【後編】名越 康文×土肥 美帆
自由な猫へのあこがれは、「ひとりぼっちでもいい」ではない
孤独、さびしさとの向き合い方
2024.05.16
呼んでも返事をしないし、空気も読まない。
いつもダラダラしているけれど、いざとなれば俊敏に動ける。
かわいくて自由、のびのびとしたところが魅力の猫。日々気をつかうわずらわしさに疲れている人なら特に、うらやましいと感じるはず。私たちは誰かといると余計にさびしくなったり疲れたりして、「猫のように1人でもかっこよく生きられたら…」などと妄想します。でも、やっぱり孤独やひとりぼっちはこわい。自分勝手に過ごしている猫は、1人のときも飼い主や他の猫といるときも、なぜしあわせそうに見えるのでしょう。
前編に続き、精神科医の名越康文先生と、猫写真家の土肥美帆さんに真面目に伺います。私たちはどうすれば猫になって、しなやかに生きることができるのでしょうか。
( POINT! )
- 「ひとりぼっちでもいい」ではない
- 「1人で過ごす」も上手な猫
- 猫は自然
- なくすと出会える
- 人は元々さびしい
- 対等だから付き合える
- 猫瞑想で境界をなくす
名越 康文
1960年、奈良県生まれ。精神科医。相愛大学、高野山大学、龍谷大学客員教授。専門は思春期精神医学、精神療法。近畿大学医学部卒業後、大阪精神医療センターにて、精神科救急病棟の設立、責任者を経て、1999年に同病院を退職。引き続き臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析など様々な分野で活躍中。「THE BAEDICBAND」として音楽活動にも精力的に活動中。『とげとげしい言葉の正体はさびしさ』(精神科医N著/夜間飛行)など著書多数。チャンネル登録16.4万人の「名越康文シークレットトークYouTube分室」も好評。
土肥 美帆
猫写真家。北海道生まれ。 2014年より北海道・小樽で生きる猫たちの姿を撮り続けている。 2016年JPS 展文部科学大臣賞。 2015、16年 岩合光昭ネコ写真コンテストグランプリ。著書に『北に生きる猫』、『みんなケンジを好きになる』『みんなケンジでご機嫌だべや』(すべて河出書房新社)。北海道のボス猫・ケンジの日常を発信するInstagram「big_face_cat_kenji」のフォロワーは8.9万人。
猫も人も「ひとりぼっちでもいい」ではない
「群れたくない」という人にとって、猫は憧れの存在です。名越先生の著書に『「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』がありますよね。人は1人でいてもいい?
名越
みんなの輪の中に入っていくためには「ひとりぼっちをちゃんと過ごせる力」が必要ということで、「ひとりぼっちでもいい」ではないんです。「ひとりぼっち」を過ごせる力が出てきてはじめて人と共有する時間も持てるんです。
1人でも耐えられるっていうものを持たずにさびしさだけを解消しようとすると、しんどくなると。
名越
そう思います。でも「1人に耐える」必要はなくて、折り紙が好きなら2時間でも3時間でも1人で折り紙練習したいってなりますよね。まともな仕事ってたいがい1人でしかできないんです。土肥さんもそうでしょ。写真を撮って文章にしたり、何百何千のなかから「この1枚」を選ぶのも最終的には1人ですよね。
土肥
そうですね。みんなで協力することもたくさんあるけど、1人で猫待ちしてる時間も多いし大切な時間です。そして写真を撮るときは、できたらひとりぼっちで撮りたい。
写真集ではケンジのご機嫌の秘密を集めたんですけど、「自由気ままに過ごす時間があるからみんなとも楽しく過ごせるのかな」と思って、「ひとりで」という章もつくりました
共同作業や協調性が大事だと聞くことが多いから、「1人で勝手に過ごす」大切さを忘れがちかもしれません。
名越
ちゃんと1人になれる時間がないと、ストレスになると思いますよ。「1人の時間はさびしい」という人で、2人でいると相手に求めすぎてしまう人もいます。
人が「自由な猫になりたい」と思うのは。
名越
1人が平気なところに憧れるんやろね。
孤独はこわいから、自然と一体化した猫に憧れる
土肥
猫の写真を撮るきっかけにもなっているんですけど、がんになったとき一番感じたのが、とてつもない孤独だったんです。そのときトラックのなかで冬の寒さに耐えてる猫を見て、「この子は孤独、死を近くに感じながらも上を向いて歩いてる」って。孤独の正体とかそういうものを猫が知ってるんじゃないかなって思ったんです。
名越
すごい。答えは見つかった?
