【前編】三井 淳平
石橋を叩いた結果、「日本唯一」の仕事に就くことに?!
レゴ認定プロビルダーが語る、「好きなこと」と仕事の関係
2022.06.02
「『好き』を仕事に」。いい響きですよね。
でも、この言葉には、どこか危なっかしいイメージもつきまといます。「えいや」と勢いよく現状から飛び出すことによって、リスクを取りながら理想にたどり着く──そんなイメージがあるのではないでしょうか。そして、“個性的”な仕事に就いている人たちの多くは、そんな勢いとリスクテイクによっていまのポジションにいるのではないかと。
日本唯一のレゴ認定プロビルダーという“個性的”な仕事をしている三井 淳平さんは、そんな思い込みをくつがえします。レゴブロックについては、あまり説明はいらないでしょう。小さいころ、さまざまな色や形をしたブロックを組み合わせ、何かをつくったことがある人は少なくないはず。そして、レゴ認定プロビルダーとは、レゴ社が「レゴブロックを使って仕事をすることを公に認めた人」に与える称号であり、世界に23人(2022年5月時点)しかこの称号を持つ人はいません。
現在は「レゴのプロフェッショナル」として、さまざまな企業や個人から依頼を受け、作品を制作する三井ブリックスタジオを経営しています。日本においては誰もやったことのない仕事をしている三井さんですが、この仕事につくことについて「不安はなかった」と言います。その言葉の裏にあるのは、現実と夢の間にグラデーションを描き、「好き」を仕事に結びつけるための三井さん流のキャリアのつくり方です。
( POINT! )
- 「ただ好きなこと」を仕事にするのは難しい
- 制約や条件も楽しめなければ、「好き」を仕事につなげられない
- レゴに初めて触れたのは0歳のとき
- 一気にのめり込んだのは、インターネットがきっかけ
- レゴを仕事にすることを意識し始めたのは、大学生のとき
- 勢いに任せて「やりたいこと」に飛びつく必要はない
- 「現実」と「夢」のバランスを取る
三井 淳平
1987年生まれ。兵庫県明石市出身。
幼少期からレゴブロックに触れ、高校時代にはテレビ番組『TVチャンピオン』の「レゴブロック王選手権」で準優勝を果たし、注目を浴びる。東京大学に進学後、東大レゴ部を創部。2010年、レゴブロックを素材とした作品制作や関連する課外活動における社会貢献により、「東京大学総長賞」を個人受賞。2011年、「世界最高レベルのレゴブロック作品制作能力を持つ一般人」とレゴ社が認める「レゴ認定プロビルダー」に最年少で選出される(日本人初、世界で13人目)。2015年に三井ブリックスタジオを創業。
「好きだから仕事にする」のはおすすめしない
日本で唯一、世界でも23人しかいない「レゴ認定プロビルダー」である三井さんに、「好きなこと」を仕事にする方法をうかがっていければと思っています。
三井
いきなりなんですけど、純粋にただ「好きなこと」を仕事にするのって難しいと思うんですよね。どちらかと言えば、やめておいた方がいいと思います。
え……。どういうことでしょう? 三井さんはレゴがお好きではないんですか?
三井
「好きではない」と言うと語弊があるのですが、ただただ「レゴが好きだから」この仕事をしているわけではなくて。幼少期からレゴには触れていましたし、もちろん好きではあるんです。しかし、それと同等かそれ以上に「仕事として、依頼されて何かをつくること」が好きなんですよね。その「何か」はレゴでつくるものではなくてもいい。
つまりは掛け算なんです。「レゴが好き」と「依頼されて何かをつくる」がかけ合わさって、いまの仕事に辿りついたという感じですね。
「『好き』を仕事にできる時代」という言葉をよく耳にしますが、「ただ好きなだけ」ではそれを仕事にするのは難しいということですか?
三井
そう思います。仕事である以上、誰かに依頼されて制作するわけですよね。そのとき、依頼主の意向をくむ必要がありますし、自由に自分の好きなものをつくっていいわけではありません。
たとえば「レゴが好き」だけを理由にレゴを仕事にしてしまうと、自由につくることができなくなって、むしろストレスを感じてしまうと思うんです。
だから、「好き」だけで「仕事にする」のはおすすめしません。レゴでも何でもいいのですが、「好き」の中に「仕事としてそれをやるのが好き」も含まれてなければ、仕事にするのは慎重になるべきでしょうね。
「仕事としてそれをやるのが好き」かどうかを判断するには、どうしたらいいのでしょう?
三井
「制約や条件を楽しめるかどうか」を考えてみるとよいと思います。時間や予算、素材に制約がある状況の中で、何かをつくることを楽しめる人は、それを仕事にできるはず。「何の条件もない中で、好きなようにやりたい!」という人は趣味にとどめておくべきでしょうね。
ずっと「寝食を忘れてレゴ!」ではなかった
なるほど。でも、レゴに触れ始めたころからそう考えていたわけではないと思うんです。
三井
もちろんです。そもそも、兄弟の影響もあって、レゴで遊び始めたのは0歳のころからですしね。初めはただただ楽しかったから、レゴにのめり込みました。
幼少期はレゴのどんなところが楽しいと感じていたのでしょう。
三井
自分のつくりたいものがつくれるところですね。プラレールや積み木など、パーツや素材を組み合わせて何かをつくる遊びが好きで、レゴもそのうちの一つでした。その中でもレゴは、つくれるものの幅が広いというか、こだわろうと思えばどこまででもこだわれるのが楽しかった。
たとえば、積み木の場合、てっぺんにあるブロックの横に「このパーツをくっつけたい」と思っても無理じゃないですか。でも、レゴならばそれができるわけです。パーツ選びや組み合わせ方の工夫によって、かなり自由度高くさまざまなものをつくることができる。それが、他のおもちゃよりものめり込んだ理由ですね。
たしかに、工夫のしがいがありますよね。
三井
それに、周囲の人にウケたということも大きいと思います。家族や友人に、レゴでつくったものを見せるととても喜んでくれた。それもレゴに熱中した理由の一つだと思います。
小さいころからかなりの時間をレゴに費やしていた?
