【前編】魚豊
「陰謀論は情報の束、恋は情報じゃない」。『ようこそ!FACTへ』で作者が描くのは
必要なのはエンパシー
2024.03.21
「闇の組織が世界を支配している」
「真実に気づいてしまった」
近年、こんな言葉を聞くことが増えました。
SNSには独自の解釈を施した新しい陰謀論も日々登場しています。手塚治虫文化賞受賞、アニメ化も決定している『チ。ー地球の運動についてー』の作者、魚豊さんが最新作『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』で描くのは、恋と陰謀論。関係がなさそうに見えるこの2つは、どう結びつくのでしょうか。「非正規労働」「情報格差」「マルチ商法」「資本の偏り」など、現代を生きる私たちに身近な問題が登場しつつ、ラブコメとして存在する本作。面白く読みながらも「賢さ、豊さってなんだろう」と心のざわつきが止まりません。その落ち着かなさの正体とは。漫画家の魚豊さんにお話を伺います。
( POINT! )
- 陰謀論は誰にとっても身近な思想の動き
- 開かれているはずのナラティブで閉鎖的に
- 論破と真理はイコールではない
- 陰謀論は情報の束、恋は情報じゃない
- 他者をそのままを感じるエンパシーが大切
- 心に格差はない
- 社会を維持するためには想像力が必要
魚豊
漫画家。5/29生まれ。東京都出身。2018年に『ひゃくえむ。』(講談社)で連載デビュー。『チ。ー地球の運動についてー』(小学館)は第26回手塚治虫文化賞の大賞受賞、2024年アニメ化。最新作は『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』(小学館)。
LINEの深読みと陰謀論の関係は
「陰謀論」には元々興味があったんですか?
魚豊
そもそも陰謀論やオカルトみたいなものに興味はあったのですが、特に詳しかったり、調べたりする程ではなかったです。でもホワイトハウス襲撃事件(*)やコロナ禍以降、そういうものが大きく力をもってきた実感があって、作品に結実させたくなりました。誰にでも起こりうる、見過ごせない思想の動きなんじゃないかなと。
陰謀論は近年のトレンドワードですが、「自分には関係がないもの」ととらえている人も多いですよね。でも、そうではない?
魚豊
身近なものだと思います。ノンフィクションライターの石戸諭さんの論考に「陰謀論の本質は、『根本的な帰属の誤り』と呼ばれる認知バイアスにある」(『現代思想』2021年5月号から引用)とあって。これは簡単にいうと、"深読みしてしまう"状態のことで、たとえば日常でも、誰かのLINEのちょっとした一言を深読みしてしまうとか、スタンプの意味を勘繰ってしまった経験がある人は多いですよね。そういう個人的なスタンスが政治的姿勢に結びついて陰謀と認識してしまうみたいな。その状態は日常と地続きに描けるし、面白くできそうだと思って題材に選びました。
SNSの投稿から「実はこういうこと?」と想像することもよくあります。深読みしたり類推したりするのは誰にでもあることですが、陰謀論にも関係があると。
魚豊
陰謀論は断片的な情報を繋げて一つの筋を見出します。しかしそもそも、情報に対して物語や流れを見出してしまうというのは人間の脳の普遍的な働きだと思います。それが一般的に流布されていないものだから陰謀論というふうになってしまうけど。この「情報に対する物語化」は重要なトピックだと思います。というのもコロナ禍以降、ストーリーとナラティブという2つの物語の差が出てきたなという実感があるからです。
僕の理解では、ストーリーは「閉じてるお話」というのに対し、ナラティブは「みんなが参加できる民主的なもの」という認識です。そして開かれている方が現代にマッチしているし、良いことなのだと。
でも結局そのナラティブの開かれた自由さが「話が合う人とだけ話し、自分の好きなものだけを見る」というエコーチェンバーやフィルターバブルにつながってしまっている気がする。なのでその「2つの物語」をどう越境するか、あるいは架橋するかは、『ようこそ!FACTへ』でちょっと意識して描いていることです。
陰謀論は論理的に合っている?
点在する情報をつなげて他人が気づいていない筋書きを見出せたら、賢くなった気がして楽しいです。作中に主人公である渡辺くんのロジックツリーが登場しますが、どんな意図がありますか?
魚豊
心理的視野狭窄的な、思考の狭い感じをビジュアル化できるというのが1つと、あらゆる作品が考察ブームになっている状況を引用したいということがもう1つの理由です。
イメージとしてあったのは考察系動画配信者のホワイトボードの感じ。論理的な整合性は必ずしも真理に直結するものではないです。ちょっと前にディベートブームとかもありましたが、論破することと真理は関係ないというのはアリストテレス以降いわれていることなので、それも念頭において描こうかなと。
渡辺くんのロジックツリーは選択肢が限定的で、正しい問題解決に辿りつけない気がします。でも、渡辺くんの論理的思考が間違っているということでは?
