名門校に通いながら、歌舞伎町で遊んだ高校時代

ホストクラブに初めて行ったのは大学進学後、18歳になったころだそうですね。

佐々木

ホストクラブって18歳になったら入れるんですよ。もちろん、飲酒は禁止なので、ソフトドリンクで楽しむわけですが、初めて行ったホストクラブはあまり楽しくなくて、すぐにハマったわけではありません。

でも、大学1年生の夏休みに、別のお店に行ってみたところ、ある一人のホストに入れ込みかけまして(笑)。それから、いろんなお店に行くようになったんです。ホストクラブにも、お店ごとに特色があって、さまざまな楽しみ方ができることを知ってからハマっていきましたね。

 

小中高一貫校に通われていたそうですが、学校はどのような雰囲気だったのでしょう?

佐々木

同級生のほとんどが「国公立大学に進学して、安定した将来を送りたい」と考えているような環境でした。

 

そういった環境と「歌舞伎町」や「ホストクラブ」という言葉は縁遠いように思います。なぜ、佐々木さんは多くの同級生たちと同じように「普通に勉強をして、安定した道を歩む」ことを選択しなかったのでしょう?

佐々木

昔から人に言われたことをなにも考えずにやるのが大嫌いだったんですよ。納得いけばやりましたけど(笑)。「なんでやりたくもないことをやらなければいけないの?」と思っていましたし、当時は勉強よりもスキルを重視していたので、高校は工業高校に進んで、専門的な知識や技術を身に着けようと考えていました。

私が通っていた一貫校は、一般的には名門と言われる学校だったのですが、小中学校のころ親が私に通っている学校の偏差値などの情報を一切入れないようにしていたようで。「付け上がらないように」がその理由だったみたいですが、だからこそ、いつやめてもいいと思っていました。

 

「そんな大した学校じゃないし」と。

佐々木

でも、いざ「内部進学したくない」と言うと、親が必死に説得してきまして。それで、内部進学することになったわけです。高校に入ってからも、「やりたいことしかしたくない」思考は変わりませんでした。でも、大学で研究をすることには興味があって。

そんな中、高校1年生のときにAO入試というものがあると知ったんです。「好きなことで成果を出して、大学に行けるなんて最高じゃん!」と、利用を決めました。だから、高校1年生から卒業まで、いわゆる受験勉強は一切せず、好きなことばかりやっていました(笑)。

 

高校の「外」に飛び出して出会った、ライターという仕事

ライターとしてのお仕事を始めたのはいつごろで、どんなきっかけからだったのでしょうか?

佐々木

高校1年生のころですね。ずっと一貫校に通っていたので、外のことも知らなければならないなと思って、いろんな課外活動に参加していたんです。イベントを企画している団体にも参加していましたし、ビジネスコンテストにも出ていましたね。そうやっていろいろな人や機会と巡り合う中で、ライターのアルバイトを見つけたことがきっかけです。

 

他の選択肢もあったと思うのですが、なぜライターの仕事を?

佐々木

表現することが好きだったんですよね。小さいころから本が好きで物語を書いたり、小学生のころには学芸会の脚本を書いていたり。「物語好き」の原点にあるのは、母の読み聞かせです。2歳になるまでに、1,000冊に届くくらいの本を読んでもらっていたそうで。

 

すごい数……!

佐々木

だから、小学校1年生のころには、小学校高学年か中学生が読むような本を読めるようになっていました。

 

読み書きをする力の素地があったわけですね。

佐々木

高校に入ってライターの仕事を始めるまで、特に文章を書くトレーニングをしたことはないんですけど、自然に力は付いていたのでしょうね。

それに、「現役高校生がライターをしている」というだけで一定の需要があることはわかっていましたし、ライターなどのクリエイター職なら仲間を集めなくてもすぐに始められることも大きかった。加えて、ビジネスコンテストのPR記事だったり、イベントの告知文だったり、書く力ってどこでも使えるじゃないですか。「書いて、発信すること」は明確な武器になると思っていました。

 

では、戦略的にライターを選んだという側面も。

佐々木

でも、やっぱり一番大きな理由は「やっていて楽しいから」ですよ。自分が書いたものをたくさんの人に読んでもらえることや、自分の世界観を人に伝えて、理解してもらうことは単純に嬉しいですから。

 

出る杭は打たれるが、「出過ぎた杭」は誰も打たない

そうやって、学校の「外」でライターとしての仕事をしていたり、歌舞伎町に通っていたりすると、学校では目立っていたのではないですか? ましてや、いわゆる名門校で安定志向の方が多かったわけですよね?

佐々木

それはもう(笑)。見た目からして目立っていたと思います。制服のない学校だったので、みんな自由な服装をしていたのですが、その中でも一際自由な格好をしていました。金髪にして、スケボーかタクシーで通学していたこともありましたから(笑)。

 

(笑)。でも、目立つことは怖くありませんでしたか? 高校時代に限ったことではないかもしれませんが、簡単に言えば、「あいつ、調子に乗ってんな」と思われるリスクもあるのではないでしょうか。そういったリスクをおかしたくないから、目立たず、周りと足並みを合わせることを選んでいる人も少なくないと思うんです。

佐々木

これは高校生のときではないのですが、大学に入ってホストクラブで遊ぶようになってから、同じコミュニティの人たちにネット上で叩かれたこともあるんです。もちろん、誹謗中傷は許されるべきではありませんし、私自身、とても嫌な思いをしたのは事実です。

でも、なんとか耐えることができた。なぜかと言うと、叩かれている自分は「世間に見せている自分」であって、本当の自分ではないと思っているから。基本的に、私は外に見せる自分のことを「商品」だと思っています。だから、商品についてああだこうだ盛り上がってくれている分には気にならないというか、どうにか我慢することができたんです。

