【前編】林 祐輔
「月が綺麗ですね」はAIに伝わる?AI研究者に聞く「人間の心」
コミュニケーションは相互予測の更新
2026.03.19
「月が綺麗ですね」。夏目漱石が翻訳したとされるこの言葉は、遠回しな愛の告白として広く知られています。
意味を知らなければただの天気の話にしか聞こえない言葉。それが別の意味を持って心に広がるとき、私たちは驚きと喜びを感じます。それは、言葉にしていない気持ちが「通じた」と感じる瞬間。
人はなぜ、そんなふうに相手の心を感じ取るのでしょうか。そしてAIとの対話でも、そのようなコミュニケーションは可能なのでしょうか。
コミュニケーションをモデル化し、AIと人間が共生するAIアライメントを提唱する林祐輔さんに、「人間の心」で起きていることについて聞きました。私たちはAIと、友達になれる?
( POINT! )
- 身体を持たないLLMには情報が足りない
- 会話は相互予測の更新
- コミュニケーションの数式化
- アインシュタインとブラウン博士に憧れた少年時代
- 予測を超えたコミュニケーションは好奇心を刺激
- 人が壊れない形の関係設計が大事

林 祐輔
1986年生まれ。九州大学理学部、大学院理学府物理学専攻修士課程を修了。エコノミストとして日本銀行に入行後、企業・独立研究者としてAIとコミュニケーションの探求や社会実装を行う。Artificial Life Institute 人工生命国際研究機構 研究員、AI Alignment Network(ALIGN) 理事 / リサーチサイエンティスト、株式会社Humanity Brain 最高研究責任者(CRO)
「月が綺麗ですね」が伝わるとうれしい。それはなぜ?
「月が綺麗ですね」という言葉は、遠回しな愛の告白としてネットでもよく話題になります。でも、それを知らずに「月が綺麗ですね」と言われてもピンと来ないと思います。伝わるとしたら、どんなことが起きているのでしょう。

林
辞書の意味だけなら、ただの天気の話ですよね。でも実際には2人の関係や時間帯・沈黙・その場の空気など、いろいろな文脈が重なって特別な意味が立ち上がります。
「空気を読む」みたいな複雑なコミュニケーションですよね。対話型AIに言えばそれなりに答えてくれるけど、雰囲気や込めた思いは伝わらない気がします。

林
「月が綺麗ですね」って、かわいらしい心の動きからの言葉だと思うんです。AIともそんなやり取りができたら楽しいですよね。ただ今のLLMは身体を持っていないので、テキスト以外の情報が足りない。でも最近は、LLMを組み込んだ家庭用ロボットも出てきています。視界やセンサーがあって、人の状況をある程度共有できる。そうすると、自分たちが今いるシチュエーションや表情をやり取りする余地が出てきます。
それで「意味が伝わってる」とこちらが錯覚できるようになると、「月が綺麗ですねモーメント」みたいなものが起こる可能性はあります。
「月が綺麗ですねモーメント」?

林
言葉の意味以上のものが通じたと感じる瞬間みたいな。人間同士でも目が合ったとか同時に気づいたとか、言葉がなくても気持ちが伝わることがありますよね。
あります。言語外の意味や偶然によるものが伝わるとうれしい。なぜなんでしょう。

林
互いの未来予測がそろったからですね。コミュニケーションは「情報を正確に送る通信」だけではありません。僕らは相手の頭の中を見ることはできないので、表情や距離感などを手がかりにして「相手が今何を考えているか」を予測しています。
つまり会話とは、相互予測の更新なんです。脳は予測モデルを持っていて、会話で予測誤差を減らしていきます。詩的な言い回しの価値は曖昧さそのものではなくて、曖昧さを共同で解く知性にあるんです。
だから「言葉にしていないことまで伝わった」と感じると驚くし、喜びがあるんですね。
人間のコミュニケーションを数式で捉える
林さんはAIと人間のコミュニケーションを研究し、国際的なAI研究プロジェクトにも参加されています。そもそも人間のコミュニケーションに興味があるからですか?それともAIを人間に近づけるためなんでしょうか。

林
両方ですね。僕がコミュニケーションを研究している背景には、京都大学の谷口忠大先生の研究があります。谷口先生は人間の言葉や意味がどのように生まれるのかを研究していて、それを「記号創発システム論」と呼んでいます。
僕はその考え方をベースにして、コミュニケーションをもう少し数学的なモデルとして整理したり拡張したりする研究をしています。
人間のコミュニケーションが、数学で捉えられるということですか?

