【前編】田中 知恵
人の印象を「正しく」とらえるのが不可能なワケ
心理学者が明かす、「あの人らしさ」の正体
2022.03.03
「◯◯さんってまじめな人だよね」「私って飽きっぽい性格かも」──普段私たちが「個性」や「自分らしさ」としてとらえているものは、よくよく考えてみれば誰かによる主観的な印象。じゃあその印象は、いったいどうやってつくられるのでしょうか? もしも印象がつくられるプロセスに、“ゆがみ”が発生していたら……?
そんな問いに答えてくれたのは、社会心理学者の田中 知恵さんです。新刊『「印象」の心理学』(単著、日本実業出版社)では、認知や判断のプロセスにひそむ「バイアス」の働きと、バイアスが個人や集団の心理に与える影響について書いている田中さん。お話をうかがう中で見えてきたのは、バイアスの逃れがたい力と、意外にもポジティブな側面です。
( POINT! )
- 認知のプロセスを形づくる「記憶」「解釈」「信念の強化」
- 目の前の情報と記憶によって、印象の仮説がつくられる
- 最初に獲得した印象から自由になることはできない
- 自分にとって都合の悪い情報は、無意識のうちに排除し、ねじ曲げている
- バイアスがあるからこそ、直感的に危機を回避できる
- 人の結びつきを深める共通の信念
- 信念とは世界そのもの。だから争いごとはなくならない
- ネガティブなバイアスの働きを抑制するには「多様な集団に身を置くこと」
田中 知恵
明治学院大学心理学部教授。博士(社会学)。
早稲田大学第一文学部哲学科心理学専修卒業後、出版社勤務を経て、一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻修士課程修了、博士後期課程単位取得退学。2016年より現職。専門は社会心理学、社会的認知。主な著書に『消費者行動の心理学:消費者と企業のよりよい関係性』『社会心理学:過去から未来へ』『社会と感情』(いずれも共著、北大路書房)、『消費者心理学』(共著、勁草書房)などがある。近著として、『「印象」の心理学』(単著、日本実業出版社)。
「あの人」を正しく見ることなんてできない!?
田中さんは『「印象」の心理学』の中で、「他者や自分の印象がどのようにしてつくられるのか」について書かれていましたよね。印象って、個性や「自分らしさ」とも密接な関係がありそうだと思って。
田中
そのとおりだと思いますよ。「印象」と「個性」は表裏一体です。
その「印象」とどんなふうに向き合えば、周りの人の個性を正しくとらえ、本当の自分らしさと出会えるのか。ヒントを得たいと思って、お話をうかがいに来ました。
田中
そういう意味では……、大変申し上げにくいのですが……。
な、なんですか?
田中
「本当の自分らしさ」や他者の個性を「正しく」とらえることは不可能に近い、と言わざるを得ません。
なんと……。どういうことでしょうか?
田中
その理由についてお答えするために、まずは「認知のプロセス」についてご説明しましょう。「認知のプロセス」とは、ある情報から対象の「印象」がつくられ、確定していく過程のことを言います。情報の「記憶」→「解釈」→「信念の強化」という段階をたどり、それらが相互に影響し合うことで、人の印象が形成されていきます。
「記憶」→「解釈」→「信念の強化」ですか。
田中
たとえば、いま、私の目の前にはあなたのノートパソコンがありますが、背面にハンバーガーのステッカーが貼ってありますね? この「ハンバーガーのステッカー」という情報をもとに、私はあなたに対して、「ポップな感覚をお持ちの方なのかな」という印象を抱きました。
「ハンバーガー」が「ポップ」なのは、なんとなくわかる気がします。でも、なんでそう感じるのでしょうね?
田中
「記憶」が作用しているからです。私の場合は、以前お世話になっていた美容師さんが、同じようなハンバーガーのステッカーを道具入れに貼っていて。その方に対し、明るくポップな印象を感じていたから、似たような方なんじゃないかと思ったんです。
過去の記憶と、目の前の情報を照らし合わせて、相手の「印象」をつくっていると。
田中
そうです。ただ、この「ポップな人」という印象は、ステッカーを見た時点では仮説に過ぎません。ただ単に食べ物としてハンバーガーが好きだから貼っているだけかもしれないし、単にパソコンのキズを隠すのにちょうどいいサイズだったからかもしれない。
そこで私の意識は、「ポップな人」という仮説を裏付ける別の情報を探し始めます。たとえば、話しているときの表情や声のトーン。あるいは、事前のメールのやりとりで、語尾に「!」がついていて、そこからも「明るい方なのかもな」と思ったこと。そうやって、複数の情報をもとに仮説を検証することで、「この人は明るくポップな人だ」という信念を強化していくんです。
都合のいいように事実を歪める「確証バイアス」のワナ
じゃあ、人と多くの時間を過ごせば過ごすほど、仮説の検証や新たな印象の獲得が進み、いつかはその人の個性を正確にとらえられるようになるんじゃないですか?
