相手の痛みを感じるなら、共通の痛点がある

『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』の主人公渡辺くんは、フリーターとして日々単調な作業仕事をしながら「人生が、始まってる気がしない。」と感じています。自分と似ていると感じる人、自分の方がうまくやれていると感じる人、どちらも心がざわつくのではないかと思います。

魚豊

渡辺くんというキャラクターを見て痛々しいと恥ずかしさとか、いたたまれなさみたいなものを感じるとしたら、それはとても重要な感覚な気がしています。

前作の『チ。―地球の運動について―』に登場するノヴァクという異端審問官は、地動説を論じる人たちを拷問するときにまったく痛そうにしないんですよね。目の前の痛そうにしてる人の痛覚を共有しないことは、完全なる分断の象徴として描いています。つまり渡辺くんに痛みを感じるのであれば、自分の中にも共通の痛点があるということです。痛みは、陰謀論について他者のものと割り切るのではなく、自分のなかにもあるかもしれないと想起させるきっかけになるんじゃないかと思います。この作品で渡辺くんや陰謀論者を嘲笑したり、露悪的に描くことはしたくなかった。

「いじらしさ」みたいなものを意識することが、そうならないための鍵だと思いました。

 

とても痛いので、解像度の高さが不思議です。渡辺くんの職場のシーンでYouTuberの絶望ライン工さんを思い出したんですが、ご存じですか?

魚豊

知ってます。現代日本の話なので、意識的にも無意識的にも今まで見たものは結構直接的に本作の参考になっています。

あとリファレンスという点でいうと、その時目についた陰謀論の本は大体読みました。後はその著者の方などにも何人か取材させていただきました。

 

そうなんですね。渡辺くんは自分の状況について「負けているんじゃないか」「このままでいいのだろうか」と焦っていますよね。感情面のリアリティはどこから来たんですか?

魚豊

自分自身の経験がかなり大きい要素としてありますね。

 
『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』より。フリーターとして工場で積み下ろしの仕事をする渡辺くん。

少なくとも自分が好きな作品を作りたい

ちょっと意外です。外側から知る情報だけで決めつけるのは失礼ですが、魚豊さんは漫画家として成功して評価されていて、天才という自認もあると聞いたことがあるので。

魚豊

それは13歳くらいの時に漫画を投稿していた時にそう思い込んでいただけというか(笑)。現実は落選しまくってましたし。

ただもちろん、そういうセルフボースト(自分を誇ること)のマインドを今でも大切に持ちたいという気持ちはありますが、それはそれとして渡辺くんの部分は全然あると思いますし、屈辱的な気持ちになることは多かったですね。

 

どんな屈辱か聞いてもいいですか?

魚豊

デビュー前の今以上に視野が狭い時は、なぜこんな屈辱を浴びなきゃいけないのかと逆恨みする事は多かったです。この作品のテーマの1つは「屈辱」ですけど、そういう部分はよく感じていたので、描けるんじゃないかと期待してました。

それは漫画に限ったことではなく「なんでこの芸人評価されてないの?」とか「なんでこの音楽評価されてないの?」みたいな過大評価や過小評価に対する苛立ちは強いほうだと思ってます。もちろんそれはただの僕の独断なのですが、しかしもし僕になんらかの作家の才能があるとしたら、そこの強さだった思います。

 

周りの意見や評価よりも、自分の感覚で面白くていいものを作ることがモチベーションになっているということでしょうか。

魚豊

そうですね。そうじゃなかったら漫画家をやる意味がないと思ってたし、そもそも人への合わせ方がわかりません。

自分が好きじゃないけど人が好きそうだというものを作った場合、最悪誰も好きじゃない作品が生まれます。でも僕が好きだけどみんなが好きかどうかわからない場合、少なくとも1人は好きな人間がこの世界にいる作品になるので、そういうものを作りたいと思ってます。

ただ、こういう独断と偏見で突っ走ってしまうタイプなので、そもそも僕は作中の渡辺くんや陰謀論者とかなり近いマインドなんです。

 

うまくいっている人とそうでない人。違いは?

