【後編】川内 有緒
「借りっぱなしでいい」。助けてもらったら居場所ができた
「買う」代わりに「つくる」とどうなる?
2024.04.25
のこぎりの使い方も知らずに、DIYで小屋づくりを志した作家の川内有緒さん。「買う」代わりに「つくる」を選択したことで多くの課題に直面しますが、いろんな人に助けてもらいながら一緒につくることで、小屋だけでなく共に過ごしたかけがえのない時間や体験、みんなの居場所が生まれたそう。
コスパ・タイパを無視して手を動かすことにはどんな意味があって、何が起きるのでしょう。誰かと一緒に作業するのは楽しいけれど、手伝ってもらうことを遠慮して、頼れないこともありますよね。でも、もしかしたらそれをやってみたい人がいて、楽しい時間や居場所を提供できるのかも?
前編に続き『自由の丘に、小屋をつくる』の著者、川内さんにお話を伺います。
( POINT! )
- 誰も怒らない小屋づくり
- 大工さんも仕事モードからチェンジ
- 役立つことを求められない「空気感」
- みんなで手を動かすのは楽しい
- おもしろそうだから手伝いたい
- 誰かと一緒に楽しいことができたら居場所になる
- やりたくないことはやらない
川内 有緒
1972年東京都生まれ。ノンフィクション作家。映画監督を目指し日本大学芸術学部に進学したものの映画の道は断念。米国ジョージタウン大学で中南米地域研究学修士号を取得。米国企業、日本のシンクタンク、フランスのユネスコ本部などに勤務。2010年以降は東京を拠点に評伝、旅行記、エッセイなどを執筆。『パリでメシを食う。』(幻冬舎)、『目の見えない白鳥さんとアートを見に行く』(集英社インターナショナル、本屋大賞 ノンフィクション本大賞)。『自由の丘に、小屋をつくる』(新潮社)など著書多数。映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』共同監督も務める。
小屋をつくったら「小屋仲間」ができた
小屋づくりでは、いろんな人に助けられたそうですね。
川内
そうですね。小屋をつくることは本当にダメな自分を見つける旅で、何もできない自分を知っていった感じです。のこぎりの使い方を教えてもらって、設計図を見てもらって、みんなで壁をつくって、娘と遊んでもらって、その娘もお手伝いが大好きになって…。
著書の『自由の丘に、小屋をつくる』は、「自分でつくる」からはじまったDIYでたくさんの人が登場して「小屋仲間」になっていく様子がとても面白いです。小屋をつくるという目的を持ったプロジェクトではありますが、仕事とは違う体験ですよね。怒られないし。
川内
怒られないですね。私が充電器を忘れて工具が使えなかったり、つくり方を間違えて作業がやり直しになったりしても誰もイライラしない。「台風が来るから急ぐ」みたいなことはありましたが、基本的には作業がも遅れてもいいし、そもそも「いつまでにつくる」という期限がない。だから構想から完成まで6年もかかってしまいました。
経過を報告していた連載も期間を決めていなかったのでどんどん伸びて。はじめるときはみんな「せいぜい1年くらいだろう」と考えてたと思うんですよね。でも、1年経ってもまだ小屋の影も形もできていませんみたいな(笑)。
友だちと小屋づくりを続けていく楽しさはわかります。でも、最初は仕事として参加していたはずの大工さんにも変化があったんですよね。
川内
はじめは「もうちょっと急いでやればいいのに」「お昼ご飯いつまで食べてるんだろう?」とか思ってたそうなんですよ。でも、「ここはそういう効率を求めるところじゃないんだ」って気づいたら気持ちが楽になったって。大工さんならふつうは「今日はここまで仕上げる」みたいに効率を考えてやるはずで、どこかで仕事モードとのチェンジがあったんでしょうね。
川内さんの小屋づくりは渋滞に巻き込まれたりホームセンターで板の在庫が切れてたり、珍道中というかのんびりモードですよね。困っているとわらしべ長者のようにいろんな人があらわれて助けてくれて。
川内
そうなんですよ。本当に助っ人にいつも恵まれてます。DIYは楽しいものだし小屋づくりには締切もないし。のんびりできない人はそもそもあまりやって来ないというのはあるかもしれない。
役に立つことが求められてない「空気感」
コスパ・タイパに関係ない場ですよね。効率よくお金を増やすとか役に立つといったことに縛られないところは、楽しい居場所になりやすいのかも?
