きっかけは、高校受験の失敗。挫折から始まった「伝える」への挑戦

千葉さんが「話すこと」に本格的に向き合いはじめたのは、いつごろだったのでしょうか。

千葉

高校に入学して、弁論部に入ったことがきっかけですね。

 

なぜ弁論部を選んだのですか?

千葉

少し遠回りしながらお話しますね。私、高校受験に失敗しているんです。中学校で生徒会長を務めていたのですが、その学校には「生徒会長は、北海道内の偏差値が高い公立高校に行く」という暗黙の了解のようなものがあって。私も例に漏れず、そういった高校を目指していたのですが落ちてしまい、学校の伝統を壊すきっかけをつくってしまった。

そのとき、周囲から批判を浴びたんです。後輩には校内の黒板に「生徒会の千葉さんが受験に失敗した」といったことを書かれたり、「1回の失敗ですべてを失うことになる」と言われたり。

 

つらい経験ですね……。

千葉

そのとき「なぜ学力という一つの指標でしか評価されないのだろう」という疑問と、その指標で評価されなかった悔しさのようなものが芽生えました。「自分はこの先どう生きるべきなんだろうか」と思い悩みながら第一志望ではなかった高校に入学し、そこで弁論部に出会った。

学校の先生から「弁論部で結果を出せば、推薦でいい大学に入れるよ」と言われたんです。お恥ずかしながら、当時の私はその言葉に惹かれてしまって。弁論は学力以外の評価軸だし、弁論部での活躍が理想の進路につながるのであれば、過去の失敗の悔しさを乗り越えられると思い、「これだ」と入部を決めました。

 

「話すことは、かっこいい」を伝えたい

受験失敗の悔しさと学力という単一の指標でしか評価されないことへの疑問が、弁論部で頑張るモチベーションになっていた。

千葉

別の「悔しさ」もありました。弁論部に入ったとき、友人から「そんな地味な部活に入ってどうするの?」と言われたのですが、そんなイメージを覆したかったんです。結果を残すことによって、人前で自らの意見を話すことはかっこいい、と証明したい気持ちもありましたね。

 

なぜ、「話すことはかっこいい」と?

千葉

中学校時代の経験が大きいですね。私が通っていたのは教員を輩出する教育大学の付属校で、カリキュラムが一般的なものとは少し違っていたんです。具体的に言うと、国語の授業が「聞く」「書く」「話す」の3つに分かれていた。

「話す」授業は、学年全員、120名で実施されていました。その中で「このテーマについてどのように思いますか? じゃあ、千葉さん」というように、いきなり当てられて全員に向けて意見を発表するんですよ。そのとき、120人の顔が一斉にバっとこっちを向くんです(笑)。その中で堂々と意見を言える同級生はやはりかっこよく見えましたし、そんな環境だったからこそ、「話すことはかっこいい」という価値観を抱きました。

 

なるほど。

千葉

高校で本格的に弁論に取り組むようになって、一層その魅力を感じるようになりました。弁論は7分間という限られた時間の中で、言葉や表情だけを武器に「人に伝えること」を競う競技。結果を出すために試行錯誤をする中で「少しの工夫によってこんなにも伝わり方が変わるんだ」という発見と感動があったんです。

それに、大会においてライバルとの差をつけることを突き詰めていった結果、能動的な自分と出会えたことも大きかった。弁論大会では、社会的なテーマについてスピーチをすることが多いのですが、内容に説得力を持たせるにはさまざまなことを知らなければなりません。

だから、あるテーマについて詳しい方に取材に行ったり、「身近なところにはどんな課題があるかな」と考えたりするようになったんです。自らと社会のつながりを感じる経験を積みながら、その中で得た学びや気づきを発信することはとても意味のあることだと思いましたし、結果を出して、多くの人に「弁論ってかっこいいじゃん」と思ってもらいたかった。

 

夢破れたときが、新たな自分への第一歩

そういった想いがモチベーションとなり、全国大会優勝という大きな成果につながったわけですね。そして、その成果が評価され、慶應義塾大学に進学することになった。大学でも弁論は続けていたのでしょうか?

千葉

はい。ただ、大学では弁論以外の活動にも力を入れたいと思っていたので、部活には入らずに個人として活動するという選択をしました。その理由は、アナウンサーになるという夢を抱いたから。高校時代、私は弁論を通してさまざまな経験をさせてもらいました。伝えること、話すことに人生を救ってもらった感覚があったので、そのプロフェッショナルになり、恩返しがしたいと考えたことがきっかけです。

 

しかし、新卒で入社したのはITベンチャーであるディー・エヌ・エー。アナウンサーになる選択はしなかったのですね。

千葉

アナウンサーを目指す中で、就職活動の難しさも実感しました。たとえば、テレビ局に勤めている方に「弁論を通して、社会に情報をわかりやすく発信することが大切だと感じていました」と言うと、「アナウンサーに求められるのは、自らの意見を伝えることではない。弁論の経験は就職活動ではあまり評価されないと思うから、別の経験をアピールした方がいいのではないか」とアドバイスをされました。

もちろん、その方は私のことを思ってアドバイスをくれたのでしょうし、間違ったことは言っていなかったのだと思います。でも、私が大切にしてきたことが否定されるような感覚もあって。それでも、夢は捨てきれず、全国30局のテレビ局の採用試験を受けましたが、すべて落ちてしまいました。

 

違和感を持っていたとはいえ、簡単に受け入れられる結果ではないですよね……。

千葉

そうですね……。でも、自分自身を振り返るいい機会にもなりました。一つの夢が破れて気づいたのは、自分が「既存の枠組みの中で勝つこと」ばかりを考えていたということ。

たとえば、アナウンサーという枠に入ることから逆算して「こんな経験をしておかなきゃ」と思い、行動をしていたんです。弁論大会でも「審査基準はこうだから、優勝するためにはこんなことを意識しなきゃ」と考えていた。もちろん、結果を出すためには、一定そういった思考も必要です。「でも、本当にそれだけでいいのかな?」と。

高校時代、「弁論なんてイケてない」と言われたように、日本においては「話すための教育」の大切さを多くの人が十分に認識しているとは言えません。その中で「伝えること」「話すこと」の価値をしっかりと示すには、既存の枠組みにはまるのではなく、これまでになかった枠をつくる側に回らなければならないと思いました。そして、ディー・エヌ・エーなどのITベンチャーであれば、既存の価値観にとらわれず、新たな枠組みをつくる経験が積めるのではないかと。

 

もがきながら見つけた、"天職"に至る道の入り口

ディー・エヌ・エーに入社してみて、どうでしたか?

