「CDが一番売れていた時代」を遠く離れて

まずは、おふたりがJ-POPに関心を持つようになった背景を教えてください。

戸谷

私は1988年生まれで、CDが一番売れていた時期である2000年代初頭に10代を過ごしたんです。J-POPが社会に浸透し、誰もが宇多田ヒカルさんとか浜崎あゆみさんの曲を聴いているような時代だったので、自分自身もごく自然にJ-POPを聴く青春時代を送りました。

大学では哲学科に進学したのですが、哲学的な問いについて考えているときに頭の中に浮かぶ言葉が、J-POPの歌詞から着想を得たものであることが多くて。実際に、哲学のレポートの中で歌詞を引用してみたこともありましたし、J-POPは哲学的な思考を育むためのすごくいい手がかりになるのではないかと思っていました。自分が研究者として大学で教えるようになってからは、哲学の授業で学生たちにJ-POPの楽曲を題材にしたグループワークをしてもらうことも。J-POPは私にとってずっと重要なコンテンツですし、とても身近なものです。

僕は戸谷さんとはちょっと違って、10代からリスナーとしてJ-POPにどっぷり浸かってきたかというとそうではありませんでした。1976年生まれなので思春期を過ごしたのは90年代なのですが、当時はどちらかというと、J-POPよりもアメリカやイギリスのロックに親しんでいたんです。

僕が主体的にJ-POPについて考えたり語ったりするようになったのは、音楽雑誌の編集者として働きはじめてから。それが1999年ごろのことだったので、さっき戸谷さんがおっしゃったとおり、“CDが一番売れていた時期”に仕事をはじめたわけです。ただ、2000年代後半になるとだんだんとCDが売れなくなっていき、音楽というジャンル自体が勢いをなくしていきます。「この曲がおすすめです」と単に言っているだけじゃいられないような重苦しいムードが、音楽業界に漂ってきたんです。

そうなると自然と、社会におけるポップソングの役割や機能についても考えざるを得なくなってくる。僕の関心も徐々にJ-POP全体に広がっていき、社会と音楽との接点について考えたり書いたりするようになって今日に至ります。

 

「J-POP」は1989年ごろ、ラジオ局が生み出した?

戸谷さんは哲学、柴さんは社会という接点から、それぞれJ-POPについて考えてこられたわけですね。……と、ここまで当たり前のように「J-POP」という言葉を使ってきましたが、そもそもJ-POPってなんだろう、という疑問が湧いてきました。J-POPって、いつごろできた言葉なんでしょうか?

ラジオ局のJ-WAVEがこの言葉を生み出したというのが定説です。J-WAVEはもともと洋楽専門のラジオ局としてスタートしたのですが、1989年ごろから邦楽も流すようになったんですね。その際に、「都会的なイメージのラジオ局がかけるにふさわしい、おしゃれな日本のポップス」という意味合いで、「J-POP」という言葉が使われるようになった。当時は山下達郎さんやサザンオールスターズといったアーティストの曲が、このくくりで呼ばれていたようです。

 

でもいまは、ロックやヒップホップっぽい音楽も、「J-POP」チャートに入っていたりしますよね。もっと幅広いジャンルをJ-POPと呼んでいる気がするのですが。

そうですね。調べてみると、J-POPという言葉が広く世間に広まったのは、90年代初頭だったようです。当時は発足したばかりのJリーグをはじめ、J文学とかJビーフとか、日本発の文化や産業を「J-〇〇」と呼ぶ動きがあった。その動きの中で、ロックやR&Bなども含めた日本の音楽、日本のポップス全体をJ-POPと呼ぶことが定着したんでしょうね。

昭和の時代には、日本のポップスはしばしば「歌謡曲」と呼ばれていました。広く日本の大衆音楽を指し示すジャンルとしては、J-POPと歌謡曲に大きな違いはないと言っていいと思います。あくまで言葉が先にあって、それが大衆に広まっていったということです。

 

社会から安心感が失われ、「自分らしさ」の時代がやって来た

なるほど、ありがとうございます。ここからは、『うにくえ』のテーマでもある「自分らしさ」や「個性」について、一緒に考えていきたいと思うのですが……柴さんは著書の中で、90年代の半ばから「自分探し」という言葉がメディアを賑わすようになった、と書かれていましたよね。「自分探し」や「自分らしさ」という言葉がこの頃から広く使われるようになったのって、おふたりはどうしてだと思いますか?