川内
そういう可能性もありますよね。何かの役に立ってる方が安心していられるとは思うけど、役に立つことが求められてないっていう空気感さえあれば大丈夫だと思うんです。だから私が小屋づくりでやれることは、その「謎の空気感」をつくることだけです。
「謎の空気感」、どうしたらできるのか気になります。
川内
なんだろう、誰も責められない空気ですよね。あなたがそこにいるだけで楽しいよねみたいな。でも実際そうなんですよ。私はみんなが集まってるだけでうれしいみたいなところがあるので。
小屋仲間が集まって川内さんはうれしくて、みんなの居場所にもなったら素晴らしいです。でも、借りの精算が気になりませんか?「協力してもらって悪いな」と負い目を感じるとか。
川内
借りっぱなしでいるということですよね。気になるから、思いついたときにこちらから勝手にお礼をすることはありますよ。でもたいてい「これ以上何もいらない」と言われるし、相手も集まれたら楽しいし、別に貸しをつくってるみたいな気持ちはないんだろうなと思います。美味しいカレーとかご馳走になることも多くて、お世話になり続けてます。
みんなで手を動かす時間は楽しい
みんなで手を動かすのは楽しいですよね。
川内
1人でデスクワークを多くしてるような人は特に、集まって手を動かすみたいなことをやりたいんですよね。自分の手で目の前で何かができあがっていくのも楽しいものなので。
10年ぐらい前、構造が複雑な本を自分たちでつくったんです。はさみ込みとか紐かけみたいなことが大変でFacebookで手伝い募集を呼びかけたら、「そういうことをやりたかった」という人が10人くらいあらわれました。不器用な人はぐちゃぐちゃなものが出来上がることもあるんだけど、それも楽しくて。何かやってみたい人って必ずいて、報酬が欲しいわけではなくその時間がおもしろそうだから来るだけなんですよ。
必ずしもやってもらったことに見合った対価がなくてもいいということですよね。お金の介在しない場であれば大丈夫ということでしょうか。
川内
それが、妙蓮寺に「本屋・生活綴方(つづりかた)」という不思議な本屋さんがあって、ボランティアのかたが店番をしているんですよ。店番ということはレジや商品も扱うわけだからお金は介在していて、その話を聞いたときすごいなと思いました。ふつうはある線引きみたいなものをあえて取り払ったことで、そんな店ができたんですよね。
楽しいとか、その場所を残したいという人の気持ちがあれば原動力に?
川内
そうだと思います。その場所が好きで関わり続けたいということで、わざわざ妙蓮寺に引っ越してくる人もたくさんいるそうですよ。
一緒に楽しい時間を過ごせたら、居場所になる
居場所になっていますね。意図していたわけではないかもですが、川内さんの小屋も関わる人たちの居場所なのかなと思います。つくる過程も時間も共有していて。
居場所は私たちの生活に必要なのでしょうか。
川内
サードプレイスは数十年前から叫ばれていますが、やはり居場所も必要じゃないでしょうか。でも、本当の場所でなくてもいいと思うんです。一緒に山に登る経験を共有するのでもいいし、オンライン上のサークルでもいい。何かを一緒にやれる人がいて、それで楽しい時間になるならそれが居場所になるのかなと思って。それは仕事でもいいですよね。
仕事でも居場所はできますか?
川内
そうですね。小屋も1つの居場所だし、チームでやってる仕事も居場所に近いものになりますよね。
もし、家や職場もあまり居心地がよくないと感じて別の居場所を見つけたい場合、どんな方法がおすすめでしょう。
川内
よくあるのは何かの会とかサークルですよね。日本に帰ってきたばかりの頃に夫がゴスペルサークルに入ったんです。そのときの仲間の1人が『自由の丘に、小屋をつくる』にも出てくる建築家の拓ちゃん。そのサークルは今はないんですけど、当時は盛り上がって100人以上参加していて、その活動自体が1つの居場所になってましたね。
あとはボランティアとかスクールとか、何かを学ぶ会みたいな。でもやっぱり自分で働きかけない限り、居場所はできないんですよ。ただ待ってるだけでは何も起こらないし、やりたくもないことは無理してやらないほうがいいですね。自分が好きなものだったり楽しかったりするものは長く続けられるから、それが鍵になるんじゃないかと思います。
[取材・文]樋口 かおる [撮影]武藤 奈緒美