『レタイトナイト』連載前の「準備」を連載

『レタイトナイト』連載の前に「連載の準備」についての連載があって、『香山哲のプロジェクト発酵記』という本になっていますね。時間に追われてなんとなくこなしてしまう「準備」について言語化されていて、誰にとっても参考になるだろうと思いました。

香山

自分でもこの機会に初めて言語化したものが多かったです。『発酵記』の連載は1年ぐらいやったんですけど、実際の準備はもうちょっと長い期間ぼんやり考えていて、最後の1年をギュッと見せていくみたいな感じです。

 

自分のあり方や仕事のすすめ方などについて、一旦組み直す機会にもなったということですね。

香山

そういう感じです。『発酵記』の前に連載していた『ベルリンうわの空』でもテーマとして扱っていた「ケア」にもなっているかもしれないです。一度立ち止まって仕事を見つめ直すとか、これからどうしていきたいのか考えるみたいな。自分で自分を大事にするところを実際に紹介することで、セルフケアをリアルに感じてもらえるかなと。特に、自分の仕事や出版の世界はそういう意味でのケアは足りてないと思いますし。

 

本当に。求められるスピードもどんどん増しています。

香山

雑でも速くたくさん出して、どれか当たればいいみたいな態度で作っていると、読者の心が離れる原因にもなると思います。だから余計、「ゆっくり楽しく作ってる」ところを見せたかったというのもあります。

 

『レタイトナイト』にも旅の計画を立てる楽しさを感じるシーンが出てきます。香山さんは元々計画性があるのでしょうか?

香山

どっちかの極端な人ってそんなにはいないのかなと思っていて。僕は計画を立てることも立てずにその場その場でやることも、どっちも好きです。動物だから気分の上がり下がりもありますし。

 
『レタイトナイト』第3話より。主人公の少年カンカンが町を出るために考えた持ち物リスト ©︎香山哲/トゥーヴァージンズ

ゆっくり考えてやるには「勇気」がいる

「速く」と追い立てられると自分の気分を無視してしまうし、準備を楽しむ余裕もなくなりますね。

香山

たとえば漫画は、素早く作られたコンテンツが増えて競争が激化していて、たくさんのものが無料で読めます。スーパーのお総菜売り場で全品何でも試食できたら変だけど、そういう状態なんです。

試食だらけでみんなおなかいっぱいのなか、何を出せばいいだろうか。何か珍しさが無いと難しい気がしますよね。今の環境だと「ゆっくり考えてやる」こと自体が珍しさになりうるから、ビジネス的にも正しいんじゃないかなと僕は思っています。

 

そう思っても、不安でなかなかできないかもしれません。

香山

みんなが「そうはいってもできないよね」と言ってるうちに、度胸と勇気を持って飛び出せば少しでも有利になるかもしれないという感じでやってるところは少しあります。元々追い立てられたくないというのもありますけど。

 

香山さんは連載にあたって自分にインタビューもしているし、お話について相談するアシスタントさんもいるそうですね。自分のペースを守りつつ、様々なフィードバックも受けるのはなぜですか?

香山

これは単純な話で、まだまだ自分の漫画はもっとよい感じにできると思っていて、制作の質やスピードをよりよくしたいからです。友だちとして信頼してる人たちが、ストーリーや絵の面でそれぞれ協力をしてくださっています。基本的なコンセプトやストーリーなどやりたいことは自分で考えていて、そこに沿って協業してもらっています。

異なる意見が出ることもよくありますが、「僕の考えに一番しっくりきて、楽しく読んでもらえる選択肢はどれ?」を話し合う感じです。「どんなものを目指しているのか」について日頃から雑談を交わしているので、その水準での齟齬を感じないのはとてもありがたいです。

 

対話することでどんな発見がありますか?

香山

協力者や読者から「この手押し車はどういう構造?」「この料理は作るのにどれぐらい手間がかかる?」といった質問をもらうことがあります。それがそもそも考えていなかったり、考えてもわからなかったりして、身近にあるものでも理屈や機構を知らないんだなと日々気付かされます。

そういう知識は「雑学」とされがちですが、たとえばスプーンやエレベーターなどいろんなものについて知ると愛着を持ててうれしくなります。

 

AIにも相談しますか?

香山

調べごとの予備段階で使うことがあります。たとえば「8世紀バングラデシュ周辺、楽器を使った大衆演劇みたいなものの有無について知りたい。検索で役立ちそうな現地の言葉での単語とか、見るべき本とかあります?」と聞く感じです。

 
『レタイトナイト』第16話より。豆の粉を水で溶いて「豆ディスク」を焼くカンカン ©︎香山哲/トゥーヴァージンズ

「自分を甘やかす」くらいで

「考える」には技術が必要だと思います。香山さんはどんなふうに自分の考え方を見つけていったんですか?

香山

具体的な仕事の計画とか、考える余裕がない状態も人生をやっていると発生しうるし、考えるだけがすべてではないと思います。でも僕は今のところ、「考え方の考え方」みたいなものを集めるのが気に入っています。

考えるための前提条件をクリアにして判断材料を十分に持っておきたいという考え方は、たまたま学生の頃やってた自然科学の実験とかから学んだような気がします。ある程度うまくやらないと時間や高額な薬品が無駄になったりするので…。

また、友だちに聞いたり本を読んだりしたおかげで遅くに気づいたことも多いので、そういうことをできるだけ僕も他の人にシェアしたいと思っています。

 

「自分には価値がないからもっとがんばらないと」と思って競争に駆り立てられてしまうことがあると思います。どうしたらセルフケアができるでしょうか。

香山

孤立によってよくない状況になることもあるので一概にはいえませんが、しんどい環境からは遠ざかったほうがいいと僕は思ってます。僕は学校を中退してるんですが、退学って「学費を出してもらった親に申し訳ない」とかありますよね。でもギリギリまで辛くなる前にやめました。逃げたんですが、それは自分をかわいがることでもあって。「自分を大事にする」というと大仰なんで「自分を甘やかす」くらいでいいんじゃないかなと思っています。どんなことでも「ちょっと面倒くさい」「苦手なんだよね」みたいな素直な理由で断れるようにするとか。そういう自分になりたいので、意識しています。

でも、自分が変わるトリガーは自分以外のところにあるかもしれません。社会などの環境や他人からの作用があって人生は進んでいくので、自分1人が原因で今の自分があるとはあまり考えないようにしています。

セルフケアとして「日々安心できて、心身を良好な状態に保つ」ことを改善したいなら、具体的に欲しい状態を僕は考えることが多いです。「頭痛の頻度を2割だけ改善したい」とか「制作のクオリティを上げるために心身のこの部分を補強したい」とか。そうすれば必要な時間の量や必要なことがわかりそうです。その時間や努力は払えそうにないなと思えば欲しいものをすこし控えめにするとか、僕はそういう見直しをしています。

 
香山さんの著書。『ベルリンうわの空』『ベルリンうわの空 ランゲシュランゲ』『ベルリンうわの空 ウンターグルンド』『香山哲のプロジェクト発酵記』(イースト・プレス)、『レタイトナイト』(トゥーヴァージンズ)。(photo/工藤真衣子)

[取材・文]樋口 かおる