給付金10万円で出版社を設立

万葉集とはどんな付き合いなんでしょうか。

佐々木

会社名を「万葉社」にしたので、万葉集をやるしかないという感じで。

 

万葉集に関する本を出すために万葉社を立ち上げたのではなく、会社名が先にあったということ?

佐々木

コロナ禍での給付金10万円で会社を作ったんですが、令和の時代に作ったので令和っぽい会社名にしたかったんです。元号の「令和」は万葉集の梅花の歌から引用しているので、会社名を万葉社に。万葉社なんで万葉集をやるしかないという流れですね。

元々、古事記や日本書紀は好きでよく読んでいたんですが、あらためて万葉集を読んでみたら面白い。その面白さを伝えたいということで、今に至ります。

 

それで『令和万葉集』『令和古事記』を出版して、『愛するよりも愛されたい 令和言葉・奈良弁で訳した万葉集①』がベストセラーに。最初は何部刷ったんですか?

佐々木

『愛するよりも愛されたい』は500部ですね。最初はこんなに売れると思わなかったので、自分の結婚式の引き出物にして友達に読んでもらおうと考えていました。それで100部だけ刷ろうと思ったところ100部も500部も費用が変わらないと印刷所に言われて、渋々500部に。amazonにも20冊置きました。

 

一般的に本は取次を通して全国の書店に流通しますが、万葉社の本は取次を通していないんですよね。今もですか?

佐々木

はい。amazonへの発送も全て1人でやっていたところ、追加しても追加しても売り切れるようになって。ある日紀伊国屋書店さんから在庫を全部引き取りたいという連絡をいただいて、そのときあった7000部を持っていってもらいました。その後も発送や書店さんとの取引、基本的にはすべて1人でやっています。

その後『太子の少年 令和言葉・奈良弁で訳した万葉集②』も出して、『奈良弁で訳した万葉集』は合わせて23万部に。現在も伸びています。

 
佐々木さんの著書。左から『愛するよりも愛されたい 令和言葉・奈良弁で訳した万葉集①』『太子の少年 令和言葉・奈良弁で訳した万葉集②』(ともに万葉社)

500部でスタートし、ベストセラーに

とても夢があります。売れたきっかけはなんだと思いますか?

佐々木

ここで火がついた、みたいなものはないんですよね。12ヶ月連続で売上前月比アップしていて、火がつきっぱなしという感じです。戦略というほどではないですが、強いていえばバズらせないようにはしています。バズると頂点が来てしまうので。

 

とはいえ、500部からのスタートだとまず知ってもらうことがむずかしいですよね。

佐々木

元々500部が完売すればいいと思っていたんで、もちろん新聞広告やテレビCMも出していません。でも、ずっとマイナーでいることで各個人が「こんな本を見つけました」と広めてくれていることはあると思います。

 

書店でも、店員さんの手作りポップをよく見かけます。商業的でない分「本当におすすめしているんだな」という印象を受けますね。
最近「小さな出版社」を耳にすることはありますが、数人の組織だったり売上も小規模だったりします。万葉社はなぜ1人なんでしょう? 大変じゃないですか?

佐々木

取次も通さず、発送担当とかもいないので大変さはあります。でも、1人でやったほうが売れるとも思っていて。5人くらいの出版社より1人のほうが、こうしてお話したときも「なんで?」っていう面白さがありますよね。

 

それはあります。それにしても、佐々木さんが担当する仕事の種類が多い気がします。職種でいうとどれくらいあるでしょう。

佐々木

作家で編集者でデザイナーでDTPもやって、梱包して発送して経理と営業と経営もやっていますね。あとはお問い合わせ対応とか。

 

「人に言われてやるのはイヤ」なので、1人出版社

今、「人と共に働く」コミュニケーション力の重要さを聞くことが多いです。佐々木さんが1人出版社にこだわるのは、そのほうが向いているからでもあるんですか?

佐々木

僕が人と働けないということもあるんですが、1人で働くスタイルはむしろ増えている気がします。YouTuberとかインフルエンサーとか、かつてなかった職業が今ありますよね。その紙媒体版のような。

チームとか営業の人を増やしてできることもあるんですけど、そうやってお金儲けをしようとするとお客さんは離れていく気がするんです。1人ではできないこともあって数字は取れないかもしれませんけど、ファンは離れないというか。自分の好きなバンドとかも、ずっとインディーズにいて路上で歌っていて欲しい気持ちとかあるじゃないですか。

 

ありますね。「人と働けない」というのは性格ですか?

佐々木

性格ですね。人に言われてやるのはイヤだし、人に指示するのも偉そうにするのもイヤみたいな。美大出身なので、自分で全体感を作りたい芸術家肌みたいなものがあるんですよ。絵とか彫刻とかやっていて人と働けない人は多いんで、ただそういう美大出身者という感じです。

 

1人でさまざまな業務を担当しているとマルチタスクが発生します。「これ忘れてた!」みたいなことはないですか?

佐々木

よくあります。ただ、会社としては1人出版社ですが、妻や母に手伝ってもらうことはありますよ。

 

万葉集の魅力も、働く理由も自由さにある

『愛するよりも愛されたい』がベストセラーになって、変わったことはありますか? 事務所が大きくなったとか。

佐々木

会社の事務所は高松にあるんですが、家賃はずっと4000円です。作家としてのデビュー作が直島(なおしま)、豊島(てしま)のほうだったんで、「瀬戸内に出版社あったらいいな」と思って創業しました。奈良で奈良弁を集めていたら妻と出会って結婚したので京都に住んでいますが、高松でも京都でも東京でもamazonはすぐ届くし、あまり変わらないなと思っています。生活コストやのんびりさ加減はちがいますが。

 

以前の売上はどれくらいだったんですか?

佐々木

前の本も完売しましたが、会社を創業した頃は執筆予定だった企画がコロナ禍で中止になってしまって、他の仕事を受託して収入が月5万円とか。そこから売上が年間2億円になりましたが、新しく買ったものといえばコンバースくらい。

 

5万円が2億円になったら性格が変わることもあると思いますが、佐々木さんは特に変わらず。

佐々木

変わらないですね。

 

そうなんですね。ということは、佐々木さんはお金をたくさん稼いで人から認められるために働いているのではないと思います。働くうえで原動力になっているものはなんでしょう。

佐々木

自由なことですね。1人出版社でない場合、雇用した人に満足できる労働を提供し続ける必要があります。そうすると自由がなくなり、商業的にならざるをえず本が面白くなくなってしまう。

万葉集の良さも、気の抜けたかしこまってない自由さにあります。この万葉集は全部で20巻あり、4500首以上。まだまだ歌があるので、これからも変わらずに『令和言葉・奈良弁で訳した万葉集』で万葉集の面白さを伝えていこうと思います。

 

[取材・文]樋口 かおる [撮影]木村 充宏