【後編】小林 武彦
社会は、効率的で没個性な「シロアリ社会」化している!?
生物学から見た、「多様性」の現在地
2023.02.23
これからは、多様性の時代だ——そんな言葉を聞くことが多くなりました。でも、本当に社会は多様性を尊重する方向に向かっているのでしょうか? こと集団主義的な社会を築いてきた日本においては、時間を要することは当然です。しかし、然るべき方向に向かっているならまだしも、私たちは本当に「多様性が尊重される社会」に向けて進めているのでしょうか……。
生物学者である小林武彦さんは、そんな日本の現状に警鐘を鳴らします。生物の多様性と「絶滅」、そして私たちヒトの個性と「言葉」の関係を語っていただいた前編に引き続き、後編では生物学の見地から見た、「多様性のある社会」の現在地についてお話をうかがいます。
「人間社会は、シロアリの社会に近づいているように見える」と小林さん。この言葉の真意はどこにあるのでしょうか。効率重視の昨今の風潮に一石を投じる、小林さんの言葉に耳を傾けてみましょう。
( POINT! )
- 人間の平均寿命がこのまま伸びても、遺伝子の多様性は失われない
- 中国の一人っ子政策が招いた、「男あまり社会」
- 人口減少時代が招く、多様性の危機
- 「異質なもの」を避けようとするのは、人間の本能
- 教育と経験によって、本能をコントロールする
- 社会を維持するために、「個性」が必要
- 人間は、効率的で没個性な「シロアリ社会」をつくろうとしている?
- 有性生殖だからといって、遺伝子の多様性が保たれるわけではない
- 個性の重要性と、その理由を伝える教育が求められている
小林 武彦
1963年生まれ。神奈川県出身。
九州大学大学院修了(理学博士)、基礎生物学研究所、米国ロシュ分子生物学研究所、米国国立衛生研究所、国立遺伝学研究所を経て、東京大学定量生命科学研究所教授(生命動態研究センター ゲノム再生研究分野)。前日本遺伝学会会長。前生物科学学会連合代表。
生命の連続性を支えるゲノムの再生(若返り)機構を解き明かすべく日夜研究に励む。海と演劇をこよなく愛する。著書に『寿命はなぜ決まっているのか 長生き遺伝子のヒミツ』(岩波ジュニア新書,2016)、『DNAの98%は謎 生命の鍵を握る「非コードDNA」とは何か』(講談社ブルーバックス,2017)、『生物はなぜ死ぬのか』(講談社現代新書,2021)など。
人口減少時代における「個性」の行く末
前編で種の絶滅、つまり「死」が生物の進化を加速させ、多様性をもたらしたというお話がありました。何かしらの原因によって複数の生物が絶滅すると、空間的にも食料的にも余裕ができ、生き残った種は新たに「空き」ができた環境に適応するために進化するといったお話でした。一方、ヒトという種に目を向けると、徐々に平均寿命が伸びていますよね。このまま伸びていくとすると、ヒトという種の多様性は失われていくのでしょうか?
小林
前提として、ヒトの寿命には限界があるとされています。最長の予測でも、ヒトは125歳までしか生きられないとされていて、120歳を超えた人は公式には歴史上一人しか確認されていません。実はその記録も少し疑わしい部分があるので、僕は120歳が限界だと思っているのですが、いずれにせよ「ヒトの平均寿命が永遠に伸び続ける」可能性はかなり低いでしょう。
ただ、仮にこのまま寿命が伸び続けたとしても、ヒトの遺伝子的な多様性は失われないと思います。実際、厚生労働省の発表によれば、およそ100年前の日本人の平均寿命は男女ともに40歳代ですが、現在は80歳を超えています。平均年齢が倍になったからといって、ヒトの多様性に影響があったかと言えば、おそらくそんなことはない。
なるほど。では、ヒトの平均寿命がこのまま伸びても、種の多様性に与える影響は少ないと。
小林
そうですね。ですが、今後私たちがどんな社会をつくっていくかによって、多様性が損なわれる可能性はあると思っています。たとえば、日本においては少子高齢化が進んでいますよね。人口動態を見る限り、この傾向がますます強くなっていくのは自明ですし、総人口のダウントレンドにも歯止めがかからない状況にあります。
全体のボリュームが減ったとしても、遺伝子的な多様性に影響はありません。数が減ったからといって、似たような個体ばかりが生まれるようになる、ということはないわけですね。ですが、中国が一人っ子政策を進めていた時期に何が起こったのかを考えると、社会が人の属性や性質を選択するようになり、その結果多様性が失われることはあると思うんです。
どういうことでしょう?
