【前編】石田 光規
「多様性のある社会」が、私たちを孤独にする?
社会学から考える、「人それぞれ」にひそむ罠
2022.04.07
「多様性」の時代。そこにはさまざまな価値観や意見が存在し、そのどれもが尊重されるべきものです。誰かとの間に価値観の違いがあったとき、あなたならなんと言うでしょうか。きっとこう言う人は少なくないはず──「人それぞれだから」と。
しかし、社会学者の石田 光規さんは「人それぞれ」という言葉が、大きな弊害を生んでると指摘します。その弊害とは「孤独」です。個を尊重し、多様性を育むために使われているように思える「人それぞれ」という言葉には、コミュニケーションをそこで終わらせてしまう力があります。この言葉は「あなたの価値観を受け入れます」とやさしい顔をしながら、同時に「これ以上、あなたの価値観に立ち入りませんよ」と、歩み寄りや議論の拒否を示す、冷たい側面も持ち合わせているのです。
「人それぞれ」に逃げることなく、他者の価値観と向き合うにはどうしたらよいのでしょうか。「冷たく」ならずに他者の価値観を認め合う、多様な社会をつくるためのヒントを探っていきます。
( POINT! )
- 「個の尊重」という価値観が日本に明確に根づき始めたのは、1990年代ごろ
- 「個」が重視されるようになった一因は、経済的な挫折
- 理想とされた「すべての個人の権利や意見が尊重される社会」にはなっていない?
- 人の価値観に立ち入らないことが、「個を尊重すること」になっている
- 「個の尊重」という価値観は、輸入品である
- 「人それぞれ」は、孤独を誘発する
- 「人に迷惑をかけてはならない」というプレッシャーが、自由を奪う?
- 多様性の高まりと比例して、私たちはさみしくなる?
- それでも、「個の尊重」を諦めてはいけない
石田 光規
1973年生まれ。2007年東京都立大学大学院社会科学研究科社会学専攻博士課程単位取得退学(社会学博士)。現在、早稲田大学文学学術院教授。著書に『孤立の社会学──無縁社会の処方箋』(勁草書房)、『つながりづくりの隘路──地域社会は再生するのか』(勁草書房)、『郊外社会の分断と再編──つくられたまち・多摩ニュータウンのその後』(編著、晃洋書房)、『友人の社会史──1980-2010年代 私たちにとって「親友」とはどのような存在だったのか』(晃洋書房)、『「人それぞれ」がさみしい──「やさしく・冷たい」人間関係を考える』(筑摩書房)など。
世界から少し遅れてやってきた「個の尊重」
石田さんがご著書で書いていたように、「人ぞれぞれ」という言葉には、目の前の話題を終わらせてしまう力がありますし、議論を拒否することで、誰かとの距離をつくってしまうものだとも感じます。でも実際によく聞かれる言葉ですし、多様性を象徴するポジティブな言葉として使われているようにも思います。正直に言うと、ぼくもよく「人それぞれだから」と言ってしまうんです。
石田
便利な言葉ですからね(笑)。
そもそも、なぜ日本に「人それぞれ」という言葉が浸透したのでしょうか?
石田
まずは、物質的に豊かになったことが理由として挙げられるでしょう。日本は1970年代に入って、経済的な発展を遂げたことによって、モノに困らないようになった。つまり、何を手に入れるかについて、選択肢が生まれたということですね。
選択肢が乏しい社会では、「人それぞれ」なんて言葉は口にされる機会は少ないですよね。そもそも、全体としてモノが足りていないので、「人それぞれ」に選ぶことができませんから。しかし、そんな時代は、70年代に入って終わりを迎えたわけです。
でも、モノが充実したとしても、「人それぞれ」がよいことだとされることには直結しないのではないでしょうか。
石田
おっしゃるとおりです。「人それぞれ」という言葉の裏にあるのは、個人を尊重すべきという価値観。そういった価値観が根づかなければ、実際に「人それぞれ」をよしとする社会にはなりません。
では、個人を尊重することが大事だとする考え方は、どのように日本にやってきたのか。世界的に見ても、第二次世界大戦まではそういった考えは浸透していなかった。戦争によって多くの個人の権利が踏みにじられてしまった反省から、「個の尊重」という価値観が重要視されるようになったわけですね。1948年、国連総会で世界人権宣言が採択されたことからも見て取れます。
しかし、日本にその価値観が浸透するのは、少し後になってからなんです。元々、日本は集団的な社会を築いてきましたし、個というより集団の力によって社会を成長させてきた。それは戦後も同様で、強烈な個人の力ではなく、統制の取れた集団を組織することによって、国を再興しようとしたわけです。そして、「東洋の奇跡」とも言われる、急速な経済成長を遂げることになる。
個ではなく、集団の力を重視した価値観によって経済を復活させることができた日本では、「個を尊重する」という考えは求められていなかった?
