【前編】小国 士朗
笑おう。そうすれば人生は喜劇になる
オイシく生きるための、客観視のススメ
2022.05.26
子どものころの出来事がきっかけで、自分の中にあるものを「抑える」ようになってしまったという人は少なくないのではないでしょうか。
その結果、「“うまく”生きられるようになったけど、何かが物足りない……」と感じている人もいるのでは……? 「抑えているもの」を思い出し、ちょっとだけ解放してあげると、思わぬ発見があるかもしれません。
認知症の方々が働く「注文をまちがえる料理店」など、社会課題解決型プロジェクトを数多く手掛けてきた元NHKディレクターの小国 士朗さんは、まさにそんな道を歩んできた一人。抑圧していた「ありあまるエネルギー」を大学時代に思い切って解放した結果、小国さんの人生は大きく動き出すことになりました。
その後は“喜劇”だけでなく”悲劇”も経験しましたが、小国さんは一見マイナスな出来事も「オイシイ経験」とポジティブに変換できる思考の持ち主。自らの人生を客観視する視点を持つ小国さんは、いかにしてそのキャリアをきずいてきたのでしょうか。
( POINT! )
- エネルギーがありあまりすぎていた小学校時代
- 小学校4年生の学級会で「内なるモンスター」に気づいた
- 中学、高校では自らの「熱」を抑え込んでいた
- 学生起業のきっかけは、親指についた「十字キーの形のくぼみ」
- 共同創業者に1,200万円を持ち逃げされ、就職を決意
- 多額の借金を背負ったことも、生死をさまよったことも「オイシイ」と思っていた
- 常に自らを客観視し、悲劇を喜劇に変える
- 番組づくりの原点は、大学時代に学んだ文化人類学
小国 士朗
株式会社小国士朗事務所 代表取締役/プロデューサー。
2003年NHK入局。『プロフェッショナル 仕事の流儀』『クローズアップ現代』などのドキュメンタリー番組を中心に制作。その後、番組のプロモーションやブランディング、デジタル施策を企画立案する部署で、ディレクターなのに番組を作らない“一人広告代理店”的な働き方を始める。
150万ダウンロードを記録したスマホアプリ「プロフェッショナル 私の流儀」の他、個人的なプロジェクトとして、世界150カ国に配信された、認知症の人がホールスタッフを務める「注文をまちがえる料理店」なども手がける。2018年6月をもってNHKを退局し、現職。携わるプロジェクトは「deleteC」「丸の内15丁目プロジェクト」をはじめ他多数。好きな食べ物は、カレーとハンバーグ。
小4で気づいた「自分の中のモンスター」の存在
小国さんはどのような大学時代を過ごしたのですか?
小国
大学3年生の半ばまで、ほとんど大学に行っていませんでした。「20時間くらいゲームをして、疲れたら寝る」の繰り返し。別にその生活が嫌だったわけでもなかったんです。
ところがある日、ふと自分の手を見ると親指が十字キーの形に凹んでいた(笑)。
指がゲーム仕様に(笑)。
小国
それを見たときに「俺このままだと死ぬな」と思ったんです。体は健康なんですけど、社会的に死んでしまうと。「俺がいてもいなくても同じじゃん」という恐怖が一気に押し寄せてきて、心から何かしなきゃという気持ちになりました。
とりあえず大学のアカペラサークルに入り、メンバーと楽しく過ごしているうちに、そのうちの一人が紹介してくれた人と「起業しよう」という話に。当時は就職氷河期だったので、働く場所が見つからないのなら自分たちで作ってしまおうと、二人でインターネットテレビの会社を立ち上げたんです。
かつての小国さんのように、無目的に時間を過ごしてしまう大学生は少なくないと思います。一概にそれが悪いことだとも思いませんし、危機感を感じず、そのまま社会に出るという選択をする人もいます。そんな中、なぜ小国さんは起業という大胆な行動に出られたのでしょうか。
小国
振り返ると、自分はもともとすごく熱いやつなんです。小学生のころはエネルギーがありすぎて、何でも自分のやりたいようにやっていました。頭のいいジャイアン、という感じでしょうか(笑)。すると小学4年生のときに「小国くんについて」という議題の学級会が開かれました。「小国くんは順番を守らない」「小国くんはルールを自分に都合のいいように変える」などと自分に対する不満がどんどん発表されて。
学級会というより、学級裁判ですね……。
小国
自分はたまたま書記だったので、クラスメートの発言を黒板にひたすら書いたのですが……多すぎて書ききれなかったですね。
このとき、自分の中には「モンスター」がいると思ったんです。自分の中には、自分には制御しきれないエネルギーがある。「自分はこれからの人生、このモンスターと付き合っていかなければならないんだな」と気付かされました。
その「モンスター」とは、どのように付き合っていくことにしたのですか?