田中
そう思いますよね。ところが、そう簡単にはいきません。むしろ、印象の獲得が進めば進むほど、相手をフラットにとらえることは困難になっていきます。というのも、認知プロセスのそれぞれの段階で、最初に獲得した印象や信念を維持する方向に、「バイアス」と呼ばれる「思考のくせ」が作用するからです。
具体的には、どのような場面でバイアスがはたらくのでしょう?
田中
まず、膨大な情報の中から相手の印象をつくる手がかりを選び出す段階で、既にバイアスがはたらいています。たとえば、私がさっき「ハンバーガーのステッカー」という情報に着目したのも、事前のメールのやりとりから「明るそうな人」という印象を既に持っていたからかもしれません。
その後の「記憶」という段階では、自分にとって重要な情報や自分の信念に合う情報だけを記憶し、そうでない情報は忘れたり、都合がいいように書き換えたりしてしまう。こうした知覚の働きを「確証バイアス」と呼びます。
「確証バイアス」。聞いたことがあります。
田中
こんなアメリカの研究結果があります。死刑制度に賛成している人と反対している人に実験参加者として集まってもらい、賛成している人には「死刑制度を導入したけれど、凶悪犯罪の件数は減らなかった」というデータを、反対している人には「死刑制度を導入したことで、凶悪犯罪の件数が減った」というデータを見せます。架空のデータですが、アメリカは州によって死刑制度が導入されていたりされていなかったりするので、そうした検証をすることが可能なのです。
死刑制度に賛成している人は「死刑制度が凶悪犯罪の抑止力になる」という信念を、反対している人はその逆の信念を持っているので、それぞれの信念に反するデータを見せられれば、その信念は少し揺らぐはずですよね。それでは実際、データを見る前と後で、死刑制度に対する彼らの信念はどのように変化したと思いますか?
問題にするということは、「まったく変化しなかった」?
田中
そう思いますよね。でも、むしろ変化しないどころか、賛成していた人はますます賛成するように、反対していた人はますます反対するように、二極化してしまったのです。
「この研究データは1年後のデータをちゃんと取っていない」とか「自分の住んでいる州には関係がない」などと適当な理由をつけて、自分にとって都合の悪い情報を排除してしまったんですね。人間はそれほど信念に固執する生き物なのです。
自分の信念に合わなければ、事実の方をねじ曲げてしまうと。いや、でも、私は先入観や偏見を持たないよう、普段から人一倍気をつけているつもりです。さすがにそんなふうにはならないような……。
田中
まさにいま、「確証バイアスのワナ」にはまっていますね(笑)。
あっ……。
田中
では、もう少し身近な例を挙げてみましょうか。たとえば採用面接の場で、「スポーツチームのリーダー」という事前情報を与えられた候補者に対して「明るくて外向的」という印象を抱き、「人とコミュニケーションを取るのは得意ですか?」と確証的な質問をしてしまう。これもまた、確証バイアスがはたらいている場面の1つです。
そして、認知のプロセスには、パッと思い浮かんだ直感で判断をくだす「自動的過程」と、じっくり考えて判断をくだす「統制的過程」の2種類があります。「システム1」と「システム2」とか、「直観」と「熟慮」とも呼ばれているものですね。このうち「自動的過程」には、「意識されない」「統制できない」といった特徴があり、とくにバイアスの影響を受けやすい。
バイアスとは、社会で適応するための知恵である
なんだか急に自信がなくなってきました。どれだけ気をつけていても、バイアスの影響から逃れることはできないのでしょうか?
田中
バイアスはこれまでの経験を通じて獲得してきた「思考のくせ」。誰にでも当たり前にあるものであり、なくすことはできません。でもね、バイアスって別に悪いものではないんです。社会に適応するために、役立つものでもあるんですよ。
たとえば、子どもは親に「あやしい人がいたら、近づかないように」と教えられますよね。私たちは、ほかの人とは異なるあやしい様子の人を「不審者」というカテゴリにあてはめて、とっさに距離を取る。実際には、問題のある人物ではないのかもしれないけれど、万が一本当に危険な人物であった場合、その場に留まって情報収集を続けることは命取りになります。
バイアスがあるからこそ、すばやく危険を回避できるんですね。たしかに、生まれたばかりの赤ちゃんは、認知の枠組みもバイアスも持っていませんが、それは同時に無防備ということでもある。バイアスは発達の証でもあると。
田中
そうですね。そしてバイアスには、コミュニケーションを促進し、人と人との結びつきを強める機能もあります。
どういうことでしょうか?
