【後編】笛木 あみ
「お土産」と「負い目」を交換。縄文人の贈与経済とは
太古から学ぶ新しい「価値」
2023.05.18
実用的とは思えない土器や不思議な土偶を遺し、いまなお私たちを魅了する縄文時代。1万年という、ほぼ日本列島の歴史といえるほどの長い時間を紡ぎ、食べ物も豊富で平和な時代だったといわれています。
稲作がはじまる前の縄文時代には「お金」が存在しませんでした。にも関わらず、人気の産地の石を遠くまで運ぶ物流を行っていたり、何世代にもわたって続く事業を行ったりしています。いったいどうやって協力しあい、実現したのでしょうか。
前編に引き続き、「縄文スピリット」の秘密を笛木あみさんにうかがいます。
( POINT! )
- お金がなく王様がいなくても、協力して大事業を行った
- 縄文人は、「私」について悩まない
- 集落間ネットワークで、お土産が活躍
- 所有によって貧富の差が生まれた
- 物々交換と贈与経済はちがう
- 贈与経済で、人と人がつながる
笛木 あみ
1987年横浜生まれ。慶應義塾大学中退。人間がまだ自然と一体だった頃、ヒトのこころがどんなだったか知りたくて先史時代の勉強をはじめ、縄文時代にハマる。自由で身軽な縄文人に激しく憧れ、さまざまな職を転々とし、現在は文筆家および瞑想インストラクター。著書に『縄文人がなかなか稲作を始めない件 縄文人の世界観入門』(かもがわ出版,2016)。ZINE「火振水」を不定期で発行。
現代人の価値観とは異なる、縄文人のモニュメント
前編では、豊かな食物を神の恵みとして分かち合っていた縄文人のライフスタイルについて教えていただきました。憧れを抱く人も多い縄文時代ですが、笛木さん自身が縄文時代に惹かれたきっかけはなんですか?
笛木
学生時代、進路に悩んだ時期がありました。大学院に進んで勉強したいわけでもないし、リクルートスーツを着て就職の面接に行く自分のイメージも持てない。「どうやって生きていけばいいんだろう」「自分は何がやりたくて、何ができるのかわからない」と堂々巡りをし、引きこもっていたんです。
そのとき本を読み漁っていて、出会ったのが縄文時代です。人の存在価値を「商品」としての価値で推しはかるような現代的価値観は、絶対的なものではないんだと気づいて楽になりました。
たとえばどんなところでしょうか。
笛木
縄文人は謎のモニュメント(記念碑)をたくさん残しています。100年も200年もかけて丁寧に石を並べてストーンサークル(環状列石)をつくったり、巨木を刈り出し運んで木柱列をつくったり。あくまで現代人にとってですが、実利的価値があるとは思えないようなことに、非常に多くの人の労力と膨大な時間をかけています。経済的に豊かになるとか私腹を肥やすとか、そういうことで人が動かないんです。彼らには、それよりずっと大切なことがあった。「こういう生き方をしてもいいのか」と驚きました。
権力の象徴としてではなく、世界観の表現のためにつくられた可能性があるということですよね。共同作業なのでもちろん指示を出したり目立つ活躍をしたりする人はいるでしょうが、それでとくに出世するわけでもない。
笛木
縄文時代の典型的な集落では、広場やお墓を中心に家が円形に並んでいて、権力の偏りを生まない工夫がされています。身分の差はあったかもしれませんが、のちの時代の「王と奴隷」というような極端なものはなかったのではないかといわれています。
お土産で、集落間ネットワークを回していた?
モニュメントをつくるといった大規模事業も行っていたのに比較的みな平等に暮らしていて、大きな富を持つ人はいなかった?
笛木
縄文時代のモニュメントは、のちの時代のたとえば古墳だったり、あるいはエジプトのピラミッドだったりという記念碑とはまるで性格が違います。彼らのモニュメントには木柱にしてもストーンサークルにしても明確な目的があり、誰かの権威を誇示するためにつくっているのではないことは確実です。
黒曜石を遠くまで流通させるような交流もあったんですよね。現代のような経済システムなしで、実現できていたことが不思議です。
笛木
そもそも縄文人には「対価を支払う概念がなかった」とも言われているんですよ。
物を売り買いしない、ということですか?
