直観的なオートモードは、「早とちり」をしがち

前編では、人間の思考には、システム1「直観(オートモード)」とシステム2「熟慮(マニュアルモード)」があると伺いました。私たちはどんなときにオートとマニュアルを使いわけているのでしょう?

植原

「2×3は」と聞かれたらどうですか?

 

パッと「6」が浮かびます。

植原

直観的に答えが出ているので、オートを使っていることになります。九九のように覚えてしまっているものはオートモードで対応できますが、もう少し複雑な計算であったり、九九をはじめて覚えるような段階では、マニュアルを使って考えているはずです。

 

マニュアルで考えていたことが、慣れるとオートでできるように?

植原

そうですね。オートでできるようになったものでも変な癖がついてしまっている可能性はありますので、時折マニュアル的にチェックすることも必要になりますね。

 

スポーツでも「自己流で練習していて変なフォームが身についてしまった」ということがありますね。思考の場合はどんな問題があるのでしょうか。

植原

早とちりを起こしやすいことがあります。何かについて聞いたとき、すでに知っていることがパッと浮かびますよね。九九については心配ないですが、連想して思いついたことをすぐに結論としてしまうと、間違った判断をしてしまうかもしれません。

 

一旦否定し、自分を疑ってみる練習を

『遅考術 じっくりトコトン考え抜くための「10のレッスン」』(ダイヤモンド社)から引用。編集部で作図。答えは文末。

植原

「ヤマトタケルノミコト(日本武尊)はヤマタノオロチ(八岐大蛇)の首を何本切り落としただろうか?」という問題があります。すぐにどんなことを思いつきますか?

 

「ヤマタノオロチといえば、首が八つ?」と考えると同時に、どこかで見た大蛇の絵が思い浮かびます。そこからまず「八本?」と考えて……。

植原

この問題には、ヤマタノオロチ以外に注意する部分があります。でも、ヤマタノオロチについての知識があるとまずヤマタノオロチの情報が浮かんでしまうので、そこに気づきにくくなってしまうんですね。

 

なるほど。知識があることが逆に思いこみに。そのような早とちりを防ぐための思考のポイントはありますか?

植原

1つに、思いついたことにすぐに飛びつくのをがまんして、一旦否定してみるという方法があります。「こう思ったけれど、そうではないのではないか」と自分を疑い、あえてゆっくり考えることですね。

そのような遅考の技術は、意外と簡単ではありません。ですが、人間がどのような場面で間違いやすいかを知り、問題を解くといったトレーニングを積むことで、身につけることができます。それは頭のよしあしに関係なく、誰でも進められることです。

 

言葉は重要な思考ツール。言語化で客観的視点を持つ

植原

2つめに、自分の思考がどのように進んでいるか、言語化するという手もあります。考えることと同じように、言語も意識することなく日常的に使っているものですが、言語というもの自体、重要な思考ツールです。言語のおかげで思考についてメタ的な視点を持つことができますし、言語化することで「既に考えたことだ」という自覚が持てます。

 

どういうことでしょう。

植原

何度も同じところを通ってしまっているということを明確にできます。堂々巡りになっていることに気づけるということですね。

 

そういえば、日記を書くことで自分の状態を客観的に見られることがあります。うまくいっていないと思っていた問題が、意外とよくなっていることに気づくとか。

植原

日記を書くことも、明確に言語化する手段になりますね。私たちの記憶力はそこまで強靭ではないので、よく考えたつもりでも考えたこと自体忘れてしまうことがあります。でも日記という形で外部に残っていると、確認することができます。

オートで考えていると、どうしてもある種偏った見方や、ある面からの見方しかできないことがあります。一方、言語化がなされているものは一旦自分から外に出ます。外に出ると眺められるようになるので、客観的な視点が持てることになるんですね。

 

言語化には言葉を選んだり文章構造を組み立てたりする工程がありますが、その時点でマニュアル的な思考をしていることになりますか?

植原

そう言っていいと思います。言語化の際は曖昧な言葉を使わず、第三者にも誤解なく伝わる表現を意識してください。音声ではなく文字で残しておくと、あとで確認もしやすい。特に論理的な思考などをする場合、紙の上で2つの文章の関係を見比べると検討しやすくなります。

それを頭の中だけで行おうとすると大変な負担になり、集中力が足りなくなってしまいます。紙の上に文字を置いておくと負担を外部に委託し、論理的な関係みたいなものだけに注目することができる。そういう恩恵がありますね。

 
植原さんの著書『遅考術 じっくりトコトン考え抜くための「10のレッスン」』(上、ダイヤモンド社)、『思考力改善ドリル: 批判的思考から科学的思考へ』(左、勁草書房)、『自然主義入門: 知識・道徳・人間本性をめぐる現代哲学ツアー』(右、勁草書房)

遅考を身につけ、騙されないために

マニュアルで考えるということは、それだけ疲れることなんですね。

植原

オートは人にやさしく、マニュアルは人にきびしいモードです。なのでマニュアルを使いこなすには練習も必要だし、気が散らないよう机を片付けておくなど環境を自分なりに構造化することも大事です。オートを発動させる要素を取り除いておくということですね。

私たちの思考というものは実は頭の外にも広がっていて、どんな道具を使うのかにも大きく依存しているんです。道具を使うときに余計なものがあると邪魔になりますので、環境を整えることも含めて思考をすることになります。それはマニュアルにがんばってもらうことになりますが、整理自体を習慣化していくとオートでもできるようになりますね。

 

なるほど。最後に、植原さんがなぜ遅考について考えるようになったのか教えていただけますか?

植原

人間の思考や知識を生み出すメカニズムみたいなものを研究するなかで、「正しく思考する」「考えが弱点にはまらないようにする」ことをトレーニングする機会が不足していることに気づきました。

その前の段階では、1995年の地下鉄サリン事件があります。当時高校生でしたが大変インパクトが大きく、高学歴で理系の知識を持った人も関わっていたと聞きました。そこから「頭の性能と賢さみたいなものをきちんと捉えられていない限り、いつだまされてもおかしくない」といった考えにつながっていったことが、背景になっています。

人は間違いやすく、陰謀論を信じてしまう思考の働きを持っています。また、現代では情報が大量に届くようになり、そのまま受け入れるのは危険な状態。現代社会における情報環境のあり方も、遅考の必要性をもたらしているのだと思います。

 
※1:
答え:0本(ヤマタノオロチの首を切り落としたのはヤマトタケルノミコトではない)

[取材・文]樋口 かおる [撮影]木村 充宏