変わらないために変わる ―「恒常的無常」という生命の本質

脳が予測をつくり出す装置で、実測との違いから「脳内モデル」をアップデートしていると前編で伺いました。脳の目的は私たちを「よりよく生かす」ことにあると思っていたのですが、そうではないんですね。予測をつくり出すことは、目的でしょうか。

毛内

目的ではないですね。「脳って何か」と言われたら予測を作り出す臓器というか装置。目的ということで考えるなら、脳も細胞です。そして地球上にあるすべての細胞の願いは何かというと、一定でありたいということです。

 

一定でありたい?

毛内

ホメオスタシス(*1)、恒常性ですね。とにかく変化したくない。環境を一定に保ちたいし、 ほっといてくれという感じです。

 

変わらなくていいということですか?

毛内

それが、そうはいかないんです。たとえば体温が下がりそうな状況では、体温を一定に保つために体が震えるといった変化が起きることがありますね。

細胞が増えるのは、そのままだとゴミが溜まってうまく働かなくなることがあるので、分裂して恒常性を維持するためです。僕らを動かしているのは遺伝子で、遺伝子の目的は続いていくこと。生命は続いていくことが目的で、そのためには効率よく恒常性を保ちたい。

でも、外の世界はどんどん変化してしまう。だからその変化に適応したり働きかけたりして、一定を保とうとしてるんです。

 

変わらないためには、変わらなくてはいけないということですね。

毛内

そうです。「ストレス応答(*2)」という形で対応が必要になります。ストレスというと心理的なものを思い浮かべるかもしれませんが、細胞レベルで見ると、刺激はすべてストレス。これは植物でも微生物でも同じです。脳もずっと一定でありたいけど、いろんな光や音が来たりしますよね。光や音を「見たい」「聞きたい」からではなく、そのストレスを軽減して一定でありたいがために、僕らは変化することを選択しているんです。

これは生物学者の福岡伸一さんが「動的平衡」という素晴らしい言葉で表現しています。ここに、日本人に馴染み深い「無常」のニュアンスを加えて、僕は「恒常的無常」という言葉を提案しています。

無常とは仏教における教えの一つで、「常なるものはない」という意味があります。実際、人の腸の粘膜細胞は数日ごとに新しい細胞に置き換わりますが、それによって別の人間になることはなく、「自己」は保たれています。

 

変わりたくはないけれど、挑戦したくなるのは?

毛内

脳は恒常性を維持するためにいろいろしてくれているんですよね。暑かったら汗をかくとか、走った後に心臓がドキドキするとか。外界に適応して、なるべく変化しないように。

 

脳はできれば変わりたくないと。でも、「ダラダラ過ごしてるけど本音ではちょっと成長したい。変わりたい」ってことありますよね。その場合も「変わらなくていい」を選択することになってしまいませんか?

毛内

そうなんですよ。現状を維持したいので。

 

「現状どうにかなってるんだったらこのままでいい」とか。

毛内

どうにかなってるならそうです。ただ、そのままだと困ることがありますよね。たとえば研究用に飼育されているマウスは、ケースの壁側にいることが多いです。でも、そのままだと異性と出会うことができません。すると、ちょっとケースの真ん中に行ってみるというマウスが出てきます。

やっぱりちょっとそのままでは維持できなくなって、冒険したくなるわけですね。みんながみんなそうである必要はないけど、集団のなかでそういう役割を担う個体は必要です。それがいわゆる好奇心やちょっとした不安を持つ人。マウスの場合はふだん行かない真ん中にいくことで異性に出会えるかもしれないし、新しいデータを得られるかもしれません。それがモチベーションになるんですよ。

脳は、報酬を最大化するために予測を立てています。この行動をしたらこれくらいの報酬が得られるだろうという予測ですね。実際に行動して、足りなければもっとやるとか、足りて満足してハッピーになるとか。その報酬予測は、ドーパミン(*3)という脳内物質が計算しています。

 

ドーパミンは「快楽」を与えてくれるものですか?