林
そうです。心を「予測モデルを更新するもの」と捉えると、知覚や学習・行動をひとつの枠組みで説明できるようになります。
機械学習の言葉で言えば生成モデルやベイズ推論(*1)ですし、情報理論で言えば不確実性を減らしていくプロセスとして理解できる。会話も、相互作用する推論器どうしのダイナミクスとして記述できるんです。
人間の心が単純化されてしまうような気がしますが。

林
数式化することは人間を薄くすることとは違います。温度計が「暑い」という主観を消すわけではないように、こういった再定義の目的は人間らしさを否定することではありません。どこで誤解が生まれてどこで理解が成立するのかを、再現可能な形で捉えることなんです。
形がないように感じる「心」の動きを数式として捉えるには、心と数学両方への興味が必要かなと思います。林さんは、こういう発想をいつ頃から持っていたんでしょう。学生時代も含めて聞いてもいいですか?

林
はい。中学や高校に通っていた頃のヒーローはアルベルト・アインシュタインと、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に出てくるエメット・ブラウン博士でした。タイムマシンを作ったブラウン博士は在野の科学者だし、アインシュタインも特許局で働きながら論文を書いてました。「外側」に興味を持ちやすいのかもしれません。
コミュニケーションの「予想外」が好奇心と行動を呼び起こす
林さんの言う「外側」って、どんなことなんでしょうか。

林
「今までと違うところ」へのこだわりがある気がします。14歳の頃、「戦争とかしてるし人類ってダサいな」と思って。地元の塾の友人と「人類の外側に行きたい」みたいなことを話してたんですよね。中二病ですけどね。
初めて塾の授業を受けた中2のとき、隣の席の生徒が突然僕の手をシャープペンでピッと引っかいてきて「お前には負けん」と言ったんです。意味がわからないけど僕も「お前にも負けん」と言い返して。Kというやつなんですけど。
ええ!初対面で?

林
初対面です。それで張り合って塾の先生に質問しまくるようになって。非常に低レベルながらも「俺のほうが理解してる」と言い合いをしてたら、だんだん脳みそが成長してきたんです。「鳥の羽とスーパーボールを落としたらどっちが速く落ちるか」とか。ガリレオ・ガリレイがピサの斜塔でやったようなことを塾の屋上でやって、夜10時くらいまで喋ってお菓子買って食べながら一緒に帰るみたいなことを毎日やってましたね。
最初は驚いたけど、仲良くなったんですね。突然の「負けん」発言とか、脳の予測を超えたコミュニケーションですよね。少しズレてたらそこで終わっていたものだからこそ、面白いのかな。

林
そうですね。ヤンキーに見つからないようにしていて、「近づいてきたら合図で知らせよう」と約束してたことがあったんです。合図自体は決めてなかったんだけど、そのときになったらKが小学生が考えたような曲を即興で歌い出して。笑いすぎて結局見つかり、走って逃げました。たしかにいつもサプライズがありましたね。
私たちは相互予測の更新をしながらコミュニケーションを取っているそうですが、そこには「他者」がいます。自分と対話しているだけだと、予測を超えた驚きも喜びも起こりにくいですよね?

林
おっしゃる通りです。自分一人で考えているだけだと、思考は予測の範囲内に収まってしまいます。相手が自分の予測をいい意味で裏切ってくる予測誤差、「サプライズ」が人間の好奇心を刺激するんですよね。
イギリスの神経科学者カール・フリストンが提唱した「自由エネルギー原理」という考え方があります。それによると予測誤差がポジティブに働く場合、人間の好奇心や探索行動につながるとされています。
AIとお菓子を食べながら一緒に帰ることはできませんが、それでも通じにくいことが通じると「わかってくれた」と感じます。今後AIと「月が綺麗ですね」のようなやり取りを行い、友達になることもできるのでしょうか。

林
友情も恋愛も、「できるか」で言えばかなりの範囲で起きると思います。人間って相手に心やクオリア(*2)があるかどうかは関係なく、自分のことを予測してコミュニケーションしてきていると感じた瞬間に「心がある」「理解された」と錯覚してしまう生き物なんです。AIが記憶を持って応答を調整し、関係履歴を共有できれば主観的には「本物の関係」として感じられます。
ただしそこには設計責任がともないます。企業がつくるものなので、親密さは搾取に変わる危険性がある。透明性や同意・離脱の自由を保ち、人が壊れない形で関係を設計できるかが重要です。
人間のコミュニケーションで何が行われているのかを林さんに聞いた前編はここまで。後編では、AIとのコミュニケーションにおいて必要となるAIアライメントと、AIを含めた人間の新しいコミュニケーションの形について伺います。お楽しみに。
- ※1:
- 「ベイズの定理」に基づき、観測データから原因や未知のパラメータを確率的な分布として推定する統計的手法
- ※2:
- 視覚・聴覚・嗅覚などの感覚を通して体験する主観的な意識や経験
[取材・文]樋口 かおる [撮影]小原 聡太

