【後編】中西 崇文
AIが何でもやってくれる時代。それでも人が「やりたいこと」とは
AIを使う人間に必要な力
2026.06.29
仕事の効率化だけでなく、作曲やイラスト制作といったクリエイティブな領域にもAIが進出しています。AIが多くのことを代わりにできるようになった今、人間は何を学び、何を目指せばいいのでしょうか。
前編では、対話型AIが「意味」ではなく「類似度」をもとに言葉を扱い、ハルシネーションもその仕組みから生まれることを聞きました。そして、AIは論理的に考えているように見えても、人間と同じ意味で論理を理解しているとは限らないのだそう。では、その言葉の責任は、いったいどこにあるのでしょうか。
後編では引き続き、東京工科大学教授の中西崇文さんにAIと人間のこれからについてお話を伺いました。
AIがさまざまな作業を担ってくれる時代に人間に求められる力や、「やりたいこと」を持つ意味について、掘り下げます。
( POINT! )
- 人間に寄り添いすぎるAIの迎合性の問題
- 心地よい回答が正しいとは限らない
- AIが出した情報を採用するかどうかは、人間が判断
- 人間の判断を支援するための、説明可能なAI(XAI)
- AIは人間と同じ意味で論理を理解しているわけではなく、「もっともらしい」答えを生成
- AI時代ほど、人間の基礎学力やリテラシーが重要に
- AI時代は「やりたいこと」を言語化できる人が強い

中西 崇文
東京工科大学コンピュータサイエンス学部教授。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター 主任研究員。デジタルハリウッド大学大学院 客員教授。1978年生まれ。2006年3月、筑波大学大学院システム情報工学研究科にて博士(工学)の学位取得。2006年より情報通信研究機構にてナレッジクラスタシステムの研究開発等に従事。2014年4月より国際大学グローバル・コミュニケーション・センター准教授・主任研究員、テキストマイニング、データマイニング手法の研究開発に従事。2018年4月、武蔵野大学工学部 数理工学科 准教授。2019年4月より武蔵野大学 データサイエンス学部 データサイエンス学科 准教授。2025年より現職。専門は、説明可能なAI、データマイニング、感性情報処理。著書に『シンギュラリティは怖くない』(草思社)、『ChatGPTはどのように動いているのか?』(翔泳社)など。
AIの「寄り添いすぎ」と迎合性の問題
ハルシネーションも、AIにとっては間違いではない」と、前編で伺いました。一方で、「AIが自分の意見に同調してくれる」「相談すると肯定ばかりされる」と感じる人もいます。

中西
それは「オーバーアライメント」と呼ばれる問題ですね。
オーバーアライメント?

中西
各社はユーザー体験を重視しており、継続して使ってもらえる応答を目指して調整しています。ソーシャルメディアやゲームと同様に、継続利用が重視されるサービスだということです。サービスとしては、ユーザーが使いやすい、また使いたいと感じることが重要になります。そのために各社は、利用者が「心地よい」と感じるように最終的な学習調整を行っています。このように人間に寄り添いすぎてしまう調整の弊害が、「オーバーアライメント」、あるいは最近では「AIの迎合性(sycophancy)」と呼ばれる問題です。
使い続けてもらおうとするんですね。たとえば、自分が寝坊して仕事に遅れてしまった場合。周囲の人が注意しても、AIは「疲れてたから仕方がないよね」と慰めてくれます。うれしいけど、AIは類似度で「もっともらしい」言葉を選択していますよね。頼ることで適切な判断ができなくなるのでは?と心配になります。

中西
まさに、AIが聞き手が喜ぶような回答を生成するように学習されているからですね。たとえばOpenAIでは、GPT-4oの応答が過度に迎合的になったとして、一度アップデートをロールバックしたことがあります。また、モデル更新後に「以前より冷たくなった」といったユーザーの反応が出ることもあり、応答の温かさや安全性をどう調整するかは大きな課題になっています。
危険でしょうか。

中西
その人が喜ぶような回答をするということは、場合によっては、ユーザーの誤った前提や危うい判断まで肯定してしまう可能性があります。
インターネットのエコーチェンバーやフィルターバブルと同じようなことが、AIとの対話によっても起こっていますよね。

中西
実際に起きてますね。自分に心地よい答えが返ってきやすい傾向があることを理解して使う必要があります。
「正しさ」を判断するのは人間
AIは人間に寄り添いすぎることがあります。しかし、その助言を採用するかどうかは誰が決めるのでしょうか。