小国
エネルギーが爆発しないように、何事にもあまり熱くならないようにしました。勉強でもスポーツでも、夢中になりそうだなと気づいたら、わざとそれを抑えていたんです。
でも「やっぱりこのままじゃダメだ」と思ったのが大学3年生のときでした。そろそろ本気で何かをしたい、自分の中にあるエネルギーを解放してみたいと思えたので、一念発起して起業しました。
ところが会社を立ち上げて早々、苦労して集めた出資金1,200万円を共同創業者に持ち逃げされてしまった。モンスターを解放すると、やっぱりろくなことがなかったですね(笑)。
1,200万円を持ち逃げされるも、「オイシイ」と思った
それはかなり衝撃的ですね……。思わぬ形で起業の道が断たれたときは、どのような気持ちだったのでしょうか。
小国
ショックでしたよ。出資金に含まれていたおじいちゃんの遺産100万円もなくなってしまって。あまりのストレスで、当時は口内炎が常に20個はありましたね。
想像しただけでも痛そう……。
小国
でもとにかくお金を返さないといけなかったので、凹んでいる暇はなく、興味のあったテレビ局を目指して就職活動をすることにしました。
就職するならテレビ局だと思ったのはなぜですか?
小国
昔からお笑いやノンフィクションが好きで、テレビをよく見ていたからです。ところが自分が就活を始めたころには、テレビ局の選考はほとんど終わっていました。
唯一受け付けていたのがNHKだったので、急いでエントリーシートを書いて提出したのですが、NHKの番組はほとんど見たことがなかったので、面接ではNHKについて話せることは何もなくて(笑)。
なんと……。では、面接は苦戦したのでは?
小国
それが、すごく盛り上がったんです。「起業したらお金を持って逃げられた」という話をしたら、その瞬間に面接官が一気に前のめりになって。「その後どうなったの?」と聞かれたので「続きは二次面接で」と言ったら、次の面接にも呼んでもらえました(笑)。
そんな調子で選考はとんとん拍子で進み、最終的にディレクター職への内定が決まったころには、自分の経験を「オイシイ」と思えるようになっていましたね。だって、NHKのディレクターという高倍率の職業に、NHKを見たことがない自分が採用してもらえたのは、起業に失敗したおかげですから。
1,200万円の借金を抱えた状況を「オイシイ」と思えるなんて、肝が据わっていますね(笑)
小国
そうでしょうか(笑)。実は自分の“悲劇”を「オイシイ」と思った経験は、これだけではないんです。
NHKに入社して10年目のころ、『プロフェッショナル 仕事の流儀(以下、プロフェッショナル)』の制作班として忙しく働いていたときに、突然胸がドーン! と突き上げられて、心臓が爆発しそうなくらい激しい動悸に襲われたことがありました。
病院に運ばれて一命は取り留めましたが、診察の結果わかったのは、自分は「心室頻拍」という病気だということでした。心室が異常な電気信号を送ってしまうことによって、不整脈を誘発してしまう病気です。しかもいつ再発するのかわからないので、万が一何かあったとき、すぐに治療を受けられない環境で仕事をするのは危険だと医師に言われました。
しかしディレクターをしている限り、言葉が通じない海外でのロケなどは普通に発生するため、病院が近くにない場所におもむくことは避けられません。この瞬間、自分は「番組を作れないディレクター」になってしまいました。
それは誰が何と言おうと、悲劇のように聞こえます。
小国
そうですよね。当時は「こんな自分に存在価値があるのか?」とものすごく悩み苦しみました。でも、時間が経つにつれて「これってオイシイやつなのでは?」と思うようになったんです。
番組制作ができなくなった自分に、NHKは「留職」という制度を使って大手広告代理店でPRを学ぶ機会を与えてくれました。この経験がなければ、その後に自分が手掛けてきた数々のプロジェクトは生まれなかったでしょう。
病気がわかった直後はしんどかったですが、その後に起きた出来事を考えると、やっぱり「オイシイ」経験だったなぁと思いますね。「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」というチャップリンの言葉は本当なんだと感じました。
「お笑い」と「ノンフィクション」でつちかった客観性
“悲劇”を「オイシイ」ととらえられるほどに、小国さんが自分の人生を客観視できるのはなぜなのでしょうか。
