感情も個性も自分で守らないと死んでしまう

前編で「新しいものを意図的に作ろうという気持ちは一切なかった」と伺いましたが、『みどりいせき』からもステファニーさんからも新鮮で個性的な印象を受けます。「個性」とはどんなものだと思いますか?

ステファニー

日本で生きてる限り、自分で守らないと死ぬもの。

個性は、生まれたときからずっとみんな持っている。でも、隣と並んで飛び出さないほうが過ごしやすい社会で生きてる限り、大抵の人は自分で折り合いをつけて、個性を殺してる。

「変な服装で仕事に来るな」って上司に言われたら、辞めるかぶん殴ってわからせれば解決するかもしんないけど、無理だから改善してちゃんと求められた服装で行く。そこで葛藤なく無意識に迎合したら何かが死ぬ。反抗しろって意味じゃなく、社会で生きてたらそういうことばかりだから、迎合する時に隠した感情も個性も自分の中で守らないといけない。

 

元々、みんなに個性はある?

ステファニー

本当はあるんです。でも、流行っているからとかYouTubeでサジェストされたからというもので自分の時間を満たしていると、大きなくくりから逸脱しえない。摂取するものにしても「自分は今何が見たいかな」と心の声を聞いたほうがいいと思います。個性って、毎日の積み重ねで色を変えていく。だから、他人からも自分からも守ってあげないとっていうイメージ。

 

感情を大事にしないと個性も失われてしまうと。「自分の意見を言えない」「自分の意見がわからない」と聞くこともあります。

ステファニー

元々村社会、農耕民族で共同で田畑を耕すとき、1人だけ昼寝して口笛を吹いてる奴がいたら邪魔者じゃないですか。それで協調性のない奴を弾くみたいな根性が多分日本人には根深く残ってる。

その上で日本の教育は30人とかが同じ方を向いて先生は黒板の前で授業して、生徒も手を挙げる奴しか喋っちゃいけない。授業中、雑談もなければディスカッションもない。だから自分の意見を持ってなくても高校まで卒業できちゃう。自分の意見がわからない人がいるとしたら、日本の教育制度も向き合えないように仕組みを作っている。

 

ちょっとした心の動きの表現方法もわからなかった

中学生の頃から、何か表現したい感情を持て余していたと聞きました。どんなものですか?

ステファニー

中学生や高校生って学校と家にしか社会がないけど、学校は人から外れたことができないから、人に言えないような感情のはけ口はほぼほぼない。爆発しそうな感情とかだけじゃなくて、猫が横切って心がほんわかしたとか、美味しいご飯食べて心が満たされるみたいなちょっとした心の動きもどう受け止めればいいのかよくわからなくて。

 

それはだんだんと表現できるように?

ステファニー

学校は行ったり行かなかったりでしたけど、高校でバンドを始めて最初の一歩を踏み出しました。音楽だったら言葉を用いずに音でも感情表現できるし、映像だったら映してるもので感情を表現できるし、小説だったら言葉で感情を表現する。表現することによって生まれる苦しみとかもあるけど、やる前の自分よりは、バンド始めた自分の方が好きだったんで。その流れで今に至るって感じです。

 

バンドはどんなジャンルですか?

ステファニー

高校生のときは最初パンクで、だんだんSTONESだったりR&B寄りのロック、ブルースだったり。最終的にはソウルっぽいバンドをやってました。音楽的には激しいところから出発してだんだんグルーヴ重視に、感情のほうを優先するジャンルによっていった感じですね。

ただバンドだったんで、曲とか作ったら他のメンバーにこんなふうにアレンジしてほしいとかあるわけじゃないですか。自分の個人的な感情から出発しても、表現するときに人を巻き込んで共同で作業するということがだんだん難しくなっちゃいました。こだわりも強くなって独善的になって、友達と組んでるバンドなのに機械みたいに指示出して表現させるみたいなことが苦しくなっちゃって。

大学では映画作りにも関わったけど、それも人とものを作る作業だから自分には合わなかったっていう。鑑賞するのは大好き。

 

音楽、映画、小説…表現する方法は限定せず?

ステファニー

今になって考えてみれば何でもよかったんだろうな。当時は音楽やってる人間への憧れもあって、感情を吐き出すという方向以外に「憧れの人に近づきたい」「自分もすごいものを作ってみたい」っていう気持ちもありました。

方法は一般的に表現活動とされてるものじゃなくてもよくて、たとえばここの窓をピカピカに拭くことも、やりたくてやるなら表現かもしれない。本人の感情自体がもう芸術表現になりえると思います。最近はよく絵を描いてます。

 

「めったんこピース」に生きるには

『みどりいせき』からは、独立心や反抗心みたいなものを感じます。縄文人について話しているシーンも好きなんですが、稲作を始めて農耕民族になる前の時代は「めったんこのピース」だったのではと思って。

ステファニー

人体の構造は腰をかがめて長時間農作業をするようにできてないから、農耕文化が生まれてから腰痛とか肩こりとかできちゃったみたい。しかも稲作が始まる前の人類の発掘された化石を見ると、稲作が始まってからよりも健康状態がいいらしいですよ。小麦、米に手を出してから狩猟に必要な情報処理能力も人によっては衰えただろうし。

 

個性を大切にする」「自分が好きなことをする」ことと農耕的な共同作業がフィットしなさそうだと思ったんです。財を蓄積することで格差も生まれそうだし。

ステファニー

そうですね。収穫量で隣の畑と競っちゃったり、人を都合よく働かせようとしたりもしますね。食欲は本能だし、農耕で収穫が安定して豊かな時期もあっただろうからなびいちゃう気持ちもわかりますけど。

 

春(『みどりいせき』の登場人物)たちは人と協力しないわけではないけど、学校での共同作業や資本主義的な社会にうまくハマる子たちではないですよね。

ステファニー

自分も資本主義を両手手放しで受け入れてるわけではなくて、自分自身に関していえば選んで「利用してる」っていう感覚を意識してます。資本主義のしわ寄せで苦しむ人がいることは知っておかなきゃいけない。

楽しい時間が買えても、安いものは、どこかの国の工場で賃金が労働に見合ってない状況で働かされてる人を搾取してるかもしれない。イスラエル産やイスラエル企業、そこと提携する日本企業のものを買うことでも、ガザの虐殺、パレスチナの占領に加担することになる。でもそこに自覚的になっていれば、金の流れにガン飛ばしてボイコットで別の会社のものを買うこともできる。

 

自分の視点は変えられますね。

ステファニー

資本主義に対しては、どう世界を変えるかというより自分の捉え方をどう変えるかという気持ちのほうがあります。「村」みたいな解放区的なところで、日本円もドルも自分たちからしたらただの外貨として捉えて、昔のヒッピー的なノリで幸せに過ごせたらいいなみたいな妄想はしてます。

 

村を作る?

ステファニー

友達がそういうふうに暮らしてるから面白く眺めてるって感じです。いつか自分の畑は欲しい。

 

[取材・文]樋口 かおる [撮影]工藤真衣子