【前編】三宅 香帆
進学、就職……いつも人生を狂わせるのは「本」
書評家・三宅 香帆が語る、本と言葉とキャリアの関係
2022.11.10
いまのあなたを形作ってきたものはなんですか? ──誰かにそう尋ねられたら、最初に「家族や友達」が思い浮かぶ人が多いのではないでしょうか。あるいは、「学生時代に熱中した部活」とか「どっぷりハマって聴いた音楽」、「仕事」や「推し」の存在を挙げる人もいるかもしれません。
けれどきっと、こう答える人もいるでしょう。「本」。読書好きの人の中には、むしろ本以外に考えられない、本がいまの自分を作ってくれたんだ! と大きな声で言いたくなる人もいるのでは?
「本に人生を狂わされた」と綴る三宅 香帆さんは、まさにそんな読書好きのひとり。読んできた本に価値観を決定づけられ、本がきっかけで進路が決まり、就職する際の判断基準も「どうすれば本を読み続けることができるか」だったといいます。
現在は「書評家」として、本の魅力や読み解き方を紹介する仕事をしている三宅さん。自分の「好き」を貫き続け、それを仕事にするまでの道のりをうかがいました。前編では、三宅さんの人生がいかに本に“狂わされて”きたかについて、そして「作家の言葉を信頼する」ということについて、たっぷりと語っていただきました。
( POINT! )
- 気づけば本がそばにあった
- 本や漫画の中にしか「好きな言葉」が見つけられなかった
- 小説の登場人物が、「美しさ」を教えてくれた
- 本は「なんとなく感じていたこと」や「違和感」を言語化してくれる
- 魅力的な現代語訳が、古典の世界へと導いてくれた
- 京都大学を志望したきっかけは、司馬遼太郎と大河ドラマ
- 書かれた言葉を通して、作家の個性を信頼する
三宅 香帆
1994年生まれ。高知県出身。
京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。博士後期課程中途退学。大学院時代の専門は萬葉集。 大学院在学中に書籍執筆を開始。会社員生活を経て、現在は文筆家・書評家として活動中。 著書に『人生を狂わす名著50』(ライツ社)、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)、『それを読むたび思い出す』(青土社)などがある。近著は『(萌えすぎて)絶対忘れない! 妄想古文 (14歳の世渡り術)』(河出書房新社)。
本の中にしか「好きな言葉」がなかった
現在は「書評家」のお仕事をされている三宅さんですが、やっぱり本は子どものころからお好きだったんでしょうか? 著書には、物心ついたころには気づけば読書をしていた、と書かれていましたよね。
三宅
そうでしたね。インドア派で、外に出るのが嫌いな子どもだったので、室内で本や漫画をずっと読んでました。母親が読書好きだったので、その影響が大きかったんじゃないかな……。
あとたぶん、本を読むスピードも速かったんですよね。小学校に入ってからは、毎朝の読書の時間がすごく暇で困ってたのを覚えてます。10分間で1冊しか読んじゃいけないルールだったんですけど、毎回早く読み終えてしまって。
すごい。本当に子どものころから本が身近な存在だったんですね。
三宅
たしかに。僕も友人たちも小学校のころは『ダレン・シャン』を読んでいました。
三宅
でもそれが、中学生になったら一気に変わってしまった記憶があるんです。周りで同じように本に夢中になっていた友達が、中学で部活に入ったり他の趣味にハマったりして、どっと別のところに行っちゃった感じがして。気がついたときには周りに誰もいなかったっていうか……。
言われてみると、小学生から中学生になる過程で、本を読まなくなる人って多い気がしますね。
三宅
そうなんですよ! 中学生になってからは、一人で図書室に出向いて好みの作家を探すようになりました。当時は図書室と図書館、BOOKOFFに通い詰めてましたね。中学校の図書室は一度に2冊まで本を借りられるルールだったので、週に2回借りに行って、1週間に計4冊読むというのがルーティーンでした。もちろんいまもいろんな本を読みますが、中学校時代が人生ではじめての「本をがっつり読む時期」だったように思います。
周囲の友人たちが部活や趣味などさまざまな方向に向かっていく中で、三宅さんはどうして本好きのままだったんだと思いますか?