笛木
お土産やプレゼントとして、お互いに物を贈りあうことで経済が成り立っていたかもしれないということです。贈与経済(ギフトエコノミー)といいます。縄文時代の集落では、集落間のネットワークが発達していました。集落Aの人が集落Bの祭に招かれた際、集落Aの団体は集落Aでしか採れない石をお土産としてプレゼントする。集落Bの人は当然感謝しますから、今度は集落Aで人手が足りないときなどには、人を送って手伝いに行ってあげるといったことが頻繁に行われていたと考えられます。
何かをもらったり、してもらったりした際にお金(対価)を支払うことはないですが、人は、誰かに何かをしてもらうと必ず負い目を感じますよね。「お返ししなくては」という気持ちの連鎖です。
縄文人は「個性的」?
いまも「お返し文化」はありますよね。お祝い返しだったり、年賀状のやり取りであったり。現代でも省略化しようという動きがありますし、ちょっと窮屈に感じます。
笛木
集落同士のやり取りなので、現代の個人間でのやり取りの負担感とはちがうだろうとは思います。ルールも違うだろうし、時間の感覚もちがいます。ただたしかに、人との関係性の中で後腐れを良しとしない現代人の感覚からしたら、めんどくさいだろうとは思います。誰に何もらったか覚えておかなきゃいけないし、「あの集落は返礼をしない無礼なやつらだ」とか言われたりして(笑)。
集落同士であれば、個人でお返しタスクに追われる状態とはちがいますね。前編では、土器の個性が個人ではなく地域に由来するものというお話がありました。縄文社会での「個性」は、現代人の考える「個性」とはちがうのでしょうか。
笛木
そもそも、「個性」という言葉は日本語にはなかった単語ですよね。明治時代に西洋から入ってきた「individuality」の対訳として当てはめられたにすぎない。個性というのは「私とあなたは違う」ということですが、もともとこの国で生きてきた人々は、人と人との境界をそれほど明確にしていなかったのではないかと思います。
すると、縄文人は現在私たちが使うような意味で「個性的」ではないですよね。
笛木
もちろん個性的な人はいたでしょうが、だからどうってことではなかったんじゃないですか。想像ですが、「私の将来、私の人生、私の個性」といったことも意識する人はいなかったのではないでしょうか。
現代にも生きる、縄文時代の贈与経済
「集落のなかの自分」という考え方には、一人でがんばらなくていい安心感があります。一方で、自分だけ周りと異なる意見を持っている場合は不安です。
笛木
責任の所在が曖昧になるとか、スタンドアウトした人がつぶされるといった問題はありますし、それは昔から日本社会の問題点として指摘されていますね。ただ、現代は西洋から入ってきた個人主義の影響が強く、「特出した個性」やそれによる社会的成功が絶対善とされすぎている気がします。個人の幸せはもちろん大切ですが、資本主義というのは私の成功が他人の失敗を意味する社会でもあるので、そこでの個人主義は非常に残酷になりえてしまいます。「私は幸せだけど、あなたは知らない」というような。個人主義的な個性を潰すことなく、縄文的な、自分の中に他人も世界も全部含んでいくような世界観を維持するにはどうしたらいいかを考えなければいけないのかなと思います。
「私の持ち物」「私の個性」に人々がこだわる現代で、縄文時代の贈与経済や「自分の中に他人も世界も全部含んでいくような世界観」を取り戻す意義はあるのでしょうか。
笛木
稲作に象徴される効率主義、実利主義は数々の技術革新をもたらしましたし、その延長線上にある現代の資本主義経済や科学的思考は例外なくなんにでも適用できる便利なシステムです。ですが、環境破壊や人々の幸福度、感染症問題など、それによる弊害が叫ばれて久しい今、縄文を見直す意味はあると思います。
実際、お金を使わずに物々交換で回す経済も注目されていますよね。縄文式贈与経済から学べることは多そうです。
笛木
そうですね。ただ、贈与経済は価値の等価交換ではありません。お金の代わりに等価の物同士を交換するのではなく、まずは「このきれいな石をもらってくれない?」とプレゼントする。それだけなんです。
現代であれば、プレゼントされたものの価値を調べて、できるだけ早く同じ価値のものを返そうとしますよね。貸し借りを清算したいから。でも、清算するとそこで縁が切れてしまいます。贈与経済において贈与されるものは「人の好意」であり、受け取った人はその好意を受け入れることで相手を受け入れるんです。
だから、人と人がつながっていく経済なんです。
[取材・文]樋口かおる [撮影]小原聡太