毛内

いえ、よく誤解されていますが、ドーパミンは快楽物質ではありません。ドーパミンが作用することで脳内麻薬といわれるエンドルフィン(*4)出ます。それが気持ちがいいので、僕らはまたその行動をしたいと思うんですよね。ドーパミンは報酬そのものではなく報酬の予測をするもの。

ディズニーランドへ行くときも、舞浜駅に降り立った瞬間に一番ワクワクすることがあると思います。旅行の計画を立てるのが楽しいのも、期待があるからですよね。

それは人間だけじゃなくて、けっこう原始的な動物でも同じです。報酬をより大きくするために行動して、予期せぬ大きな報酬が得られるとハッピーになる。だから変わらないでいたくはあるけれど、「ちょっと冒険してみる」ことが起きるわけです。

 

コミュニケーションには正解がない。失敗で脳を更新

「ちょっと冒険してみる」のは、慣れた安全なコンフォートゾーンから少し出ることですよね。でも現代人、特にZ世代は「失敗を嫌って挑戦を避ける」といわれています。トラブルに対して逃げることを選びがちというか。

毛内

「逃げる」という言葉にはネガティブなイメージがありますが、生存を有利にするための選択の一つです。戦った結果、傷ついて死んでしまったら元も子もないので。

ただ人間は特殊で、生物としては非常に弱いです。牙もないし、空も飛べないし、速く走ることもできない。進化の過程で、他者と協力するという方法を覚えました。一人で挑戦するより、他の人と協力することで成功の確率を上げられるかもしれません。脳はどちらが有利か計算して、選択しています。

 

どうしたら、「協力して乗り越える」という選択ができるのでしょう。

毛内

協力するには相手とのコミュニケーションが必要で、新たなストレスが生まれます。相手のことは予測できないので、「変わらないでいよう」とするなら協力せず、自分だけでどうにかしようと考えがちです。

ですが、人と協力して「よかった」「大きな報酬が得られた」という知恵ブクロ記憶(*5)があると、「また協力してみよう」という選択ができます。

 

体験した記憶が次の選択に影響を与えていく。毛内さんが提唱する「知恵ブクロ記憶」ですね。

毛内

そうです。チンパンジーの実験でも、何か達成させるためには過去に協力的だった相手を探すことがわかっています。そして、そうした社会性には、実は感受期とよばれる学習しやすい時期があります。中学生ぐらいまでの子どもたちはとにかく大勢のなかで遊ばせて、喧嘩も含めた社会的な経験を積ませることが重要なんです。

 

社会性を身につけるのには、ぶつかるような失敗も大事だと。

毛内

失敗は何度してもいいです。むしろ失敗するために新しくチャレンジして、知恵ブクロ記憶を更新していかなきゃいけない。全てが予測通りだと、脳の更新が起きません。

現代人は慢性的な脳疲労状態にありますから、脳のメンテナンスをしてくれるアストロサイト(*6)も不活性状態にあります。

活性化させるための方法はいくつかあります。1つめは「新奇体験」。ふだんの自分はやらないような新しいことをすると、脳はピンチになって働き出します。2つめは「情動喚起」。体の変化を伴うようなドキドキ、ワクワクすることをします。3つめは人と一緒に何かをするとか、人助けをするなどの「社会的行動」。人に何かをしてあげることは自分の脳のストレスを解消し、活性化してくれるんです。

AIが答えをくれる時代なので、僕らは答えがないことに取り組んでいくべき。コミュニケーションも正解がないもので、1+1が2ではなく3になることもあります。失敗も含めた能動的な経験を積み、知恵ブクロ記憶を定着させていくことが大切です。

 
※1:
「変わらない」ために、変化して一定に保とうとする仕組み
※2:
刺激に対して身体が適応するために起こす生物反応
※3:
神経伝達物質。ドーパミン自体に気分をよくする効果はないが、やる気などに関係する
※4:
神経伝達物質。痛みを和らげたり幸福感をもたらしたりする
※5:
経験や記憶から培われた記憶の集まり。毛内さんが提唱
※6:
グリア細胞の一種。脳内の環境を整えてくれる

[取材・文]樋口 かおる [撮影]野間元 拓樹