【後編】三宅 香帆
「好きなもの」を好きでい続けるための、ちょうどいい距離感を探して
書評家・三宅 香帆と考える、自分らしい「好き」との関わり方
2022.11.17
「好きなことを仕事にする」。そのフレーズを聞いて、素直に羨ましいと思う人もいれば、「いやいや、好きなことだからこそ、仕事になんてしたくない!」と思う人もいるでしょう。絵を描くこと、車の運転、料理、動画編集──。どんな「好き」であっても、それを仕事にした限り、楽しさだけでは乗り越えられない苦労に突き当たることがありそうです。
とはいえ、大人になって仕事や育児、日々の生活が忙しくなってくると、それ以外の好きなことに割ける時間がどんどん減ってくるのも事実。私たちは、あんなに大切にしたかった自分の「好き」に、どう向き合えばいいのでしょうか?
書評家の三宅 香帆さんは、「いちばん好きなこと」である読書を仕事にした張本人。さまざまな本との出会いについてうかがった前編に続き、後編では、自分の「好き」を貫き続けるために三宅さんが考えていたこと、そして、「好き」と自分との最適な距離感について、お話をお聞きしました。
( POINT! )
- 本を好きでい続けるために、書評家という仕事を選んだ
- 「読むこと」は、とてもクリエイティブな行為
- さまざまな言葉を知ることが、自分を知ることにつながる
- 好きなことと距離を取る時期があってもいい
- 「『好き』は発信しなければならない」という思い込みを捨ててみる
- 「好き」との最適な距離と関わり方を見つける
三宅 香帆
1994年生まれ。高知県出身。
京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。博士後期課程中途退学。大学院時代の専門は萬葉集。 大学院在学中に書籍執筆を開始。会社員生活を経て、現在は文筆家・書評家として活動中。 著書に『人生を狂わす名著50』(ライツ社)、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)、『それを読むたび思い出す』(青土社)などがある。近著は『(萌えすぎて)絶対忘れない! 妄想古文 (14歳の世渡り術)』(河出書房新社)。
「書評家」は、やりたいことを続けるために選んだルート
前編では、幼いころから読書好きだった三宅さんが京大の文学部に進学し、大学院生のときに初めて「書評」を通じて本に関わっていく道を意識した、というところまでうかがいました。「書評家」というお仕事はかなり個性的だと思うのですが、編集者や文学の研究者ではなく、書評家になるという選択をされたのはどうしてだったんでしょう?
三宅
じつは学生時代、大学院に進むか就職するかでわりと悩んだんです。出版社の編集者という選択肢も考えたことはあるんですが……編集さんってけっこう飲み会が多いよと人から聞いて、私、毎日お酒を飲むのはあんまり好きじゃないなと思い、ちょっと違うかなと思ったんですよね(笑)。もちろんそれは、編集者という職業の一側面でしかないとは思いますが。
研究者に関しても、たしかに選択肢のひとつとして悩みました。でも、大学院で古典文学の研究をしてみて、私は研究そのものは好きだけれど、研究者には向いていないんじゃないかと思ったんです。
研究は好きだけれど、研究者には向いていない……というのは?
三宅
ほかの分野でも同じかもしれませんが、私が取り組んでいた古典の研究では、学会で認められる論文を書くことが必要とされます。研究はあくまでエビデンス(根拠)にもとづいておこなわれるものなので、たとえば、「本当かどうかの根拠はないけれど、すごくおもしろい古典作品の解釈」というものは求められないんですよね。
でも私の場合は、文学批評をする際に、自分がおもしろいと感じる解釈のひとつを世に出すことで、より広い読者に作品を楽しんでもらいたいという気持ちのほうが強かったんです。それなら、書評という形であれば、研究者とはまた違った方法で「こういう解釈もあっていいんだよ」という楽しみ方を読者に提案することができる。そのほうが自分の性格には合っているかもと思い、一般企業に就職して仕事をしつつ、書評の活動を続ける道を選びました。副業OKかつ、興味があったWebマーケティングも学べそうなIT企業を見つけ、新卒で入社したんです。
なるほど。それで兼業をしつつ、「書評家」としての活動を始められた。
三宅
そうですね。書評家になりたかったというよりも、その肩書きであれば、いちばんやりたいことを続けられるんじゃないかと考えた結果でした。最近はありがたいことに書評のお仕事が増えてきて、兼業は体力的に少し厳しくなってしまったので、今年の春に会社を退職し、いまは専業になっています。
先日、会社をやめてまとまった時間ができたので、久しぶりに古典作品をがっつり読んでみたらめちゃくちゃおもしろかったんですよね……。大学時代の研究でお腹いっぱいになったと思っていたんですが、全然そんなことなかったなと(笑)。今後は、古典のおもしろさを紹介するお仕事ももっと増やしていきたいなと思っています。
書くことは「個性的」だけど、読むことは誰にでもできる?
