自由で新しい文化が生まれたインターネット元年

「はじめてインターネットに触れた時、新しい可能性を感じた」と『現代ネット政治=文化論』に書かれていますね。現代ではネットから離れる「デジタルデトックス」がすすめられることも多いです。当時はもっとポジティブに捉えられていたのでしょうか?

藤田

1995年ですね。Windows95が発売され、インターネット元年と呼ばれる年でした。理系の技術者だった父がパソコンを購入し、私の部屋に設置しました。それまではパソコン通信を少し触ったことがあるくらいでしたが、ネットの自由で新しい文化にすぐに夢中になったことを覚えています。

当時のコンピューターはまだ複雑で一般的ではなく、使っていたのはアーリーアダプター層。そして少しオタク気質がある人が多かった。

 

藤田さんはどんなことに使っていましたか?

藤田

何ができるのかまだよくわからない段階ですから、とにかくいろんなことをやっていましたね。音声読み上げソフトにテキストを読ませて友だちにイタズラ電話したり、作曲や映像編集をしたり。あとはテレホーダイ(*1)の時間に当時「ホームページ」と呼んでいたいろんなWebサイトを見て、HTML(*2)を手打ちして自分で作ってみたりもしました。

 

今では当たり前の「個人が発信する」ことが広まった時期。

藤田

そうですね。商業的ではない自分の趣味や感覚をホームページ、つまり「家」に表示して、そこに来た人が掲示板に挨拶してくれたりお互いにリンクを貼りあったり。人付き合いみたいなものがある手作りで純朴な世界でした。そこから「あやしいわーるど」「あめぞう」「2ちゃんねる」といった匿名掲示板が登場してすごいスピードで人がやり取りをするようなものが見えるようになって、属人性から切り離されたんですね。誰が書いてるのかわからないものが主題ごとに大量に集まっていて、これまで見たことがない意見やこれまで知らなかったことをたくさん目にできる。そこに驚いた記憶があります。

 

世紀末。匿名掲示板が登場

それまでのネットはあまり匿名文化ではなかったんでしょうか。

藤田

匿名ではあってもハンドルネームを使う人が多かったし、本名で書く人もいました。パソコン通信時代には「ネチズン」という言葉もあって、ネットの市民社会に期待する向きもありました。それが匿名掲示板で「オマエモナー」と短文や1行でやり取りするようなコミュニケーションが増えて、いわゆる「市民社会」的なものとはちょっと違うノリになっていったんです。

 

自由で面白いところだけれど、少し危険というか。

藤田

匿名掲示板が流行ったといっても、インターネット自体まだ誰でも使っているようなものではありませんでした。あえて俗悪的なものを表現したり見たりしたい欲望がある人たちが、最初はやってきていたような気がします。麻薬の取引とかも普通に見れてしまう状態で、罠みたいなスナッフビデオのリンクや殺害予告もたくさんあって。新聞などのマスメディアや教科書などに出てくる情報は基本的に統制されてフィルタリングされたものなので、そうではないものに触れることは中学生の頃の自分にとってショックも面白さもありました。

 

オタク文化とも相性がよかったと思います。「オタク」というカテゴリーはネット以前からありましたよね?

藤田

元々電気街だった秋葉原が今いわゆる「萌え」の街になっているのは、コンピューターと萌えのようなオタク文化の相性がよく、コンピューターが好きな理系の人たちが初期のオタクだったからなんです。それが徐々に美少女コンテンツやアニメやゲームといった今のコンテンツに移行していった歴史があります。

オタクという言葉は1980年代にはありましたが、あまりいい意味では使われないことも多かった。イメージが変わる分水嶺となったのは1995年に放送開始した『新世紀エヴァンゲリオン』。ひらがなの「おたく」からカタカナの「オタク」に変わったといわれますが、カルチャー雑誌「STUDIO VOICE」で特集されたり思想系や批評系の人が論じるようになったりして、アニメはかっこよくて最先端ものになりました。

当時の社会はバブル経済が崩壊して北海道拓殖銀行が破綻、失われた30年といわれる時代の入口です。経済的にはもうかなり駄目になっていたんですが、世の中的にはまだアッパーなノリが続いて音楽では小室哲哉プロデュース曲がミリオンセラーを連発しているような状況。当時の日本にあったアッパーな雰囲気が、好調だったオタク文化とインターネットの世界に移行して現実の暗さを覆い隠すような効果があったのが、1990年代から2000年代前半ぐらいまでだと思います。