田中
まず、私たちは自分と似た価値観を持っている相手に好意を抱きます。いわゆる「気が合う」相手ですね。「自分と同じバイアスを持っている他者」と言い換えることもできるでしょう。
そして、自分が持っている信念が他者によって共感されると、「自分の世界に対する理解は正しい」という感覚を得ます。自分以外の人に承認してもらうことで、自分の信念はますます確固たるものになり、その人との親密性も深まるのです。
褒められたことではないですが、共通の知り合い、たとえば上司に対する愚痴で盛り上がるのもそういう理由でしょうか。誰にでも共感される内容ではないからこそ、共感されたときについ嬉しくなってしまう。
田中
そうでしょうね。ある共通のバイアスをもとに、集団が形成されることもあります。このとき、自分が所属する集団のことを「内集団」、自分以外の集団のことを「外集団」と呼ぶのですが、内集団のメンバーは外集団に関する「ステレオタイプ」を話題にすることで親密性を深める、という研究結果もあります。
さらに内集団にいる人たちは「自分たちの集団を肯定的に見たい」「外集団に対して優位に立ちたい」という動機を持っているため、その話題はしばしば外集団を否定的にとらえるものになりがちなんです。
バイアスが「なんとなくネガティブなもの」としてとらえられてしまう理由がわかりました。ネットで見かける特定の人種や民族に対する攻撃的な発言も、そういう心理からきているものなんだと。そうした差別にもつながりかねない信念を、改めてもらうにはどうしたらよいのでしょうか?
田中
難しい質問ですね。というのも、確固たる信念とは「自分の世界」とほとんどイコールだからです。その信念を「間違っていた」と認めることは、自分の世界を壊してしまうことにつながる。だから、いつまでたっても争いごとがなくならないんです。「あの国はこうだ」「あの民族はこうだ」「あの宗教はこうだ」という信念は、その集団の中にいる人にとってはある種の真実です。
また、人間は何かしらの集団に所属しなければ生きていけないのも事実。バイアスやその働きによって生じる信念は、一概に「良い」とか「悪い」と言えるようなものではなく、うまく付き合っていくべきものなのです。
多様な集団に身を置くことで、信念の“コリ”をほぐそう
では、差別や偏見につながるようなネガティブなバイアスを抑制するためのコツを教えてください。
田中
1つは「なるべくさまざまな集団の中に身を置く」ということです。先ほどもお話ししたように、内集団の中にいると、特定の方向へのバイアスがかかりやすくなります。さらに、お互いが信念を共有し合うことで、信念はますます強化され、抜け出せなくなってしまいます。
一方、内集団ではない別の集団の中では、ある信念が浮かんだとしても、それを口に出すかどうか一瞬検討するプロセスが挟まります。その信念が受け入れられるとは限らないので、慎重にならざるを得ないわけですね。そうしていろんな集団に所属し、多様な視点を持てば持つほど、バイアスの働きを抑制できるようになっていきます。
なるほど。集団に所属しないで生きることはできないけれど、なるべく多くの集団に所属して生きることはできますもんね。
田中
そうですね。とくに、自分が差別的な感情を抱いてしまっている集団の人たちと、接点を持つ経験は重要です。たとえば学生たちには、なんとなくネガティブなイメージのある国に、あえて留学に行くことを薦めています。
ある集団に対するステレオタイプをなくすことは難しいけれども、その集団の中にいる個人と触れ合うときに、その枠組みを外すことはできます。そうして出会った個人に対する印象が、集団に対してもともと抱いていた印象と大きく違っていたという経験をすれば、集団全体に対する信念も少しずつ変わっていくはずです。
前編では、私たちがどのようにして他者の印象をつくっているのか、そしてその過程に生じるやっかいな思考のくせ「バイアス」の働きについてうかがいました。
後編では、テーマを自分自身の認知へと移し、バイアスとうまく付き合っていくための方法を探ります。なぜ「本当の自分らしさ」を知ることは難しいのか? その理由は、自己認知の枠組み「自己スキーマ」が形成される過程にありました。
[文]藤田 マリ子 [撮影]須古 恵 [取材・編集]小池 真幸/鷲尾 諒太郎