小国
子どものころから自分という存在を俯瞰的に見るようにしていたからだと思います。モンスターが暴れないように、常に監視をしていないといけなかったので。
それから、好きなお笑いを見てきたことも関係していると思います。笑いって、ある状況を引いた目で見ることによって生まれるものだと思うんです。VHSが擦り切れるくらいお笑い番組を繰り返し見るうちに「自分はこの状況でどう振る舞えば面白くなるか」を考える癖がついたのかもしれません。
確かに、お笑いは客観性が最も必要とされる分野の一つですよね。
小国
ただ、引いて見るだけでは生まれない面白さがあると教えてくれたのが、作家の沢木 耕太郎さんでした。
沢木さんの作品を読むまでは、ノンフィクションって中立性を重んじるものだと思っていたのですが、沢木さんはときに「誰かの物語」に、思いっきりコミットしてしまうんです。
例えば『一瞬の夏』という作品では、沢木さん自身がボクサーを再起させていく物語が描かれています。自らが熱狂の渦中に入りつつ、その状況を客観的に眺めて記述しているんです。主観と客観の往復運動から生まれる面白さが、ものすごく魅力的でしたね。
その気づきは、小国さん自身のNHKでの働き方にも影響したのでしょうか?
小国
NHKでドキュメンタリー番組を作る仕事はとても面白かったのですが、取材対象にコミットできないことにはいつもモヤモヤしていました。たとえば『クローズアップ現代』の現場では、取材を通じて「あれ?この人とあの人をつないだら、面白いこと起きるんじゃないか?」などと思うことがあったのですが、公正中立の立場で番組を作る以上、そうした発言はできません。
でも取材対象のことを知れば知るほど、「もっとこうしたらよいのでは?」と思う場面は増えてくるわけです。情報を得るにつれ、自分の中で化学反応が起き、いろんなアイデアを思いつく。それなのに、取材者と実行者の間には決して乗り越えられない壁がある。その現実にすごく葛藤していました。
文化人類学から学んだ「未知なるものを理解する」手法
他にも、番組を作る上での苦労や葛藤はあったのでしょうか?
小国
ありましたね。先ほど言ったように、僕は入局するまでNHKの番組を一度も見たことがなかったので、番組をどんな風に作るのかはもちろんのこと、そもそもどんなものをつくればいいのかすらわからなかったんです。だから、入局後は最初に配属された山形支局の倉庫にこもって、過去の番組のアーカイブを片っ端から見ました。
「映像」と「ナレーション」を全て書き起こして、自分の感情が動いたシーンに「!」マークを書き入れた「写経ノート」を作りましたよ。その作業を通じて、いろんな仕掛けが複雑に絡み合いながら、感動や驚きを生み出していることを学びました。
それって、NHKの新人は誰もがやることなのですか?
小国
いえ、そんなことはないと思います。この作業をやろうと思ったのは……いま振り返ると、大学時代に文化人類学を学んでいた影響が大きいのかもしれませんね。
文化人類学と番組制作を学ぶことが、どのように関係しているのでしょうか?
小国
大学時代、僕はプロサッカーチームのベガルタ仙台のサポーターが熱狂する理由を考察するために、サポーターに1年半密着していました。最初はサポーターたちの価値観がほとんど理解できなかったのですが、徹底的に話を聞いたり、一緒になって応援したりするうちに、サポーターたちが大切にしている想いや、そこで起きている出来事を構造的にとらえられるようになってきたんです。
それと同じように、NHKでは番組制作という未知の世界を理解するために、「NHKの番組」を徹底的に見ることによって構造をとらえようとしました。そのおかげで、自分で番組を作るときにはどんな構成要素で作ればいいかが何となくではありますが、見えてきたような気がしました。
たまたま大学時代に取り組んでいたことが、番組制作を理解する上で役立ったのですね。
小国
そうです。本当にラッキーでしたね。番組作りを「文化人類学におけるエスノグラフィー(民族誌)の記述」という作業に例えることで、未知の世界を自分の側に引き寄せられたので、何とか番組を作れるようになりました。
何から手をつけたら良いのかわからないことにぶつかったら、自分のよく知るものに例えたり、見立てたりして、自分に近づけてみることで理解に近づけるのかなと思います。
[文]一本 麻衣 [撮影]高橋 団 [取材・編集]鷲尾 諒太郎