「り」で「了解」と伝わるのはなぜ?

前編で言葉の曖昧さを伺いましたが、曖昧であることに意味はありますか?

川添

曖昧さは、「限られた数の音や文字で世界を表現する」という言語の性質から生じるものです。私たちを取り巻く世界には膨大な物事がありますが、それらを表現するのに使える音や文字は限られています。ですから、同じ言葉を様々な状況で使わざるを得なくなる。でも、それも悪いことばかりではなくて、相手と共有している知識が十分あれば、ものすごく短い言葉で意図を伝えられますよね。LINEで「り」と一文字送ることで「了解」を伝えるとか。

 

最初は不思議に感じたけど、慣れると伝わりますね。

川添

伝わりますよね。略語にも重複するものはたくさんあるけど、何について話してるのかがわかればちゃんと伝わり、便利です。言葉の持つ曖昧さには、コミュニケーションの効率化に貢献している面があります。

 

「言語化」でモヤモヤがカテゴリー化される

SNSで「言語化力」もよく目にします。「言語化したい」「言語化してくれてうれしい」とか。元々の感情みたいなものは言語ではないのでしょうか。

川添

そうだと思います。たとえば餃子を食べたときに感じる「美味しい」と、ケーキを食べたときの「美味しい」って、結構違いますよね。また、同じ餃子を食べても、その人が感じる「美味しい」と私が感じる「美味しい」が同じかどうかわからない。そういう感覚とか思考って、頭のなかのモヤモヤしたよくわからないものだけど、大部分をそぎ落としてシンプルな「美味しい」という言葉で表すわけですよね。

「香ばしい」とか「ジュワッとした肉汁が出てジューシー」みたいな言い方をする人もいますが、結局はよくわからないものを数少ない単語の列に置き換えるので、その時点でかなり情報をそぎ落としています。「言語化したい」というのは、そぎ落とさなきゃいけないけれども、できるだけ他の人にもばっちり伝わって自分でもしっくりくるような言葉を選びたいってことだと思います。

 

言語化によって気持ちが整理されたり勘違いに気づいたりすることもありますね。

川添

言葉にはカテゴリー化をする力があるからですね。それまで全部一緒くたにされていたのを、ちゃんと区切って分類するみたいな。たとえば病気についての言葉とか。

 

病気についての言葉?

川添

たとえば、昔は心の病気を表す言葉はあまりなかったですけど、今はたくさんありますよね。今まで悩んでた人が診断を受けて分類されることで「自分はこうだったんだ」と気づく面はあると思います。

 

診断されて「腑に落ちた」と聞くこともあります。

川添

わけのわからない状況って、誰でも落ち着かないですよね。ちゃんと分類されることによって、他の人との共通部分が見えて、対処法も見えてくる。それを求めている人が多いから「言語化」も重視されているのかなと思います。

 

人間とAI、「コップ」という言葉を知る方法は?

私たちがふだん使っている言葉でChatGPTなどのAIとも対話できるようになりましたが、川添さんはいつ頃からAIの研究をしているんですか?

川添

AIの歴史には大きく分けて3つのブームがあります。1950年代に第1次AIブーム、1980年代に第2次AIブームが起こりました。私がAIの世界に入ったときは第2次が終わってしばらく経った「冬の時代」。2002年頃に自然言語処理(*1)という、言葉をコンピュータで扱う分野に入りました。その頃は、AIについて「まだそんな夢みたいなことを」と言う人もいた時代でした。

そんな時代がしばらく続いたあと、2011年にワトソンくん(*2)がクイズ王に勝ち、2012年ごろから深層学習(ディープラーニング)という技術を使った研究が流行り始めました。その辺りから第3次AIブームがはじまり、2022年の年末にはChatGPTが出てきて、盛り上がりが続いています。

 

冬の時代があったとは思えないほど活用されていますね。人間とAIの言葉の学習方法にはどんな違いがあるのでしょうか。

川添

実は、人間がどうやって言葉を覚えているかもまだわかってはいません。言葉を習得する仕組みが生まれたときから脳に備わっているという説もあれば、自転車に乗ったり泳いだりすることを学ぶのと同じようなスキルを使って言葉も学んでいるという説もあって、今はまだそれに決着がついてないんです。

