他人も自分も幸せになるものが「価値」

「付加価値を高める」とか「資産価値」とか。価値はお金に換算できるものと思われがちです。「価値」とは何でしょうか。

岩尾

価値創造とは他人が幸せになり、かつ自分も幸せになる道を探ること。価値そのものの定義は、「人間が幸せを感じるものとその源泉」としてよいでしょう。

 

経済的なものには限らないと。岩尾さんの著書『世界は経営でできている』も、「お金儲け」を指南してくれる本ではないですよね。

岩尾

タイトルの「経営」も、お金儲けや企業を運営することを指していません。「すべての人は人生の経営者だ」という私の信念を込めていますが、その根底にあるのは「価値無限思考」。

企業経営に限らず、誰もが経営の現場をもっている。日常のあらゆる場面で他人を幸せにしながら自分も幸せになるような道を具現化する。これが価値の創造であり、価値は無限にありうるということの意味です。

 

個人では「ポストは限られていて優れていないと選ばれない」、企業では「他社よりいいものを提供しないと市場で生き残れない」といった問題がありませんか?

岩尾

それこそが価値有限思考です。価値は他者から奪わないと得られないという思考のクセですね。でも、実際には人類は地球という有限の資源を組み替えることで機能を生み出し、価値を無限に生み出してきた歴史を持っています。価値が有限であるという思い込みにとらわれてしまうと、競争における勝ち負けがゴールになってしまう。日常生活で、その奪い合いに巻き込まれてしまうことはとても多いですよね。この本からの抜粋記事も、文脈から切り取られた形でSNSで炎上してしまいました。

 

なぜでしょう。

岩尾

国際学術誌に論文を掲載するために、研究者の間でまるで偏差値競争のような争いが起きている現状があります。それは「真理の追求」とは関係なく、非科学的で不合理なこと。だから本では誰も傷つけないよう特定の人ではない極端な例をあげたんですが、「自分のことを馬鹿にしているのか!」という人がたくさん現れてしまって。

学術誌の論文掲載にこだわる理由の1つに、研究費の獲得があると思います。でも、分野にもよりますが外部の企業と共同研究して研究費を得るという方法もあります。ポストの確保であれば、会社を作って他者と自分のポストを創り出す手も。それなのに受験戦争のような競い合いで苦しくなってしまう。それこそ価値有限思考の現れです。そして同じことが、あらゆるところで起きているんです。

 

資源を組み替えて価値を無限に創出

学歴や会社に所属することだけを目指したり、逆に判断されたりすることも多いですね。でも、地球の資源は有限じゃないですか?

岩尾

地球上にある資源は有限ですが、その資源を組み替えて価値を創造することは有限ではないんです。人間は資源から何らかの機能を取り出すことができて、そこに幸せを感じると価値になります。

たとえば、昔人間は洞窟に住んでいました。洞窟はたまたま自然が作ったもので、有限。洞窟の数より住みたい人間のほうが多ければ、奪い合いになります。けれども、岩をくり抜けば洞窟を作れます。岩そのものは有限でも、岩をくり抜くだけで洞窟を増やせますよね。これで「雨風をしのぐ」という機能が新たに生まれました。

 

なるほど。岩のくり抜かれた部分は移動しただけだから、減ってない。

岩尾

洞窟を作りやすい断崖絶壁は有限なのでいずれ洞窟を掘れなくなり、また奪い合いがはじまります。でも断崖絶壁よりも平地はたくさんあるので、平地に穴を掘る人間が出てきます。すると雨風のうち風は防げるようになります。雨も防げたほうがいいので、木や藁を集めて屋根を付けます。これで雨も風も防げる竪穴式住居ができました。

このように、人間は「脳みそを使って価値を作る」ことができます。資源を組み替えて機能を取り出し幸せだと感じられる価値を生み出しながら、人間の数もどんどん増えていったわけですね。

日本列島では、ある程度人間が増えるたび「もう限界だ」と勘違いして人類が減っているんです。実は過去4回人口減少を経験していて、1回目は縄文時代です。

 

人口減少時期を変化で乗り越えてきた

縄文時代?

岩尾

狩猟採集生活をしていた縄文時代、食料の問題があって人口が3分の1から3分の2くらいにまで減ったといわれています。その頃大陸から伝来したのが農耕。狩猟採集生活から農耕漁ろう生活に変わったことで、弥生時代には人口が何倍にも増えました。

平安時代後期には貴族制度、荘園制度が成り立たなくなって人口が減少し、鎌倉時代の封建制度に。江戸時代後期でまた人口減少しますが、明治維新が起きて近代化し、その後大きく人口が増えています。日本列島だけ見ても何度も資源の限界から奪い合いになって人口減少が起き、今は4回目の減少局面。

 

その度に社会の変化が起きているんですね。

岩尾

狩猟採集生活から農耕生活といった大きな変化とともに価値創造に舵を切っています。日本だけではなく、産業革命も実は同様な見方ができます。

産業革命以前、人口停滞の時期だったイギリスは今の日本と同程度かそれ以上の借金を抱えていましたが、産業革命で急速に経済が成長しました。石炭を使うことで1人あたりの生産量が増えて豊かさが増えて、子どもも増えたんです。一方で炭鉱労働という過酷な労働環境を生み出したこともあって、アメリカやカナダまで移住する人々も出てきました。

地球は有限ですが、組み替え方は無限にあります。組み替えることで生まれる機能も無限にありえて、そこに幸せを感じる価値も無限でありえる。歴史上もそうだったということですね。

 

転換の時期。どんな変化を起こすかはみんなで考える

私たちは今、転換の時期にあるのでしょうか。

岩尾

そうだと思います。人口減少社会で「世の中にあるパイは有限だから奪い合うしかない」「誰かが豊かになるということは、貧乏になった人がいる」という誤解に基づく閉塞感が広まっています。

 

AIの実用化で働き方が変わりつつありますが、転換の1つでしょうか?

岩尾

それもありますね。大きな転換が起こるときは、みんなの家庭や友情、会社などそれぞれ現場でも起こっていきます。社会全体に対してインパクトを与えるものは、これから出てくるものもあるでしょうし、既に出ているものではAIとデータがあります。ただのAIではなくてデータとの組み合わせ、これはとても重要だと思います。

資源のない今の日本でも、データは豊富に存在しています。先進国として様々なデータを残してきたし、そのデータの活用に関して比較的寛容な国民性です。AIに規制をかけようとする国も多いのでAIの研究者が日本に来たり、拠点を作ったりという動きもあります。世界一の高齢化社会として医療データはもちろん、製造業の現場で収集したデータも集まっています。現在のAIは大量のデータを燃料として分析するので、データの豊富さも産業革命が起こるポイントになりえます。

今はまさに転換の時期。これまで大きな制度変化やイノベーションでみんなが幸せになる道を見つけてきたようなことを10年、遅くても50年で実現する必要があります。それは放っておけば自然にうまく転換するようなものではなく、みんなで考えるべき問題だと思います。

 
現在約15万部発行の岩尾さんの著書、『世界は経営でできている』(講談社)。経営と関係なさそうな日々のできごとからも、私たちが人生を「経営」しているとわかるエッセイ集。

資源もポストも有限なのに、なぜ価値を無限に創造できるのかを伺った前編はここまで。後編では、仕事がなぜ楽しくなくなってしまうのかについても伺います。お楽しみに。

[取材・文]樋口 かおる [撮影]小原 聡太