小林
現在の中国は極度の「男あまり社会」です。なぜかと言えば、一人っ子政策の結果、「跡継ぎ」となる男子を生み、育てることを選ぶ夫婦ばかりになってしまったから。
その理由は、中国が家父長制の家族を基盤とする社会を構築してきたがゆえに、「家の存続」という観点では男子を生み、育てることの方が“メリットが大きい”と感じられるようになってしまったから。その上、「一人しか育てられない」ので、男子を選択する夫婦が増え、男女比が大きく崩れることになったわけです。
まとめると、出生数が減ったとしても遺伝子的な多様性は失われないのだけれど、社会のあり方によっては、社会を構成する私たちの側が多様性を乏しくする選択をしてしまう可能性がある。すべての個性が尊重される社会を構築することができれば、当然、特定の属性や性質を優先する必要はありませんよね。
でも、たとえば、中国の例のように「男性」という特定の特徴が有利に働くような社会なのであれば、その特徴を持った人が優先されるようになり、多様性が失われる危険があるということです。人口減少時代を迎えた日本における、大きな課題の一つだと思いますよ。
教育と経験によって、多様性を拒否する本能を乗り越える
ただ、日本においても「多様性を尊重しよう」という言葉が聞かれるようにはなりました。とはいえ、実態としてはまだまだすべての個性が認められる社会にはなっていないように感じていまして。
小林
そうですね。私たちは本能的に、異質なものに対して警戒心を抱きます。その警戒心は、通常は人以外に向けられますよね。たとえば、初めて蛇を見たにもかかわらず、「なんとなく怖い」と感じる人はいるわけです。私たちが「よくわからないもの」に対して警戒心を抱くのは当たり前のことです。
では、「自分とは異なる個性を持った人」を受け入れるためにはどうすればいいか。やはり、「世の中にはいろいろな生き物がいるし、自分とはまったく違う人もいる」ことを学び、さまざまな異質なものと出会うことによって、生物的な本能を乗り越えていかなければならないと思います。
「ヒト」という生物として生まれた私たちが、教育や経験を通して多様性を尊重できるようになること。それが、「人」になっていくということなのだろうと思うんです。もちろん、本能を捨てようということではありませんよ。異質なものに対する警戒心は、さまざまな危険を避けるために必要なものですからね。
「ヒト」ではなく「人」として、多様性を尊重できるようにならなければいけない?
小林
そうですね。その理由の一つは、やはり社会を維持するためです。私たちは社会をつくり、その社会の中で進化してきました。人間が生きていくためには、社会は不可欠な存在です。そして、社会や地球環境がどのように変化していくかわからない以上、社会を維持していくためには多様な個体が必要になります。環境が変化したとき、均質的な集団だとその変化に対応できなくなってしまいますからね。
今後、もし私たちが外部環境の変化を完璧にコントロールできるようになれば、多様性は必要なくなるのかもしれません。でも、少なくともいまは人間がコントロールできることは限定的なので、「いろんな人がいた方がいい」のは間違いないんです。
人間は「シロアリ」を目指している!?