土肥
ケンジもそういうとこがあるんだけど、猫には私たちが忘れている野生みがあるんです。私もそんなふうに、死ぬときは死ぬし、自分は自然そのものだと実感したいと思っているんですけど、まだ全然できてないですね。
名越
それは100%正解ですよ。実感したいということ自体がエゴやからね。実感したいという欲望があるから遠のく。僕も同じ。「自然と一体になりたいな」ってずっと思ってるけど、それ自体が自然を遠のかせてる。猫は自然と一体になりたいとか思ってなくて、はじめから一体。
土肥
どうしたらいいんですか。
名越
土肥さんは写真撮ることが大好きなんやから、ケンジの写真を気が済むまで撮り続けて、ひたすら編集して本にしたり個展とか開いたりしたらいいんですよ。ケンジだって寿命はあるのだろうから、思い残すことのないように。
土肥さんは当時生きるか死ぬかみたいな感じやったから、ケンジのあのお腹を見た瞬間に「ここや」って思えたんやないですか?よっぽど疲れてたんやろうけど、疲れることも自分の才能を開花させる道なんです。
いっぺんなくさないと神に出会えない。大変な思いをしないと神に出会えないと聞くと「ええ、そんな」ってなると思うけど、現代人にとっては真実に近いかもしれません。現代人はあまりにもたくさんのものを所有して、その関係性のなかに絡め取られてるから。
土肥
そうですね。いろんなことを諦めた先でケンジに出会えて、人生が回転しはじめたような感じがしています。
名越
命がそこで救われたんやったら、いつまでも創作意欲が湧くでしょう。僕の音楽と一緒。僕も音楽に救われたと思うから、どんな状況になっても、今のところ音楽をつくる欲求が途絶えたことがないんですよ。自分が救われたんだからね。
人は元々さびしい。空気を読まない猫なら付き合える
なぜ人は孤独を感じ、さびしくなってしまうんでしょう。さびしさはみんな元々持っているもの?
名越
僕個人の考えですがへその緒から切られて以来、存在としては切り離されたんだから、さびしさは元からあるんです。でもそのさびしさは人生の常だってみんなわかっているし、当たり前のもの。だからみんなで一緒に夕日を眺めてたら一体感を感じるし、そのなかには「今日も1日ありがとう」っていう祈りがあります。だからこそみんな生きてきたわけでしょ。
名越先生は以前「とげとげしい言葉の正体はさびしさ」とTwitter(現在はX)でつぶやいていました。さびしさが強いと、攻撃的になってしまいますか?
名越
だって癒されてないから、誰か癒してくれってなるわけ。でも他人を見たらみんな自分よりお金持ちに見えたり、自分より幸せな生活してるように見えちゃう。その相手もその人なりの地獄を持ってるんやけど。
土肥
猫はマイペースで空気も読まないけど、嫉妬深いとかこだわりが強い子もいますね。警戒心が強くてすぐケンカになる子も。ケンジは小さいことを気にしない精神で、だからこそ他の猫にも人にも好かれる気がします。うらやましい。
猫にも社会があったり案外規則正しく生活していたりしますが、「自由で身勝手」に見えるところは魅力的です。
名越
猫は自分がご飯食べたいときだけ甘えてきてあとは知らんぷりだったりする。そのくせ、夜中に急に布団に入ってきてペロペロ顔をなめてくれたりする。「お前今何で僕のこと好きになったん?お腹いっぱいやのになんで僕のこと愛してくれるの?」って思ったら、無償の愛を感じてじわ〜っと涙がにじんでくるでしょ。
土肥
にじみます。自分勝手に来てくれるところがうれしい。
名越
取引ではなくて、対等。僕は対等でなかったら、長く付き合うことはできません。だから猫みたいに相手がちょっとつけ上がってると、「つけ上がりやがって」とか思うけども、結果的には楽なんです。取引を感じると、だんだん一緒にいることがしんどくなるんやね。
猫瞑想も?猫になるには
猫は勝手だけど、人のように境界がはっきりしていないような。
名越
穏やかな猫は自我をあんまり持っていなさそうにみえるね。でも、人間も生まれたときは自分と他人の境界がない。海で風に吹かれることでその感覚を取り戻せるという人もいるし、ときどき境界をなくすようなことはしたほうがいいんです。そうでないと人は孤独でしんどくなってしまう。瞑想できる人はそれでいいんやけど。
土肥
猫瞑想はどうでしょう。猫を抱きしめていると自分と猫の境界が溶けていく感じがして、自分にはとても必要な感覚です。
名越
光に包まれるような感じですよね。それも1つの瞑想だし、猫の顔を見てるだけで瞑想の効果を得られるという先生もいます。
猫から学べるものが多いですね。生まれ変わったら、猫になりたいですか?
名越
僕はできたらもう生まれ変わりたくない。いろんな苦労をしたのにまた50年とか100年とか。でも僕は行いが悪いから、また生まれ変わって修行せなあかんちゃうかな。でももし生まれ変わってくるんやったら、今度はミュージシャンになって、あと若いうちに1カ月以上は山ごもり修行をしたい。
土肥
私も生まれ変わりたくはないけど、猫ならいいかも。猫になりたいです。
[取材・文]樋口 かおる [撮影]工藤 真衣子