万葉集の魅力は「雑」なところ?

『令和言葉・奈良弁で訳した万葉集』シリーズが大人気ですね。万葉集の面白さってなんでしょう?

佐々木

そうですね。雑というか。

 

雑?

佐々木

万葉集は、雑といわれることがあるんです。百人一首は歴代のいい歌、綺麗な歌ばかり並べられているイメージなんですが、万葉集は当時のいろんな歌を入れた感じ。収録されている歌も4500首を超えて膨大にありますから、誰かが選んだというより敷き詰めたような。

天皇や農民、芸人とさまざまな職業の人の詠んだ歌が地域問わずあるので、雑な言い方をすると「雑」なんですよ。「雑歌(ぞうか)」から始まってますし。

 

貴族による貴族のための芸術作品ではなくて、さまざまな身分の人の雑多な視点が入っているんですね。そしてそれが、現存する最古の和歌集。

佐々木

はい。当時は日本語を書き記す手立てがなかったので、「今日奈良に行きました」を「吾行く、奈良」と漢文を使って書いていました。でも、それでは五七五七七の和歌のリズムを乗せられないので、万葉集では漢字をベースに開発された万葉仮名(まんようがな)を使っています。

 

当時の最先端プロジェクトである万葉集を、現代へ

万葉集は現代の私たちからすると古典ですが、新しい文字を使った当時の最先端ビッグプロジェクトという気がしてきました。多様性のある作者の作品を大量に集めて話し言葉で表現しているので、SNSのようでもありますね。

佐々木

そうです。今残っている最初の日本語の記録なんで。

だから『令和言葉・奈良弁で訳した万葉集』は、「最古の日本語を最新の日本語で残す」ことを裏テーマとして持っています。その意義は万葉集でしか成しえないのかなと思います。

 

万葉集を現代の言葉で訳す試みにはそんな意味があったんですね。万葉集が庶民の歌も貴族の歌も分け隔てなく収録しているなら、それは当時の若者言葉であったかもしれませんよね。

佐々木

長野県のある地域の歌であれば、そこの方言みたいな形で残されています。同じ魚でも各地で呼び方が変わることがわかります。そのため当時の情景が浮かび上がってくるところも、万葉集の凄みです。

編纂(へんさん)に関わったといわれる大伴家持の歌は、幼少期から大人になってからまでたくさん収録されています。歌もだんだん上手くなってきて、成長が見て取れる。初恋の歌や失恋の歌、結婚の歌まであって心情の変化のようなものも感じられます。時代感や政治闘争など、当時の雰囲気を感じられるのも面白いところです。

 

それを今の雰囲気で伝えるために、令和言葉で翻訳したんですね。「ワンチャン」「織姫しか勝たん!」のような若者言葉を使うことに批判はありませんでしたか?

佐々木

賛否あるだろうと予想していたんですが、意外と「賛」が多いです。万葉集研究で有名な学者の方に好意的なコメントをいただいたことも影響しているかもしれません。最初は年配の方に読んでいただくことが多くて、おじいさんから「面白い」と感想のお手紙をいただきました。最近は若いギャルにも読んでいただいてます。

 
愛するよりも愛されたい 令和言葉・奈良弁で訳した万葉集①』(万葉社)より。右ページに現代語訳、左ページには歌(読み下し文)と補足、恋のお相手が表記されています。

「我が君」は「彼ピ」。ギャル雑誌や若者の会話を参考に

読者層が限定されていないところも万葉集っぽいです。令和言葉はどうやって探しましたか?