石田
価値観としては求められていました。とはいえ、「集団を尊重すること」に対する成功体験があったので、「個」への移行は遅れたのです。
しかし、バブル経済の崩壊によって、経済成長は止まってしまった。バブル崩壊を正確に何年の出来事だとするのは難しいのですが、概ね90年代前半ですね。経済が停滞して、「このままじゃダメだ」と、社会全体として横並び的な考え方に対する反省が生じ、「個」や「個性」が重視されるようになりました。
まとめると、70年代、物質的に豊かになることで「個」の価値観を尊重する下地が整った。そして、90年代前半、経済状況の悪化と人権思想の浸透によって「集団」ではなく「個」を重視する風潮に明らかに変わった。そうして、「人それぞれ社会」ができ上がったのです。
「人それぞれ」が、孤独を生んだ?
なるほど。でも、ご著書にも書かれているように、「人それぞれ社会」は、本当の意味での「個を尊重する」社会ではないんですよね?
石田
「個を尊重する社会」の理想として想定されていたのは「すべての個人の権利や意見が尊重される社会」でした。多様な意見を持った個人がその意見をぶつけ合い、議論することによって、理想の社会はつくられると考えられていた。
ですが、現状はそうなっていませんよね。みんなが自らの思いと異なる意見を耳にしても、「人それぞれだから」と、意見を言うことを避けている。表面的には他者の考えを尊重しているように見えるかもしれませんが、本来目指していたはずの社会とは、ほど遠いものになっていると言わざるを得ません。
なぜ、そのような状況になってしまったのでしょう。
石田
「個を尊重する」という価値観自体が、海外から輸入されたものだからでしょうね。たとえば、フランスは市民革命によって「個」の権利を手に入れた歴史がありますが、日本の場合はそうではない。バブルが崩壊したころ、「経済的な地位を守るには、個性的な発明が大事だ」と考えられた。人権思想にしても、「海外ではこうなっているから」という形で輸入した。これでは「個を尊重する」価値観は根付かないでしょう。
結局のところ、「個の尊重」という価値観は、それぞれの「個」が求めた結果としてではなく、国という集団として必要だったからこそ、導入されたわけです。
会社にたとえると、社長が「ボトムアップな組織をつくれ!」と、トップダウンで指示を出すような感じですね。
石田
似ているかもしれません(笑)。その結果、「個を尊重する社会」とはどのようなものか誰もわからないまま、言葉だけが独り歩きしてしまうことになったのではないかと。
このような事情から、表面上は個の多様性を尊重しているように聞こえる、「人それぞれ」が便利な言葉として使われるようになったのではないでしょうか。そうした「人それぞれ社会」は、多くの孤独を生み出すことになります。
孤独?
石田
はい。少しデータは古いのですが、ユニセフの調査によると、「さみしいと感じることがある」という質問に「あてはまる」と回答した日本の子どもたちの比率は、対象となった国々の中では断トツに高かった。また、内閣府の調査でも、日本の13歳から29歳の人の中で「一人ぼっちで寂しい」と感じる割合が、他の調査対象国に比べて相対的に高いという結果が出ました。
そして、この傾向は若者だけに当てはまるものではありません。こちらも内閣府が発表した、日本を始めとする4つの国の高齢者を対象とした調査では、同居家族以外に「頼れる人はいない」と回答した方の比率が、日本だけ15%を超えています。
アメリカやイギリスなどでも、孤独が社会問題として取り上げられることが増えているのですが、さまざまな調査結果からも、日本人は特に孤独感を感じていることがわかると思います。
「個を尊重する=そっとしておくこと」という誤解
「人それぞれ」が孤独を生んでしまっているのは、日本特有の問題なのでしょうか。
石田
もちろん、諸外国の方々も「人それぞれ」と口にすることはあるでしょう。個を尊重することと「一人であること」はある程度セットにならざるを得ない部分もありますし、孤独を生んでしまっている要因は他にもある。
しかし、「人それぞれ」と孤独が強く結びついてしまう、日本特有の事情があると思っていて。それは、「周りに迷惑をかけてはいけない」とする考えが根強いこと。「人それぞれ」とは言いながらも、そこには「人に迷惑をかけない範囲で」という注意書きが付くわけですね。これはアメリカでもフランスでも同じだと思いますが、日本は特に「世間」の存在が大きい。
私たちは無意識のうちに、「周りに迷惑をかけないように」行動しているわけです。本来であれば、「人ぞれぞれ」であるはずの行動が、ひとたび誰かに迷惑をかけてしまったとき、その行動を取った人は周囲からの非難にさらされることになる。
つまり、私たちは「人それぞれ」だとすることが個を尊重することになると信じて、誰かの行動や思考、あるいは好みに立ち入らないようにしている。しかしながら、ひとたび「人ぞれぞれ」であるはずの行動が誰かに迷惑をかけたとき、一斉に非難される可能性が高い社会を生きているわけです。
「人それぞれ」という言葉によって、他者との距離を詰めることや、踏み込んだコミュニケーションを取ることを避けながら、見えない「世間」からのプレッシャーの存在ゆえに、結局は「人ぞれぞれ」に行動することもできていないと。それはたしかにさみしいことですね……。
石田
日本人は元々、引っ込み思案な人が多いとされています。道で困っている様子の人に、積極的に声をかける人はアメリカなどに比べて少ないはず。つまり、誰かの事情に「立ち入ること」が得意ではない。
そういった国民性を持った日本人だからこそ、「個を尊重しましょう」と言われたとき、さらに「それぞれの事情に立ち入るべきではない」という想いを強くしてしまったのではないでしょうか。
「そっとしておいてあげること」が「尊重すること」だと解釈されてしまっている。だからこそ、「個を尊重しよう」「多様性を大事にしよう」という風潮が高まれば高まるほど、人との距離を感じて孤独を抱える人が増えてしまっているのではないかと思うんです。
「多様な社会」になり、息苦しさを感じる人は減ったのか?