 

作家の平野 啓一郎さんが提唱している「分人主義」(一人の人間の中にはいくつもの人格があって、それらの人格の集合体を「個人」ととらえる考え方)的な発想ですね。

佐々木

「外に見せる自分」の個性は好きにつくればいいと思いますし、それが大きな武器になることもある。2021年9月、学者や医師などに混ざって『NHKスペシャル』に出演した際は、銀髪のウィッグをかぶったんです。

名前も「佐々木チワワ」ですし、多くの視聴者は、はじめ「なんだこいつ」と思ったはず。でも、そういった見た目で真面目に話をすると「意外とちゃんとしてるじゃん」ってなるじゃないですか。「映画版ジャイアンの定理」ですね(笑)。

 

テレビ版『ドラえもん』では意地悪ばかりしているジャイアンが映画版でちょっといいところを見せると、いいところばかりに目が行くようになるアレですね(笑)。

佐々木

そんな風に、「外に見せる自分」はいくらでも演出できるわけですし、仮にその自分が叩かれたとしても、演出が上手くいかなかっただけという話になるので。

 

でも「高校生活を送る自分」は、「商品」ではないですよね?

佐々木

もちろん、高校生活を送っていたのは、テレビに映るような「外に見せる自分」ではありません。それでも、同級生たちの声はあまり気になりませんでした。人が変わろうとしているときって、どうしても目立ってしまう。たとえば、それまで全くメイクなどをしなかった人が、徐々にメイクをし始めると周りも気づくわけですよ。

そういった変化を非難する人って、結局は「自分が変われていないこと」に焦っているだけだと思うんです。だから、自分の変化を叩くような声が聞こえると、むしろ「自分はちゃんと変化しているんだな」と思えるので、非難の声はあまり気にならないですね。「出る杭は打たれる」と言いますが、出過ぎれば誰も打てなくなる。そう信じて、「出過ぎた杭」になろうとし続けていますね。

 

歌舞伎町を覆う、「誰でもない者」たちが生み出す連帯感

佐々木さんは以前、「歌舞伎町に通い続ける理由」を聞かれて、こんな風に答えています。

当時ライターとして活動していて、「◯◯さん!」と呼ばれたときに、求められている姿で対応することに疲れちゃうときがあって。そんなときに歌舞伎町へ行くと、「お姉さん!お姉さん!」と声をかけられ、ただのお姉さんとして生きられる居心地の良さがありました。名前を誰も知らないからこそ、何にでもなれる状況が心地よかったのです。(『歌舞伎町の社会学を研究する現役女子大生ライター・佐々木チワワに学ぶ、文章に秘められた無限の可能性 』より)

常に「外に見せる自分」を演出しているからこそ、「ただのお姉さん」になれる歌舞伎町に魅力を感じたわけですね。

佐々木

そうですね。それに、歌舞伎町にはゆるやかな連帯感があるんです。「同じコミュニティに属している感覚」を共有しているのだと思います。たとえるならば、大学のキャンパスを歩いているような感じですね。全然知り合いじゃなかったとしても「同じキャンパスを歩いている」だけで、なんとなく仲間意識が芽生えるじゃないですか。

会話のきっかけになる共通言語もありますしね。大学で言えば、「どこの学部?」とか「何ゼミ?」といったような。歌舞伎町においては、「どこのホストクラブに行ってる?」がそれにあたります。

 

なるほど。「そこにいる」という事実が共通点となり、連帯感を生み出している。

佐々木

もちろん、他の「夜の街」にも連帯感は生まれると思います。ただ、歌舞伎町はたった600メートル四方のエリアにさまざまなお店や人が集っているので、より連帯感を感じやすいのかもしれません。

さらに言えば、虚構であるがゆえの温かさも感じます。キャバクラやホストクラブで勤めている人たちは、源氏名を持っていますよね。それに、お客さん側も学校や会社といった「日常」から離れて、そこにいる。そういった意味では、匿名性を持った上で、歌舞伎町という街を媒介につながっている。だからこそ、人にやさしくできる部分もあると思うんです。

 

どういうことでしょう?

佐々木

たとえば、仕事から帰っているとき、道端に酔っ払っている人が寝ていたら声を掛けたり、助けようとしたりしますか?

 

うーん……ケガをしてなさそうだったら、放っておくことが多いかも……。

佐々木

そういう人って多いと思うんです。でも、日常から離れた、誰でもないただの「お兄さん」「お姉さん」としてなら、人って意外とやさしくなれる。それに、寝ている人が「仲間」だと思えるならなおさらですよね。もちろん、歌舞伎町には「やさしくない」側面もあります。でも、そういった温かさがあることも魅力の一つだと思います。

 

なるほど。

佐々木

ただし、単に歌舞伎町で過ごす日数が少ないことが、その人にとって「重要ではない」ことを意味するわけではありません。歌舞伎町には、ホストクラブに通うために街の外で懸命にお金を稼いでいる人もいます。生活の主軸は歌舞伎町にあるわけです。

むしろ、そういった人にとっては、月に数日しかない歌舞伎町で過ごす日々こそが「日常」と言えるのかもしれません。

 

ライターとして佐々木さんのキャリアと、歌舞伎町にのめり込み、研究対象とするに至ったいきさつをうかがった前編に続き、後編では歌舞伎町のさらに奥へと踏み込みます。そこには、自らを傷つけてまでもホストクラブにお金を落とそうとする、たくさんの女性の姿がありました。何が彼女たちを駆り立てるのでしょうか? そして、SNSが夜の街とそこに集う若者に与えた影響とは? それらを紐解く鍵は、「自分の物語」にあると言います。後編もお楽しみに。

[取材・文]鷲尾 諒太郎 [撮影]須古 恵 [編集]小池 真幸