【前編】稲田 豊史
恋愛リアリティショーは「情報」として観る?
早送り・スキップ視聴の裏に隠された、「個性の呪縛」を考える
2022.07.26
「あのドラマ観た?」「あの映画、最高だったね」……今日も職場で、学校で、あるいはSNSで、そんな会話が繰り広げられています。動画配信のサブスクリプションサービスが普及し、月に数百円〜千数百円ほど払えば何千、何万もの映画やドラマを自由に観られるようになり、私たちが触れるコンテンツの量は飛躍的に増えました。
そんな中、映画やドラマの再生速度を上げて視聴する「早送り視聴」や、10秒ずつ飛ばしながら観る「スキップ視聴」をする人が増えているそう。ライター/編集者の稲田 豊史さんは、そんな状況に対する「違和感」から幅広い年代・属性の方々にコンテンツ視聴に関するインタビューを重ね、『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ──コンテンツ消費の現在形』(光文社)を著しました。
稲田さんは著書の中で、早送り・スキップ視聴の裏には、「個性的であらねばならない」というプレッシャー、すなわち「個性の呪縛」があるのではないかと指摘しています。個性を探求するメディア『うにくえ』としては、とても気になる内容。そこで稲田さんに加え、実際に早送り・スキップ視聴をしているという3人を迎え、早送り・スキップ視聴と個性の関係を探るための座談会を開催しました。見えてきたのは、「情報化」するコンテンツの現状と、SNSやLINEによって生み出された「観なければならない」圧力でした。
( POINT! )
- ドラマは「長いから」早送り・スキップ視聴する
- 「情報化」している映画やドラマ
- 「目的」を達成するために、映像コンテンツを觀ている?
- 気軽に観られるコンテンツが増え、「わからないこと」を避ける人が可視化された
- SNSによる「比較対象」の増加が、個性の発見を難しくした?
- 「常につながっている人」と「観なければならない」コンテンツは比例する?
稲田 豊史
1974年、愛知県生まれ。ライター/編集者。
映画配給会社、出版社を経て2013年に独立。著書に『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)、『オトメゴコロスタディーズ フィクションから学ぶ現代女子事情』(サイゾー)、『「こち亀」社会論 超一級の文化史料を読み解く』(イースト・プレス)、『ぼくたちの離婚』(角川新書)、『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)がある。
高橋 智香
1998年、東京生まれ。
スタートアップ2社でのインターンを経て、2020年にIT企業に新卒入社。流行りものはとりあえず何でも試してみたいミーハー気質。休日は飲みに行くか、溜めていたコンテンツを一気見して溶かしている。
田中 理那
2000年生まれ、都内の大学に通う4年生。
インターンと大学の単位取得に追われながら、とりとめもないことを日々考えています。
ビールと短歌と、アナログなものが大好きです。
吉川 遼
1990年、富山生まれ。
二児のパパ。不動産仲介最大手、スタートアップを経て、単身で不動産会社を起業。経営者である前にかっこいいパパであり続けたいと始めたボディメイクにハマる。世の中の問題の大半は筋トレとサウナが解決すると信じている。
あなたは「早送り視聴」をする? しない?
『映画を早送りで観る人たち』では、早送り視聴や、スキップ視聴をする人が増えている背景に、「個性的であらねばならない」というプレッシャーがあるのではないかと指摘されていました。今日は著者の稲田さん、そして倍速視聴やスキップ視聴をしているというみなさんの視聴スタイルについて話を聞きながら、「個性」について考えてみたいと思っています。
さっそくですが、みなさんが映像コンテンツをどのように観ているのか、お話しいただけますか?
高橋
コンテンツによっては、早送りしたりスキップしたりして観ることがあります。映画を早送り視聴することはないのですが、パッと思いついたもので言えば『バチェラー・ジャパン』シリーズは、「10秒スキップ」のボタンを何度も押しながら観ましたね。『バチェロレッテ・ジャパン』も同じく、登場人物たちが「あのときはこう思っていました」と過去を振り返りながら話すシーンはほとんど飛ばしていました。
あと、その時々に流行している韓国ドラマは、ほぼ1.5倍速にして視聴しています。字幕があるので1.5倍速でもだいたい内容はわかりますし、1話1話が長すぎるので。
稲田
1.5倍速の場合は字幕を読めるので内容を把握できると思うのですが、スキップしてしまうと飛ばしたシーンの情報がゼロになってしまって、内容についていけなくなりませんか?