 

そうなんですね。

川添

ただ、人間の子どもって、ある時期になるとプログラムされたかのように一気に言葉を覚えますよね。大体1歳半ぐらいから語彙が爆発的に増えて、最初二語ぐらいの短い文を言って、だんだん長くなっていく。子どもは無意識に、言葉が使われた状況などから「この言葉はこういう意味なんじゃないか」とか「この言葉はもしかしたら助詞なんじゃないか」などと推測しています。つまり、自分が耳にした言葉の意味や品詞についての仮説を立てているわけです。

子どもが自ら仮説をたてて、実際に正しいのかどうかを検証して、さらにブラッシュアップしていく形で言葉の知識をどんどん増やしているということは、実験から明らかにされています。

そして、AIが人間とどう違うのかというと、まず言葉の学習に使うデータの量が圧倒的に違います。

 

人間が接したり覚えたりできない量ということですか?

川添

そうです。人間の場合は、主に親や周りの大人が発する言葉を手がかりにして言葉を覚えていくんですが、そんなにたくさん聞くわけではないですよね。一方、今のAIは1人の人間が寝ずに朝から晩まで読み続けても何千年もかかるぐらいの文章を使って、<この言葉の並びの次にはどんな言葉が来るか>っていう問題を大量に解いています。

量の違いのほかにも、人間の子どもの場合は言葉だけではなく、五感を使ってその場の状況を認識できるという違いがあります。たとえば、目の前にコップがあって「これはコップだよ」と言われたら、言葉とその物を瞬時に結びつける。そういう経験を重ねることで、だんだんと世の中をカテゴリー化していくわけです。

でも、今のChatGPTの基盤になっている言語モデルは、基本的に言葉だけで閉じた世界。「コップ」という言葉を聞いて実際のコップと結び付けているわけじゃないんですね。それなのに、あたかも世界を知っているかのようなことを言ってくるからすごいですよね。

 

私たちはなぜ言語を持つ?

なるほど。「コーヒー」の言葉の次に「熱い」「苦い」が来そうなことは知っているけれど、コーヒーを味わったことはないと。

川添

そうですね。AIの気持ちになって考えたら、「コーヒー」を単に文字の列として認識しているのではないかと。私たち人間にとって、全然知らない言語の文字が模様のように見えるのと同じように、AIにとっては私たちの言葉が模様やパターンみたいな感じで見えているのかもしれません。

 

そもそも、言語はなぜ人間に必要なのでしょうか。

川添

動物としての人間にとって、本当に言語が必要だったのかどうかは分かりません。場合によっては、言語を持たずに進化した可能性もあるとは思います。でも、言語がなかったら、今のような文明的な生活はできていないのは間違いないでしょう。

本来は、自分が経験したことだけを自分のなかにしまって一生を終える動物だったのが、言語が生まれたおかげで、他人の経験や先人の知恵を受け継いだり、まだ起こっていないことを予想したりすることができるようになりました。それをみんなで共有し、役割分担をして知識と技術を蓄積してきた結果、今があるわけですよね。今のような世の中になるためには、言語が不可欠だったと思います。

 

人間の言語は複雑で、架空の話や論理の組み立てができますね。

川添

動物の言語と人間の言語の大きな違いは、まさにそこにあります。人間は、その場にあるものやその場で思ったことについて語るだけではなく、過去や未来、架空の話もできますよね。その場にないもののことを話せるというのはとても重要です。普通に生きていたら自分の半径数メートルぐらいのことしか体験できないわけですが、今では地球の裏側にいる人の体験も知ることができるようになっています。それが言語のすごいところ。

曖昧さもあるから誤解を完全には防げないけれど、実は「言葉が通じる」ってすごいことで、奇跡的なことなんだと思います。

 
川添さんの著書、『世にもあいまいなことばの秘密』(筑摩書房)。
※1:
自然言語をコンピューターが扱えるよう変換する処理。
※2:
米国IBMが開発したAIシステム。

[取材・文]樋口 かおる [撮影]武藤 奈緒美