三宅
どうしてだろう……たぶん、好みの言葉がそこにしかなかったんだと思います。当時、日本の現代作家の小説や漫画ばっかり読んでいたんですが、流行っているほかのものに触れてみても結局そこに戻ってきてしまうというか。何作も続けて読みたいと思える言葉があったのが、本や漫画の中だけだったんですよね。
たくさんの「主人公」たちが、価値観を固めてくれた
当時よく読んでいた作品って、たとえばどんなものだったんですか?
三宅
恩田陸さんや有川浩さん、森見登美彦さんの作品は特に夢中になって読みましたね。特に恩田陸さんの作品には、価値観レベルでの影響を与えられたなと。
恩田陸さん作品のどのような点に影響を与えられたんでしょう。
三宅
恩田陸作品の主人公って、いわゆるアウトローなタイプではない、“まっとう”な人が多いんです。聡明で常識的かつ自分の美意識をしっかり持っている、みたいなタイプなんですけど、そういう主人公って小説の中には意外に少ない気がしませんか? 10代の若者が主人公の小説って、思春期は大人に反抗したり、悩んだりするのが当然だという前提に立ったお話が多い印象があって。
たしかに、10代を主人公にした作品には、どこかアウトローな人が登場しがちですね。
三宅
でも、恩田陸作品の主人公はそうじゃないというか。意味もなく反抗するなんて別に全然したくない、みたいなことを言っていて、「いや、それめっちゃ私もそう思うわ!」って読みながら思ったんですよ(笑)。
私は私のやりたいことがやりたいのであって、誰かに反抗したいわけでも、誰かと喧嘩したいわけでもない。そんな新たな主人公像を、恩田さんが表現してくれたような気がして。特に、水野理瀬という女の子が主人公の「理瀬」シリーズには強い影響を受けました。
10代のころってまだ価値観がふわふわしているので、読んでいた本たちに自分の価値観を固めてもらったというか、「たしかに、私もそれが美しいと思う」みたいな意識をつくってもらったような気がしています。
なるほど。もともと自分がうっすら感じていたことを明確にしてくれたり、違和感を言語化してくれたりするのが本だった。
三宅
そうですね。なんとなく思ってはいるけれど、周りにいる人は誰もそんなこと言っていないし、人にも言えないみたいなことってあるじゃないですか。読書を通じて、「あ、自分以外にもこう思ってた人がいるんだ」というのを知れたのは大きかったように思います。
進路を決めたのは、古典への愛と『燃えよ剣』
高校生になるころには、「本にまつわる仕事をしたい」とぼんやり考えるようになった、と著書に書かれていましたよね。特に影響を受けた作品やできごとがあったのでしょうか?
三宅
高校時代に古典が大好きになったのが、本にまつわる仕事を意識するようになったいちばんのきっかけだったと思います。当時、俵万智さんの『恋する伊勢物語』というエッセイや、氷室冴子さんの『なんて素敵にジャパネスク』という平安時代を舞台にした少女小説を読んでいたんですが、それらの作品のもとになった『伊勢物語』や『落窪物語』に触れてみたらめちゃくちゃ面白くて。
『21世紀版・少年少女古典文学館』という、講談社から出ている子ども向けの古典シリーズを通して読んだんですけど、訳者が瀬戸内寂聴さんや田辺聖子さんなどで、すごく豪華なんです。とてもおもしろい現代語訳を読むことで、古典の魅力に気づいたんですよね。
古典に詳しくなると学校のテスト対策にもなるし、一石二鳥だなって。そのあたりから、大学の文学部で国文学を学んでみたいと思うようになりました。……ただ、両親が理系だったこともあって、文学部に行くことにはわりと反対されたんです。就職どうするの? と聞かれて。
「文学部なんて行っても就職先ないんじゃない?」と家族に言われるのは、あるあるですね……。
三宅
でも、家族の助言通りに理系の学部に進学して大学生活を楽しんでいる自分のイメージが、全然湧かなかったんです。せっかく大学に行くなら好きなことをしたいから、好きなことをし続けるために頑張ろうと思って。
偏差値の高い大学なら、文学部に行ったとしてもそこまで就職に困らないかもと考えて、京都大学を目指すようになりました。……ちなみに、なんで京大だったかというと、偏差値が高いこともそうなのですが、司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』や大河ドラマがきっかけで新選組好きになって、京都に憧れていたからです(笑)。
えっ、新選組がきっかけで京大を!?