高橋
話している方の表情から、どんなことを言ったのか、なんとなく推測できるんですよね。それにもし回想シーンで出演者が話したことがわからなかったとしても、問題ないというか。というのも、『バチェラー』『バチェロレッテ』シリーズに関して言えば、仕事仲間や友人がみんな観ていたから、話を合わせるために観ていたという側面があって。
周囲の人と『バチェラー』や『バチェロレッテ』について話すとき、回想シーンがあまり話題になることはないので、本筋の内容さえ理解できていればそれでよかったんですよ。
吉川
僕も『バチェラー・ジャパン』は、倍速どころか3倍速で観ていましたね。あとは、『イカゲーム』も3倍速でした。これらは高橋さんと同じように「流行っていたから観ていた」側面が大きい気がします。
インターネット上には、ドラマや映画の内容が書いてある「ネタバレサイト」がありますよね。内容を簡単に早く把握することが、倍速ないしはスキップ視聴をする理由だとすると、まとめサイトを見るだけでいいのかなと思うのですが、それはちょっと違うのでしょうか。
吉川
個人的に「ネタバレサイト」で済ませてしまうのは気が引けるんですよね。制作者への敬意を欠いているような気がして。
田中
私は映画を観るなら映画館に足を運ぶことが多いので、映画に関して言えば「早送り視聴をする」という発想に至ったことがありません。Netflixなどで映画を観るにしても、再生速度を上げたり飛ばしたりしたことはないですね。
ただ、YouTubeやドラマを観るとき、スキップすることはあります。高橋さんと同じように、恋愛リアリティショーをスキップして観ていたことを思い出しました。
稲田
田中さんは大学生ですよね? 最近だと、録画された講義を自宅などで観ることもあるかなと思うのですが、そういったものも早送りしない?
田中
あ、しますね。なんなら3倍速にした上でスキップしています(笑)。
それはかなり効率重視ですね(笑)。
映画やドラマを観るのは「情報収集」のため?
みなさん、コンテンツに応じて通常速度での視聴と早送り・スキップ視聴を使い分けているんですね。
高橋
長さの違いが大きいかなと思います。映画なら2時間だけど、恋愛リアリティショーなどはすべてのエピソードを通常の速度で観ようとすると、映画の何倍もかかってしまうので。
吉川
自分が「観たい」と思っているか否かにもよる気がしますね。僕はヤクザものやギャンブルものなどが好きなのですが、それらの映画を早送りしたり、スキップすることはないんですよ。
そういったジャンルが好きなのは、現実逃避というか、日常を忘れてスッキリできるから。倍速にして観たら、物語の世界に没入できないかなと思うので、通常の速度で楽しんでいます。
田中
私の場合は、物語の内容もさることながら、ただ単純に美しい映像や表現を楽しむために映画を観ることが多いですね。
稲田
だからこそ、田中さんは映画を早送りしたり、スキップしたりはしないわけですよね。たとえば、美術館に行ったとき、走り回りながら作品を鑑賞する人はいないと思います。なぜかと言えば、美術作品を鑑賞する目的はその美しさに浸ったり、その作品に込められた意味を相応の時間をかけて考えたりすることだから。
つまり、映画を早送りしながら観るとき、多くの場合は映画を「鑑賞」していないのではないかと思うんです。押さえておくべき情報として、「消費」しているのではないかと。
高橋
「目的」という意味でいうと、社会人になってから「あの作品を観よう」と思って映画館に行くことが少なくなった気がしていて。「作品を観ること」自体が目的ではない場合が多いというか。まず「今日は映画を観よう」と決めてから、作品を選ぶようになったんですよね。
稲田
作品を選ぶときは、何を基準に決めていますか?