千葉

私にとってはそのすべてが未経験。はじめは飛び交うビジネス用語も理解できず、悩むことも多かったです。それでも、挑戦の機会をつくってもらいながら毎日一生懸命、目の前のことに取り組んでいました。

 

ここでも挫折を味わったんですね……。

千葉

一生懸命働いて1年が経った頃、今自分にはどんなスキルがついていて、何がやりたくて入社したのか、ちゃんと振り返りする機会をつくりました。当時、小説投稿サイトの運営の仕事をしていて、毎日小説に触れる機会がありました。その時に、改めて読み返した一冊の本が、小説家・原田マハさんの『本日は、お日柄もよく』という作品でした。この作品の主人公は、政治家のスピーチを代筆するスピーチライターなんです。スピーチというツールを通して、人の人生をサポートできる美しく、新しい仕事であると感じました。

そして、これまで私の中で一年以上眠っていた「話すことの教育」に携わりたいという想いが湧き出すのを感じたんです。「もうどうせ失うものなんて無いのだから、思い切ってチャレンジしてみよう」と弾みがついたというか。そうして、スピーチライター・トレーナーになる道を模索し始めたんです。

 

原田 マハ『本日は、お日柄もよく』

具体的には、どんなアクションを起こしたのですか?

千葉

とにかく、スピーチライターを名乗る方に連絡をして、スピーチライター・トレーナーになるための方法を聞きました。でも、一般的な職業ではないため「こうすればいい」という決まった方法はないことがわかって、「じゃあ、自ら道を切りひらくしかない」と。それがディー・エヌ・エー2年目のころで、副業としてスピーチライター・トレーナーの仕事を始めることを決めました。

私は高校時代から自らスピーチをする人として、「伝えること」に携わってきた。スピーチライターの仕事を通じて、「うまく伝えられる」スキルだけではなく、誰かが「うまく伝えるためのサポートをする」スキルを手に入れられれば、より「伝えること」の価値を高められるはずだと思ったんです。

 

「生きた証」をのこすために選んだ、独立という選択肢

とはいえ、いきなりスピーチライターとしての仕事が得られたわけではないですよね?

千葉

そうですね。大きなきっかけになったのは、スピーチの仕事を模索していたときに話をうかがった方が「そこまでの熱意があるなら、私がやっているスピーチ教室で一度登壇してみたらどう?」と言ってくれたこと。

これはチャンスだと思って、めちゃくちゃスピーチを作り込んで臨んだところ「すぐに人に教えられるレベルだと思うから、うちで授業を持ってみないか」と打診をいただいて。それが、スピーチライター・トレーナーとしての最初の仕事になりました。

 

その後、2019年には独立して、スピーチに関する業務を展開するカエカを立ち上げられています。独立に至るまでにはどんなことがあったのでしょう。

千葉

社外での実績を積み上げていった結果、ディー・エヌ・エー社内でもスピーチに関する仕事を任せられるようになりました。採用イベントなどで登壇する社員の育成や、社長のスピーチライティングを担当させてもらったのは大きな経験です。

そうして、社内外でスピーチライター・トレーナーとしての仕事をする中で、「伝えること」「話すこと」に関する意識改革が、社会を豊かにすることにつながると確信しました。たとえば、創業10年ほどの会社を経営する方のスピーチをお手伝いする機会をいただいたとき。共に内容を練り、話し方のトレーニングを重ねた結果「初めて全社総会のスピーチで社内をまとめることができた」と、とても喜んでいただけたました。

 

個人としてスピーチライター・トレーナーを続ける選択肢もあったのではないですか?

千葉

そうですね。でも、どうせなら大きなビジョンを追いかけたいと思ったんです。常々「いつか死ぬのなら、生きている間に何かのこしたい」と思っていて。もちろんまだまだ長い道のりですが、イメージしているのは、私がつくった話すことに関する授業が全国の学校で導入されたり、体系化したスピーチのノウハウが教科書にのったりすること。

「伝えること」「話すこと」の価値を伝えることを通じて、私が死んだあとにも社会に貢献し続ける教育プログラムや、「私がいたからこそ確立された」と言えるような何かをのこしたい。そう考えて、カエカを立ち上げることを決めたんです。

 

日本では珍しいスピーチ教育者としてのキャリアを歩む千葉さん。そのキャリアからは、「伝えること」「語ること」の価値に対する強い信念と、その価値を多くの人へ伝え、社会に貢献するという使命を果たそうとする意志が感じられました。自分らしさや個性を信じ抜くことは、ときに数々の挫折を乗り越えるための希望になるのかもしれません。

後編では、これまで多くのクライアントのスピーチをサポートしてきた千葉さんに、「自分らしく語る」ためのポイントをうかがいます。読めばあなたも、「伝えること」「語ること」が上手くなる……かも? 後編もお楽しみに!

[取材・文]鷲尾 諒太郎 [撮影]高橋 団 [編集]小池 真幸