言葉によるコミュニケーションは情報量が少ない

ちょっとしたLINEのやり取りでトラブルになることがありますよね。シンプルに返したつもりが悪意と受け取られてブロックされるとか。なぜ、誤解が生まれるのでしょう。

川添

よくいわれることなんですけど、人間のコミュニケーションのなかで言葉による部分って意外と小さいんですよ。

実際に会って話すときは相手の表情や雰囲気、声や目線などいろんな情報で言葉を解釈していますよね。テキストメッセージとしての言葉だけだと、情報としてはとても貧弱です。

 

言葉だけでは説明が難しいことも、対面では伝えられることがありますね。

川添

表情とは真逆の言葉を言ったらどう解釈されるかという実験があったんですが、やっぱり表情に引っ張られるんですよ。全然美味しくなさそうな顔で「美味しい」って言われても、美味しくないんだろうなって思いますよね。

 

たしかに、同じ「そうだね」でも表情と言い方でやさしい感じになったり嫌な感じになったりします。

川添

そうですよね。アクセントの影響もあります。『世にもあいまいなことばの秘密』でも紹介しましたが、「低温やけど注意」という言葉も「やけど」の部分が「火傷」なのか関西弁の「やけど」なのか、アクセントで意味が変わります。

あとはイントネーション。ちなみにアクセントは単語の、イントネーションは複数の単語のつながりの音の高さの変化を意味します。「いいよ」もイントネーションによって「OK」だったり「必要ない」だったりしますよね。文字だけ見てもイントネーションはわからないので、承諾されたのか断られたのか理解に苦しんでしまいます。

 

敵という先入観があると、すべて対立意見だと思ってしまう

SNSでもよく「意図しない受け取られ方をしてしまった」ことで炎上が起きています。

川添

解釈の行き違いで対立が起きがちですね。私たちはふだんいろんな情報を合わせたうえで言葉を使っているので、その調子でSNSをやっているとギャップが大きいと思います。

 

「読み違い」や「伝わらなさ」はどんなとき起こりやすいですか?

川添

たとえば「勉強しない大学生」という言葉があったら、一部の学生が勉強しないのか、大学生全般が勉強しないという意味なのか解釈が割れますよね。

さらに、それをXの引用リポストで「ちょっと困るよね」みたいなふうに書くと、「困る」対象が引用元の投稿をした人なのか、投稿内容の大学生のことなのかわかりにくい。それで引用リポストされた人が「喧嘩売ってるのか?」と反応してしまうこともあります。

 

よく見ます。言い争いを見て意味がわからないのは読解力のせいかと思っていたんですが、そもそもわかりにくい?

川添

言い争っている当人たちも、実はわかってないことが多いんじゃないでしょうか。特にSNSだと「この人は自分の味方なのか敵なのか」みたいな視点で投稿を読むことがありますよね。意見が割れたりしているようなときは特に、キーワードだけ拾い読みして「この人は自分と違う意見を持っている、敵だ」と解釈してしまう。ただでさえ言葉には曖昧なところが多いので、敵だという先入観があると全部を反対意見として解釈してしまうんですよね。そのあたりは怖いなと思います。

 

主語を大きく感じるのは、思考の癖?

よくいわれる「主語がでかい」問題も、解釈の割れから発生していることがありますね。一部の話をしたつもりが全般の話だと思われて批判されてしまう。

川添

「男性はこうだ」「女性はこうだ」みたいな話でよく批判が起きていますよね。「AはBだ」という言い方って、Aにあたるもの全体について言ってるという解釈がどうしても出てしまうんです。自分の知っている一部の男性とか女性について発言したつもりでも、全般についての話だと感じる人が出てくる。そうすると「そんなふうにカテゴリー化されたくない」「自分は違う」と反発が生まれます。

 

対面なら「身近な人の話だな」と伝わることも、文字だけだと誤解されてしまう。その曖昧さを防ぐ方法はありますか?

