デカルトは動物の自己意識を認めなかった

前編で、魚にもこころがあると聞きました。家族で子育てをする魚がいることからも、自然に感じましたが、一般的にヒト以外にこころはないとされているんですよね。

幸田

これまで、ヒトを頂点として霊長類、その他ほ乳類、鳥類、は虫類・両生類、魚類の順に知性も社会性も劣ることが常識とされてきました。ヒト以外にはこころなどないという考え方ですね。魚類などは脊椎動物のなかでもっとも「アホ」とされ、10年ほど前までは痛みすらわからないとされていました。

 

ヒトを中心とした考え方は、昔から続いてきたということですか。

幸田

「我思うゆえに我あり」の言葉が広く知られる哲学者、デカルトは動物に自己意識やこころはないと考えていました。それがその後の近代西洋哲学に影響を与えています。多くの哲学者や科学者が自己意識はヒト固有の特徴と見なし、前世紀までは、自己意識はヒトのみにあるとされていたんです。

 

でも、動物にも自己意識がある。

幸田

ゴードン・ギャラップ先生が1970年にチンパンジーの鏡像自己認知を証明したんですね。鏡像自己認知があるということは、自己意識を持つということになります。

今世紀に入ってイルカ、ゾウ、カササギでも鏡像自己認知が確認され、私たちの研究により魚にも鏡像・写真の自己認知があることが実証されました。脊椎動物のなかでもっとも原始的とされる魚に鏡像自己認知を認めるならば、多くの脊椎動物にも自己意識を認めることがむしろ自然なように思えます。

 

「魚が鏡の自分をわかるなんて、面白い」と思っていましたが、魚の鏡像自己認知には大きな意味があるんですね。「ヒトとその他の動物」という考え方は、変わるでしょうか。

幸田

これまでの常識からは、なかなか受け入れがたい話だろうと思います。これまで鏡像自己認知が確認されたのは、いずれも頭が大きくて賢いとされてきた動物なので、まだ理解されやすかった。それが今度は脳も小さくて、言葉も持たない魚ですから。

 
鏡像自己認知ができるホンソメワケベラが鏡で自分の顔を見ている様子。左が鏡像。©大阪公立大

魚は論理的思考を持ち、社会生活を営んでいる

魚に言葉はないんですか?

幸田

シグナルとしての音声はありますが、言葉ではありません。チンパンジーにも言葉はありませんが、「言葉を理解できるから、チンパンジーにはこころがある」という人もいます。でも、こころがあるかどうかに言葉は関係ないと考えています。

 

考える時、言葉が役に立つというイメージがありますが。

幸田

デカルトが自己意識をヒト固有のものとしていた考え方のベースには、言語があります。言語がないと論理的思考ができず、動物は自己の存在に気づかないのだと。でも、魚は言葉なしで論理的思考ができているんです。

 

魚の論理的思考? どんなものでしょう。

幸田

私たちの研究では、三段論法ができることがわかっています。A>B、B>CであればA>C。魚もこれができるんですよ。これは、論理的思考の一つですね。

 

どんな時に使うんですか?

幸田

たとえば、AとBとCの魚がいます。AはBより強い、BはCよりも強い。その場合、AがBより強いのを見たCは、Aを見ると戦ったことがなくても「ごめん」となるんですよ。逆にAは、Cを見たら一気に偉そうな態度でいきます。それは見たらすぐにわかります。

ヒトと同じではないですが、順位や縄張りを持つような魚は他者概念を持ち複数の知り合いがいる。それぞれ区別ができてどういうやつかもわかっているから、スムーズに社会生活が営める。そのあたりは、人間とほぼ同じレベルですね。

 

常識は変わった。ヒトと動物の脳の仕組みは基本的に同じ

魚に親近感が湧いてきました。顔で知り合いを認識して、関係性を築いている。ちょっとそれが苦手、みたいな魚もいますか?

