個性的な生き物たちが存在するワケ

私たちの身の回りにはさまざまな生物がいますよね。さらに、たとえば一口にイヌと言ってもさまざまな種類がいます。なぜ、こんなにも多種多様な生き物がいるのでしょうか?

小林

一言で言ってしまえば、「多様化するようにできているから」です。生物はこれまで長い時間をかけて進化してきました。そして進化というのは、「変化と選択」なんです。変化とは「多様性を獲得すること」であり、選択とは「環境に適した個体が生き残ること」。つまり、さまざまな種が多様な特徴を持った個体に“変化”しながら、その中からその時々の環境に適した個体が“選択”されることを通して、生き残ってきたわけです。

多様な個体がいることは、集団として生き残っていく上でとても重要なファクターになります。「すべてが同じ」だと、気候変動など急激な外部環境の変化が生じたとき、すべての個体が対応できず絶滅してしまいますからね。有性生殖(雌雄の配偶子によって新個体が形成される生殖法)など、多様性を生み出す仕組みを備えた種が生き残っているからこそ、私たちは多種多様な生物に囲まれているんですよ。

 

逆に言えば、「多様性を生み出す仕組み」を持っていない生き物は生き残れなかった?

小林

すべてとは言いませんが、そういうことです。地球の長い歴史の中には均質化の時代はあったかもしれないし、変化する仕組みを持っていない生物が多く存在していた時代もあったかもしれませんが、そういった生物のほとんどは絶滅してしまいました。

たとえば、プラナリアという生き物。この生き物は有性生殖もできるのですが、基本的には無性生殖、つまり一つの個体が分裂することで、異なる個体を生み出します。パートナーを見つける必要がないので増えやすいのですが、遺伝子的にはまったく同じ個体が増えることになるので、多様化できない。そのため、環境の変化に非常に弱いんですよね。実際、プラナリアはまだ絶滅したわけではありませんが、たいていの人はその姿を見たことがないと思うんです。

 

生物の授業で名前を聞いたことはある気がしますが、実物を見たことはないですね。

小林

そうですよね。プラナリアは非常に限られた環境、具体的には水温20度以下の流れが穏やかな川でしか生きられないので、私たちの目にとまることはあまりないかもしれません。

 

反面、有性生殖のみで個体を増やす生き物は、遺伝子をシャッフルすることでさまざまな特徴を持った個体を生み出し、種として適応力を備えている。だから、いろんな環境で生きられると。

小林

結果として、変化するシステムを持っている生き物の方が生き残りやすかったということですね。

 

「死」が生物の多様化を加速させる?

近著である『生物はなぜ死ぬのか』には、「変化と選択による生き物の多様化の本質を支えているのは『絶滅』である」と書かれていますよね。「絶滅」と「生物の多様化」はどのような関係なのでしょうか?

小林

基本的に増えやすい性質を持った生物が生き残る可能性が高いので、何事もなければ生態系は飽和状態になります。地球が“満員”になってしまうわけですね。そういった状態になると、新しい種というのは生まれにくくなる。住む場所がないわけですからね。あったとしても、とても寒いところだったり、乾燥がひどいところだったりと、生きるには適さない場所しかない。それに、食料の問題もあります。“満員状態”では、食べるものを確保するのも難しいですから。

しかし、何かしらの原因によって複数の生物が絶滅すると、空間的にも食料的にも余裕ができることになります。そうすると、生き残った種は新たに「空き」ができた環境に適応するために、進化するわけです。これを「適応放散」と言います。つまり、絶滅という現象は、生物の多様性にとってはポジティブに働いていると言われているんです。

 
小林さんの近著『生物はなぜ死ぬのか』。生物の進化の秘密や遺伝子の構造を解き明かすことを通して、「なぜ、私たちは死ななければならないのか」という疑問に対する一つの答えを提示している

「絶滅」が種の多様性を加速させる、といったイメージでしょうか。

小林

そうですね。“満員状態”でも、生物は少しずつ進化するとは思いますが、多様な種が絶滅した方が進化のスピードは飛躍的に上がります。たとえば、最近の大量絶滅は6,500万年ほど前、中生代の末期に起こりました。このときに大量に死んだのはどんな生物かわかりますか?

