【前編】笛木 あみ
1日4時間労働の縄文人。なかなか稲作をはじめなかったのはなぜ?
縄文時代の「個性」とは
2023.05.11
「豊かになりたい」「成長したい」「自分らしく生きたい」。現代に生きる私たちは日々、様々な目標とともに暮らしています。そして、それを息苦しく感じることも。
一方、自然とともに生きることを思い出させてくれる「縄文時代」に憧れを抱く人も増えています。火焔型土器はエネルギッシュなクリエイティビティを感じさせてくれますし、ミステリアスな土偶の魅力にハマってしまう人も。
それでは、私たちは縄文時代でならより自由に、自分らしく生きられるのでしょうか? 1日4時間労働で、マルチプレイヤーでもあったという縄文人。その暮らしぶりを知ることで、現代人の生きづらさへのヒントが見つかるかもしれません。太古より続く「縄文スピリット」の魅力を伝える、笛木あみさんにお話をうかがいます。
( POINT! )
- 縄文時代、獲物や作物はカミの恵みだった
- 縄文人はグルメでおしゃれ
- 縄文人は1日4時間労働
- 縄文土器の「個性」は個人ではなく地域に由来
- 稲作とともに、「所有」の概念も広まった
- 縄文スピリットが大切にするのは個よりも和
笛木 あみ
1987年横浜生まれ。慶應義塾大学中退。人間がまだ自然と一体だった頃、ヒトのこころがどんなだったか知りたくて先史時代の勉強をはじめ、縄文時代にハマる。自由で身軽な縄文人に激しく憧れ、さまざまな職を転々とし、現在は文筆家および瞑想インストラクター。著書に『縄文人がなかなか稲作を始めない件 縄文人の世界観入門』(かもがわ出版,2016)。ZINE「火振水」を不定期で発行。
縄文人と現代人は、基本的には変わらない
縄文時代に惹かれつつも、実はよくわかっていない人も多いと思います。獲物を追って気ままに移動する狩猟生活というイメージがありますが。
笛木
縄文人はそういった遊動生活ではなく、定住しているんです。縄文時代の幕開けは、旧石器時代にはなかった「土器」の出現といわれることが多いのですが、土器をつくるためには、土を選んだり何日も乾燥させたりと、時間がかかりますよね。これを移動しながら行うのはなかなか難しい。また、クリやエゴマなどの栽培も行っていましたし漁労もしていたので、狩猟だけではないんですね。
原始的な暮らしではないですね。環境はちがっても、人間自体は現代人と変わらないということでしょうか?
笛木
私たちと全く変わらない同じ人間です。袖のあるちゃんとした服を縫うし、靴もつくります。料理では、煮る、焼く、蒸すのほか、煮干しや燻製、塩漬けなどもつくります。肉は哺乳類だけで60種類くらいが食べられていたそうなので、現代よりずっと種類豊富ですね。また、他の狩猟民族に比べると虫歯も多かったといいます。縄文人はかなりグルメだったといえるのではないでしょうか。
印象が変わりました。
笛木
髪型やアクセサリーにもこだわっていたと考えられています。アクセサリーや道具の材料として石が使われますが、信州産の黒曜石が大人気だったらしく、なんと北は北海道から南は奈良県まで流通しています。
縄文人は1日4時間労働。ヒマな時間もたくさんあった?
流通ルートまであるんですね。「縄文人は4時間労働」と聞いたことがあります。なぜ可能だったのでしょう。
笛木
縄文時代の前期から中期は現代よりも暖かく、山にも海にも食料が豊富にありました。もちろん食料が採れないこともあったでしょうが、戦争もなかったといわれる縄文時代の人々は、現代人よりもかなりヒマな時間を過ごしていたと考えられます。
羨ましいですが、どこまでが「労働」なのでしょう?
