【後編】綿野 恵太
なぜ「話せばわかる」は通じないのか
対話の限界と「一緒にいる」ことの意味
2026.02.26
認知バイアスや社会構造によって、考えを偏らせやすい私たち。それでもなお「話せばわかるはずだ」という思いから対話が求められ、うまくいかない状況も多く見られます。
よく言われるのは、「話せばわかる」という言葉。対話を重ねてきちんと論理的に説明すれば、相手の誤解は解けて分断は乗り越えられるのでしょうか。そこには「自分が正しくて相手が間違っている」という思い込みや、「よく知らない相手でもこちらの意見に興味関心を持ってくれるはず」という勘違いがあるかもしれません。
後編では、『みんな政治でバカになる』の著者綿野恵太さんとともに、「対話の限界」とその先にある可能性について考えていきます。わかり合うために必要なのは言葉でしょうか。それとも別のもの?
( POINT! )
- 人は昔から判断の偏りやすさへの対策をしてきた
- 極端な考えがより極端になる集団分極化
- 「話せばわかる」は、実はかなり難しい
- 人は論理よりも、信頼できる人の言葉を受け取りやすい
- 判断に責任と時間があれば、人はちゃんと考えられる
- 分断をほどく鍵は、「説得」よりも「一緒に過ごすこと」
- SNSは人間の認知の仕組みと相性が悪い

綿野 恵太
1988年大阪府生まれ。福島県在住。太田出版で編集者として勤務したのちにフリーの文筆業。著書に『みんな政治でバカになる』(晶文社)、『「逆張り」の研究』(筑摩書房)、増補改訂版「差別はいけない」とみんないうけれど。 (朝日文庫)など。共著に『吉本隆明 没後10年、激動の時代に思考し続けるために』(河出書房新社)など。
極端な考えを持つ人が話し合うと、さらに極端になる
人が誤った考えを持ちやすい構造について前編で伺いましたが、インターネットやAIを使わない昔はどうなんでしょう?便利になることで、人はより「バカ」になっていますか?

綿野
人間は愚かさを抱えている。しかも、まわりの他人や環境の影響を受けやすい。その点、SNSという環境ではその愚かさが加速してしまう。
でも、人間は自分たちの愚かさに気づいて、様々な制度を整えることで愚かさを減らしてきた歴史がある。
たとえば、裁判では冤罪を防ぐためにさまざまな手順をふみますよね?議会制民主主義もそうです。国会の討論を見ると「なんでこんな無駄な話をしているのか、優秀な人に全ての権限を委ねたほうが効率的ではないか」と思ってしまうけれど、一見無駄に思える制度にも、独裁にブレーキをかけるという合理性はある。
私たちが間違えないように仕組みを作ってきた時間に比べて、インターネットは速くて強すぎる気がします。もちろん、いい面もたくさんありますが。

綿野
その通りだと思います。東日本大震災、原発事故が起きて、2010年代はSNSを使った政治運動が活発になった。選挙運動も解禁された。地域社会で孤立していたマイノリティがネットで出会って運動を広げていった。これは良いことでした。
でも2020年代になると、悪いところもでてきた。変わり者と変わり者がつながって、とんでもない主張を繰り広げて「これ、陰謀論だよね…」みたいな。一昔前なら町の変わり者で済まされたのに、ネットを通じて結集して、極端な考えをさらに先鋭化させていく。「集団分局化」現象というやつです。
でも、当人はすごく楽しいですよね?町でつぶやいてても誰も聞いてくれなかった話を真剣に聞いてくれる相手がいるわけで。

綿野
絶対楽しい。趣味なら問題はない。でも、政治は他の人に影響を与えてしまう。
アテンション・エコノミーが刺激的な情報を表示する問題もあります。ネットとリアルの温度感が以前より離れていると感じます。

綿野
ありますね。Twitter(X)で評判悪いものは大体世間ではすごく評判がいい。
「話せばわかる」は本当か
ネットだけを情報源にするのは危ういですが、かといって「話せばわかる」も難しいですよね。

綿野
対話や議論の大切さを説く人も多いんですが、でもそういう人に限って、自分と同じような対話の大切さを説く人たちと対話しているだけ。単なる仲間内のおしゃべりなんじゃないかと思っています。
あと、常々感じてきましたが、議論や対話は要求する人間のレベルが高すぎると思っています。対話や議論の大切さを語る人は、もともと言語化能力や理解力が高い人が多い。他の人も自分と同じぐらい話ができると思い込んでいるし、「正しいことを伝えれば、正しく理解してくれて、間違った行動をあらためてくれるはずだ」という謎の前提がある。そりゃ、あなたが働いている大学では通用するかもしれませんが、ごくごく普通の感覚からすれば、見ず知らずの人がいきなりご高説をたれても聞く耳さえ持ってくれないでしょう。
知らない人に論理的に説かれたら、警戒しますね。

