みんなにはわからない言葉をそのまま使う意味

ステファニー

これ(編集部が持参した駄菓子)、食べていいですか?

 

もちろん。

手前に並んでいるのは編集部が持参した駄菓子。

ステファニー

あ、チョコだ。

 

駄菓子と飲み物があって天気も良くて「チルいな」と感じます。『みどりいせき』には「チル」(まったりした状態)やドラッグの「手押し」(手渡し)など、一般的ではない言葉が出てきますね。「ググりながら読んだ」という人もいて。

ステファニー

全部はわからない人の方が多いんじゃないですか。けどべつにいいです。自分も本読むとき、むずい漢字とかことわざとか慣用句でわからないことがあってもあまりに引っかからない限りけっこう読み飛ばしちゃうんで。わかってもわからなくても、いい(笑)。小説は理解する目的で読むもんじゃない。カスタマー精神は捨てよう。

 

安心しました。なじみがない言葉があっても、そこも含めて知らない世界にいるような感覚がありました。そのリアリティはなぜ実現したんでしょう。

ステファニー

この小説の舞台として出てくるような、犯罪とされてるものに近い人たちも、いくら大人が隠そうとしたって確実に生きているわけじゃないですか、この世界に。ウィードなんて、どこかで誰かがきっと吸っている。ちゃんと社会の規範に従って生きてる人からしたら、「こんな人いるの?」「こんな世界あるんだ」って感じかもしれないですけど。

だからこそ誇張したり、あえていい人たちとして演出したり悪い奴として演出したりみたいなことをすると、実像ではなくてただフィクションのなかのものになっちゃう。そうせずに、実際に社会に生きてるこういう人たちいるんですよっていう声を届けるためには、普通の人たちにはなじみがない言葉だったり文化だったりをもうそのまんま出してやろうっていう。

 

いろいろな文化があるし、言葉も習慣も違うとすんなりとはわからないことがありますね。

ステファニー

読んだ人によっては『みどりいせき』でしかそういう文化圏の人に触れないかもしれないですよね。そこで自分が演出したら、演出された印象で捉えられてしまう。だからなるべく実際の人たちの言葉や営みをそのまんま抽出したって感じですかね、リアリティとして。

あと、ゴリゴリの純文学とか読むと難しい言い回しや漢字、書かれていることの裏にあるメタファーとか、普通の読者がつまずく要素がいっぱいあって。その噛みづらさ、飲み込みづらさが持ち味でもあるんですよね。そういう純文学的なアプローチと今回書いた作品の世界観はマッチしないけど、読んでもらうからには引っかかりとして噛みづらさ、飲み込みづらさみたいなものを読者に与えたくて、みんなになじみがない言葉も説明せず持ち出したって感じです。

 

「知らないことを知らないまま書くのは危ない」

なるほど。登場人物たちの会話も違う文化圏からはわかりにくいけれど、内側に入れたような面白さがあって。取材した人がモデルになっていたりするんですか?

ステファニー

題材についての取材はしたけど、彼らの人格や性格を作品に反映してるわけではないです。言葉は友達が喋ってるものを使ってるから、今の高校生が喋ってる言葉とは全然違うと思います。

 

登場人物たちのなかに、自分はいますか?

ステファニー

意図してもしなくても出てるんじゃないですかね。主人公にだけじゃなくていろんな人物に。人間を書いてるし、書いてるのは人間。そもそも人間という共通項で出ちゃってる(笑)。

たとえば、作品のなかにカレーを作るシーンがあるとして、1からカレーを作るってなったとき、ふだん自分が作ってるカレーの作り方を載せたらもうそれだけで作者成分が出てる。当然出ちゃうし、そういうものしか書けないんでっていう感じ。

 

今後の題材によっては、まったくわからない言葉や世界について調べて書くこともありますよね。

ステファニー

もちろんそうです。知らないことを知らないまま書いて偏見を助長するのは危ないので。

 

書く前の不安と、書いた後の気持ち

知らないまま書くと、思い込みが入りますね。
『みどりいせき』は個性的な文体もバイブスを生み出しています。どういうふうに完成されたんでしょう?

ステファニー

1つの文章をなるべく短く簡潔にすると伝わりやすい。三人称視点だったらそういう書き方でもよかったんですけど、一人称視点(主人公の目線からの作品)の独り言みたいなものだから簡潔じゃないし脈絡ないし。誰かに向けての言葉じゃないんですよね。小説として読める範囲でそれを表現するにはっていう発想から来てるかもしれないですね。

他にもいろんな要素が組み合わさっているけど、自分のなかで言葉にして実行したというより、ぼんやりと「この作品にはこういうのが合うんじゃないか」っていう気持ちがあったんです。自分が読みたい、好きになれる文章への意識が強かったですね。読みたいものを書くって感じで、新しいものを意図的に作ろうという気持ちは一切なかったです。

 

「自分が読みたいもの」を目指して、それが評価されないことへの不安はありませんでしたか?

ステファニー

「こういうことを書いたら評価されるだろう」「これ書いたらウケるぜ」みたいな気持ちで表現して、期待通りの評価をされなかったら傷つくと思うんですけど。それってこっちから歩み寄ってるじゃないですか。

 

歩み寄ってますね。

ステファニー

今回の小説に関しては一切歩み寄ってないんで。書き始めたら自分のできる100%を自分自身に負けないように打ち込んで、出し切ったらもうその時点で自分的には満足。

書く前には、こういう気持ちになるのはまったくわからなかった。もし読む人のことを想定して、たとえば流行りのトレンドを入れようとか歩み寄って滑ってたら、ショックを受けたかもしれない。だから作るときに人の目を気にする必要はなくて、いいものだったらあがるし悪いものだったら滑るし。

 

いいものって?

ステファニー

自分が満足して出しているなら、その表現は素晴らしいものとして完結してる。その先にさらにラッキーがあれば商品になったり人を感動させたりすることもあって、自分以外の人に価値が生まれるっていう。

 

評価があればもちろん嬉しいけれど、自分が納得できる表現が先にあって、その後に付いてきたらいいねみたいな。

ステファニー

そうですね。だから否定的な反応があっても「合わなかったんだなあ」ぐらいで、「読んでくれたんだね、ありがとう」みたいな気持ちの方が強い(笑)。

 

『みどりいせき』の背景について伺った前編はここまで。ステファニーさんは「新しく」あることを意図してはいないそうですが、世界観は独自だし、個性的。後編ではどうやってそこにたどり着いたのかを探ります。お楽しみに。

[取材・文]樋口 かおる [撮影]工藤真衣子