【後編】荒谷 大輔
閉じられた贈与の関係性を開く「新しい経済」
ブロックチェーンで贈与経済をアップデートする
2024.05.30
「ありがとう」をやり取りする、贈与経済。行き過ぎた資本主義を補完するものとして注目する人が増えていますが、あたたかみがある一方で面倒くささもあります。
面倒くささとは、「返礼品がわからない」「負債感で束縛する」「関係性が閉じている」など。このような課題をブロックチェーン技術で解決し、アップデートする試みが「贈与経済2.0」。閉じた関係性になりやすい贈与の関係性をグローバル化し、資本にすることを目指しています。
前編に続き、わかりにくい贈与経済の性質を紐解きながら、『贈与経済2.0 お金を稼がなくても生きていける世界で暮らす』の著者、哲学者の荒谷大輔さんにお話を伺います。誰にでも開かれ、自由でありながら関係性を構築する「新しい経済」は、どのように社会実装されるのでしょうか。
( POINT! )
- 贈与経済は負債感で束縛する
- 贈与経済2.0のインセンティブは関係資本
- 贈与が合理的な行為になる
- 記憶は意味づけに影響される
- ブロックチェーンで純粋な贈与を記録
- 本来の贈与は閉じてた関係性
- 欲望に基づいた仕組みで世界を構築
荒谷 大輔
慶應義塾大学文学部教授、江戸川大学名誉教授。専門は哲学/倫理学。主な著書に『資本主義に出口はあるか』(講談社現代新書)、『ラカンの哲学:哲学の実践としての精神分析』(講談社選書メチエ)、『「経済」の哲学:ナルシスの危機を越えて』(せりか書房)、『西田幾多郎:歴史の論理学』(講談社)、『使える哲学:私たちを駆り立てる五つの欲望はどこから来たのか』(講談社選書メチエ)、『贈与経済2.0 お金を稼がなくても生きていける世界で暮らす』(翔泳社)など。「贈与経済2.0」についてはハートランド・プロジェクト公式サイトへ。
贈与経済2.0のインセンティブは関係資本
前編で伺った、贈与経済の持つデメリットとはどんなところでしょう。
荒谷
もらったりあげたりというやり取りで、うれしい反面なにか面倒に感じることがありますよね。なにかもらったけれど「どんなお返しをしたらいいだろう」と悩むとか、相手との関係性が途切れてお返しができないとか。
たくさんあります。あげる側では、あとで「無駄だったのでは」と思うことがあります。たとえば私と他の人が同じように後輩にご飯をごちそうすることを続けていて、そのときは感謝してほしいと思っていなくても、自分だけちょっとしたお礼をもらえなかったらがっかりします。
荒谷
慣習的に行われてている贈与はたくさんありますよね。気にとめるほどのことでもなくても、なにかのきっかけで「これって本当に意味あるの?」と問うてしまうと、損得勘定の仕方が資本主義に戻って「じゃあやめようか」となります。それはそれで悪くはないかもしれませんが、贈与経済は成り立たなくなってしまう。
そうですね。そして「意味あるの?」思ってしまう自分にはよい心が足りないのかなとも思いますが。
荒谷
善意の有無の問題というより、そもそも贈与のやり取りはインセンティブ(報酬)設計がおかしくなることが多いんです。
贈与のやり取りに、インセンティブって必要でしょうか?
荒谷
経済として社会的に機能させるためには、インセンティブ設計は必要です。贈与経済2.0では、「負債感」による束縛を発生させずに贈与を回す仕組みとしてインセンティブを設計しています。従来の贈与経済では相手に負債感という一種の束縛を与えることがインセンティブになっていましたが、相手に与える負担が大きく、思ったような見返りが得られないことでトラブルになることもあります。
贈与経済2.0ではお金ではなく関係資本をインセンティブとして、自分がどれだけ他人から感謝されているかの履歴というブロックチェーン上に記録します。それが社会的信用を獲得するための手段になるので、贈与は投資としてメリットがある合理的な行為になります。贈与の関係のなかで社会的な信頼を得ていると贈与にあずかる確率がどんどん増えるので、そのためにも贈与をたくさんしたくなる。そういう循環が生まれるということです。
ブロックチェーンで純粋な贈与を記録する
善意や自己犠牲精神に依存するのではなく、合理性で循環する仕組みはおもしろいですね。ブロックチェーンを使うことにはどんな意味がありますか?