ここまでのお話をお聞きしていると、三宅さんは本当に、常になんらかの本を読み続けていますよね。
三宅
活字を読むのをいっさい苦痛に感じたことがない、というのも書評を仕事にできた大きな要因のひとつだったかもしれないです。人によっては、読む量が多いと苦痛を感じるって言いますよね。
そうですね。読書好きの人であっても、疲れていたり気分が乗らなかったりすると、「きょうは何も読みたくないな……」と感じることも多いと思います。
三宅
そうですよね。私、自分の本にも書いたのですが、高校生のときに「本を読めなくなるかもしれない未来」を想像して号泣したことがあって(笑)。そのくらい、常に何かを読んでいることが自然だし、「読むことが仕事になるなんて、書評家サイコー!」という思いがいまだにありますね……。読む行為って誰にも邪魔されないし、ペースも場所もぜんぶ自分で決められるから、こんなに楽しいことってほかにないなって思います。
前編では、「書くこと」には個性そのものが表れるのではないか、というお話もされていましたが、「読むこと」の場合はどうでしょう? 「読むこと」にも個性は表れると思いますか?
三宅
私は、読むことってすごくクリエイティブな作業だと思っているんです。書くことは個性的なことだとよく言われるのに、なぜか読むことになると、「誰にでもできること」だと思われがちなんですよね。でも、決してそんなことはないと思います。
そう考えるようになったのは、やっぱり大学院で文学の研究をした経験があったからかもしれません。読むという行為にもさまざまな方法があるし、どこまで正確に読み取れているかという、ある種の「読解のレベル」も存在する。研究を通じてそういったことを実感し、読むってすごく難しくておもしろい行為だと思うようになりました。だから、読むことの価値が社会のなかでもうちょっとだけでも上がればいいのに、と感じています。
三宅さんの場合は、さまざまな本を読む経験を通じて、自分自身の価値観や考え方が形作られてきたとお話しされていましたよね。「自分らしさ」を追い求めることと本を読むことは、どんな関係にあると思いますか?
三宅
人の言葉を読むことは、自分自身を表現する言葉を増やしていく行為でもあると思っています。仮に本をいっさい読んでいない状態で自分自身について考え、深く内省しようと思っても、そのための材料がどこかで足りなくなるんじゃないでしょうか。だから、読むことは自分を知ることにもつながると思いますね。みんな何かを読むことで、跳ね返って自分のことを読んでいるんだと思うんです。
「好き」を手放す時間があってもいい
三宅さんの場合は「読むこと」がそうだと思うのですが、手放したくない「好きなもの」って、多くの人にとってひとつくらいはあるのではないかと思います。でも、生活環境が大きく変わったりすると、忙しくて好きなものから離れざるを得なくなってしまうこともありますよね。三宅さんは、大人になっても自分の「好き」を手放さずにいるためには、どうすればいいと思いますか?