高橋
そのときの気分ですかね。「今日はスッキリしたい気分だな」とか「じーんと来るものが観たいな」とか。
稲田
とても大事な観点だと思います。作品の鑑賞ではなくて、「笑いたい」「泣きたい」、あるいは「スッキリしたい」といった目的が先にあって、そこから逆算して映画を選んでいるわけですよね。社会人になって自由な時間が減ると、高橋さんに限らず、そういった選び方をするようになる人は増えていくと思います。
限られた時間を“無駄”にしたくない、つまり、観終わったあとに想定していなかった感情を抱くのは避けたい。だからこそ「どういう気分になりたいか」をまず考え、それから観る作品を選ぶ、という順番になるのではないでしょうか。
「わからないこと」を嫌う人たち
稲田
そして、そういった「目的主義」が加速していくと、「理解できない」あるいは「モヤモヤする」といった、ある種のストレスを感じる作品を避けるようになっていく。「なんでわざわざお金と時間をかけて、ストレスを感じなきゃいけないんだ」と。そういった感情が、ストレスフルなシーンを飛ばす行為である早送り・スキップ視聴にもつながる。
『映画を早送りで観る人たち』を執筆するにあたって、幅広い年代・属性の方々にインタビューをしました。その中に、サスペンス映画を早送りして観るという方がいたんですが、理由を聞くと、早く犯人を知りたいからだと。「犯人がわからない状態が長く続くのはモヤモヤして不快」だそうです。
早く結末を知って、スッキリしたいと。でも、ジャンルを問わず、映画ってどうなるかわからないからおもしろい、という側面もあるような……。
稲田
そういった人が、ここ最近増えている?
稲田
いえ、難しいもの、わからないものは観たくないという人は昔から一定数いて、人口に占めるその割合に大きな変化はないと思います。ただ、動画配信のサブスクリプションサービスが増えたことによって、わからないものは観たくない層が「顕在化」したのではないかとも思いますね。
どういうことかというと、それらがなかった時代、過去の映画やドラマを観るためにはそれなりにお金がかかったじゃないですか。
ほんの数年前までは、レンタルビデオ屋さんに足を運び、数百円払って1本のビデオを借りるのが基本でしたよね。
稲田
あるいは、テレビで放映されているものを観たり録画したりするしかなかった。映画やドラマを観るという行為は、時間的にも金銭的にもコストがかかることでした。だから基本的には、「映画好き」「ドラマ好き」な人たちしか、たくさんの映画やドラマを観ていなかったわけです。
しかし、サブスクリプションサービスの登場によって、月に1,000円前後支払えば、自宅にいながらにしてものすごい量の作品を観られるようになった。こうして、「映画好き」「ドラマ好き」ではない人たちも気軽に、大量に作品を観るようになりましたが、そういう人たちにとって映画やドラマといったコンテンツは、脳みそと感受性を総動員して全身全霊で「鑑賞」するものではなく、日常の疲れを癒やすために流して観るのものであったり、周囲の話題についていくために行う「情報収集」の対象であったりするケースも多いんですよね。
疲れを癒やす目的ならなるべく不快なものに触れたくないし、情報収集が目的なら流行っているものをなるべく効率的にチェックしたいと考える。そうして、「わかりやすいもの」あるいは「不快にならないもの」だけを観ようとする人たちが顕在化したと。早送りやスキップ視聴をする人の増加も、こういった流れの中に位置付けられると思います。
SNSが世界を広げ、「個性」を見えにくくした?
でも、どれだけ慎重にコンテンツを選んだとしても、不快な気持ちになるリスクはゼロにはならないと思うんです。絶対に不快な思いをしたくないのならば、「映像コンテンツを観ない」のが一番だと思うのですが、なぜ、リスクを取ってまで「情報」を集めようとするのでしょう?
稲田
これは取材を重ねる中で感じたことですが、SNSをはじめとしたコミュニケーションツールが普及した点は大きいと思います。「自分」という存在の比較対象となる他者の存在がSNSによって可視化され、かつそういった存在と常につながっている状態が生まれたことが影響しているのではないかと。
それがどのようにコンテンツ「消費」につながるのでしょうか?