笛木
おそらく狩りや植物採集など、食物を採るための活動で、子育てなどは入っていないでしょうね。縄文人がその活動を労働と思っていたかどうかはわかりませんが、現代人にとっての労働にあたるものです。
現代人にとって労働は「仕事」ですが、「お金」が存在しない縄文時代に、仕事はあったのかなという疑問があります。
笛木
「仕事」というより江戸時代の「生業(なりわい)」に近い感覚だったのかもしれません。
現代の仕事とちがうのは、ご飯を食べたり友達と喋ったり服を縫ったりすることが、仕事と並列にあり、「仕事とプライベート」のような明確な線引きはないだろうということです。全てが延長線上にあるので、ずっと仕事をしているともいえるし、ずっと仕事をしていないともいえます。よく「ワークライフバランスが大切」と聞きますが、現代人は物事を細分化するあまりに、話をややこしくしてしまっているのかなと感じます。
稲作が広まり、縄文スピリットはどう変わった?
不便なことはもちろん多いのでしょうが、魅力的な縄文ライフスタイル。そんな縄文の時代も終焉を迎えてしまうんですよね。
笛木
1万年続いた縄文時代は、水田稲作が全国に広まることで終了します。ただし、縄文時代から一気に弥生時代に突入したわけではないようです。実は、農耕の技術は縄文時代中期に既に伝わっていたものの、取り入れなかったという説もあります。
すぐに取り入れなかったのはなぜでしょう。
笛木
諸説ありますが、縄文時代中期は気候が温暖で食糧に困りにくかったため、とくに農耕をする「必要がなかった」という説が有力です。そして縄文後期〜晩期になると日本列島の気温が下がるのですが、気温が下がると植生が変わって食べられるものも変わりますよね。それで縄文晩期末、やっと稲作を開始する。それでも北九州での伝来から西日本全域に広まるまでおよそ400年、途中東北に飛び、中部・関東ではじまるまでに800年もたっています。
稲作が広まったことで、ライフスタイルはどう変わりましたか?
笛木
これも諸説あるのですが、私は、縄文人は自然の恵みを「カミからの贈り物」だと考えていたと思っています。カミ由来のものはあくまで「カミからのいただきもの」ですから、「みんなでシェアすべきもの」という認識につながります。でも、稲作でできた米は「生産物」で、「自分のもの」という感覚になりやすい。また米は肉や魚に比べて長期保存もしやすいし、他人に差し出す理由がないんです。「所有」され「蓄え」られたものは富の象徴になり、貧富の差や階級も生まれやすくなることが考えられます。また農耕を始めると人口が増えるので、社会を管理する「支配層」の人間も生まれます。
仕事という点では、人口が増えて分業が進むことで一人ひとりの専門性は高まりますが、逆に全体のことは見えにくくなるということもあったかもしれません。また、土器も縄文時代の呪術性は消えて、実用性を重視したプロダクトと化していきます。
縄文土器の「個性」は、個人由来のものではない
なるほど。稲作がじわじわ広まることで生活は安定しますが、豊かになる以外の変化もありそうですね。だからこそ現代人は、縄文土器の個性的な魅力に惹かれるのかも?
笛木
一つ間違ってはいけないのは、縄文土器の個性は、個人ではなく地域に由来するということです。
どういうことでしょう。
笛木
たとえば、国宝の火焔型土器は優れたアート作品に見えますが、 同じようなデザインのものが500年間つくられ続けています。ギザギザを付けるとか、実用性のない穴を開けることなどにも規則性があって、忠実に守られています。そして、土器には地域の特色があり、交流があったにも関わらず別の地域のデザインを真似することはないんです。ですから、土器は地域のアイデンティティであったり、神話や世界観を表すものだったりするのではないかといわれています。一人のアーティストの自由な発想で作られているわけではない。
「縄文人は個性的」といわれることがありますが、大切にしているのはおそらく「個」ではなく、「和」なんです。
自然とともに生きる縄文人のライフスタイル。個性が自由に発露しているように見えますが、その個性は現代人が考える「個性」とは違うものかもしれません。後編では、そんな縄文人の価値観について迫っていきましょう。お楽しみに。
[取材・文]樋口かおる [撮影]小原聡太