【後編】毛内 拡
変化しないために変化する。脳科学者に聞く「頭をよくする」方法
情動喚起と新奇体験
2024.07.25
失敗は許されず、1秒でも早く答えを知りたい現代社会。粘り強く、答えがない問題に取り組む「脳の持久力」はどこから生まれるのでしょう。
私たちがドキドキする時、知らない道を歩く時、問題にぶつかって解決方法を考える時。頭のなかではとても小さな細胞たちが変化に対応しようとがんばってくれています。大人になっても脳は変わります。経験を多様な記憶とよりよい脳の成長につなげるには「情動喚起」と「新奇体験」、能動的であることが大切なのだそう。そして新しいことに挑戦せず同じことをくり返していると、脳は本当に固くなってしまうのだとか…。
AI時代の「頭のよさ」を伺った前編に続き、脳科学者の毛内拡さんに「頭をよくする」方法を伺います。
( POINT! )
- 生まれも育ちも人の能力に影響する
- 新しいことをやらないと脳が固くなる
- シナプス可塑性は学習と記憶に関係する
- 人はワンショット学習ができる
- 情動喚起と新奇体験が大事
- 脳も筋肉も変化しないために変化する
- 脳の持久力にアストロサイトが役立っている
- 失敗した人のほうが頭がよくなる
毛内 拡
脳科学者。1984年、北海道函館市生まれ。東京薬科大学生命科学部卒業。東京工業大学大学院総合理工学研究科博士課程修了。博士(理学)。日本学術振興会特別研究員、理化学研究所脳科学総合研究センター研究員を経て、お茶の水女子大学基幹研究院自然科学系助教。生体組織機能学研究室を主宰。「いんすぴ!ゼミ」代表。著書に『「気の持ちよう」の脳科学』(ちくまプリマ―新書)、『脳を司る「脳」―最新研究で見えてきた、驚くべき脳の働き』(講談社ブルーバックス)、『すべては脳で実現している。』(総合法令出版)、『面白くて眠れなくなる脳科学』(PHP研究所)、『「頭がいい」とはどういうことか―脳科学から考える』(ちくま新書)、分担執筆に『ここまでわかった!脳とこころ』(日本評論社)など。
脳を固くしないために。多様で新しい経験を
経験によって多様な「知恵ブクロ記憶」を持つことは、体のコントロールを含めた頭のよさにつながると前編で伺いました。でも、足の速さや数学など、遺伝の影響が大きいものもありますよね?
毛内
生まれか育ちのどちらの影響が強いかはずっと議論されていて、両方大事なんです。ただ、脳に関していうと、すごく柔らかい性質を持っています。つまり生まれついてのもので固定されているのではなく、変化できるんです。
「脳が柔らかい」ってどういうことでしょう。
毛内
「石頭」「頭を柔らかくする」といった慣用句がありますよね。これらは物理的な柔らかさのことではないんですが、年をとったり新しいことをやらなくなると、物理的にも脳が固くなることがわかってきています。
脳における「頭が柔らかい」とは脳のシナプス(*1)伝達が状況に応じて柔軟に変化できる状態です。「シナプス可塑性」といって回路が書き替わっていくんですが、これは学習や記憶にとって大事なプロセス。この変化は、加齢とともに生じづらくなってしまいます。親から受け継いだ性質も影響するし、育ちによる経験や加齢の影響もあるということですね。
たとえば藤井聡太さんなら、元々受け継いだ性質と経験の両方が素晴らしい才能につながっているのかなと思います。
毛内
そうですね。小さい頃から将棋をする環境にあったことも関係しているでしょうし、環境は大事。もしも自分が大統領の子どもだったら、自分が大統領になった姿を想像しやすい環境にあるということですね。
大統領が家族だったら普段の生活も見るだろうし、自分とまったく関係のない職業だとは思わないかもしれませんね。
毛内
僕にとって大統領になるのは思いもよらないことだけど、大統領の子どもには経験があるので、「予測」ができます。知恵ブクロ記憶に「大統領になる」が加わってるんですよ。そういう意味で、経験しないとわからないことがたくさんあります。多様な経験を積んで知恵ブクロ記憶を豊かにすることが、人生を豊かにするうえでも大事だと思います。
情動喚起で起きる「ワンショット学習」
頭をよくしたいなら、同じことをくり返さないほうがいいですか?