綿野
大切なのは、論理ではなく親しみやすさだと思うんです。以前から知っている。いつも一緒にいてくれる。そんな親しみを感じる人じゃないと、話なんて聞いてもらえない。
ノーベル賞受賞の報道で家族の話ばかり伝えられることがありますが、「自分に無関係ではない」と思ってもらえそうです。

綿野
そういうニュースを「通俗だ。もっと科学的な知識を伝えろ」と非難する専門家もいますが、通俗的な物語をフックにしないと関心さえ持ってもらえない現状がある。逆にいえば、関心さえ持ってもらえれば、知ろうとしてくれるということです。
政治的無知の話に戻すと、今の政治はスケールが大きすぎるんですね。国政選挙で投票しても、自分の一票が選挙の結果を左右することはほぼほぼない。自分の生活と政治がどう関係するのか。あまりにも大きすぎて手応えを感じられない。
だから、多くの人が政治への関心を持つには、地方自治体など小さいスケールから始めるしかないと考えています。自分の家の近所の道路計画とかは生活に関わってくるので。
大きな集団だと自分の意見に価値があると思えず関心が薄くなり、小さな集団だとそこの考えに反することは言いづらいということがありますよね。

綿野
「小さな村の寄り合いに民主主義を見出す」系ですよね。そういう人を見るたびに「本当に村に住んだことがあるのか」と思いますよね。たいてい地方の名士の高齢男性が偉そうにしてて、若者や女性は意見も言えないパターンですし。
一定時間「一緒にいる」ことで、どうなる?

綿野
もちろん、こういったジェンダー的な問題もあるんですが、小さなグループで話し合いをしてその人の決定に重みを持たせる制度をうまくつくれば、人は様々な意見を聞いて真剣に考えて結論を出すという研究もあります。
どんな研究ですか?

綿野
「討論型世論調査」という方法があります。住民の中からランダムに集めた人たちに、ファシリテーターと専門家が同席したうえで、数日間にわたってしっかり議論してもらう。質問もできるし、意見も変えていい。そうすると多くの人がより合理的な考えに近づいたり、自分の意見を修正したりする傾向が見られると言われています。裁判員裁判に近い部分もありますね。
自分の意見が誰かの人生や社会の決定に影響するとわかると、人はちゃんと勉強する。知識を仕入れて結論を出そうとする。そういう意味では、人間は決して「どうしようもなくバカ」な存在ではないと思います。
そういう仕組みなしに、ただ「話せばわかる」では難しいということですね。

綿野
今のSNSは24時間話し合いが行われていますが、まあ、最悪ですよね。
僕たちには、自分の所属する集団や同じ属性の人を優先する傾向があります。これは「内集団バイアス(*1)」や「部族主義(*2)」と呼ばれるものです。
政治的な議論になると、この部族主義がひどくなります。敵を口汚く罵れば罵るほど、仲間たちが熱狂してくれる。そうやって部族主義的な本能を刺激すれば、確かに集団の結束は高まります。しかし、結局行き着いたのは社会の分断です。
こういうSNSの使い方が一番上手なのは、アメリカのトランプ大統領です。でも、左派やリベラルも、トランプと同じように敵への怒りを掻き立てている。トランプ的な人種差別や女性蔑視に抵抗しようとした結果、トランプ的な振る舞いをしてしまうという矛盾です。
では、どうするのがいいでしょうか。

綿野
交流が大切だと思います。長い時間、同じ場所にいること。リアルで何度も会えば、「話せばわかる」という余地が出てくる。議論や対話は交流の次です。先ほど紹介した「討論型世論調査」も、同じグループとして一緒に過ごすからこそ効果があるのではないか。
心理学の実験でも、敵対していたチーム同士であっても、一緒に協力せざるをえない状況をつくれば、相手チームへの敵意や偏見が減少するという研究結果があります。大切なのは話し合いではなくて、同じ目標に向かって作業すること。同じ空間を共有すれば、相手の言い分も聞いてやろう、となる。人間にはこうした生得的な特性があるので、なるべく生かすべきです。
一緒には過ごさず、短文チャットで敵か味方かを判断するような、SNS空間は…。

綿野
もう最悪です。SNSではリアルで接触させないのに、言葉と言葉を出会わせてしまう。特に拡散されて目につきやすいのは、政治的な敵を口汚くののしる言葉。誰だって嫌な気持ちになりますし、そのうえで話し合おうとすれば、売り言葉に買い言葉で話がこじれるだけ。「まあ、まあ、ちょっとお茶でも飲みながら話そうや」と会って話せば解決できる問題が、大事になってしまう。SNSで出会うことがリアルな交流を妨げています。
今「言語化」がブームになっていますが、「言葉にできることもあれば、できないこともある」という当たり前の事実を再認識すべきではないでしょうか。
- ※1:
- 仲間や家族を優遇する傾向。
- ※2:
- 集団外を排除したり差別したりする態度・行為。
[取材・文]樋口 かおる [撮影]工藤 真衣子