三宅
うーん……。私は、映画『花束みたいな恋をした』が公開されたとき、麦くん(※社会人になり、大好きだった映画や文学、漫画から離れていくキャラクター)にみんな厳しすぎるのが気になったんですよね(笑)。どちらかと言うと私は「いいじゃん、1年目ぐらい仕事で頭がいっぱいになっても!」と思うほうなので……。
たしかに映画の公開当初、SNSやレビュー記事などを読んでいると、読書や映画から離れ、ビジネスマン然としていく麦くんに厳しい目を向けている人が多かったですよね。
三宅
ですよね。当然ですが、人生の中には忙しいときと忙しくないときがあるじゃないですか。私もそうだったけれど、新入社員のときって誰しも必死になるものだし、そこから少し仕事に慣れていくと、時間の余裕ができることもある。そういうタイミングで麦くんもまた読書を再開するかもしれないし……。「好き」は一度でも手放しちゃいけない、ずっと触れていなきゃいけないというものでもないと思うんです。
なるほど。気づかないうちに、「好き」を表明することに対するハードルが、以前より上がってしまっているようにも感じます。
三宅
最近はSNSでも、話題になるような作品が発表されたり、出来事が起こったりするたびに「カルチャー好きの人なら、それについて何かしらコメントするべきだ」という空気がありますよね。私は好みではなかった作品については特に触れずにいることも多いのですが、そうすると勝手に「あ、見てないんだ」とみなされたりする。批評やレビューを仕事にしている人に限らず、「何かコメントしなきゃいけない」というハードルは設けないほうがいいのではないかと思います。それによって自分を追い込みすぎてしまったら意味がないので、あくまで好きでいるのは楽しむためなんだ、ということを意識しておきたいですよね。
それに、仮に好きなものに触れられない時期が続いたとしても、いま言ったとおり、自分の忙しさに応じてその都度スタンスを変えればいいと思うんです。だから、好きなものに復帰することを大げさにとらえすぎず、「一度でも手放したらいけない」と思わないことが大切なんじゃないかと感じます。
好きなことを仕事にしても、「好き」でい続けるために
三宅さんはまさしく、いちばん好きなことをそのまま自分のお仕事につなげた方だと思います。好きなことを職業にするにあたって、「好き」に対する自分の向き合い方や意識を変える方も中にはいると思うのですが、三宅さんはいかがでしたか?
三宅
私の場合は、ずっと好きだったものをいまでも好きでいられているのが奇跡というか、かなり稀有な例だと思っているんですよね。すごくありがたいことですし、これからもこのままでいられるようにがんばろうという気持ちで仕事に向き合っています。
基本的にみんな忙しいので、好きなことに満足に時間を使えなくて当たり前だと思うんですよ。私が書評家という仕事を選んだのも、このルートであれば、いちばん好きなことを好きなままでい続けられると感じたのも大きいですし。以前、漫画家のおかざき真里さんが、「大人になってからも何かを好きでい続けるためには、仕事にしてしまうのがいちばんいい」とインタビューの中でおっしゃっているのを読んだことがあるんです。たしかに……と頷いたんですが、それはそれでなかなか難しいよな、とも感じて(笑)。
それに、仕事を通じて好きなことを嫌いになってしまうのが嫌だから、大好きなことほどあえて仕事にしたくないというタイプの人もいますよね。
三宅
そうなんですよね。たとえば仮に、小説が好きだからって私が小説家を目指していたら、「売れないのに書き続けなきゃいけないなんて、もう嫌だ……」と書くことを嫌いになっていたかもしれないなと思うんです(笑)。自分の性格に、書評家という仕事が偶然にもとてもマッチしたというのはありそうです。
読むことがすごく好きでも、それを仕事にするのではなく、仕事の合間に自由に本を読んでいるほうが楽しいという人もいるかもしれないですよね。逆に、編集者としていろいろな原稿を読み、新人発掘をするみたいなミッションがあったほうが好きでいられる人もいると思いますし。
たしかに。自分に合った「好き」との関わり方を模索してみることが大切なのかもしれませんね。
三宅
そう思います。私は昔から、ひとりで何かを読んだり書いたり、戦略を立てることにテンションが上がるタイプだったので、この関わり方でよかったと思うんです。でももちろん、仕事ではまったく違うことをするほうがテンションが上がるという人もいると思うので。好きなことを好きでい続けるためのちょうどいい距離感を、自分なりに考えてみるのがいいんじゃないかと思います。
[文]生湯葉 シホ [撮影]須古 恵 [取材・編集]鷲尾 諒太郎