三井
やる日はずーっとやるし、やらない日はまったくやらない、といった感じでしたね。土日は10時間くらいやるけど、平日は一切触れないことも多かったと思います。
これも勝手なイメージなのですが、「小さいころから、寝食を忘れてレゴにのめり込んでいた」みたいな感じかと思っていました(笑)。
三井
そういう時期もあったかもしれませんが、ずっとそうだったわけではないですね。
インターネットがひらいた、「作品づくり」への道
中高生になってからもレゴは触っていたのでしょうか?
三井
むしろ、それからが本番というか、中学校3年生のころから本格的に作品づくりに打ち込むようになりました。きっかけは、インターネットですね。私が中学校3年生になったのは2003年だったのですが、ちょうどそのころ一般家庭にもパソコンが普及し、多くの人がインターネットを利用するようになった。
当時流行っていたホームページ作成サービスを使用し、レゴでつくった作品を掲載するサイトをつくったんです。そこから、外部に発信することを前提とした「作品づくり」が始まりました。
どのような作品をつくっていたのですか?
三井
記憶に残っているのは高校1年生のときにつくった、3メートルくらいの宇宙戦艦ヤマトですね。あとは、ドラえもんをつくったのも覚えています。当時は、既存のキャラクターなどをレゴを使って表現することが多かったですね。
3メートル級の作品ともなると、かなり時間を割かなければならないかと思います。そこまで熱中できたのはなぜだったのでしょう?
三井
作品を見た人から反応がもらえることがうれしかったんです。そういう意味では、インターネットがあったからこそ、レゴに熱中したと言えると思います。純粋に「つくること」を楽しむというより、「つくったものを見てもらうこと」を楽しんでいましたね。
だから、なるべく作品自体に意識を向けてもらうように、年齢は明かさずに作品を公開していました。「中学生がつくりました!」と書いていれば、もっとウケていたとは思うのですが、年齢をあえて隠してどれくらい通用するのかを見てみたかった。
当時から作品をインターネット上で公開していた方は少なからずいて、そういった大人たちの作品と肩を並べて評価してもらったのはとてもうれしかったですね。
「やりたいこと」をやるために必要なのは、「安定」と「挑戦」のバランス
レゴを仕事にしようと意識し始めたのも、それくらいの時期ですか?
三井
明確に意識し出したのは、大学に入ってからですね。ただ、それは「レゴが好き」という想いを強くしたからではなく、「人から依頼されて何かをつくることが好き」なことに自覚的になったから。であれば、「誰からの依頼を受けてレゴをつくること」を仕事にするのも選択肢の一つなのではないかと思うようになりました。
このころから、「レゴが好き」と「依頼されて何かをつくることが好き」を掛け算をしていたわけですね。
三井
そうですね。そして、大学院に進学するタイミングでレゴ認定プロビルダーという制度があることを知って、そこからレゴを仕事にすることを意識して、作品をつくるようになりました。
では、大学院を卒業して「レゴのプロ」になった?
三井
いえ、そういうわけではないんです。大学院在学中にレゴ認定プロビルダーにはなったのですが、卒業後はレゴとは関係のない一般企業に就職しました。レゴブロックで作品
をつくる仕事もいただいていたので、「会社員」と「レゴのプロ」という二足のわらじをはいていたんです。
入社してから3年ほどはそういった状態だったのですが、レゴの仕事の依頼が増えてきたので、独立したという流れですね。
独立する際に不安などはありませんでしたか?
三井
あまりありませんでしたね。というのも、やっていける確信を持ててから次のステップに進むタイプなので。「大丈夫かな……」と思っているうちは、大きな選択をしないというか。会社をやめるときも「えいや」ではなく、独立後の見通しが立った後に「半年後に会社をやめようと思っています」と上司に相談していましたからね。
「新しい一歩を踏み出すときは、勢いが大事」と言われることもあると思うのですが、三井さんはそうではなかったと。
三井
ときにはリスクを取って勢いよく行動することも大事かもしれません。しかし、リスクだと考えていた事態が実際に起こったとしても、「リカバリーできる」という自信を得てから行動することはさらに重要だと考えています。
「安定」と「挑戦」のバランスを保つことが大事というか。だから、たとえば起業するにしても、ある程度は会社員として安定的な給料を得ながら、こつこつと起業に向けた準備を進めることが大事だと思います。私も実際そうしましたしね。
やりたいことがあるのなら、いきなりそれに飛びつくのではなく、「いまやっていること」との間にグラデーションを描きながら、徐々に近づいていけばいいんですよ。
日本唯一のレゴ認定プロビルダーとして活躍する三井さんにそのキャリアをうかがった前編はここまで。「好きなことを仕事にする」ことに対するイメージが、少し変わったのではないでしょうか。後編では、レゴと個性の関係について考えていきます。「レゴは決められたパーツをつかって無限の表現ができるところがおもしろい」と言う三井さん。その言葉には、「自分らしく」生きるためのヒントが隠されているかも? 後編もお楽しみに。
[文]鷲尾 諒太郎 [撮影]須古 恵 [取材・編集]小池 真幸