 

恐竜……でしょうか?

小林

その通りです。このとき、生態系の頂点に立っていた恐竜類は、現在の鳥類の祖先である種を除き絶滅してしまいます。原因は諸説あるのですが、隕石だとする説が有力ですね。いずれにせよ、地球上にいた約70%の生物種が絶滅したと言われています。

このとき、何が起こったかというと、哺乳類が適応放散したんです。大量絶滅が起こるまで、小型で夜行性の哺乳類が恐竜に見つからないようにこっそり生きていたのですが、恐竜たちがいなくなったために、さまざまな場所で生きられるようになった。そして、それぞれの新天地に適した進化を遂げていったわけです。

 

なるほど。ヒトも哺乳類ですが、私たちのご先祖さまは、恐竜が絶滅するまでは地球の端っこでこそこそ生きていたんですね。

小林

ええ。私たちヒトの祖先は、ネズミに似た哺乳類だという説があります。ネズミよりも少し頭が大きくて、手が大きいことが特徴とされるこの種は、恐竜が幅を利かせている間は木の上で生活していて、夜行性だったと言われています。しかし、恐竜が絶滅したことによって、木から地上に降りることができたし、昼間に活動ができるようにもなった。そうして、行動範囲を広げながら進化を遂げ、長い時間をかけてヒト、つまりはホモサピエンスになったとされているんです。

 

では、6,500万年前に地球に隕石が衝突しなければ、私たちはここにいなかった……?

小林

かもしれませんね。そのまま恐竜が生きていれば、少なくとも哺乳類の時代は来なかったと思います。

 

個性に「良い」も「悪い」もない

ヒトの中にもさまざまな特徴を持った人がいますよね。人の個性は何によって決定されているのでしょうか?

小林

「遺伝」と「環境」でしょうね。私の専門は老化や寿命なのですが、この領域における遺伝的な要因の影響は大きくありません。75%が環境要因なんですよ。タバコを吸うか吸わないか、あるいは何を食べるかなど、環境的な要因によって、老化の進行や寿命の長短は大きく左右されるわけです。

他方、数学や音楽の能力は遺伝的な要因によって大きく左右されるとされています。だから、何を「個性」とするかによって、それを決定づける要因は異なると思うのですが、いずれにせよ「遺伝と環境」によって人の個性は決められていると考えています。

 

つまりは、変えられない個性もある?

小林

遺伝子の影響が大きい要素に関して言えば、「変えにくい」でしょうね。だから、遺伝によって決まる何らかの特徴を嘆いていてもしょうがないというか、そのことばかりを考えていてもつらくなるだけだと思うんですよね。変えられない特徴をネガティブにとらえ、そこに固執してしまうと、しんどいじゃないですか。

それに、これまでお話をしてきたように、どのようなものであれ、さまざまな違いを持った個体がいることは種にとって非常に有益なことなんです。いまの社会においてはネガティブだとされている特徴も、もしかすると環境が変われば、ポジティブなものになるかもしれない。いかなる「違い」も、ヒトという種が生きながらえるためには重要な要素なんですよ。

 

でも、社会的にネガティブとされる特徴を持って生まれた本人からすると、「種の存続なんて知ったことではない」と言いたくなるような気もするのですが……。たとえば、“障がい”とされる特徴を持って生まれた方々がいますよね。

たしかに、長いスパンで見れば、その特徴はいつかポジティブなものになるのかもしれません。でも、少なくともその本人が生きている間は、ネガティブに働くことがあるのも事実。そういった方々は、自らの「変えられない」特徴といかに向き合えばよいのでしょうか?

