実際に行って、見る。文化人類学は100年前にはじまった

文化人類学と聞くと、遠く離れた土地や民族について知ることができそうだとわくわくします。でも、そもそもどんな学問なのでしょう。

奥野

人類学には大きく分けて自然系、文化系の2つがあります。文化人類学は、文化を持つ人間についての学問として今から100年くらい前にスタートしました。研究するのは「人間の生(せい)」、つまり生きることです。

 

もっと前から、世界各地へ冒険の旅に出る探検家はいましたよね。

奥野

100年くらい前はどんな時代かというと、第一次世界大戦が終わって第二次世界大戦に向かっていく間。第一次世界大戦ではヨーロッパで大体850万人の人が亡くなったといわれ、フランスの詩人ポール・ヴァレリーはヨーロッパの知は戦争を止めることができなかったと言っています。そこでヨーロッパの外部に飛び出し、人間の精神性や人間性といったものの探求に乗り出したのが文化人類学なんですね。

ブロニスワフ・マリノフスキという人はニューギニアで言葉を習得して現地の人と同じ食べ物を食べ、2年あまりのフィールドワークを行いました。

 

それまで、フィールドワークはあまり行われていなかったんですか?

奥野

19世紀は主に探検家の記録や宣教師の報告書、航海日誌などをもとに研究が行われていたんです。マリノフスキはオーストラリアのトーテミズム(*1)の研究をしていましたが、本や文献をどれだけ精査してもやっぱりわからないと。そうであれば行ってみようということになり、偶然も重なってマリノフスキは長期間に渡りニューギニア東部で調査研究する機会を得ました。このことを踏襲して、フィールドワークのなかでも実際に生活に参加してデータを収集する「参与観察」という手法が行われるようになったんですね。

 

異文化を知ることで、社会のいびつさに気づく

文化人類学は元々、領土の拡大や支配という目的も持っていたのではありませんか?

奥野

植民地時代には、コロニアリズム(植民地主義)と結びついた学問としてできあがったといわれています。ヨーロッパ文明を頂点とした世界理解に基づいていて、人類学者が持ち帰った資料などが植民地化を助長したと批判されました。それを乗り越えて出てきたのが文化相対主義という考え方で、文化に優劣はないということですね。かつてはヨーロッパの文化が頂点で、それ以外の人たちは未開の文化に暮らして野蛮だとされていた見方が、ひっくり返されたわけです。

 

そうなんですね。ヨーロッパの文化が正しくてほかは遅れているという考えは、今もSNSでよく見かけます。呪術を使っている地域があると聞けば「非科学的だ」「未開でこわい」と感じることもあります。

奥野

かつては未開と文明の二項図式で捉えられていたんですが、最近は「未開」という言葉はむき出しでは使われなくなっていますね。20世紀の半ばに構造主義(*2)の考え方を広めたレヴィ=ストロースという人は、「野生の思考」と言っていわゆる未開社会の思考も合理的な思考であるとしています。

 

野生の思考ってどんなものでしょう。

奥野

たとえば、買い物に行けないけれど肉じゃがを作りたいと思ったとします。でも、台所を見たら肉じゃがの材料はなくカレーのルーを見つけたので「カレーでいいや」と考える。そんなふうに私たちはありあわせで作るということをやっていますよね。ブリコラージュと呼ばれる器用仕事ですが、それは野生の思考であって、私たちも何かを考える際の下敷きにしています。その意味において「未開」と呼ぶことは幻想です。

 

馴染みのない生活や文化に興味があっても「物見遊山的では?」と気になることがありますが、物見遊山的ではないフィールドワークとはどんなものでしょうか。

奥野

フィールドワークは今いるところから離れて「調査に行く」だけではなくて、基本的に問題意識があるんですよ。私たちの社会のいびつさみたいなことをまず考えて、それならまったく暮らしの異なる社会に行って彼らのやり方を見てみようとか。そういうことなんですよね。

 
船で狩猟に向かうプナン(photo/奥野克巳氏提供)。

分け与えると、ビッグマンになる

奥野さんは大学生の時にメキシコのテペワノという民族を訪れて以降、たくさんの場所に行かれています。そのなかでボルネオ島の森で暮らす狩猟採集民プナンの研究を続けているのは、プナンに特別な何かがあるってことですか?

奥野

そうですね。プナンは80年代まではノマディックな、つまり流動的な生活を送っていたんです。今は一応住所がありますが、狩猟キャンプを作っては移動するという暮らしをしているので半定住生活。大体はキャンプですが油やしのプランテーションの中にも住んで、狩猟採集を生業としています。糧を得るために森の中にも入って、そこで獲れなくなれば別のところに移動するという生活をいまだにやっています。

2000年頃から下調査をして、2006年に大学の研究休暇をもらって1年間暮らしたのを皮切りに年2回ずつ行って来年で20年目になりますが、まだくみ尽くせなくてわからないことがたくさんあります。テーマがいろいろあるわけです。

 

毎回何か発見があるんですね。

奥野

最近はもう調査的な調査はせずに小屋の中で観察しながら寝てるだけなんですが、寝ているとじんわりとわかってくることがあるんですね。

たとえばリーダーシップに関して。プナンには貧富の格差がありません。貧富の格差がないことには誰もが持っている場合と誰もが持ってない場合があって、プナンは「have not」、持たない人です。

私たちは何かを所有したり貯めたりしますが、彼らはそういうことを全然しません。持たない人たちの1パターンは何かをもらったら率先して周りにいる誰かに手渡す人で、尊敬されてビッグマンというリーダーになります。いっぱい人が集まってくると同時に情報も集まってくるので共同体におけるステータスが高まり、リーダーができてくるということなんです。もう1つのパターンはせびりまくる人で、こちらは尊敬されません。

 

ビッグマンは、変わることもあるんですか?

奥野

分け与える人が個人所有に心が向きはじめて、ケチになると人がそこからぱあっといなくなります。だからビッグマンは変わるし何人かいます。権力が集中しないことが実現されているとも言えるんです。

 

ということは日本のようにリーダーが世襲されることもないし、物を持って豊かな人が尊敬されることもなさそうですね。

奥野

そこを分けるのは、個人所有が認められている社会かどうかですね。リーダーというポストがあるわけではなくリーダーに付き添う人たちも流動的なので、固定された集団ではないんです。そういう形で成り立っているのが狩猟民の社会なんですよね。

このあたりは、長いこと彼らとともにいると積み重ねで徐々にわかってきます。人類学はとてもスローな学問ですけれども、狩猟採集民と私たちでは生業も精神性も違います。どんなふうに彼らが世界を見ているかを知るのは、とても面白いです。

 
プナンの狩猟小屋の日常(photo/奥野克巳氏提供)。

100年前の文化人類学のスタートから、プナンのビッグマンまで伺った前編はここまで。後編では森で暮らす人々、プナンがなぜ所有をしないのか?所有をしないと何が起こるのかを伺います。お楽しみに。

※1:
特定の動物や植物などを象徴として崇拝する現象
※2:
現象に潜在する構造を抽出して理解する考え方

[取材・文]樋口 かおる