毛内
目的によります。身体認知を高めたいなら反復より自分の体がどんなふうに動くかを研究したほうがいいし、学習したことの定着には反復が効果的です。
AIがやってる学習はまさに反復で、1万回ぐらい学習させてできるようになっているわけです。現在のコンピュータの処理速度が速いから人と同じように感じるけど、実は人が得意とするのは「ワンショット学習」。反復しなくても迅速に学習できるすごい能力なんです。
たとえばどんなことを学習するんですか?
毛内
幼い頃に家族で行ったたった1回の家族旅行の思い出をずっと覚えているとか。これはなかなかAIにはできないことじゃないかと思います。
強く印象に残ったことをずっと覚えているってありますね。
毛内
「情動喚起(*2)」があるような刺激は、たった1回でもシナプス可塑性を引き起こし、ワンショット学習につながることがわかっています。ドキドキしたとか、ハッとしたとか。恐怖のようなネガティブな刺激でも同様です。行き過ぎたものだとPTSDを引き起こしてしまいますが。
シナプス可塑性を引き起こすものには、「情動喚起」のほか「新奇体験」もあります。
脳も筋肉も、変化しないために変化する
新奇体験とはどんなことですか?
毛内
これまで喋ったことがない人と喋ってみるとか、1人で海外旅行をしてみるとか。ちょっとしたストレスを伴うような新しい体験です。ストレスには悪いものというイメージがあるけど、新しいことへの挑戦はいい意味でストレスになります。それは脳にとってはピンチで、その状況をどうにか乗り越えるために記憶を総動員したり学習したり、フル回転するんですよね。
筋トレを思い出しました。筋肉も適度な負荷を与えないと育ちませんよね。
毛内
脳も筋肉も細胞でできてますからね。細胞には共通の原理があって、それは「変化したくない」ということなんです。ホメオスタシス(生体恒常性)という、内部環境を一定に保つメカニズムによるもの。
でも外界はめまぐるしく変化するので脳も筋肉も仕方なく、「変化しないために変化」しているんです。細胞の原理に従っているにすぎないんですよね。脳も胃腸と同じように臓器で、暴飲暴食したら胃腸炎になるように、脳だって使い方を間違えたら不調になるんです。
だから心を病むのは脳細胞の機能不全で脳が働き過ぎている状態。ちゃんと休んだり治療を受けたりすることが必要です。
寝る時も脳は動いているから、休むのも難しいですよね。
毛内
そうなんです。脳が止まってることってほとんどないから寝るだけでは休まらないし、むしろぼーっとしてる時のほうがエネルギーを使ってるんです。脳が活性化している時より、元に戻ろうとしてアイドリング状態になる時に一番エネルギーを使うんですね。
アストロサイトが脳の持久力を生み出す
頭を使って疲れると、甘いものが食べたくなる気がします。
毛内
脳のエネルギー源はブドウ糖ですからね。でも、ニューロン(神経細胞)は自分ではエネルギーを取り込めないんですよ。脳にはニューロンのほかにグリア細胞とよばれる細胞があって、そのなかにアストロサイトという細胞があります。そのアストロサイトがブドウ糖を取り込み、使える形にしてニューロンに渡しているんです。
脳について知らないことだらけですが、近年も研究は進んでいるんでしょうか。
毛内
脳についてはまだわかってないことのほうが多いと思いますけど、単にニューロンの隙間を埋めていると考えられていたグリア細胞が様々な働きを持つことが近年わかってきて、その過程で心が生まれてくるのではないかという解釈も出てきています。
アストロサイトは活動する時に老廃物を出しますが、それはアストロサイト自身が回収します。ニューロンは自分ではご飯も食べられず後片付けもできないので、アストロサイトが仕事をしなかったらニューロンも働けないわけです。うつ病や認知症などがアストロサイトの機能不全に関係していることもだんだんわかってきていますし、答えがないことに粘り強く取り組める「脳の持久力」も、アストロサイトが実現しているもの。そして、そんなアストロサイトを活性化させるのもやはり情動喚起と新奇体験です。
「かわいい子には旅をさせろ」と言いますが、与えられすぎず主体的に課題解決に取り組むことが必要ですね。
毛内
そのためには、失敗できる環境が大事です。失敗も経験となり、知恵ブクロ記憶を多様にしてくれるファクター。最近は失敗を許さない風潮があって、1回でも失敗すると2度と再起できないくらい叩かれることが多いですが、欧米では「失敗したことないやつに金なんか貸せるか」と聞くこともあります。脳科学的に見ても、たくさん失敗した人のほうが頭がいいだろうなと思います。
- ※1:
- ニューロン(神経細胞)が情報を伝達するための接合部
- ※2:
- 外部刺激や認知によって起こる心身の活発な状態
[取材・文]樋口 かおる [撮影]小原 聡太