中西
基本的には人間です。
間違いがあった場合、AIを責めたくなりますが。

中西
これは、今までと変わらないんですよ。ネットで調べたことを元に間違った情報を発信した場合、誤報を広めた責任はその本人に生じます。当然、著作権の観点から適切な引用手順を踏む必要もありますが、そうした諸問題をクリアしたうえで、本人が権利関係も含めて納得して世に出すというプロセスは今後ますます重要になってくるはずです。
AIは提案してくれますが、その内容が正しいかどうかを判断するのは人間なんですね。

中西
そうです。現在は、そこが重要なボーダーラインなんです。
元々その分野にくわしくないからこそAIを使うことも多いです。知らないことをAIに聞いているのに、その正しさを判断する責任は人間にあるというのは大変ですね…。

中西
そうなんです。AI保険のようなものも出てきていますが、それでも最終的には人間が判断しなければなりません。だから私は、判断の助けになる説明可能なAI(XAI)を研究しています。
説明可能なAI。NotebookLMは比較的ソースをきちんと提示してくれると感じていますが、それとは違いますか?

中西
NotebookLMなどは参照元を提示してくれますね。ただ、それだけで十分とは言えません。たとえば、私は絵が描けないので、絵をAIに描いてもらうことがあります。でも絵について詳しくないので、絵を描く人たちが「この絵はありえない」と言っても、私は判断できないんです。
文章についても同じですよね。文章が書けないからAIに頼っている人が、その文章が適切かどうか判断するのは難しい。そのとき「なぜこの画像や文章を出したのか」を説明してくれれば、人間が判断するための材料になるのではないでしょうか。
「AIを使えば誰でも何でもできる」と言われることもありますが、使う人の判断力も、そもそも何をしたいのかを伝える力も必要ですね。

中西
そうです。AIは論理的に考えているように見えることがありますが、人間のように根拠を理解して推論しているとは限りません。前編でお話ししたように、AIは類似度を計算して、もっともらしい答えを生成しています。
ですから、AIが出した答えが正しいかどうかを判断するためには人間側に知識や経験が必要になります。AIが賢くなればなるほど人間は何も考えなくてよくなるのではなく、判断する力がより求められます。
人間は「やりたいことをやる」時代
ユーザー側の言語力にも影響されますよね。そうなると、やはり使う側の基礎学力のようなものも必要かと思います。でも、AIがあるから「もう勉強はいらない」「ノリだけあればいい」と聞くこともあります。

中西
それは違うと思います。まず、生成されたものがいいかどうか判断するには、人間側のリテラシーが必要だからです。感性だけではなく「これはこういう意味で好ましい」「好ましくない」と言えるリテラシーは持っておくべきだと思います。
もう1つは、AIを活用するためにも、現実の出来事を数式や言葉で表現する力が必要だということです。
そうですね。ただ、AIが多くのことを代わりにできるようになったとして、人間は何をすればいいのでしょうか。

中西
自動車が普及したからといって、人間は走ることをやめていません。車の方が圧倒的に速いのに、マラソン大会はなくならない。それと同じことだと思うんです。
AIが曲を作り、文章を書き、絵を描く時代になりました。しかし、小説家や音楽家、画家は「何かを表現したい」という欲求を失っていません。
人間が自ら「作りたい」と思う気持ちが消えることはない、と。

中西
はい。AIにできることが増えたからといって、人間の役割がなくなるわけではありません。AIができることと人間がやりたいことが重なったとしても、人は「やりたいからやる」という道を選ぶはず。私は音楽も手がけていますが、もし人間がAIの作った音楽を模倣するようになったら、それはAIの勝利と言えるのかもしれませんね。
AIは既存のデータから学習しているので、完全に新しいものを生むのは難しいのではないでしょうか。

中西
それは作り方によります。AIを使ったクリエイティブというと、自動で絵や音楽を作るという話になりがちです。でもプロの音楽家は、「自分の出したい音を出すプラグインづくり」といったAIの使い方をしています。
なるほど。「作品作りにAIを使うかどうか」という単純な話ではなく。やりたい部分は自分でやればいいし、AIを使うことに利便性があるなら使えばいいですね。

中西
そうなんです。AIが手段を提供してくれるからこそ、人間はやりたいことをやる時代になったとも言えます。そしてそのやりたいことを言語化できる人は強いですし、これからも残っていくんじゃないかと思います。
[取材・文]樋口 かおる

