タンザニア人は時計の時間で生きていない

遅刻をすると「信用を失ってしまった」と感じて苦しくなります。タンザニアの人たちにもそういう苦しさはありますか?

小川

それほどないと思います。遅刻を怒られたら「なんでそんなに怒るんだ!」と逆にブチキレるかもしれません。そもそも、時計を持ってない人も多いんですね。ファッションで時計をつけている人はいるし、携帯電話が普及したことで時刻を見るようになってはいるものの、時計の時間で生きていません。10分、20分くらいの遅刻であれば誤差ですね。

 

「時計の時間で生きていない」とは、どういうことでしょう。

小川

前提として、日本での生活で私たちは、労働を売っているのではなく時間を売っているという感覚を持っています。でも「労働を時間単位で売る」という考え方自体、ものすごく近代的な産物なんです。

たとえば、昔の農民や職人の暮らしでは、優れたものができたので値段を高くする、がんばってつくったけど気に入らなかったら壊してしまうといったことがありましたよね。現代の工場労働者やサラリーマンのように労働を時間単位では売っていなくて。

その頃は私たちも時計のような時間では暮らしていなかっただろうと思います。私たちは今時間に縛られて、時間の奴隷として生きているけど、タンザニアの人たちはそんな生き方をしていない。

 

言われてみると、いつも時間に追われている気がします。

小川

YouTubeやTwitterをながめているとすぐに「はっもうこんな時間」となりますけど、退屈な講義を聞いていたり緊張する相手と話したりしていると、遅々として時間はすすみませんよね。

体調によっても変わるし、人間の時間感覚はバラバラで、時間は伸び縮みします。そういった身体感覚や個々の事情みたいなものが剥奪されて、みんな同じ時間を生きていて同じようにやれるはずだという考えが共有されたがゆえの、苦しさが近代にはあるんだと思います。

タンザニアの人たちは自分の身体が感じる時間感覚に従って生きているので、人それぞれ時間も変わるわけです。誰かが遅くなったとしても「私たち、生きてる時間感覚がちがうよね」となるし、「ちょっと今日は体調が悪かったんだ」という理由で休んだとしても、怒られませんよね。

 

機械のように働く世界は生きづらい

それぞれの時間感覚がちがうことは人間にとって自然かもしれませんが、管理はしにくいですね。

小川

そうですね。「あの人はちょっと手が小さい」とか「恋人にふられたばかりだから」とか、全部の事情を考慮して給料の額を決めるのは無理だと私たちは思っているわけです。でも、タンザニアの人たちはその個々の事情の8割くらいは考慮すべきだと考えているんですね。

だから、タンザニアで路上販売をしているような商人たちは、仕事が見つからなかったから仕方なくその仕事をしているわけではないんです。その日暮らしだったとしても一人ひとりは起業家で、自分のビジネスを行っています。雇用されたいかどうかを聞くと、ほとんどの人が「絶対に嫌だ」と答えるんですよ。それは、たとえ高い時給を提示されたとしてもあまり変わりません。

 

均一な労働力として管理されたくないということ?

小川

彼らは「お母さんが病気になったり自分が落ち込んでいたりして必要性が生まれたら収入が上がってほしい。その代わり、仲間が不幸なときには自分の取り分が減ってもかまわない」と言うんですね。

自分や仲間の事情に合わせて収入が変わることがなく、どんな人も機械のように働く世界は彼らにとってとても生きづらいんです。だから時間単位で労働することも好まないし、私たちとは全然ちがう時間の感覚を持ってるんだと思います。

 

優先するのは「家族との人生を楽しむこと」

小川さんの著書『チョンキンマンションのボスは知っている』に登場するボスのカラマは、数時間の遅刻をしても全然悪びれないですよね。気にしないといったレベルではなく、むしろ戦略的に捉えているというか。

小川

取引の約束の時間に遅れるんだけれど、呼ばれた時間に毎回きちんと参上するようでは「俺たちの事情なんか1ミリも考えず、機械のように扱われてなめられる」と言うんですよね。だからそんな人たちとの関係性はたまに困らせとくぐらいでちょうどいいみたいな。駆け引きですね。

 

もっと扱いやすい相手に乗り換えられてしまうリスクがあっても、そのスタイルは変わらないのでしょうか?

小川

それでも変えないと思います。そもそも、優先しているものが私たちとちがうんですよ。カラマは「日本人は真面目に働くことを最優先にするけど、真面目に働くことはそんなに大事なのか?」と言っています。お金を稼いで家族と楽しい人生を送ることが大事なのであって、それよりも真面目に働くことが優先されることは、彼らにとって理解不能なんですよね。

 

真面目にがんばっていると思われるためならば、多少自分の人生を犠牲にしてもかまわないと考える人も日本には多いですよね。だから過労死という言葉もあって。まったくちがいますね。

小川

タンザニアの商人たちも、ちゃんと儲かるんだったらガツガツ働くんですよ。でも、がんばって働いたってせんないときは働かないというだけで。ある意味すごく合理的な人たちなんですよね。

 
小川さやかさんの著書『チョンキンマンションのボスは知っているーアングラ経済の人類学』(春秋社)、共著『負債と信用の人類学ー人間経済の現在』(以文社)、『所有とは何か』(中公選書)

インフォーマル経済はマイノリティではない?

会社の仕事が辛くても、辞めない日本人が多いのはなぜでしょう。

小川

日本の人たちが会社を辞められない理由はいろいろあると思いますが、理由の一つに離脱するオプションがないことがある気がします。

 

離脱オプション?

小川

アルバート・ハーシュマンという経済学者が書いた『離脱・発言・忠誠』という本があります。他に収入源がないと、会社を辞めるという離脱(Exit)を選択しにくくなりますよね。そしてタンザニアの商人は、基本的に生計多様化を実践していて、複数の仕事を持っています。複数の仕事とそれにまつわる複数の人間関係があるので、あるところで自分が評価されなくなったら「もういいや、次」ってなるわけです。でも、日本では生計手段が1本しかない人が多いし、人間関係も多様化しない。「ここを弾かれたらどこに行ったらいいかわからない」みたいなことになりがちです。

 

タンザニアの商人たちからしたら、日本人が収入源を1本化してリスクヘッジしないことを不思議に思うかもしれないですね。

小川

ただ、リスクヘッジをいっぱいするのは環境が不確実だからというのがあります。ある時期まで日本の経済は上向きで安定していたので、めったに会社は潰れないし、職を失うこともない状態が維持できて、リスクヘッジをする必要もなかった。ただなかなか景気が回復せず、日本社会全体が苦しい感じになっていくと「あれ、大丈夫かな?」という感じになっていきますよね。

 

個々の事情を尊重した時間の感覚や働き方は、効率は悪いのかもしれないけど魅力的だと感じます。

小川

でもね、タンザニアの商人が行っているようなインフォーマル経済は古くて衰退していくようなものでもないんです。インフォーマル経済圏を国家だとすると、アメリカに次ぐ第二の経済規模を持つとも言われていて。東南アジアやアフリカ、中南米そして東欧諸国、みんな主力はインフォーマル経済なんですね。だから、タンザニアの人たちのような考え方で生きている人たちは、マイノリティではないんですよ。

 

「外国では電車の遅れは普通」と聞くことがあります。時計の時間通りに生きることは、私たちが思うほど当たり前の感覚ではないのかもしれません。人も時間も均一ではなく、効率的でないように感じられるインフォーマル経済がマイノリティでないとは、どういうことでしょうか。後編では、より詳しく伺っていきます。お楽しみに。

[取材・文]樋口 かおる [撮影]木村 充宏