『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』より。渡辺くんと同い年の平子くんは本を出版し、講演会を開催する。

渡辺くんと対比的なキャラクターに平子くんがいます。平子くんはW大学ボランティアサークルの代表で、渡辺くんにとって格差を感じる存在。同い年の2人の違いはなんだったのでしょうか。

魚豊

運だと思います。

 

平子くんのほうが背が高いとか、リーダーシップがあるとかも含めて?

魚豊

多分、すべてが運。決定論は嫌いですが、最終的にそう言うしかないと思ってます。平子くんの状況があることも運、確率的なもののうえに努力があって成り立っているのかと。サンデル(*)の影響を受けてますけど。

ただ、すべてを運のせいにすることでやる気を失わせてしまうのはよくないです。絶対に自分の努力で自分の人生を幸せに出来る可能性は誰にでもあると信じてます。

それとは別に、社会的な成功とかそういうのは結局は運だとするところに、何とか全員が連帯できる可能性があるんじゃないかなと。言葉にすると当然な感じもしますけどね(笑)。

 

2人とも学歴は高卒ですが、平子くんのほうが頭がよさそうだし、評価されています。魚豊さんは「頭がいい」のはどんな人だと思いますか?

魚豊

優しさがある人とか、感情にコミットできる人。ロジックを追った先の感性のきらめきみたいなものをちゃんと捕まえられる人は頭がいいなと思います。というか、センスがいい。僕の中で「頭がいい」と「センスがいい」は同義語です。

個人的に「計算能力が高い人や情報量が多い人が頭がいい」という捉え方はあまりしていなくて、優しさを表す方法、感情への配慮の仕方に頭のよさやセンスを感じます。

 

文化資本も背景も違う人たちが、同じ景色を美しいと思う

資本の格差もありますね。低賃金で働く人の環境を改善したい飯山さんは、文化的にも経済的にも豊かな家庭で育っています。実際、資本主義について考え直すイベントでも参加者が豊かそうに見えてしまい、矛盾を感じることがあります。

魚豊

それが昨今の分断や陰謀論の発展につながっていると思います。飯山さんも「自分がやっていることは欺まんではないのか」と葛藤しつつ、それでもやろうとしている。だから、その分断を話し合って一つになろうとは思っていなくて。

では、それぞれがそれぞれの立場でリスペクトを持つにはどうすればいいのかというのが、自分ごとでもありますが重要な問題だと思います。社会的には是正していくべき問題がたくさんある、しかし本作はそういう格差を抱えたまま、個としての対等さを目指したかった物語です。問題を矮小化させず、個の尊厳や自身を復活させる展開にしたかった。

いわゆる「落ちていく話」ではなく、陰謀論を通して王道な「ビルドゥングスロマン(成長していく話)」を描きたかったのも、それが理由です。

 

SNSでは分断を煽るような過激な言葉もよく見かけます。

魚豊

まったく違う価値観を持った人間が同じ景色を美しいと思うみたいなことが重要だと思います。夕方に薄暗くなって誰そ彼(黄昏)になることが、違う立場の人がちょっと混じる瞬間、「こいつもわかるか」とお互いに感じられる事の1つの鍵になるかもしれません。

そういう意味で本作には夕方のシーンが多く出てきます。

 

重なる部分もあるし、みんなが同じものを目指す必要はないですね。

魚豊

その通りだと思います。社会として格差や構造的な問題は改善していく必要がありますが、個としてはどこであろうと楽しめると信じてます。失敗したり後悔したりすることは誰にでもたくさんあるけど、それも含めて社会で生きていくための自信になるだろうと思っています。

 
魚豊さんの著作。『ひゃくえむ。』(講談社)、『チ。ー地球の運動についてー』、『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』(ともに小学館)。
※1:
*:『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)の著者マイケル・サンデル。

[取材・文]樋口 かおる