荒谷
ブロックチェーンはデータの改ざんが難しい分散型台帳なので、書き換えられず、いつでも誰でも贈与によって「ありがとう」が発生した地点を参照することができます。記憶として意味づけされる前の純粋なできごとがオープンなネットワークに残るので、その贈与は時間と当事者間に縛られないグローバルなものになります。
後輩にご飯をごちそうしてがっかりした例でも、時間とともに意味づけがされました。贈与をした時点では不満はなかったのに、後から「やらなければよかった」というモヤモヤが発生したのはなぜでしょう。
荒谷
「後輩に恩を与えた」と意味づけされて記憶されていると、きちんと恩=負債感を感じてくれないとモヤモヤすることになってしまいます。ごちそうすることをやめてその都度精算すると資本主義的にスッキリしてモヤモヤはなくなりますが、贈与によって生まれかけていた関係性も薄れてしまいます。
ブロックチェーンで贈与経済をアップデートすることで、贈与経済による関係性構築メリットを残し、贈与を意味づけることによるデメリットを解消することができます。
贈与の関係性をオープンにし、グローバルなクレジットに
贈与経済が純粋なできごととして記録されることで、グローバルになるとは?
荒谷
贈与経済は元々「与える側と与えられる側」の閉じた関係性のなかでやり取りされます。ある会社のなかで贈与を積み重ねていったとしても、転職などでそのコミュニティから出ると意味がなくなってしまう。でも、贈与のクレジットが改ざんされず個人のもとに紐づいていると、特定のコミュニティから出ても贈与の履歴が続いていきます。
言葉が通じないとかはじめて会った人同士でも、クレジットからその人となりが想像できるようになって、閉じた関係性を越境してつながっていけるようになるということです。
「開かれている」ことはとても重要だと思います。お金を介在させない脱資本主義的なコミュニティは増えていますが、ゆたかな人しか参加できない場に見えることがあるので。
荒谷
それはありますね。サロンが搾取の構造になっていたり、有名人の元にだけボランティアがたくさん集まったり。それはその閉じたコミュニティのなかで自分がいいふうに認知されることがインセンティブになっているんだと思います。でも、サロンでどれだけ献身的な貢献をしたとしてもコミュニティを離れると意味がなくなってしまいますし、従属関係も発生させやすいですよね。
実際、カリスマ性がある人を中心にしたムーブメントは物語として理解されやすいし、協力者も集まりやすいです。ですが開かれたつながりを構築するためにはカリスマはむしろ不要であり、特定の理念の共有ではなく個々が自分の欲望に基づいて参加する仕組みが必要だと考えています。
個々の欲望とはどんなものですか?いいことをしたいとか?
荒谷
「いいことがしたい」よりも、「相手が喜ぶのがうれしい」ですね。性善説的な話ではなく、利己的な欲望と言ってもいいです。相手がうれしくて笑顔になるとうれしいし、自分の信用も高まる。なので、みんなが自分のために「贈与したい」と思うようになるいうわけです。
野菜をもらって、ハートトークンを贈る
善意で集う場でないほうが、同質ではなく多様な人が参加しやすいかもしれませんね。参加することで自分の感覚にどのように変化があるかわかると思いますが、実証実験はどこでやっているのでしょう。
荒谷
東京・高円寺と、石川・白峰地域です。白峰地域は古くからの贈与経済が実際に回っている小さな村で、野菜の交換などがふつうに行われいてるところ。そちらではおじいちゃんおばあちゃんに、ふだんの贈与経済活動をブロックチェーン上に記録してもらいます。
具体的にはWebアプリで暗号資産専用のソフトウェアウォレットと紐づいたハートトークンを贈りますが、ハートは無限にあるわけではなく、感謝の「重み」を表現できるようになっています。プロジェクトにはアプリ開発のエンジニアの方々ほかに贈与で参加していただいていて、実際に贈与の関係性が生まれています。
「新しい経済」をつくる試みは興味深いですが、課題も多いですよね。荒谷さんが理論を構築するだけでなく社会実装を行っているのはなぜでしょうか。
荒谷
世の中のためには誰かがやらないといけないと思っていますが、もし誰かがやってくれれば僕がやる必要はないと思ってはいるんです。僕が手を離しても動き出すようになるのが一番いいんだけど、そういってるだけでは誰もやってくれないので、できる限りのことはやらないといけないと考えています。お金とは別な仕方で人々の行動を価値づけられる経済は世界に必要だし、それを何とか動かすためにやっています。
[取材・文]樋口 かおる [撮影]工藤 真衣子