稲田
「自分らしさ」を規定する一つの要素として、「あるジャンルに誰よりも精通している」というものがあると思うんです。もう少し抽象化して言うなら、「この集団の中で、この分野については自分が最も優れている」と感じられることは、一つのアイデンティティになりえる。小学生時代でいえば「足が速い」とか「勉強ができる」も、個性の自覚に一役買っていました。
特に学生時代は、「わかりやすく周囲と比較できること」で、自分を相対的に認識していたような気がします。
稲田
そうですよね。僕の学生時代、SNSは存在していませんでした。だから、自分の世界は良くも悪くも教室内、広く見積もっても学校内で完結していたわけです。これは、比較対象が同じ教室内か、学校の中にしか存在しないことを意味します。
だから、「自分らしさ」を認識しやすかったと思うんです。たとえば、ある漫画について詳しい人がいたとして、その知識量がクラスメート40人、あるいは学校にいる数百人の中で一番だったら、その人は自分の世界の中で「最もその漫画に詳しい人」になれるわけですよね。その認識は、強いアイデンティティになります。
しかし、SNSの登場により、世界は大きく広がりました。インターネット上には、数え切れないほどの比較対象があります。要は、常に「世界ランキング」への参戦が強制されているようなもの。小さいころからSNSを当たり前に使っている世代は、かつてとは比べものにならないほどの数の人と、自分を比べざるを得なかったのではないかと思うんです。
「常につながっている人」の増加が生み出した、「観なきゃいけない」プレッシャー
圧倒的な数の比較対象の中で、相対的に「自分らしさ」を知ることはたしかに難しい気がします……。SNSを当たり前に利用し、常に「圧倒的に自分よりたくさんの知識を持っている存在」を感じるようになったからこそ、さまざまなコンテンツ、すなわち情報をとにかく効率よく集めようと躍起になる人が増えた、ということなのでしょうか?
稲田
そういう側面はあるのではないかと思っています。また、取材を通して感じたのは、LINEをはじめとするコミュニケーションツールの存在の大きさです。僕が大学生だったころ、LINEのような常時接続ツールはありませんでした。
だから、毎日のようにコミュニケーションを取るのは、大学で直接会うたかだか数人程度の友達だけ。他にも友達はいましたが、毎日連絡を取るわけではありません。たとえば中高時代の友達とコミュニケーションを取るのは、地元に帰省したときくらいのもので、常につながっているわけではなかった。
でも、いまはLINEがある。みなさんも中学時代のグループ、高校の部活のグループ、バイト先のグループなど、たくさんのグループに入っていると思います。LINEがなかった時代と比べると、「常につながっている」コミュニティーや人数は格段に増えたはず。
たしかに、常にアクティブなものもあれば、ときおり誰かが何かを発信する程度のグループもありますが、一度入ったコミュニティとのつながりは意識的にそうしない限り途切れませんよね。
稲田
さまざまなつながりを持続させられるという意味で、LINEは素晴らしいツールです。ただ、維持している人間関係が増えれば増えるほど、話題になるコンテンツの数も増えるとも感じています。
このグループではあのミュージシャンが話題になっていて、他のグループではみんながあのドラマについて活発に話している……そんな状態が生まれやすい。そうして「あれも観なきゃ」「これも読まなきゃ」となり、コンテンツを「消費」するようになってしまっているのではないでしょうか。
思い当たる節があります……。
稲田
物心がついたころからLINEが存在していた世代のみなさんは、「これが普通ですよ」と言うのかもしれませんが、僕からすると「めちゃくちゃ大変な状況だな」と思うんです。映画やドラマなんて、自分の内側から出てくる「観たい」という気持ちだけに従って観ればいいのに、と感じてしまう。
大学生のみなさんに取材をする中でも、「周囲の友人たちとコミュニケーションを取るために、まずは話題になっているものを観て、それから自分が観たいものを観る」順番になっているのではないかと感じました。早送りやスキップ視聴をする理由は、そういった「観なければならないもの」をいち早く「消化」するためという側面もあるのではないかと思います。
コンテンツ視聴の実態を聞きながら、早送り・スキップ視聴をする人が増加している要因に迫った前編はここまで。後編では、さらにコンテンツ視聴と個性や自分らしさとの関係を探っていきます。見えてきたのは、「個性的であること」を要求する社会の“空気”の存在と、実際に求められるものとの乖離です。後編もお楽しみに!
[文]鷲尾 諒太郎 [撮影]須古 恵 [編集]小池 真幸