「多様性を尊重しよう」と言うだけではなく、「なぜ尊重しなければならないのか」まで考え、それを伝えていかなければ、本当に多様性に富んだ社会をつくることはできないのかもしれませんね。
小林
その通りだと思います。教育の過程で、多様性の重要性とその理由をしっかりと学ばなければならないでしょう。そうしなければ、社会が崩れていってしまう可能性もあると思っています。
しかし、以前『うにくえ』でお話をうかがった教育学の研究者である中邑賢龍さんは、「現在の教育現場では、子どもたちが既存の『枠』に押し込められてしまっている」とおっしゃっていました。さまざまな個性が尊重される環境でなければ、多様性を尊重できる人は育たないでしょうし、社会からも多様性が失われてしまうような気がします。
小林
私もこのままでは均質的な、極めて多様性の乏しい社会になってしまうのではないかと危惧しています。「多様性のある社会」を目指していると言いつつ、実のところ、全く逆の方向に向かってしまっているのではないかと思うんです。昆虫になろうとしているように見えるんですよね。具体的には、シロアリになろうとしているのではないかと。
シロアリ?! なぜそう思うのでしょうか。
小林
シロアリは集団をつくり、その中で分業しながら生きる「社会性昆虫」の一種です。シロアリの社会には女王と王がおり、その2匹を中心とした階層社会がつくられているように見えるのですが、よく観察してみると実はそうではないんですね。社会の頂点に君臨しているように見える女王アリと王アリも、働きアリに生かされている部分がある。なぜかと言うと、その2匹は腸内細菌に乏しく、働きアリが一度食べて、吐き戻したものしか食べられないんですよ。
つまり、シロアリは分業化が進んだ効率的な社会を、それぞれがそれぞれに与えられた「役割」をこなすことによって成立させているわけです。そして、そこにドラスティックな変化が訪れることはありません。現在の人間社会の状況を見ていると、そういった没個性的で、変化が起こらない、シロアリ的な社会に向かっているような気がするんですよね。
ちなみに、シロアリやミツバチなどの社会性昆虫の集団は、遺伝子的にも均一化されています。基本的には近親の中で交配が行われるので、遺伝子的な多様性は極めて乏しい。だからこそ、効率的に社会が回っている側面もあるわけで、超個性的な個体が現れると、社会が成り立たなくなってしまうんです。
前編で有性生殖(雌雄の配偶子によって新個体が形成される生殖法)が、種の多様性を生み出す仕組みだというお話もありましたが、いくら有性生殖で個体を増やす生き物だからといって、多様性がある社会になるとは限らない。
小林
そういうことです。それに、過度に個性を認めない社会になってしまうと、生殖方法自体が変化していくかもしれません。最近ではゲノム編集を施すことによって、生まれてくる子どもの個性を決定してしまう「デザイナーベイビー」が問題になっていますよね。現段階では倫理的な判断から、世界的にゲノム編集を禁止しようとする向きが強いですが、技術的には実現可能です。極論かもしれませんが、もし今後、仮に人間社会の「シロアリ化」が進んだとしたら、ゲノム編集によって特定の個性を持った人間ばかりが生み出される可能性もあると思っています。
人間は効率や便利さを求めて、さまざまな技術を進化させてきました。もちろん、それによって得られたメリットも大きいでしょう。しかし、いま一度「人間にとっての幸せとは何か」を考え直さなければならないと思うんです。効率だけを求めるなら、昆虫的な社会になるしかない。私はシロアリは好きで、他の昆虫もリスペクトしていますが、人には昆虫とは違う「幸せのかたち」があると思っています。
個性の大事さは「言葉だけ」では伝わらない
そんな現状において、私たちそれぞれが「個性的」に生きるためにはどうしたらいいでしょうか? 「個性を大事にしよう」と言われる一方で、「シロアリ化」が進む状況の中、個性を発揮するのはなかなか大変なことのように思えます。
小林
社会の中で生きていかなければならない以上、他者を傷つけないことが「個性的に生きること」の前提になると思います。同じ社会の中に生きる他者を傷つけるような行動を、「それも個性だから」で済ますわけにはいきませんからね。
また、これは前編でも言及したように、他者を傷つけるもの以外の特徴はすべて「個性」です。そして先ほど言ったように、個性とは社会を維持し、発展させるために必要なもの。これらのことを合わせて考えると、「誰かを傷つけずに生きていること」それ自体が、個性的に生きるということだと思いますし、それがどのような生き方であれ、社会に貢献していると言えると思うんです。
あとは、やはり他者の個性を尊重するマインドを持つことが重要でしょうね。すべての人が「異なること」を理解し、それを許容できる人が増えていかないと、それぞれがそれぞれの個性を大事にしながら生きられる社会はつくれないと思います。繰り返しにはなりますが、そういった社会にしていくためには、教育から見直していかなければなりません。
教育を通して、すべての個性には意味があり、それを尊重することの重要性を伝えていく必要がある。
小林
「出る杭は打たれる」という言葉がありますが、なぜ人が“杭"を打つかと言うと、気に入らないからですよね。でも、そこに“杭”がある意味を理解できれば、打たなくて済むかもしれない。要はさまざまな個性に対する「無理解」が、「出る杭は打たれる」ような事態を引き起こしていると思うんです。だから、まずは「すべての個性に意味がある」ことを理解してもらうための教育をしていく必要がある。
もちろん、教育を受ける子どもたちに「すべての個性には意味があるから、尊重しなければならない」と言うだけでいいとは思いません。どのような人でも、他者から理解され、ハッピーに生きている姿を見せなければ、納得してもらえないでしょうからね。まずは私たちが、すべての個性を尊重する姿勢を子どもたちに見せていかなければならないと思います。
[取材・文]鷲尾 諒太郎 [撮影]須古 恵 [編集]小池 真幸