川添

私たちには、いくつかの例にあてはまることを全体にもあてはまると思い込んでしまう考え方の癖があって、そういう考え方を「過剰一般化」といいます。過剰一般化を避けるためには、述語に気をつけてみるのも手です。

 

述語に?

川添

「やさしい」とか「頭が悪い」とか、性質を表す言葉が述語に来ると主語がすごく大きくなりがちなんです。たとえば「猫はすばしっこい」だったら、猫全般についての話だと思いますよね。だけど、「猫はすばやく塀に飛び乗った」のように具体的な出来事を述べる述語だと、特定の猫のことを言っていると伝わりますよね。主語が拡大しがちな場合は、できるだけ性質を表す言葉と一緒には使わないように、私も気をつけています。

 

曖昧さがあるから、言葉は面白い

わかりやすく伝えることができれば誤解されませんよね。「難しいことをわかりやすく説明できるのが頭がいい人」もよく聞きますが。

川添

頭がいい人の説明がわかりやすいとは限らないし、わかりやすい説明をする人が本当に理解しているとも限らないと思います。頭がよくてわかりやすい説明をする人もいますが、それはそういうスキルが高い人なんじゃないでしょうか。

 

深い理解がなくともわかりやすい説明ができるのはどんな状態ですか?

川添

私はいろんなジャンルの本を書いていますが、AIや数学の本はよく「わかりやすい」と言われるんですね。でもそれは私がそれらの専門家ではないので読む人の知識レベルと私の知識レベルがそんなに離れておらず、大半の人がどういうところでつまづきやすいかが実感としてわかるからだと思います。逆に、私がよく知っている言語学関係はそのジャンルのことが自分のなかで常識になっているので、わかりやすく説明するのが難しいんです。

そこは専門外の人とよく話して「こういう関心を持ってるんだな」とか「こういうことがわからないんだな」といったことをちゃんと汲み取ったうえで、専門家の間で常識になっている前提を一度すべて取っ払う作業が必要にります。それは難しいことですし、頭がよくてそのジャンルのことをよく知ってる人であっても、その作業が十分にできなければ、必ずしもわかりやすい説明ができないことになります。だから「難しいことをわかりやすく説明できる人が、本当に頭がいい人」というふうには、私は全然思わないです。

 

専門用語を使うとわかりにくいといわれることもあります。

川添

専門用語って、情報を圧縮した言葉なんですよね。飲食店の注文で、店員さんが厨房に向かって「なんとかかかんとかいっちょ!」とか呪文みたいに言うことがあるじゃないですか。あれと同じで、その人たちの間ではそれが簡単に伝わるから使っているわけです。難しい専門用語を使うのも、それを知ってる人の間では短く言えて瞬時に意味が伝わるから。専門用語って、噛み砕いて言おうとしたらそれだけで本1冊書けるようなものが多いので、短く言えるように圧縮しておく。そういう役割があります。

 

なるほど。でも「過剰一般化」のような専門用語や誤解が生まれる仕組みを知ることには面白さもあります。

川添

言葉は曖昧で誤解されやすい反面、かけ言葉ができたりコントのネタになったりしますよね。私自身もメールのやり取りで誤解をしたりされたりしますが、「言語学でいわれていることが本当に起こるんだな」と少しうれしくなります。でも、言葉がどういうときに曖昧になりやすいかを知らないと、「読解力がない」と相手のせいにしてしまうかもしれませんよね。言葉のすれ違いに少し注意深くなるためにも、言葉の面白さや複雑さを知ってもらえるといいなと思います。

 
川添さんの著書、『世にもあいまいなことばの秘密』(筑摩書房)。

「誤解が生まれても、ちゃんと伝えればわかってもらえるはず」と考えられがちな言葉のやり取り。そもそも誤解されやすい仕組みや思考の癖があることを教えてもらった前編はここまで。後編では、言葉がなぜ私たちに必要なのか、人間とAIで言葉を学ぶ方法の違いはあるの?を伺います。お楽しみに。

[取材・文]樋口 かおる [撮影]武藤 奈緒美