遅く考える「賢さ」は、思考のエラーを防ぐ

「賢い人は思考が速い」というイメージを持つ人が多いです。「遅く考える」ことは、なぜ必要なのでしょう。

植原

どんどんアイデアが浮かんできたり、主張を展開したりする人は「賢い」人と考えられがちです。ただ、賢い人はスピーディな思考力を持ちながらすぐに答えに飛びつかず、あえて遅く考えることで「思考のエラー」に注意しているんです。

 

思考のエラー?

植原

思い込みで勘違いをしたり、根拠のない情報を信じたりすることですね。ゆっくり「自分の思いつきは本当に正しいのか?」「他にも方法があるのでは?」など考えることで、思考のエラーを防ぎやすくなります。

 

たしかに、急いで考えて間違えることはよくあります。では、賢いとはどういう状態なのでしょう。「あの人は東大に合格したから賢い」などと聞くことがありますが。

植原

東大に進学する頭のよさがあったとして、その能力をどんな場面でどのように使うのかまでわかっていれば、賢いということになりますね。受験勉強に適した頭のよさは、むしろ弱点になることもあります。その弱点を理解して注意できると、賢さにつながります。

一般的に賢さとされるものは、モータースポーツでたとえるならスピードの速い車に乗っていることです。でも、遅く考えられる賢さには「いつスピードを出すべきなのか」「自分はコーナーリングが苦手である」といったことを意識して注意できるスキルが必要です。

 

「考える」スキルは、誰でも鍛えられる

スキルが必要なんですね。「考える」行為は意識せず毎日やっているので、技術とは意識していませんでした。

植原

考えるためのきちんとしたスキルを身につけていないと、同じところをぐるぐる回っているだけで、うまく考えられていないといったことがおこりがちです。「一晩中考えていたけど特に結論は出なかった」ようなことですね。

思考力は誰でも鍛えることができるので、遅く考えるためのスキルを「遅考術(ちこうじゅつ」と呼び、書籍『遅考術 じっくりトコトン考え抜くための「10のレッスン」』ではトレーニング方法も紹介しています。

 

方法があるなら、「自分は頭がよくない」とあきらめている人でも鍛えられますね。ところで、「賢さ」は哲学のテーマでもあるのでしょうか。

植原

真理や正しい知識に至りたいというものは、哲学の目標の1つです。だから真理とは何か、知識とは何かを問うこともあるんですけれども、問うときの思考の技術、思考の方法自体間違っていないのかもまた問います。考えているときの自分はきちんと考えられているのかを問うんですね。

 

昔から? それとも現代ではということですか?

植原

アリストテレスが論理学をつくっていくのは、「自分はきちんと考えられていないのではないか。考えられていないとしたら、どれだけ真理や善について考えていても、正しい道筋を歩んでいないのではないか」という疑いがあったからです。ですから、考えるための道具立てをつくろうという動きは古代からずっとあったということになりますね。

現代より少し前から、人間固有の頭の弱点も徐々に明らかになってきています。そして現代では心理学、認知科学など人間の心の働きの解明を目指した学問が発展して、どんな場面で人間は間違いやすいのかもわかってきたわけです。

きちんと考えられていないのではないかという問いを考えるとき、道具立てだけではなく弱点の方も考慮する必要があります。その弱点は心理学、認知科学が明らかにしてくれているので、その知見を取り込んだうえで考えていくというのが現代の流れになります。

 
植原さんの著書『遅考術 じっくりトコトン考え抜くための「10のレッスン」』(手前、ダイヤモンド社)、『思考力改善ドリル: 批判的思考から科学的思考へ』(奥右、勁草書房)、『自然主義入門: 知識・道徳・人間本性をめぐる現代哲学ツアー』(奥左、勁草書房)

人間の2つの思考プロセス。オートモードだけでは間違いやすい?

ショート動画やまとめコンテンツが流行っていて、「速く結論だけ知りたい」人が増えている気がします。それで賢さに近づくことはできるでしょうか。

植原

その場合、得られた知識を自分はどう使うのかという視点がまだ足りてないことが考えられますね。知識は増えるかもしれないかもしれない。ただ、それを使う知恵みたいなものまで到達しているかはわからない。その意味では、十分に賢くなったとはいえません。

 

知識が増えるメリットはありますよね?

植原

コンテンツ次第ではありますが、情報や知識を得るきっかけにはなります。ただ、映画でも音楽でも、つくり手が想定した時間をかけて味わうことで「これは美しい」といった直観的な価値判断力を養うことに結びつきます。短くまとめたコンテンツでも養ってくれるように思えますが、実際にはむずかしいでしょう。

 

直観……。それは遅考とは違って速いものですよね。直観と遅考はどんな関係にあるのでしょう。

植原

実は、人間の頭には2つのシステムがあります。速く直観的な思考プロセスを生む「システム1」と遅くて熟慮的な思考プロセスを担う「システム2」で、これを説明する枠組みを「二重プロセス理論」といいます。遅考はシステム2を意識的に動かしていく思考法になりますね。

この2つのシステムは、「オートモード」「マニュアルモード」と捉えることもできます。意識せずに動いてくれるオートモードだけに頼っていると思考のエラーに陥ることがあるので、マニュアルモードに働いてもらうことも必要です。

 
『遅考術 じっくりトコトン考え抜くための「10のレッスン」』(ダイヤモンド社)から引用。編集部で作図。

速さを求められる時代に、「遅考」を身につける意味

頭を使って疲れることがありますが、マニュアルモードだからでしょうか。

植原

そうですね。初めて使う道を通って目的地に行くだけでもけっこう疲れます。それはマニュアルモードで注意をしないといけないからです。注意は使いすぎると枯渇するので、疲労にも結びつきます。

 

それなら、ずっとマニュアルモードだと大変ですね。

植原

歩くときに歩き方を意識することは通常ありませんよね。たいていの日常生活では、オートモードに任せておくことができます。オートモードだけで対応できない場面ではマニュアルモードが必要ですが、慣れないとうまく動かせません。そこで、訓練を積むことが大切なんです。

 

訓練を積まなくても、自然と上手な思考ができるようになる人もいますよね。「よく考えよう」と気をつけるだけでなく、思考法について知り、トレーニングで身につけることに意味があるのでしょうか。

植原

自分が直面している問題に名前がついていることを知るだけで、現象を捉えやすくなりますし、思考の型は道具と同じで、身につけておくとスムーズな思考に役立ちます。思考の弱点の部分と、それに対して身につけることができるスキル・ツールは、かなり汎用性が高いものです。特に弱点の部分は、人類であればおおよそ共通しているといえます。

私たちがハサミを使うとき、いちいち新たにハサミをつくり出すことはしませんよね。思考のスキル・ツールも、すでにあるものを使うとよいということです。

 

頭の回転を速くすることで賢くなれるという思い違いから、人間の思考プロセスまで教えていただいた前編はここまで。それでは、一体どうしたら遅考を身につけることができるのでしょうか。後編では、より具体的に踏み込んでいきましょう。

[取材・文]樋口 かおる [撮影]木村 充宏