“多様性のある社会”がぼくたちを離れ離れにしている……。「人それぞれ」も考えものですね……。
石田
もちろん、それぞれ好みや考えは大事にすべきですし、本来的な意味での「個の尊重」は推進すべきです。しかし、実際のところ「人それぞれ」はかなり難しい。
なぜならば、私たちはさまざまな個人とともに生きていかなければならないから。一人だけで生きていくのであれば、それぞれの判断だけで行動できると思いますが、実際に社会生活を営むためには、誰かと関わらなくてはなりません。
どういうことでしょう?
石田
たとえば、誰かと旅行しようとするとき、「人それぞれ」にはなり得ないわけですよね。そもそもどこに行くのか、行った先で何をするのか、すり合わせる必要がある。
また、選択肢が多様になったからこその難しさもあります。たとえば、結婚。かつては、結婚に関するさまざまな「当たり前」があったわけです。結婚式を挙げることもそうかもしれませんし、女性が家を守り、男性は外で働くといった考えもそうでしょう。しかし、今はそうではありません。さまざまなことに関する考えをすり合わせ、調整を経なければ結婚することは難しい。誰かとともに生活をするならば、「人それぞれ」とは言っていられないわけですよね。
あとは、先ほど申し上げたように「人に迷惑をかけてはならない」という暗黙のルールも存在します。「人それぞれ、自由に生きてよい」と言われているように見える私たちが、「人それぞれ」に行動することは難しい。しかしながら、“個を尊重するため”に「人それぞれだから」と、多くの人が他者に立ち入ることを避けている。
だから、「多様な個が尊重される社会」になっている、という実感を持っている人は少ないのではないでしょうか。私たちは自由になるのではなく、息苦しさとさみしさを覚えているだけなのではないかと思うんです。
そう言われると、「個の尊重」という価値観が入ってくる前に戻りたくなるような気も……。
石田
そう考えている人もいるかもしれませんね。ただ、やはり思想としては「個を抑圧し、集団としての利益を追求する」よりも、「個を尊重する」の方を目指すべきだとは思います。
個よりも集団を優先する構造の中には、知らず知らずのうちに差別が生まれてしまう。それは歴史が証明していることですし、そういった安定した「当たり前」を疑い、それを変える努力をしてきたわけですよね。
しかし、現状では「人それぞれ」という言葉が独り歩きし、「自由」と「孤独」のバランスが崩れ、「個の意見と権利が尊重される社会」という理想からはほど遠い状態になっていると。
石田
そうなんです。たしかに、かつてよりも社会の多様性は増したと思います。理念として「誰一人取り残さない社会」を掲げることは、とても大事なこと。しかし、このままではその理念を追求すればするほど、息苦しさを感じる人が増えてしまうのではないかと思っています。いま問われているのは、この問題をいかに解決するかということなのではないでしょうか。
「人それぞれ」社会が生んだ弊害と、“多様な社会”の裏にひそむ孤独についてうかがった前編はここまで。後編では、「人それぞれ」によって生まれる断絶を避け、本当に「個が尊重される社会」を実現するためのヒントをうかがいます。石田さんは、「人間関係の中の『無駄』を取り戻すこと」と「傷つき、傷つけ合うことを恐れないこと」が重要だとします。後編もお楽しみに。
[取材・文]鷲尾 諒太郎 [撮影]須古 恵 [編集]小池 真幸