戸谷

90年代半ばって、広い視野でとらえるなら、日本社会の急激な構造変化が一段落ついたくらいのタイミングだったのではないかと思います。

経済面で言うと、バブルが崩壊したのが90年代の初頭ですから、戦後長く続いた経済成長期の終わりから少しずつ時間が経つにつれて、「経済は上向いていくもの」という人々の幻想が崩れていった。社会主義の国が崩壊し、世界全体が資本主義に向かっていったのも同じころです。世界の動向が大きく変わると、当然ですが、国際社会における日本の立ち位置もそれまでとは変わってくる。

少し抽象的な言い方をするなら、90年代半ばとはそれまで日本を支えていた大きな“物語”がなくなり、「この流れに乗ってさえいれば、自分の人生はうまくいく」という安心感が社会から失われ始めた時期だったのだと思います。そんな中で、教育の分野では、いわゆる「詰め込み教育」への反省が叫ばれると共に、「生きる力」とか「個性」が大切だと言われるようになっていった。

頼れるものがないからこそ、個人がそれぞれ自分の頭で考えて人生を進めてくださいね、という方向に教育が変わっていったということでしょうか。

戸谷

「生きる力教育」をもろに受けてきた世代の実感としては、そうだと思います。大人に言われてから動くんじゃなく、何をしたいのかを自分できちんと考えて、個性を大切にして生きていきなさい……と私たちはさんざん言われながら育ってきたので(笑)。「自分探し」や「自分らしさ」が90年代の半ばのキーワードになった背景には、そういった世相があったんじゃないかと個人的には思います。

昭和の大スター・美空ひばりは、“自分を捨てること”の美しさを歌った?

時代の変遷に関しては僕もまったく同じ認識です。ヒットソングを見てみても、高度経済成長期とバブル崩壊以降の時代で、歌詞に見られる心性──つまりどんな価値観を持った曲が流行るかって、様変わりしていると思うんですよ。

昭和を代表する歌姫、美空ひばりさんの「柔」という曲をご存じですか? いまでは「川の流れのように」のほうが有名になりましたが、当時、彼女にとっての最大のヒット曲はこの「柔」だったんです。

柔道をテーマとするこの曲が発売されたのは、1964年。柔道が初めて正式競技に採用された東京オリンピックが開催された年です。

 

“勝つと思うな 思えば負けよ”というフレーズが有名な曲ですよね。

そうですそうです。そのあとの歌詞には、

“人は人なり のぞみもあるが 捨てて立つ瀬を 越えもする せめて今宵は 人間らしく 恋の涙を 恋の涙を 噛みしめる”

とある。これってつまり、人間らしさ、自分らしさを捨てて柔道にすべてをかけることをポジティブにとらえている曲なんです。……現代の人からするとかなり前時代的な価値観に感じられるのではないかと思いますが、ほんの50数年前までは“自分を捨てること”が美学とされ、その歌詞に多くの人が共感していたわけです。

 

「自分らしさ」の対極にある価値観ですね……。言われてみると、高度経済成長期を象徴するような歌詞にも思えます。

そこから一気に1990年代半ばまで時代を移すと、SMAPが「Hey Hey おおきに毎度あり」というヒット曲の中で、

“いまだ バブリーなやつらはなぁー 借金しても かっこつけよる!”

と歌っている(笑)。バブルが完全に終わり、それでもバブリーに振る舞おうとする人たちがいるという状況が、戯画的に書かれているわけです。

 

ミスチルが引き起こした、「自分探し」のパラダイムシフト

そして、「Hey Hey おおきに毎度あり」が発売された1994年には、Mr.Childrenが「innocent world」を発表しています。この曲にはこんな歌詞があります。

“近頃じゃ夕食の話題でさえ 仕事に汚染されていて 様々な角度から物事を見ていたら 自分を見失ってた”

「自分探し」はまさに、Mr.Childrenの歌詞の中心的なテーマでもある。時代の変化の中で、人々がどんな表現を求めるかが変わってきたということが、ここに明確に表れていると思います。

 

戸谷

柴さんが言われたように、高度経済成長期には「自分らしさ」を捨て、社会の中で与えられた役割をこなすことで人生が盤石なものになるという価値観があったように思います。けれど、そういった“大きな物語”が失われた時代においては、人生の選択は自分自身にかかっていて、すべて「自分らしさ」や「個性」に投げ返されてしまう。そうした時代の息苦しさを代弁したアーティストのひとりがMr.Childrenだったのではないでしょうか。

たしかにMr.Childrenの歌詞には、「自分を見失う」とか、「自分を探す」というフレーズが頻繁に出てくるイメージです。大きく変化した時代に息苦しさを感じていた人たちが、まさに必要としていた表現なのかもしれないですね。ミスチル、すごいですね……。

いや、ミスチル、すごいんですよ。歌謡曲の時代のヒット曲の歌詞では、一個人としての「生きること」に対する悩みや自分が何者かという悩みは、あくまで思春期の一過性のものだととらえられていた。

けれどMr.Childrenの桜井(和寿)さんは、個人が「自分らしさ」について悩み続けることを、思春期の通過儀礼としてではなく、ずっと続くものとして再設定してみせた。「終わりなき旅」には“ガキじゃあるまいし”というフレーズも出てきますが、そう言い聞かせてもなお自分を探してしまうことこそが人生である、と歌っているんですよね。

こういった曲がヒットし、人々の価値観や感性を塗り替えていったのは、すごくエポックメイキングなことだったと思います。

 

「名もなき詩」は、「自分探し」の哲学的な矛盾を見抜いている

Mr.Childrenの話題が出たところで、歌詞における「自分探し」や「自分らしさ」についてもう少し考えてみたいと思います。戸谷さんは著書の中で、「名もなき詩」に出てくる“自分らしさの檻”というフレーズに注目されていましたよね。「名もなき詩」が、自分を探すことの難しさや息苦しさを歌った曲であることはわかるのですが……ずばり、“自分らしさの檻”って、なんでしょう?