 

「働いたら負け」。1人の世界が幸福だったゼロ年代

就職氷河期世代(*3)が就職活動や労働をする時期でもありますが、ネット上にはそこまで悲観的なムードはなかったのでしょうか。

藤田

その頃から今に続く「弱者男性」「ミソジニー」「ニート」「引きこもり」の問題はあったけど、当時はまだ自虐のネタにする余裕があったんですよね。2004年には2ちゃんねるの書き込みをベースにした「電車男」が書籍化されてヒットしましたが、非モテである電車男もそんなにこじれておらず、純粋な感じ。電車男は実話というていでネットに投稿されましたが、まだそれが本当の話として信じられうるような環境だったんでしょうね。

クリスマスにはいわゆるモテない男性たちがパソコン画面に美少女ゲームか何かのキャラを出して、クリスマスケーキを買って食べてネットに公開するようなことをみんなやっていて。自分たちのモテなさみたいなものを自虐的に演出して楽しんでいたわけです。

 

ネットがあることで1人でも楽しめる環境も整って。

藤田

2000年代には自分1人の世界に生きることが幸福だという思考があって、働いたら負けという労働の忌避と、人間の女性とは恋愛するのは無駄だから2次元のキャラとひきこもったほうがいいという。つまり社会や他者を切断するモードに入っています。

新海誠監督の『ほしのこえ』などセカイ系というジャンルも流行りました。セカイ系は社会や公的な領域がないことが特徴とされていて、個人的な感覚や感情と世界の大きな状況が直結しています。間に媒介するものが抜けているんですよね。

 

「特にアクションを起こさなくてもワンチャンいいことがある」状態を期待するような。前向きではないかもしれませんね。

藤田

背景にあるのはやっぱ無力感でしょうね。2000年代後半になると親がリストラされる人もいて、競争したり社会的成功をする回路が乏しくなる。過酷な環境で鬱になったり精神を病む人も多かった。だからこそ、その自分の気持ちが世界の運命と直結し、世界に影響を与えるという物語を、自己肯定感を得るための代償のように必要としたのかなと思います。

 

アイデンティティ・ポリティクスによる分断

そうしたなかでたとえば「弱者男性」という言葉がSNSでよく使われるようになり、分断が深まっている気がします。

藤田

弱者男性的な議論の起源は明確にはわからないのですが、基本的にはアイデンティティ・ポリティクス(*4)の産物だと思います。日本では2011年以降、政治的に真面目な時代が来ており、政治的にストレートに物を言って社会を変えようとする動きがあります。

 

なぜでしょうか。

藤田

それまではネタ感が強い時代だったけれども、原発事故に関連して国会前でデモが起きるなど、「マジ」にモードが変わりました。2010年代にLGBTやフェミニズムなど、それぞれの立場は違えども「マイノリティ」という特徴でくくられたアイデンティティ・ポリティクスが盛り上がりましたが、弱者男性論はそのカウンターとしての部分があります。

もちろん男性にも様々な立場の人がいるわけですが、その人たちをまとめることで憎悪や不遇感を組織し攻撃に使おうという戦略が、弱者男性という言葉が生み出された頃にあったんじゃないかと思います。

 
藤田さんの著書。『現代ネット政治=文化論: AI、オルタナ右翼、ミソジニー、ゲーム、陰謀論、アイデンティティ』(作品社)

自由な表現ができる場として登場したインターネットが多様性を失い、分断を生み出している経緯について伺った前編はここまで。後編では民主的であるはずのネットで今何が起こっているのかについて伺います。お楽しみに。

※1:
深夜から早朝の時間帯に、指定した番号への電話料金が定額になるサービス。パソコン通信やインターネット接続に利用された
※2:
HyperText Markup Languageの略。Webサイトを作成するマークアップ言語の1つ
※3:
バブル崩壊後の1990~2000年代に就職活動を行った世代
※4:
特定のアイデンティティに基づく集団の利益を代弁して行う政治活動

[取材・文]樋口 かおる [撮影]工藤 真衣子