魚豊
渡辺くんのロジックツリーは筋自体は通ってます。ただ批判的思考がないんです、ツッコミがないといいますか。さらに本来、ロジックツリーでは幾重にも枝が分岐していき、いくつもの答えが出てくるはずが、彼は一つの考えを強固にするための一つのフローしか生成しない。だから一つの答えに拘泥してしまうんです。拘泥できる論理を作ってるから、その論理は合っている訳ですが。
合っている? 「陰謀論に陥らないためには論理的思考が大事」と聞くことがありますが。
魚豊
論理的に合ってるか間違っているかは、真理には関係ないんです。昔「雷が落ちたのは神が怒ったからだ」といわれていたことに論理的な誤謬(ごびょう)はなくて。「人が空を飛ぶ」は論理的に間違ってないですよね。ただ、「人が空を飛ぶし飛ばない」というと矛盾になるので、通常は論理的に間違っていると判断されます。
「人が空を飛ぶ」は科学的な記述では間違いだけど、論理的な記述においては正しい。そういう論理の自由さ、特性が論破や考察の説得力を増すことにも利用できてしまうので、論理的に整合性があるからといって真理を言い表していることにはならない訳です。
なるほど。人の経験談から「この人はこういう行動をしてうまくいったんだな」とストーリーを抽出することがありますが、それも真理ではない気がしてきました。
魚豊
それはあらゆる人間にも作品にもあることだし、楽しく生きていくためには必要なことだと思います。ただそれが正解とか真理じゃなくて、嘘のまま楽しいってことでもいいような気がします。「論破したんだから屈服しろ」とはならなくていいし、「真理じゃないなら黙れ」みたいなことでもないと思ってます。
他者の「存在」だけを感じるエンパシー
連載が始まったとき「これは本当にラブコメなのか?」とコメント欄がざわつきました。恋と陰謀論はどんな関係にあるんでしょう。
魚豊
恋愛は閉ざされた他者のなかにあるストーリー的なもので、陰謀論はみんなで話し合って方向性を決めていくナラティブ的なものだと思っています。その2つがどんな結論を迎えるかと、他者と情報の線引きみたいなものを描きたいというのは、1つのテーマとしてありました。
渡辺くんが参加する陰謀論的な集会はサークル的な雰囲気ですが、恋する飯山さんとは1対1で話す場面が多いですね。
魚豊
陰謀論は情報の束ですが、恋は情報じゃない。恋は他者です。そして他者は情報の束として把握する事は出来ない。わからない部分があるから向き合っても正解は得られないし、絶対に変えられないものが他者のなかにはある。その「把握できなさ」みたいなところを感じることは、いろいろな局面で重要だと思っています。熟議をすれば世の中がよくなるということは一方ではあるけど、他方では変わらない人たちもいるし、ハレーションも起こる。
そこで自分と異なる立場の人たちに自己同一化して感情移入するシンパシーだけではなく、他者を分かりきれない他者として「存在だけを感じる」エンパシーは、恋愛においても社会生活においても必要な姿勢だと思います。
今言ったような様々な観点から、恋と陰謀論を二項対立に設定できると感じました。
飯山さんにとっても、エンパシーは重要なものです。飯山さんには社会を変えたいという理想があるけれど他者を変えることはできないし、同化しようとすると自分の考えを曲げることになる。そして渡辺くんと飯山さんには立場、環境、知識などの格差があります。
魚豊
そうですね。格差もテーマの1つです。残念ながら身体、資本、文化、計算処理能力などあらゆることに格差はあると思います。でも心というものには格差はないんじゃないかと信じていて。そこの平等さみたいなものを描きたかったというところもあります。
人は平等ということですか?
魚豊
難しいところで、格差があるのでほとんど平等ではないですし、様々なウェイト差によって、会話が成立しないことは往々にあり得ると思います。だけど最後の最後、「本音」だけはどんな立場の人間も平等に強度があるんじゃないかと思っています。
どんなにくだらないことでも、手垢のついた言葉でも説得されてしまうというか、聞かされてしまう。なぜなら、心は平等だから。
それがあればみんなで生きていくことはできると信じています。
- ※1:
- *:2021年に起こった米国議会議事堂襲撃事件
陰謀論の身近さ、恋と陰謀論の関係を伺った前編はここまで。後編では魚豊さんの考える頭のよさ、異なった背景を持つ私たちがどうしたら分断されずに連帯できるの?を伺います。お楽しみに。
[取材・文]樋口 かおる