戸谷

自分で自分を探すこと、自分の力で「自分らしさ」を見つけることがなぜ難しいのかについて考えてみることが、その答えになると思います。

たとえば、私は小学生のころ、先生から「戸谷くんは個性的だね」と言われていたんですが、自分では自分の何が「個性的」なのか、まったく理解できなかった。自分らしさや個性を、生まれつき人と違っている性質みたいなものとしてとらえようとすると、それがなんなのかどんどんわからなくなっていくと思うんです。

自分が他の人と違っている「個性的」なところを探そうと思っても、自分が他の人の目線に立たない限り、それを見つけることが難しいから……でしょうか。

戸谷

ええ、そうです。どんな個性を持っているだろう? という視点で私が私のことを理解しようとすると、「理解しようとする私」と「理解される私」に私が分裂してしまう。「理解しようとする私」を理解しようと思うとまた同じ分裂が生まれてしまうから、「理解しようとする私」のことは、どうやっても永久に見えてこないんです。

哲学の世界では、この問題を「実存は本質に先立つ」という表現で表すこともあります。実存というのは「人間が存在すること」で、本質というのは「その人がどんな性質や役割を持った人間か」。

つまり、人間には生まれつき持っている性質や役割は存在せず、「何者でもない私」がまず存在している、ということですね。なぜなら、生まれつきの性質や役割について考えようとすると、その瞬間に「私」が分裂して、性質や役割に捉えられない「私」が立ち表れてしまうから。

なるほど……。「名もなき詩」の歌詞にある、“知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中で もがいている”というフレーズは、その矛盾について歌っていると。

戸谷

そう思います。わかりやすく言うなら、自分らしさとは何かを追い求めようとすると、かえってその自分らしさにとらわれて、自分の可能性を狭めてしまう。けれど、そうすることでしか、自分が何者であるかを知ることができないのが苦しい……ということですね。哲学的に考えると、“自分らしさの檻”の背景にはそういう人間の実存的な構造があるのではないかと思います。

乃木坂46の歌詞が教えてくれる、他者との豊かな関わり方

では、自分らしさを自分自身で見つけることが難しいとすると、他者に見つけてもらうしかないのでしょうか?

戸谷

近代の哲学においては、哲学者・カントなどが「人は誰にも依存せず、自分ひとりで自立して生きていくのがよい」と主張したのですが……実際にはいま考えてきたように、私たちは自分の力だけではなかなか自分のことが理解できず、それに苦しんだりもするわけです。だからこそ他者と関わったり他者から影響を受けたりして、いままで自分が気づいていなかった自分の側面が見えてくる、ということは大いにあると思います。

J-POPの歌詞を例に挙げるなら、アイドルグループ・乃木坂46が2013年に発表したシングル「君の名は希望」の中には、

“こんなに誰かを恋しくなる 自分がいたなんて 想像もできなかったこと”

というフレーズがあります。私、この歌詞を初めて見たとき、すごく素敵だなと思ったんですよ。自分でも想像していなかった自分が他者によって発見される、ということをとてもポジティブにとらえている。

たしかに。それを怖いとか不安だと考えるのではなく、“希望”ととらえている明るい歌詞ですよね。

戸谷

そうですね。この歌詞のように、他者によって発見される新たな自分の側面をポジティブに受け止められるかどうかで、自己理解の豊かさというものは変わってくると思うんです。

たとえば、友達に「あなたって意外とこういうところあるよね」と言われて、「いやそんなことない、自分はこういう人間だから」と突っぱねてしまいたくなるときってあると思うんです。でもそれをずっと続けていると、自分の可能性は限られたものになってしまう。

他者から自分がどう見られているかに依存したり、それこそが真実だと思い込んだりするのでもなく、あくまで柔軟にそれを受け入れること。そういった意味でのオープンマインドを持っておくことが、他者との豊かな関係を通して「自分らしさ」を見つけていくためには大切なのではないかと思います。

J-POPの歴史や「自分らしさ」が求められるようになった社会的な背景、そして、さまざまな楽曲を参考に「自分らしさ」について考えてきた前編はここまで。後編では、星野源さんや、RADWIMPS、YOASOBI、Official髭男dismなどの歌詞を取り上げながら、自分らしく生きていくためのヒントを探ります。J-POPが与えてくれる「自らの物語を生きていくための想像力」とは? 後編もお楽しみに!

[文]生湯葉 シホ [取材・編集]鷲尾 諒太郎