小林

まず、いかなる特徴だったとしても、生物学的には「多様性=個性」です。「良い多様性」も「悪い個性」もないんですよ。もちろん、社会としては、たとえば人に危害を加えるような行為や特性を個性だと認めるわけにはいきませんが、それ以外の特徴はすべて「個性」。そして、すべての個性は尊重されなければならないし、「違うこと」はポジティブな要素でなければならないと思っています。

おっしゃるとおり、実際にある特徴を持って生まれたがゆえに、生きづらさを感じている人がいることは事実です。でも、そう感じる人がいる時点で「個性を尊重する社会」にはなっていないのだと思います。何かしらの特徴が、その人にとって「悪い個性」になってしまうような社会を、多様性がある社会とは呼べません。どのような個性を持って生まれた人にも居場所があるような社会を作らなければなりませんし、それが「個性を大切にする」ということなのだろうと思います。

 

大事なのは「言葉を変える」こと

なるほど……。すべての人が自らの特徴を「個性」ととらえるために、社会を変えていかなければならない。簡単なことではないと思うのですが、私たちは何から始めるべきなのでしょうか?

小林

言葉を変えていくことが、一つのきっかけになると思っています。「優性遺伝」と「劣性遺伝」という言葉を聞いたことがありますか?

 

それも生物の授業で習った気がします。遺伝子の2つの型のうち、特徴が現れやすい遺伝子を「優性」、現れにくい遺伝子を「劣性」と呼ぶ……でしたっけ?

小林

おっしゃるとおり、これは遺伝子の特徴の表れやすさを示す言葉です。最もわかりやすいのは、ヒトの血液型でしょうか。

 

私たちは両親からそれぞれ血液型を決定する遺伝子を受け取り、その組み合わせによって血液型が決まるんですよね。

小林

その通り。そして、AとB型はO型に対し“優性”だと習ったのではないかと思います。つまり、「AO」の組み合わせを持つ人の血液型はA型になり、「BO」はB型、「OO」の場合のみO型になるわけです。血液型の遺伝の仕組みはもっと複雑なのですが、あえて単純化するとそういうことになります。

ここで言いたいのは、「O型は“劣っている”のか」ということです。当然そんなことはありません。血液型はあくまでも一つの例ですが、遺伝子に優劣なんてないんですよ。しかし、「優性」と「劣性」という言葉を使うことによって、あたかも「優れている遺伝子」と「劣っている遺伝子」があるという誤解を生んでしまっていたわけです。

そこで、私が日本遺伝学会の会長を務めていた際、長らく使っていた優性と劣性という言葉を「顕性」と「潜性」に言い換えることを決め、文部科学省にも教科書の言葉を書き換えていただけないかと提案しました。この提案が受け入れられ、いまは教科書の表記も「顕性」と「潜性」に統一されています。

 

自分のある特徴が「劣性遺伝だ」と言われたらいい気はしませんし、「この特徴は“劣っている”ということなのか……」と思ってしまう人もいそうです。言葉を変えることによって、そういった誤解を解いていこうと。

小林

現在も、特定の色の識別しにくい状態を示す「色覚異常」という言葉を「色覚多様性」に変更してもらうための提案を続けています。かつて「色盲」という言葉がありましたよね。この言葉と比べれば「色覚異常」はいくぶんましかと思うのですが、それでも「異常」という言葉には抵抗がある。

色覚も遺伝子によって決定される要素ですが、社会が変化すれば、特定の遺伝子の型を持った人が“異常”とされることはないはずですから。たとえば、どのような色覚を持つ方にでもわかりやすい色使いをする、カラーユニバーサルデザインが普及し始めています。これが広がっていけば、誰かが“正常”で誰かが“異常”なんて状態は解消されるはずなんです。

色覚だって個性の一つだと、つまり「いい」も「悪い」もないと言える社会にしていかなければなりません。そのための一歩として、日常的な言葉遣いから変えていくべきだと考えています。

 

生物の多様性と「絶滅」、そして私たちヒトの個性と「言葉」の関係を語っていただいた前編はここまで。後編では、小林さんが考える「個性を尊重する社会」の現在地と、すべての人が個性的に生きる社会をつくるための方法をさらに深くうかがっていきます。「人はシロアリになろうとしているように見える」と小林さん。……それってどういうこと? その答えは後編で!

[取材・文]鷲尾 諒太郎 [撮影]須古 恵 [編集]小池 真幸