幸田

いますよ。ちょっと脱線しますが、性格などもそれぞれちがいます。生息環境などで大きくちがうのはもちろんですが、同じホンソメワケベラ(以下ホンソメ)のなかでも、それぞれの個性があるんです。

 

面白い。ホンソメくらい小さな魚でもずいぶん複雑な思考を持っているのだなと感じます。ヒトは大きな脳を持っていますが、脳が大きいから特に賢いということではないのでしょうか。

幸田

大きさについてはまだ何とも言えませんが、「脳が大きいと賢い」は間違いですね。だけど、なんらかの意味はあります。たとえば視覚をよく使う魚は視覚に関係する脳の部分が大きいし、匂いで餌を探すような夜行性の魚は、嗅覚に関係する部分が発達しています。

 

魚の脳についても、研究は進んでいるんですか?

幸田

今世紀に入ってから、動物の脳の捉え方は大きく変わりました。かつては魚の脳は単純で、進化の過程で少しずつ新しい脳が付け加わってヒトの複雑な脳ができたとされていました。でも、正しくは魚の段階で大脳・間脳・中脳・小脳・橋・延髄までの脳が完成しています。大きさや内部構造などのちがいはもちろんありますが、ヒトと魚の脳構造は、同じなのです。ほ乳類にある大脳新皮質は魚にはありませんが、相当するかたまりが魚の大脳にも存在することがわかってきています。

脊椎動物についての脳の進化についての学説は大きく変わっているので、過去に学校で学んだ知識は、そのままでは使えなくなっています。

 
幸田さんの著書。『魚にも自分がわかる ――動物認知研究の最先端(ちくま新書)』(筑摩書房)

「魚のこころ」は非常識? 多くの視点があるから挑戦できる

ヒトと魚の脳がまったく別物ではないならば、「ヒト以外にはこころがない」という考え方にも疑問が生じます。でも、ヒトの脳に比べると、動物の脳の研究は少ない気が。なぜでしょう。

幸田

ちゃんと見ようとした人が少なかったということがありますね。古典的な動物行動学や学習心理学から得られた常識が根強く、「魚に知性なんかあるわけない」と思われているからです。

でも私自身、スキューバダイビングでサンゴ礁での調査中にだまし行動やケンカの仲裁行動をする魚を見て、「自分が何をしているのかわかっている」のではないかと疑問を持つようになったんです。

 

魚の自己認知という常識をくつがえす研究に、どのような反響があったのでしょうか。

幸田

最初に魚の鏡像自己認知についての論文を発表した時、すぐに国内外から取材や問い合わせが殺到しました。『魚は痛みを感じるか?』の著者ヴィクトリア・ブレイスウェイト先生など魚の認知研究者から賞賛のコメントをいただく一方、強い批判もありました。

批判の主は、チンパンジー研究の第一人者ドゥ・ヴァール先生や、前述のギャラップ先生らです。しかし、批判に応える追加実験を行い発表することで、研究結果をより強固にすることができています。そして2020年のシンポジウムでの講演では、ドゥ・ヴァール先生から「素晴らしい研究だ」と絶賛していただきました。

 

状況を変えてきたんですね。常識を疑い、新しいことを見つけるためには多くの視点が必要なのかなと感じました。魚を知るにはヒトも知っていたほうがいいだろうし、逆もありますよね。そのような視点を持てたのはなぜですか?

幸田

修士課程の頃は、京都大学霊長類研究所でサルやヒトの行動を研究していました。その後博士課程では動物生態学研究室に移りますが、サルやヒトに関わった時期がなければ、気づけなかったこともあるだろうと思います。論理的思考や鏡像・写真自己認知を魚に持ちこ込んだのは私たちがはじめてですが、魚の研究だけをしていたら「魚には無理やろ」と思い込み、挑戦しなかったでしょうね。

また、病気をして潜水調査が制限されたことで実験室での認知研究をするようになりましたが、すでに野外でおこなってきた観察がおおいに活かされています。

 

経験や知見を組み合わせることで、これからの研究テーマもたくさん生まれそうですね。

幸田

これまで研究されたことで実は大間違いなんてことも多いんです。面白いテーマは、なんぼでもあります。

 

[取材・文]樋口 かおる [撮影]木村 充宏