佐々木

若者がどんな言葉使ってるのかを知るためにギャル雑誌を読み始めて、今日もカバンには『小悪魔ageha』が入っています。『nuts』『Ranzuki』も当然読んで、『りぼん』や『ちゃお』も。

万葉集に「我が妻」とあった場合、一般的に現代語訳では「私の妻」になります。でも、当時10代で結婚する人が多かったことを考えると、「私の妻」とは言わず「俺の嫁はん」「うちの嫁はん」という言い方のほうがふつうではないかと。女性が「我が君」と詠んでいたら「彼ピ」「ピ」とか。

現代語訳にあたり、言葉のすり合わせみたいなものが必要でした。歌人が10代の若者なら『少年ジャンプ』、初恋の歌ならもっと若い世代向けの『コロコロコミック』を参考に。万葉集には「浮かれ女(うかれめ)」さんという遊女もたくさん出てきます。現代の風俗嬢やキャバ穣みたいな人たちですが、そういう人たち自身も歌を詠んでいるし、彼女たちのことも詠まれている。そういう歌の主は「キャバクラに行く」みたいな感覚を持っていたかもしれません。当時だったらどんな感じで、その人たちの言葉は現代ならどんなものだろうと意識するために、いろんなものを読んでいます。

 

奈良弁はどうですか?

佐々木

僕は奈良出身ではないので苦労しましたね。制作していたときはコロナ禍で、若者が外に出ていなかったんです。奈良の町を歩いてもなかなか奈良弁が集められないので、「どこに言葉があるだろう?」と探し歩いてはメモしていました。

「来ない」の関西弁だけでも「きいひん」「こおへん」「きやらへん」などたくさんあります。話している人は生粋の奈良人なのか大阪の高校に通っているのかなど考えながら、言葉を探しました。

 

足で探すんですね。SNSでは見つかりませんか?

佐々木

SNSではどこに住んでいる人かわからないし、奈良の人でも標準語っぽく書くことがありますよね。飛鳥なのか南部なのか、話す相手は友達か先輩なのかでも微妙に変わるので、住んでいる人が実際に喋っているところを見るというのを、けっこう細かくやっています。

 

どんな場所で探したのでしょう。

佐々木

電車で若者の横に座ってみたりカフェに行ったり。ほうせき箱という美味しいかき氷屋さんにもよく行きました。

 

万葉集では日常の言葉が使われ、日常が描かれている

『愛するよりも愛されたい』のタイトル文字はLINEの画面風で、『太子の少年』はXのプロフィール風ですね。

佐々木

どちらもKinki Kidsの大ヒット曲へのリスペクトです。堂本剛さんは奈良出身なので。

 

和歌を詠むことって、現代人からすると特別感がある雅な趣味です。当時の人々にとっては、SNSのように身近なことだったんでしょうか。

佐々木

はっきりとはわかっていませんが、地方歌のような形で口伝で残っていたり、歌集も存在していたようです。現代のSNSは短めの言葉でコミュニケーションを取りますが、万葉集も31文字で思いを伝えたり返歌として歌で答えたりします。そういうやり取りは現代っぽいですし、恋愛の歌などは特に思いを伝えやすかったのではないでしょうか。

コロナ禍では人になかなか会えず、家族間でも文字だけで連絡を済ませることがありました。それも万葉集の時代に通じる部分があるのかなと思います。

 

選りすぐられていないので、当時の雰囲気がそのまま伝えられているのかなと思いました。働くことの辛さみたいなものが詠まれた歌もありますか?

佐々木

ありますよ。上司がムカつくみたいな歌もあります。ふつうの、市中の言葉が使われているんです。

日常に落ちている言葉を拾っていくのは僕の仕事でもあります。言葉を拾うために仕事をしながらでもいつも日常にいることは、大事にしているところです。

 
佐々木さんの著書。左から『愛するよりも愛されたい 令和言葉・奈良弁で訳した万葉集①』『太子の少年 令和言葉・奈良弁で訳した万葉集②』(ともに万葉社)

万葉集が持つ魅力と、現代語訳で伝わってくる約1300年前の人々の思いについてはここまで。後編では、佐々木さんがどのように働き、ベストセラーを生み出したのかを伺います。お楽しみに。

[取材・文]樋口 かおる [撮影]木村 充宏