三宅
当時、本当にハマってて……。結果的に京大に進学できたものの、大学院に進学したのでむしろ就職は遅くなったんですよね。就職を見据えて選んだはずなのに(笑)。大学ですごくいい先生に出会ったことで、4年じゃ足りないな、もっと勉強したいという気持ちが芽生えてしまって。
大学院で万葉集の研究をしていたときに、おすすめの本について書いた趣味のブログがバズって、それがきっかけで1冊目の本が出ることになりました。当時は院を卒業したらどんな仕事に就こうか悩んでいたので、「書評」という形で本に関わり続けることもできるのかもしれない、という選択肢が見えたのはひとつの転機でしたね。
作品を信頼することは、作家の個性を信頼すること?
「書評家」というお仕事については後編でも詳しくうかがいたいと思うのですが、ここまでのお話をお聞きしていると、三宅さんはすごくフラットな視線で本に出会われてきた感じがします。勝手な印象かもしれませんが、読書好きの人って、友達や家族との関係があまりうまくいかなかったり、何かに悩んだりしたことがきっかけで本の世界にのめり込むというケースが少なくないような気がしていて。でも、三宅さんはそうではなさそう、というか。
三宅
たしかに、それはなかったんですよね。逆に言うと、10代のときに人間関係にすごく悩んだり、めちゃくちゃ落ち込むような挫折体験をしたわけでもないのに、結局自分にとっていちばんの味方だと思えるのが本だったんですよ。だからこそ、これは信頼できるなという感じがした。
いちばん信頼できる相手、という感覚なんですね。
三宅
そうですね。小説って基本的には作者がひとりだけなので、その作品が信頼できるということは、作者の言葉を信頼できるということだと思うんです。当然、作家の人間性が信頼できるかどうか、というのは別問題ですが。自分が信頼している作家の作品を読んでいると、一語一語、隅々にまで神経が通っている気がします。
どんなときに作家や作品に信頼感を覚えるのか、もうすこし詳しくお聞きしたいです。すべての言葉に意識が行き届いている、という感覚が信頼につながるんでしょうか?
三宅
もちろんそれもありますし、中には、たったひと言を読んだだけで信頼感を覚えることもありますね……。たとえば、松浦理英子さんの作品に『最愛の子ども』という小説があるんです。小説全体も素晴らしいんですけど、特にラストシーンの言葉がすごいんですよ。もう、その言葉を書いてくれただけで一生信頼するって思いますね(笑)。
そのひと言だけで信頼できるという感覚、たしかにわかるような気がします。『うにくえ』のテーマである「個性」や「自分らしさ」にも少し引きつけて考えてみたいのですが、ある作品や作家が信頼できるというのはつまり、その人の「個性」に惹かれている、ということなんでしょうか?
三宅
どんなときにその作家の言葉に惹きつけられるかを考えてみると、「こういうこと言ってる人、ほかにいなかったな」と感じるときなんです。自分で文章を書くときも、「これを言ってるのは自分だけだろうか」という点は特に意識している気がします。
だからやっぱり、ものを書くということはそのまま個性やオリジナリティにつながることだと思いますね。「書くこと」には、きっと個性そのものが表れるんですよ。
三宅さんのキャリアと本との関係性をうかがってきた前編はここまで。後編では、書評家という個性的な仕事に就く三宅さんに、「好き」を手放さずに生き続けるための方法をうかがいます。
高校生のころ「本が読めなくなる未来を想像して、号泣したことがある」という三宅さん。現在は「ずっと本を好きなままでいられるルートに入った感覚がある」と言います。そのルートをいかに切りひらいたのでしょうか。後編もお楽しみに!
[文]生湯葉 シホ [撮影]須古 恵 [取材・編集]鷲尾 諒太郎