありましたが、この目的はドルを安くし、日本円の価値を上げることです。
変動相場制になってから50年で、最も貨幣価値が上がったのは日本円なんです。だから、ただの紙切れであるはずのお金を守っているだけでものすごく儲かった。一方、日本円で払わなきゃいけないものはケチケチしたほうが得ですよね。日本円で支払うものといえば日本人の給料と日本の製品。だから日本円が上がっても国内では売り上げも給料も上がらず、デフレにつながりました。
そこで日銀が大規模な金融緩和を行います。金利が下がったのでみんながお金を借りればデフレを脱却できたんですけど、そうはなりませんでした。なぜなら、銀行が担保を持っている人にしかお金を貸さないという「担保主義」を続けたためです。だから超低金利でもお金を借りられるのは土地を持っているお金持ちだけで、庶民は借りられない。お金持ちと一般庶民の間で、見える世界もお金の手に入りやすさも全然違う社会になってしまったんですね。
みんなが豊かになるのではなく、格差が広がってしまった。
岩尾
お金持ちは土地を買って、その土地を担保にしてさらにお金を借りるという「両建て取引」を行いました。借金と資産が同時に膨れ上がってバブル状態に。土地の値段が高騰して、東京都23区の土地でアメリカ全土が買えるぐらいまで上がったんですよ。
この状況はずっと続かず土地の価格が急落し、バブルは崩壊。そうなるとお金を増やすためだった借金が重くのしかかるようになり、お金持ちも価値有限思考に支配されるようになりました。これが、その後現在まで続く「失われた35年」の正体。
経営者が従業員を酷使してまで利益を得ようとするのには、そうでもしないと経営が成り立たない時代背景があったんです。
価値は有限か無限か。間で揺れ動く人間
価値有限社会が現在も続いているということですが、そうなる前はどうなんでしょうか。
岩尾
その前の日本は高度経済成長期で、価値無限社会。それがプラザ合意頃から徐々に切り替わり、バブル崩壊後は完全に価値は有限で奪い合う社会になってしまいました。
高度経済成長期が価値無限社会でいられたのはなぜですか?
岩尾
戦争に負けて、日本は対外資産、在外領地、植民地すべてを没収されました。満州も返還したので将来的な油田の権利も失って。お金も資源もなく本土の機械なども空襲で破壊されてしまったけど、人間はいました。ここからたった20年。人間の脳みそだけで世界第2位の経済大国になるまで復活しました。これは価値創造以外ではなしえないことだと思います。
私たちはそのような変化をくり返しているんでしょうか。本来的に価値無限もしくは有限思考を持っていると思いますか?
岩尾
くり返していますね。そもそも人間は動物ですが、理性を持っているところが動物と違います。勝ったものだけが食べ物にありつけるわけではなく、頭を使って食べ物を増やして分け合って尊敬し合うことで喜びを感じます。
大きな歴史のなかでみると、人間は動物的な価値有限思考と、理性という神的な性質による価値無限思考の間を揺れ動いてきました。理性があることで将来の不安を感じたり苦しんだりすることもありますが、なくすことはできません。そうであるならば、理性を使ってみんなが幸せになる道を見つけたほうがいいと思います。
人生を「経営」する
みんなに幸せになってほしいのはなぜでしょう。
岩尾
みんなが幸せじゃないと奪い合いになって犯罪が増えて、自分も損をします。共同体全体の幸せは自分の幸せにもつながるという合理的な理由です。
そのためには価値無限思考が有効かと思いますが、実際に自分に当てはめてみると難しいかもしれません。
岩尾
大きな問題は、価値有限思考が思考の垢みたいな感じでこびりついてることですね。価値創造の枷になる自分の思考の癖に気づき、脱却することが大事です。私もよくそちらに引きずりこまれるし、奪い合いを仕掛けてくる相手に対して防衛しないといけないこともありますが…。
肩書きにとらわれない人が社会からは肩書きだけで判断されてしまうこともあるし、「自分は強くないからできない」「苦しい状況にあって主体的に仕事ができないし、選べない」という人もいますよね。
岩尾
そうですね。苦しい人に寄り添う必要があるというのは、最近ずっと考えていることです。幸せになるための手段が仕事なのに、「この仕事を失ったら困る」と思い込んで心身に不調をきたしてしまうのはおかしなことです。でも、そういう人がたくさんいるのが現状です。もし一歩引いて冷静に判断することができないのであれば、まず1回休んでみることが必要です。こうした人に対して正論を振りかざすのは正義ではありません。
経営とは価値創造という目的に向かって様々な対立を1つずつ解消していくことで、これは企業にとっても個人の人生においても同じです。人間が何のために生き、どんなパラダイムで生きれば幸せに近づくのか。これを考えるだけでも、一歩進んでいるのだと思います。
- ※1:
- 1971年にアメリカ合衆国のリチャード・ニクソン大統領が発表した経済政策で、ドルと金との交換を停止した。ドル・ショックともいう。
- ※2:
- 1985年、アメリカ合衆国のプラザホテルで開かれた先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議で発表された為替レート安定化策
[取材・文]樋口 かおる [撮影]小原 聡太